2-5
「ユーシスは姿を消しました」
ユーシスの様子を確かめに行って戻って来たライトナはためらいがちに報告した。ユーシスが今どこでどうしているのかわからないと言う。
僕が去った後の校庭でユーシスはかけつけた救急隊の手にゆだねられた。だが、病院には行っていない。
病院に着いて救急車から降ろそうとしたとき、ユーシスはもうそこにはいなかったのだ。
応急手当てはすんでいたとはいえ、ひどいケガをしていたのに。あんなに血がでていたのに。
シェーファー兄弟は近隣の病院にユーシスが収容されていないかしらみつぶしに調べた。だが、総合病院にも個人病院にもそれらしき人物はいなかった。
そこで捜索範囲をソアレス9全土に広げてみたが、どこにも刃物によるけがでかけ込んだ少年はいなかった。
あんな身体でユーシスはどこへ行ってしまったのだろう。。
なんの手掛かりもないまま朝を迎えた。
鏡の中の僕はひどい姿だ。顔色は冴えず目の下にはクマができている。
登校はひかえるようエイムスに勧められたが僕にそのつもりはない。学校に行けば何かしらの情報が得られるかもしれない。そんなかすかな希望にでもすがり付きたかった。
当然、ユーシスは登校していなかった。
担任のエルダー先生にたずねるとユーシスの保護者から連絡があったと教えてくれた。知人の診療所に入院しているらしい。
そう聞いた途端、体中の力が抜けてその場にへたり込んでしまいそうになった。
どれだけ心配したと思っているんだ!
重症を負ったまま姿を消したりするから、どこかで死んでいるのではないかと不安でたまらなかった。この僕に一睡もさせなかったのはユーシス、キミがはじめてだ。
だが、とにかく、生きていてくれた。よかった。本当によかった。。こぼれそうになった涙をシェーファー兄弟に気付かれないようそっとぬぐった。
シェーファー兄弟の仕事は早かった。1時間目の授業が終わったときにはもう、ユーシスが入院している診療所の電話番号を突き止めていた。
「僕はセイスタリアス・コングラートと申します。そちらにクラスメイトのユーシス・ロイエリングが入院していると聞いたのですが」
「どうしてここがわかったの? 誰にも教えていないはずなのに」
けげんそうな声は若い女性のものだ。診療所には医者と看護師がひとりずつしかいない。
医者は高齢の男性で、看護師は若い女性だ。
ユーシスの保護者が看護師として働いているというから、この声の主がアンジェリカ・マスカーレだ。
「そんなことよりユーシスは大丈夫なのですか。ケガを・・・・・・とてもひどいケガをしていますよね」
「ケガはしてるけど、たいしたことはないわ」
そんな馬鹿な!
あれがたいしたことないはずはない。
暴漢が持っていたのは刃渡り20センチはありそうなファイティングナイフだった。軽傷ですむわけがない。そうか。僕に心配をかけないようにしているんだな。
とにかく会って確かめたい。今すぐに。
「これからお見舞いにうかがっても構いませんか」
「お気持ちはうれしいけれどもう少し落ち着いてからにしてもらえないかしら。今はゆっくり休ませたいの」
冗談じゃない! これ以上1秒たりとも待っていられるものか。
「お願いします、どうしても会いたいんです! ユーシスは僕の代わりに刺されました。話さなければならないことがたくさんあります。どうか、どうか、お願いします!!」
こんなに必死になって頼み事をするなんてはじめてだ。
「明日もう一度電話をちょうだい。ユーシスは今眠っているから後できいてみるわ」
アンジェリカはユーシスを起こしたくないと言ってるのだ。これ以上無理は言えない。
目を覚ましたユーシスは僕から電話があったと聞いて、どんな顔をするのだろう。
どうやら今日も眠れない夜になりそうだ。
ろくに眠れないまま朝を迎えた。今日はエイムスの助言に従って学校は休むつもりだ。
