2-4
ほんの小さなきっかけでいいんだ。それさえあればユーシスにあやまることができるのに、きっかけが見つからないまま時間だけがすぎていく。
登校途中のモータービークルの中でどうやってきっかけを作ろうかと考えていると、となりのエイムスが不意に口を開いた。
「お屋敷に招待するというのはいかがでしょう」
どうして僕の考えていることがわかるんだ?
「誰をかね?」
あせった僕は素知らぬ振りを決め込む。
「ユーシス・ロイエリングです」
「どういうこと?」
助手席のライトナが振り返った。
「ユーシスを招いてセイスタリアス様が特別なお方なのだとわかってもらうのです」
確かにそういう一面がないとも言えない。
「なるほど。それいいね」
ライトナはあっさりエイムスの言葉を信じたようだ。
エイムスの提案に乗るのはおもしろくないが、我が家に招待するというのはいい考えかもしれない。それなら余計な邪魔は入らない。あやまるチャンスもできるはずだ。
ディナーに招待しよう。いや、いきなりディナーでは敷居が高いだろう。
そうだ、お茶がいい。甘いお菓子をたくさん用意してティーパーティを開こう。ユーシスが甘いもの好きなのはクラス全員が知っていることだ。
ロッカーの中、カバンの中、ポケットの中・・・・・・
彼のまわりはお菓子だらけだ。まずは声をかけるんだ。
“やあ、ユーシス。今日は素晴らしい日だね”
よし、これでいこう。
何が素晴らしいのかって? ユーシスがこの僕に話しかけられるからに決まっている!
久しぶりに明るい気持ちでモータービークルから降り校門をくぐった。シェーファー兄弟は少し距離をとって付いてくる。僕の目はすぐにユーシスの姿を探し始める。
いた!
斜め少し前を他の生徒たちに混じって校舎へ向かって歩いている。
空色の髪が逆立っているのは女子の気を引こうとしているからではない。どう見てもただの寝ぐせだ。ユーシスはかわいい顔をしているのに身だしなみにはまったく気を使わないのだ。
お茶に誘うくらいたいしたことじゃない。自分にそう言い聞かせて声を押しだす。
「や、やあ、」
後の言葉は続けることができなかった。僕に気に入られたい生徒たちに取り囲まれてしまったのだ。
視界をさえぎられユーシスの姿はもう見えない。
なんてことだ! せっかくのチャンスだったのに。勢いにのっていたからこそ声をかけられたのに。
次の機会にはもっともっと勇気をふるい起こさなくてはならなくなったじゃないか。どうしてくれるんだ!!
「静かにしたまえ!」
取り巻きたちは僕がすこぶる不機嫌なのに気付いて口をつぐんだ。
僕の周囲が静まり返ったその時
「うおおおおおおおおおおおお!!!!」
けたたましい雄叫びが校庭に響いた。
何事だ?!
僕は声のする方角に視線を向けるが、取り巻きが壁になって声の主は見えない。
「キャーッ!!!」
「なんだ、こいつ!!」
「逃げろ!!」
いっせいに悲鳴がわき起こった。
何だ?! 何が起きているんだ?!
「そこをどきたまえ!!」
取り巻きたちが後ずさったのは僕が怒鳴ったからではない。巻き添えになるのを恐れて逃げだしたのだ。
開けた視界の先に鋭く光るナイフを見てそのことを理解した。
ナイフの持ち主である中年の男は、両手で握りしめた凶器を下腹のあたりに構え脇目も振らずこちらに向かって突進してくる。
エイムスは僕に、ライトナは男にかけ寄ろうとしているが、逃げ惑う生徒たちに邪魔されて思うように進めないでいる。
「コングラートの悪魔めぇえええ!! オレと同じ目にあわせてやるぅううううう!」
ナイフの切っ先は間違いなくこの僕に狙いを定めている。
嫉妬や憎悪の視線を浴びせられるのには慣れっこだ。だが、こんなにもあからさまで激しい殺意を向けられたのははじめてのことだった。
逃げるんだ。速く。動け! 動けっ!!!
恐怖にすくんだ身体は僕の命令を受け付けない。眼前のナイフはもう避けようがなかった。確実に容赦なく僕の命を奪っていくことだろう。
ユーシスにあやまっておきたかった。どうしてもっと早くにそうしておかなかったのだろう。今さら後悔しても遅いのに。
ああ、ユーシス! キミと友達になりたかった。
こんな風に思ったのははじめてのことなんだ。僕のこの気持ちは伝えられないまま消えてしまうのか。そう思うと、すごく、悲しい・・・・・・
死を覚悟して固く目を閉じたそのとき、何かがぶつかってきた。
はじき飛ばされ地面に倒れて何がなんだかわからずに顔を上げると、直前まで僕がいた場所にはユーシスが立っていた。暴漢の前に立ちふさがるようにして。
「・・・・・・なんだ、おまえ・・・・・・なんで邪魔をするんだ・・・・・・」
行く手をさえぎられた男が呆然とつぶやいた。手にしたナイフは赤く染まっている。
どういうことだ? 僕は刺されてはいないのに。
「オ・・・・・・オレのせいじゃない。・・・・・・こいつが・・・・・・いきなり飛び出してくるから悪いんだ!」
言いわけがましいセリフを吐いた男はよろめきながら後ずさる。
一体何が起きたんだ?
