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◇◇◇◇
枝葉を茂らせた大木の根元に腰を下ろした少女は、抱えたひざの上に形のいいあごをのせて物思いにふけっていた。
顔を上げれば幻想的な夜景が広がっているというのに目もくれない。
あたり一面に咲きほころぶテオフィニアの花が街灯に照らされ白くぼんやりと浮かび上がっている。まるで雲の上にいるかのようだ。辺りには甘い香りが漂っている。
「シャルロット」
声をかけられ顔を上げると少年が立っていた。天上から舞い降りた天使ではないかと彼の姿を目にする度に思ってしまう。
腰まで届く長い髪は春風を集めたよう。透きとおる銀色をしている。形のいいこじんまりした鼻に愛らしい口元。青とも緑ともつかない神秘的な色の瞳。
まだ子供なのに未完成とは思えないほど整った顔立ちをしている。
「遅いぞ。今夜はもう来ないのかと思った」
「ごめんなさい」
素直に謝る少年はシャルロットより6歳年下だ。名はルシオンという。
シャルロットとルシオンは今夜ここで会うことを約束していた訳ではない。
この“テオフィニアの丘”がお気に入りのふたりが、偶然か必然か、この場所で出会い話をするうちに友達になっていた。
年齢も住む場所も異なるふたりが会えるのは、夜、この場所だけだ。
だが、日時を決めている訳ではないからここに来れば必ず会えるという保証はない。それでも、会えるのではないかと期待してしまうのだ。
シャルロットはこのところひんぱんに“テオフィニアの丘”を訪れている。日常から離れて物思いにふけりたいと思うことが多くなっていたからだ。
彼女は恋をしていた。16歳にしてはじめての真剣な恋だった。
「元気ないね」
シャルロットのとなりに腰を下ろしたルシオンは心配そうだ。
「元気ってどういうの? どんなものだったかもう忘れちゃった・・・・・・」
シャルロットの言葉にルシオンはますます不安になる。
彼女の様子がおかしくなったのは9月になり新学期が始まってからだった。クラスメイトに恋をしていると打ち明けられた。
けれども、恋なんてしたことのない少年にシャルロットの気持ちは理解できない。どんな言葉をかけたらいいのか、どうやって励ましたらいいのかわからない。
途方に暮れてとなりの少女と同じようにひざを抱えその上にあごをのせてみる。
「・・・・・・わたし、ユーシスをひとり占めにしたい」
「えっ?!」
ルシオンは驚いてシャルロットの横顔を見つめた。
「ユーシスったらいっつも女の子たちに囲まれてて近寄ることもできないんだから。きっと、わたしなんて視界に入ってないんだよ!」
「そんなことない」
「どうしてあなたにわかるの。ユーシスのこと知りもしないくせに」
「・・・・・・・・・」
言葉が見つからなくてしょんぼりしてしまったルシオンにシャルロットの胸が痛む。
「ゴメン・・・・・・ 八つ当たり」
大きな溜息をついたシャルロットはすっかりしぼんでしまった。ルシオンはなんとかしようと懸命に頭を働かせる。
「電話してみたら」
ルシオンの提案にもシャルロットは興味を示さない。
「わたしは直接ユーシスの顔を見て話がしたいの。息がかかるくらい近くで彼を感じていたいの」
相手が6歳も年下の子供だと思うと大胆なセリフが恥ずかしげもなく言えてしまう。そして、うっとりとつぶやく。
「一瞬でいい。わたしだけを見て、わたしのことだけ考えてほしい」
「それだけ?」
「それだけのことがかなわないからこんなに苦しいんじゃないの」
シャルロットは今夜11回目の溜息をついた。
「だったら“カッセーム”に行ってみて」
聞き慣れない言葉にシャルロットは顔を上げる。
「“カッセーム”って?」
「アルバイトしてるから」
「誰が?」
「ユーシスが」
アップルグリーンの瞳を輝かせるシャルロットにルシオンもうれしくなる。やっぱり彼女はこうでなくてはいけない。
“カッセーム”の場所とユーシスの勤務時間を教えてもらい、シャルロットはすっかり元気を取り戻した。
少年と別れて帰る途中、シャルロットは不意に立ち止まる。
(・・・・・・どうしてルシオンがユーシスのアルバイトのことを知っているんだろう)
振り返ると強い風がテオフィニアの白い花びらを巻きあげて吹きつけてきた。目を開けていられずに顔をそむける。
風が通りすぎた後、再び丘の上に目をやるがそこに少年の姿はなかった。
「シャルロットが“カッセーム”というレストランに通いつめているらしい」
そんなうわさが耳に入ってきたのは、あの忌まわしい数学の授業から10日ほどたった日のことだった。美食家を自負する僕は取り巻きにたずねてみる。
「“カッセーム”というのはそんなにおいしい料理を提供するレストランなのかね」
ソアレス9の有名レストランを食べつくしているこの僕が知らないということは、オープンしたばかりの店なのだろうと思ったのだが、そういうことではなかった。
「ユーシスが働いているんです。その“カッセーム”という店で」
取り巻きたちの説明によると“カッセーム”はレストランではあるが“特色のある”という言葉が頭に付くらしい。
そこで働く者はコックから下働きまで全員が男。ギャルソンは美少年ぞろいで客はその中から好みの者を指名することができる。