だが、身支度はとっくにできているし、食事もすませた。ろくにのどを通らなかったけれど。すぐにでもでかけられる状態だ。鏡の前に立って身だしなみを確かめる。完璧だ。
何と言って声をかけるかは一晩中考えて決めておいた。
「やあ、ユーシス。お加減はいかがかな。この僕、セイスタリアス・コングラートが来たからにはもう何も心配する必要はない。キミが望むものはすべて用意してやろう」
鏡の中の僕は堂々としている。だが、ユーシスを前にしても今のように冷静でいられるかときかれると、、、自信はない。
それにしても、時がたつのが遅い。遅すぎる。まるで1分が1時間に間延びしたみたいだ。
10時30分。約束の時間になった。アンジェリカに昨日と同じ時間に電話するよう言われていた。
「おはよう。時間通りね」
「おはようございます。それでユーシスは会ってくれるのですか」
「ええ。場所はわかる?」
やった! 思わず拳を握ってガッツポーズをつくる。
「はい。わかります!」
診療所の住所は、とっくにシェーファー兄弟が調べておいたから、行くだけなら昨日の内にだって行けたのだ。
でも、病室に押しかけるわけにもいかないから一晩我慢した。セイスタリアス・コングラートは紳士なのだから。
これでやっとユーシスに会える。放課後までなんて待っていられるもんか。
「今すぐ行きます。構いませんよね」
「今すぐ?! 授業はどうするの」
アンジェリカのとがめるような声を聞いて、僕の口からとんでもない言葉が飛びだす。
「授業なんてくそくらえ!!」
これには僕も驚いた。こんな下品な言葉、口にしたのははじめてだ。こういうときには自然にでてくるものらしい。でも悪くない。
このひと言は今の僕の気持ちをストレートに表現してくれている。
僕はアンジェリカの返事を待たずに電話を切り、屋敷を飛びだした。
ユーシスが入院している診療所まではモータービークルで10分とかからなかった。こんなに近くにいたのか。
ライトナがドアを開けてくれるのを待つわずかな時間すらもどかしく、自分でドアを開けてモータービークルから降りた。
目の前の建物=年季の入った平屋には、“フリーマン診療所”と書いた看板が掲げてある。診療科目は内科と小児科。外科はない。
だからシェーファー兄弟の捜索網には引っかからなかったのか。
本当にこんな小さな診療所にユーシスがいるのだろうか。
中に入ってみると予想通りの狭くて古臭いレイアウトの待合室があった。確か診療中の札がでていたはずだが誰もいない。
「どなたかいらっしゃいませんか」
エイムスが声をかけると、診察室から白衣を着た老人がでてきた。医者のようだが、見るからにヨボヨボで、もし杖を持っていたら貸してあげたいところだ。
老人は僕たち3人をしげしげとながめてから廊下の奥に向かって大声を張り上げる。
「アンジー! お客さんの御到着じゃぞい」
すると奥の方から若い女性の声が返ってくる。
「はーい。今行きます」
その声には聞き覚えがある。アンジェリカ・マスカーレだ。
「ずいぶん早かったのね」
姿を現したアンジェリカはセピア色の瞳でまっすぐに僕を見た。萌黄色の髪は高く結い上げてある。
この美人はユーシスの保護者ということになっているがふたりに血縁関係はない。赤の他人同士がひとつ屋根の下で暮らしているということになる。
もしかするとふたりは恋人同士なのではないかとかんぐっていたが、その疑いはすっかり晴れてしまった。
21歳という年齢よりもずっと大人っぽいアンジェリカと、同い年の僕から見ても子供っぽいユーシスとではまったく釣り合わない。姉と弟といった方がしっくりくる。
「こっちよ」
アンジェリカに案内された部屋のドアには“第2診察室”と書かれたプレートが貼り付けてある。そもそもこんな小さな診療所に入院設備があるはずもない。
ユーシスはちゃんとした治療を受けられているのだろうか。
開かれたドアから中をのぞくと・・・・・・いた!!