視線を下げるとユーシスの足元に赤い水たまりができている。
なんだ。。これは?
驚いて振り返ったユーシスの脇腹は真っ赤に染まっている。
「突きとばしてごめんなさい! けがはない?」
僕の身体の心配をするユーシスに頭の中はぐちゃぐちゃだ。
「・・・・・・キミは・・・何を言っているんだ・・・・・・」
なんとか冷静さを取り戻し状況を確認する。
ユーシスはいつもと変わらない。だが、右手で押さえた脇腹からは鮮血があふれだしている。刺されたんだ!!!
「・・・・・・誰か・・・・・・早く・・・・・・ユーシスを・・・・・・」
呼吸の仕方を忘れてしまったみたいな僕にはかすれた声しかだせなかった。
素早く応急手当をはじめたエイムスはさすがだ。
寝かせたユーシスの傷口に布を当て手で押さえる。布はすぐに真っ赤に染まり出血はなかなか止まってくれない。ユーシスの白い肌からは血の気が引いていく。
どうしよう! どうしよう!! どうしようっ!!! ユーシスが死んでしまう!
「・・・・・・たいしたことないよ」
僕を安心させようとしているのかユーシスは弱々しく微笑んで見せた。
「・・・・・・そんな顔しないで」
「どんな顔をしていると言うのかね」
「・・・泣きそうな顔・・・・・・」
ああ! なんだろう、この感じ。ほんとうに、もう泣きそうだ。
「・・・・・・キミの方こそ死にそうな顔をしているくせに」
「・・・そうかな?」
ユーシスのおとぼけに笑いながら涙がこぼれた。
暴漢はライトナが捕まえた。ナイフを取り上げられた男は、うつ伏せの状態で首の付け根と右腕を押さえられ動けずにいる。
危険が去ると、自分の身を守るため遠ざかっていた取り巻きたちが再び僕の元に集まってくる。
「セイスタリアス、無事でよかった!」
「おケガはありませんか?」
「心配しました」
誠意あるところをアピールしたい取り巻きたちは瀕死のユーシスには目もくれない。
ユーシスの元にも教師や女子生徒が集まって来て彼の姿は見えなくなった。
「ユーシス! ユーシスっ!!」
精一杯張り上げた僕の声は騒音に飲み込まれ消えてしまった。
混乱したひとの渦から僕を救いだしてくれたのはエイムスだった。手首をつかまれ引きずられながらも僕は抵抗する。
「放せ! ユーシスが、ユーシスが!!」
だが、エイムスは聞き入れてはくれない。
「応急処置はしました。救急隊にも連絡しました。わたしたちにできることはもうありません」
校門の前に停まっていたうちのモータービークルに押し込まれてしまった。
ライトナが捕らえた暴漢を教師に引き渡して乗り込むと、僕たちを乗せたモータービークルはすぐに走りだした。
ユーシスはまだあそこにいるのに!!
「止まれ! 止まれ――っ!! すぐに引き返すんだ!」
「それはできません。今はセイスタリアス様の安全を確保することが第一です」
きっぱりと言い放つエイムス。
「いいから引き返すんだ! 僕の命令がきけないのかっ!!」
「落ち着いてください。ユーシスには教師が付いています。救急隊も間もなく到着するはずです」
エイムスの言う通りだ。だが、この状況で冷静でいられるはずがない。
向けられた殺意は僕にまで届くことはなかった。すんでのところでユーシスが受け止めてしまったから。
暴漢が握りしめていたナイフは柄の部分まで血に染まっていた。浅い傷であるはずはない。きっと命さえ危なくなるような深い傷を負っているに違いないんだ。
身体が震え、声にならない声が口から飛びだしそうになるのを必死に押さえ込む。
どうしてユーシスはあんなことをしたのだろう。僕をかばうような真似を。取り巻き連中が扇動していたとはいえ、いじめに加担した僕なのに。
「屋敷に着いたらすぐさま、ユーシスの状況を確認してセイスタリアス様に報告します。それでよろしいですね」
エイムスの言葉に無言でうなずく。彼なりに僕の気持ちをくみ取ってくれたのだ。