2-1
朝、教室に入るといつものように窓際の前から2番目の席に女子生徒たちが集まっている。と思ったがちょっと違う。今日は男子も混じっていて一段と騒々しい。
「ひどい!!」
「誰がこんなことをしたのよ!」
口々に叫びながら怒ったり悲しんだりしている。
何かあったのだろうか。
気になって人垣の中をのぞいてみると自分の席の前に突っ立っているユーシスが見えた。表情のない顔で何かを見つめている。
うつむいた彼の視線の先にあったのは口汚くののしる言葉の羅列だった。
“バカ” “学校に来るな” “貧乏人” “死ね”・・・・・・
思いつく限りのひとを傷付けるための言葉がユーシスの机の上に書きなぐられている。
数人の女子が雑巾を手に落書きを拭き取ろうとしているが、ペイント用のインキで書かれているらしく消えてはくれない。
結局は担任に事情を説明して机を取り換えてもらうことになった。
犯人は――――わからない。
2度目は昼休みに起きた。
ユーシスのランチボックスの中身がきれいになくなっていたのだ。そこには確かに、同居人が作ってくれたサンドウィッチが入っていたとユーシスは主張している。
「ランチタイムまで待てなくて先に食べたんじゃないのか」
確かにそういう男子生徒もいる。だが、ユーシスは首を振っている。
「ユーシスがそんなことするはずないでしょ!」
「そうだよ!!」
女子に非難され、うかつなことを口にした男子は小さくなっている。気の毒だが僕も彼女たちと同意見だ。小柄なユーシスは小食で他の男子のように多くは食べない。
では一体、ランチボックスの中身は誰の空腹を満たしたのだろう?
ユーシスの空腹は女子生徒たちのおかげでうめることができた。しかし、心にできてしまった穴まで埋めることができたかどうかはわからない。
あくる日になって状況は一変していた。どういうわけか、いつもにぎやかにユーシスを取り囲んでいた女子生徒が今日に限ってひとりもいない。
ユーシスに話しかける者もなく、それぞれ3、4人で集まってなにやらこそこそと小声で話している。
いやな雰囲気だ。
休み時間になっても状況は変わらずユーシスはひとりぼっちだった。しかもそれはこの日だけのことではなかった。彼はあくる日も、そのまたあくる日もぽつんとひとりだった。
だが、完全に孤立しているわけではないようだ。
ユーシスが困ったことになっている時にはシャルロットが助けてやっている。ディックル兄妹も手伝って、4人で探し物をしているところをよく見かけるようになっていた。
ほっておけばいいのに。
シャルロットだってユーシスに悲しい思いをさせられたのだから。
◇◇◇◇
ユーシスはその日も中庭のポルッカの木の下でランチをとった。
うるさいほどに付きまとっていた少女たちが離れていっても、ここで昼休みをすごす習慣は変わらない。ここは彼の指定席なのだ。
空腹は満たされまわりに騒々しいおしゃべりもない。ポルッカの木の葉ずれの音に誘われてついうとうとしてしまう。
いつでもどこでも眠れるのはユーシスの特技だ。フィヨドルには警戒心がないと叱られてばかりいた。もっと周囲に注意を払うべきだと言うけれど睡魔には勝てないのだから仕方ない。
だが、この後すぐにフィヨドルの言葉の正しさが証明されることになる。
突然、プールに放り込まれたような冷たさに襲われて目を覚ますと全身ずぶぬれになっていた。
見上げた秋の空は高く澄み渡っている。そばにバケツが3つ落ちていた。そして、笑いながら走り去って行く3つの人影。バケツの水を浴びせられたのだということはわかった。
だが、そんな仕打ちをされる理由がわからない。
ここまでくるとさすがのユーシスも、悪意を持った何者かに攻撃されていると認識するしかなかった。
しかしながら、その内容はとても幼稚で低レベルで生死に係わるようなものではない。そもそも殺意がない。
敵が誰なのか突き止めることは簡単だ。だが、その必要はないだろうと判断してやめた。たいした実害はないのだし気にしなければいい。ここは戦場ではないのだから。
いやがらせは毎日のように手をかえ品をかえ続いた。
あるとき、クラスメイトから宿題のリストを渡され、アルバイト後の眠い目をこすりながらなんとか仕上げて持って行くと、「そんな宿題は出していない」と教師に言われた。
次の授業は理化実験室で行うと聞いて先に行って待っていたが誰も来なかった。
などなど・・・・・・
疑うことを知らないユーシスは簡単にだまされてしまう。
ランチを家から持参しても昼休みまで無事であったためしがないので、持っていくのは止めてしまった。売店で買うようにしている。
美術の授業で描いた絵が黒く塗りつぶされていたり、ロッカーの鍵が壊され中身がぶちまけられていたり・・・・・・ そんなことはどうということはなかった。