ベッドに横たわったユーシスは僕たちに気付いてこちらに顔を向けた。顔色は悪くないが腕には点滴のチューブがつながっている。
予想はしていたが痛々しい姿を目の当たりにして言葉がでてこない。何と言って声をかけるか練習してきたのに何の役にも立たない。
「セイスタリアス、本当に来てくれた!」
ユーシスの声に誘われて中に入る。
部屋の中は花、花、花でいっぱいだ。甘い香りが室内に充満している。前もってお見舞いの花を届けておくようシェーファー兄弟に言いつけておいたのだ。
ユーシスに花畑で眠っているような感覚を味わわせてやりたかった。
「ありがとう。こんなにたくさん」
ユーシスのはずんだ声に勇気付けられいつものセリフが口をついてでてくる。
「当然だ。僕はセイスタリアス・コングラートなのだから」
アンジェリカが「お茶をいれてくるわ」とでて行くと、急に怒りがわき上がって来た。
「キミってひとは。どうして救急車からいなくなったりしたんだ! どれだけまわりの人間に(僕に)心配をかけたかわかっているのかね!」
ユーシスはそんなことなど考えてもみなかったという顔をした。
「心配? だれが?」
「みんなだよ!」
「みんなって?」
「先生やクラスメイト、とにかくみんなだよ!」
「セイスタリアスも?」
「・・・・・・」
ああ。本当に腹が立つ。でも、、
「生きていて・・・よかった」
今度はユーシスが言葉に詰まる番だ。
「・・・・・・」
ユーシスはひとの気持ちに鈍感すぎる。
「心配したとも。夜も眠れないほどに」
ユーシスは潤んだ瞳で僕を見た。
「ごめんなさい・・・・・・」
「傷の具合はどうなのかね」
アンジェリカの「たいしたことない」は僕を安心させるためだ。本当のところを知りたい。
「平気。すぐによくなるよ」
ユーシスの言葉にうそがあるようには思えない。素直な彼はアンジェリカの言葉をそのまま信じているのだろう。素直でない僕は気休めだと疑っている。
「僕が来たからにはもう何も心配はいらない。とりあえず名医といわれる一流のドクター8人にここへ来てキミの治療にあたるよう手配しておいた。
容体が落ち着いたらすぐに設備の整った病院に転院したまえ。どこでも好きな病院に特別室を用意させよう」
ユーシスが一日でも早くよくなるためならどんなことでもするつもりだ。喜んでもらえるものとばかり思っていたのだが。
「8人もいらないよ。それにぼくはここがいい」
せっかくの厚意もあっさり断られてしまった。
「そうはいかない。ここは僕の言う通りにしてもらおう」
命の恩人をこんなおんぼろ診療所であんなよぼよぼの医師に任せておけるものか。
「ここがいい」
このっ!! 聞き分けのないやつめ!
「キミは僕の身代わりになったのに何もしないわけにはいかないと言っているんだ」
ユーシスは心外だという顔でつぶやく。
「来てくれたよ」
それがなんだというんだ? お見舞いに来ただけだ。
「そんなこと、何かしたうちには入らない」
来るだけのことに金はかかっていないのだから。
「そんなことないよ。だってこんなにうれしいもん」
ユーシスの満面の笑顔に胸の中がぽっと熱くなる。もう反論する気はなくなった。やっぱりユーシスはお母様に似ている。1シリンも使わないことで喜ぶなんて。
「どうして・・・・・・僕をかばったりしたのかね」
ふと、こぼれた言葉にユーシスは首をひねっている。
「どうしてだろう?」
あきれた。自分の行動の理由もわからないのか。
「セイスタリアスがあぶないと思ったら、からだが勝手に動いてた」
なんだよ、それ。。
あの時、僕のまわりには誰もいなかった。シェーファー兄弟ですら間に合わなかった。ユーシスだけが僕の元にかけつけてくれた。
つまり、そういうことだ。
「キミは馬鹿だ。僕がどうなろうとキミには何の関わりもないのに」
「そんなことないっ!!」
大きな声にシェーファー兄弟も驚いている。
「セイスタリアスがどうにかなったりしたら、ヤダ!」
ユーシスのパープルの瞳は真剣だ。
彼に打算がないことは明らかだ。コングラートに取り入りたいという理由だけで自分の命を暴漢の前にさらす物好きはいない。
その証拠に、いつも僕にまとわりついている取り巻きたちはあの時いっせいに僕から遠ざかったではないか。
それを責めるつもりはない。自分の身をいちばんに守ろうとするのは当然のことだ。
でも、ユーシスは違った。何の見返りを求めるでもなく本気で僕の身を案じてくれるひとが、ここにひとり、確かにいる。この事実は僕の心をこんなにも熱くする。
