バナナ
夢の中では頬をつねっても痛みを感じないらしいが、
実際私が痛みを感じているあたり、ここは夢の中ではないのだろう。
夢じゃないのがそんなに嫌なのか、はたまた無意識にMに目覚めてしまったのか、私は何度も何度も頬をつねっている。
いや、Mに目覚めたという可能性はやめておこう。悲しくなる。
まだ成熟しきっていない緑色のバナナを食べながら、つねりすぎて成熟しまくった赤色の頬をつねり続けている私は、どうやら「かなで」という名らしい。それ以外のことはよく分からない。分かることと言えばバナナが上手いということぐらいだろう。
2本目のバナナに手を伸ばした私は、とりあえずベッドから身を乗り出した。
寒い。とにかく寒い。
半袖半ズボンだから当たり前と思うが、季節が夏ならむしろ暑いと感じることだろう。ベッドの上に毛布が何枚も重ねているあたり、季節は冬と考えていいだろう。
ベッドの近くには未成熟バナナが山積みにされたお皿に砂嵐のTV、「ログイン」と画面に印されたノートパソコンが棚に置いてある。
部屋を見渡すと、窓がないことに気がついた。この部屋の空気はどうも湿気っていてかび臭い。
換気をしたいところではあるが、部屋のドアは施錠されており、換気どころか部屋を出ることさえ不可能というなんとも深刻な状況である。
にも関わらず3本目のバナナを手に取った私は、とりあえずノートパソコンに手をつけてみることにした。
ログインにはパスワードが必要ということは承知済みであるが、私にはパスワードの心当たりもないということも承知済みである。
「… 適当に打ってみようかな。」
突然、幼く、高い声が耳に響き、周りを見回したが、
自分の声だと気づくのに、そう長い時間はかからなかった。
「私ってこんな高い声してるんだ……」
自分の年齢も知らないので何とも言えないが。
何故か鳥肌が立っているが気のせいにして、手当り次第にパスワードを打つことにした。
にしても、本当にパスワードの心当たりがないので、適当にといっても何を入れるべきか迷う。
シュガースポットが目立つ3本目のバナナを咀嚼しながら青い空の背景が目立つパソコンを眺める。
「……バナナか 。」
まさか、と思ったが手元のキーボードを操作し、ディスプレイに表示されている「ログイン」をクリックした。
「ようこそ」という言葉の下で、複数の点が円を描いている。ログインは完了したようだ。
まさか「banana」でログイン出来るなど思っていなかったが、実際に部屋にバナナを用意するあたり、このパスワードを設定した人は中々親切だ。
しかし、
「…… でも、ログインしてこれからどうするんだろ。」
ログインしたからといって何か分かった訳ではない。
パソコンが使用できるからと言ってこの部屋から出ることが出来るとは限らない。そもそも私自身が部屋を出ることを望んでいるのかわからない。相変わらずバナナは美味しい。
そんなことを考えているうちに、パソコンのデスクトップが開かれる。
「…… え?」
デスクトップには何もなかった。いや、これはデスクトップと呼んで良いのだろうか。
真っ白だ。何もない。ただただ真っ白な画面が表示されているだけ。
と思われたが、
「ようこそ、奏さん。」
パソコンに表示されたそれは次々に文字を羅列していく。
「あなたにチャンスを与えましょう。あなたに自由になるチャンスを与えましょう。」
「 えっ…… ほんとに?」
返事が返ってくるはずのないパソコンに喋りかけると、応答するようにそのパソコンは文字を再び羅列し始める。
「しかし、自由を手に入れれば、全てが終わります。」
嵐の前の静けさのように、パソコンはその動作を終了し、シャットダウンを始めたのだった。