だが、自分のイスの上に昆虫の死骸が置かれているのを見たときには、さすがのユーシスも固まってしまった。
怖がりの彼には奇妙な色形の昆虫がとても不気味に思えて、触れることはおろか近づくこともできない。
もうすぐ授業がはじまるというのに席に着くことができずに困っていると、シャルロットが来て死骸を片づけてくれた。
テュテュリンも助けてはくれるが、どちらかと言うとシャルロットを手伝っているだけのようだ。シャルロットだけがいじめを受けているユーシスを積極的に助けてくれた。
シャルロットとは同じボランティアのメンバーではあるが、特別親しい間柄だったわけではない。
いつからかユーシスのアルバイト先に通いつめるようになったが、そこでは店員と客の関係だ。
それを学園にまで持ち込むことはなく、お互いにクラスメイトのひとりとして他の生徒と同じように接していた。
ところが、ユーシスがいじめにあうようになってからは学園でも一緒にいることが多くなった。シャルロットは常にユーシスを気にかけ守ろうとしてくれた。
孤独には慣れていた。だが、人のぬくもりを知った今のユーシスにひとりぼっちは寂しい。シャルロットがそばにいてくれてどんなに心強いことか。
テュテュリンと、授業中以外はいつも5年A組に来ているリッガルトも一緒にいてくれた。ふたりはシャルロットに付き合っているだけなのだが、結果的にユーシスを助ける側になっている。
他の者は皆見てみぬ振りを決め込んでいた。
教師すら例外ではなく、シャルロットが“ユーシスを助けて欲しい、いじめをやめさせて欲しい”と訴えても、まともに取り合ってさえくれない。
まるで何かに怯えるようにその話題を避けるのだった。
いい気味だ。
それがいじめを受けているユーシスを見たときの正直な感想だった。ひとの不幸を喜ぶ心がこの僕にもあるのだとはじめて知った。
なんと低俗で醜悪で、それでいて小気味よい感覚なのだろう。
いじめられている時のユーシスは決まって表情を消した顔をしている。怒りにまかせて大声でののしったり、泣きわめいて同情を引いたりはしない。
何も言わずに破り捨てられた絵を片づけたり、なくなった物を探して学園中をかけずりまわったりしている。
惨めで哀れなユーシス!
不愉快だ。
嫉妬なんてものはこのセイスタリアス・コングラートの中にはなかったのに。ユーシスが植え付けたんだ。ユーシスが悪い。
シャルロットとユーシスが親しげに話しているところなど見たくない。
それなのに、ユーシスがいじめにあうようになってから急にふたりの距離が縮まっている。
親切なシャルロットのことだ。クラス中の誰からも相手にされなくなったユーシスをかわいそうに思ったのだろう。
それに・・・・・・元々ユーシスに好意を寄せている。
それがいちばんおもしろくない!!
その日の体育の授業は試合形式のフットボールだった。僕はユーシスと同じチームになった。僕の取り巻きのピーターとニックも一緒だ。
「先生、ゴールキパーはユーシスがいいと思います」
ポジション決めが始まると真っ先にピーターが提案した。
チームメイトたちはお互いの顔を見合わせて困惑顔だ。小柄で細身で華奢な印象のユーシスにキーパーが務まるとはとても思えないからだ。
どうゆうつもりなのだろう。
するとピーターが僕に合図を送ってきた。何か考えがあるらしい。彼の提案に乗るのもおもしろいかもしれない。決め手はピーターのゆがんだ笑顔だった。
沈黙を守るチームメイトたちをちらりと見やりユーシスの肩をたたく。
「他にやりたい者もいないようだし頼むよ」
「ん。」
何をかん違いしたのか、うれしそうにうなずくユーシスに胸がチクリと痛む。
試合は一方的だった。
青いゼッケンをつけた僕たちのチームは、赤いゼッケンをつけた相手チームに一方的に攻め込まれている。赤チームには僕の取り巻きが3人いた。3人ともフットボールは上手い。
チームメイトには彼らの攻撃の邪魔をしないよう言いつけてあるため、青チームはいいように攻め込まれている。けれども、試合は思惑通りに進んではいない。
スコアボードの数字は0対0のままだ。
両チームのプレイヤーは、驚きの眼差しで青チームのゴールを守るユーシスを見つめている。その胸にはしっかりとボールが抱き留められていた。
放たれたシュートはこれで25本目だ。それでも、まだ、一度もゴールネットを揺らしてはいない。
ユーシスは折れそうな身体つきからは想像できない瞬発力とスピードで、次々とけり込まれるボールに懸命にすがり付いていた。
大方の予想をくつがえす名キーパーぶりにみんな目を丸くしている。
シュートを止める度に僕に送られてくるユーシスの視線は、“おまえの思惑なんか弾き返してやる”と言っているような気がする。
この僕を挑発するというのなら受けて立ってやろう。どんなことをしてでもゴールをこじ開けてやる!