今なら素直な気持ちであやることができる。この時を逃したらきっともうこんなチャンスはやって来ない。
「ユーシス。僕はキミにあやまらなくてはならない」
「このケガはぼくが勝手に・・・・・・」
「違うんだ。そのことじゃないんだ」
「え・・・・・・」
考え込んだユーシスの顔が不意に明るくなる。
そうだ。キミには僕を罵倒する権利がある。
つまらない嫉妬で冷静さを失い、取り巻きたちがキミをいじめているとかん付いていながら知らない振りをしていた。それどころか、いじめに加担したことさえある。
卑怯で心の狭い人間なのだから。
「今度こそもらってくれるんだね」
「???」
何のことだ? 今度は僕が考え込む番になった。
ユーシスは枕元から小さな箱を取りだした。それは僕が受け取りを拒否したあの“ママン・マニ”だった。
あの時のものはニックが自分のポケットに入れてしまったから、同じものを買い直したのだろう。
「キミはどうしても僕を甘党にしたいようだね」
「だって、すきなひとには自分のすきなものをプレゼントするものなんでしょう?」
“好きなひと”という言葉に赤面してしまう。
これまで何十人ものレディに告白されてきたがときめいたことなど一度もなかった。それが今はずかしいくらいにドキドキしている。
“ママン・マニ”など店ごと買いしめることもできるこの僕を、お菓子ごときで手なずけようというのか。
僕への贈り物といえば入手困難な限定品か、めずらしくて希少価値のあるものに限られているのだよ。
“ママン・マニ”の小箱ひとつで喜ぶと思ったら大間違いだ。
大間違いのはずだ。
大間違いだった。
それはもう過去のことになってしまった!
どうしてこんなにもうれしいのだろう!!!
「ユーシス、馬鹿な子ね。あなた本当に何もわかっていない。友達になりたいって伝えるだけでいいのに」
いつの間にか戻って来ていたアンジェリカが、湯気のたつカップを配りながら助言を与えた。かなりしんらつな言葉で。
ユーシスは改めて僕の顔を見つめる。
「友だちになりたい」
「・・・・・・・・・」
それは、僕が言うはずだったセリフだ。
まず、これまでのことをきちんとあやまって許してもらえたら、そうしたら、“友達になってほしい”とこちらから頼むつもりだったのに。せっかくの段取りが台無しだ。
「キミというひとは、僕の心をかき乱してばかりだ」
「えっ。ぼくなにかした? 友達にはなってくれないの」
一気にユーシスの表情が曇る。
「ああ、なれないとも。僕の話を聞いてからでないと」
僕はこれまでのことを洗いざらい打ち明けた。
ユーシスに嫉妬してうとましく思い、いじめられているところを見ていい気味だと心の中で笑っていたこと。
彼をいじめているのは僕の取り巻きたちだと気付いていながら知らないふりをしていたこと。
そのくせ、ユーシスにひかれていたこと。
すべてをさらけださなければ友達にはなれない。隠し事をしたまま友達になりたくはない。そんな想いが僕の口をなめらかにしていた。
「なーんだ、そんなこと。ちっとも気にしてないよ」
僕の懺悔を聞き終えた後のユーシスの言葉がこれだ。またまた僕の意表を突く反応に唖然とするばかりだ。
そんなこととはなんだ。自己嫌悪でどん底まで落ち込んで、それでも懸命に勇気をふるい起して、やっとのことで打ち明けたというのに。
「話は聞いたよ。だからもうぼくたち友だちだよね」
無邪気にはしゃぐユーシスに怒る気力も失せてしまう。
思い悩んできたことすべてがむだになったような気分なのに、僕の心は晴々としている。
「その通りだよ。僕たちは友達だ」
僕の願いはたった今かなったのだ。
「今日から僕のことは“セス”と呼んでくれたまえ」
“セス”というのは僕の愛称だ。“セイスタリアス”という名前はお母様には発音しにくいというのでお父様が使い始めたのだ。
「これまでそう呼んでいいのはお父様とお母様だけだった。今日からは君を入れて3人だ」
「ぼくはセイスタリアスのお父さんお母さんと同じなの?」
ユーシスが素直な疑問を口にした。少し違うような気もするが彼となら家族と同等の付き合いができると思う。否定する必要性は感じない。
「ああ、そうだとも」
ユーシスの顔が太陽のように輝いた。そして、秘密の呪文を唱えるように大切そうにその名を口にする。
「セス」
なんだかくすぐったくて笑いだしそうになるのをこらえて、わざといかめしい声をだす。
「なんだね」
僕たちは顔を見合わせ、声をたてて笑った。
照れ臭くて、うれしくて・・・・・・