このまま試合を続けてもユーシスが称賛されるだけだ。何か意表を突く作戦でいかなければシュートは決められない。
そうだ! あの手でいこう。
僕は夕べのボスコーVSスケッタンの試合を思いだしていた。ピーターとニックを手招きしてたった今思いついたばかりの秘策を授ける。
ボールは青チームのゴールポストの周辺だけで行き来している。赤チームのプレイヤーが妨害されることのないまま強烈なシュートを放った。
だが、ボールはわずかに反れてしまいゴールポストに当たってはね返される。そこにかけこんで来たのは青チームのニックだ。
ニックは右足を大きく後ろに引いて渾身の力を込めてボールをけり飛ばす。赤ではなく青のゴールポストに向かって。
さすがのユーシスも一瞬反応が遅れた。まさか味方にゴールを狙われるとは予想していなかったのだ。
名キーパーのユーシスはなんとかボールに追いつきはしたが体勢を整える間がない。ボールはユーシスの顔面を直撃しのけぞった頭の上を超えた。
やったぞ!! ついにユーシスから点をもぎ取ってやった!
オウンゴールでもゴールはゴールだ。1点入ったことには違いない。夕べの試合の再現だ。
手を貸してくれるものもなく、よろめきながらひとりで起き上がったユーシスの顔を見てぎょっとした。鼻から下が赤く染まっている。
な、なんだ。ただの鼻血か。びっくりさせないでくれたまえ。
赤チームのメンバーはお互いの肩をたたき合い貴重な1点をあげたことを喜びあっている。
ニックが両手を上げて手の平を僕に向けてきた。仕方なく手の平を合わせてハイタッチする。
「やりましたね! さすがです」
作戦をほめられた僕はいつものセリフを口にする。
「当然だ。僕はセイスタリアス・コングラートなのだから」
誇らしげに胸を張って見せるが、本当は少しもそんな気分ではなかった。
なんだろう? この後味の悪さは。
試合後、まだ止まらない鼻血を手の甲で拭いながらやって来たユーシスは元気がない。心の中であざ笑ってやろうとしたが上手くいかなかった。
「ごめんなさい・・・・・・」
!!!!
何を言っているんだ!! どうしてキミがあやまったりするんだ!?
ゴールを割られたことで僕たちのチームは負けたけど、勝敗なんてどうでもいいことだ。キミにいやがらせをしたかっただけなのだから。
それなのに・・・・・・
ゴールキーパーを任せたのはキミに期待しているからだとかん違いしていたのか。だからあんなに必死になっていたのか。お笑いだね。
キミは馬鹿だ。大馬鹿だ。
「ハハハハハハハ・・・・・・」
乾いた笑い声が僕の口からこぼれた。ユーシスを笑ったのではない。僕自身をあざ笑ったのだ。
ああ、そうだ。僕は負けたんだ。
僕の思惑通りにいったはずなのに。こんなに惨めな気持ちになっているのだから勝ったなんて言えはしない。
ユーシスは狂ったように笑う僕に戸惑っている。
何が起きているのかわからないといった様子のユーシスを見ていたら涙がにじんできた。キミは、僕がひどいいやがらせを仕掛けているなんて思いもしないんだ。
まともにキミの顔を見ることもできない。今の僕にはまぶしすぎる。
おかしいな。どうしてこんなことになったのだろう・・・・・・
ユーシスと友達になりたかったのではなかったのか。彼も僕に親しみを持っていてくれるのに。いい友人関係が築けると思っていたはずなのに。
彼のことをお母様に似ていると感じていた。純粋で正直で裏表がないと。それなのに僕はユーシスの気持ちを素直に受け止められずにいた。
シャルロットが彼を好きなのはユーシスの責任ではないのに、嫉妬に身を焦がした僕はススで汚れたメガネで彼を見ていたのではないのか。
もし、そうだとしたら・・・・・・