指名されたギャルソンは給仕だけでなく会話やゲームなどで客を楽しませる。そんなサービスを提供する店だった。
そして、シャルロットの指名はいつもユーシスなのだと言う。ユーシスは“カッセーム”でギャルソンのアルバイトをしていた。(そもそも、仕事を斡旋したのはエイムスだ)
なんだろう。この感覚は。
僕の胸の中に黒いものが湧きあがり渦を巻いていく。
シャルロットは誰にでも等しく光を降り注ぐ太陽だ。ひとりだけを特別扱いしたりはしない。してはいけない。これは何かの間違いだ。きっとそうだ。
僕は“カッセーム”の中の様子を録画してくるようシェーファー兄弟に命じた。盗み撮りなどという下品な言葉は使わないでくれたまえ。
そして、2日後にはライトナの仕事の成果をみることができた。
アンティーク調の家具で統一された店内の雰囲気は、まあ、悪くはない。提供されるコース料理はシンプルなものだ。
ライトナの話によると可もなく不可もなく特筆すべき点のないものだったそうだ。だが、客の顔はどれも満足そうだ。
彼女たち(映像の中の客はみんな女性だ)が注目しているのは、料理ではなくギャルソンだからだとエイムスの解説が入る。食事をするために来店したのだろうにおかしな話だ。
映像はユーシスを探しだしてその姿に照準を合わせる。身なりにかまけない学校での彼とは別人だ。
他のギャルソンと同じ、金ボタンに金色の縁飾りが付いた燕尾服を着込んでおり、髪はきっちりなで付けてある。
華奢な身体つきのため男装した少女のように見えるのは仕方ないが、凛としたたずまいにはつい見とれてしまう。
ギャルソンのユーシスはエプロン姿の男と言葉を交わしている。エアトン・ファイクスという名の雑用係でユーシスとは特に仲がよいのだとエイムスが付け加えた。
カメラの向きが変わって映像にシャルロットが登場した。
小さな花模様を散りばめた、ふんわり軽そうなワンピースに身を包んだシャルロットは妖精のようだ。ドレスアップした彼女を目にして僕の鼓動は一段と大きくなる。
ディックル兄妹も映っている。めかしこんでいてもリッガルトはあのバックパックを手放さないのか。
シャルロットは慣れた様子で受付をすますと迷うことなく色の名前を口にする。
ギャルソンたちはそれぞれ異なる色の蝶ネクタイをつけており、その色が彼らの店での呼び名になっているのだ。
「“パープル”をお願いします」
一瞬、息が止まる。その色だけは指名してほしくなかった。
パープルの蝶ネクタイをしているのはユーシス・ロイエリングだ。さっきユーシスの姿が映しだされたときに確かめておいたから間違いない。瞳の色とおそろいのパープルだった。
「ご指名ありがとうございます。今宵はこの“パープル”がお客様のお世話をさせていただきます。何なりとお申し付けください」
ユーシスはマニュアルにあるようなあいさつをしてシャルロットたち3人を席へと案内する。
その後食事をしながらユーシスと言葉を交わすが会話の中心はテュテュリンだ。
驚いたことにどんな時でもハキハキと発言するシャルロットが、会話を振られなければいつまでも黙ったままなのだ。
――――こんなシャルロットは見たことがない。
時々視線を上げてユーシスの顔をちらりと見る彼女の表情ときたら、うれしそうで、満足そうで、この上なく幸せそうだ。
――――こんなシャルロットは見たことがない。(見たくはない)
彼女はユーシスに恋をしている。(そんなことは知りたくなかった)
学園になど行きたくない。
こんな気持ちになったのははじめてのことだ。学園に行けばいやでもシャルロットの、それと、ユーシスの顔を見ることになる。それがつらい。
いっそ休んでしまおうかとも思ったが、そうするとエイムスにはわかってしまうはずだ。昨日の映像のせいだと。
心の弱い人間だとは思われたくない。主たる僕は強くて威厳のある人間でなくてはならない。
仕方なく、重い心をひきずって登校する毎日を送っている。
一方、学園でのシャルロットはいつもと同じシャルロットだった。よく笑い誰に対しても平等に親しく接する。
ところが、ずっとシャルロットから目を離せないでいた僕はあることに気付いてしまった。
彼女もまた、ずっとひとりを目で追っていたのだ。
シャルロットの視線の先にいるのが誰なのか確かめるまでもない。彼女はユーシスの何気ない仕草さえ見逃すまいとしているかのようだった。
また、僕の胸の中に黒いものがわきあがり渦を巻いていく。まったくもって不愉快だ。
ふと気が付くとシャルロットがこっちを見ている。目が合ったような気がしたがそうではなかった。彼女が見ているのは僕の前に立っているユーシスだ。
「あげる」
ユーシスが差しだした手には小さな箱がのっている。一目でそれが“ママン・マニ”のものだとわかった。
“ママン・マニ”はチョコレート菓子で有名なパティスリーだ。きれいにラッピングされた箱に結んだリボンに“ママン・マニ”の文字がプリントされている。
あのいかがわしいレストランでのアルバイトで得た収入で買ったのか。そんなものを贈られてもうれしくなんかない。
「ユーシス、キミはシャルロットのことをどう思っているのかね」
どうしてそんなことをきいたのか自分でもわからない。自然に口からでてしまっていた。
唐突な質問にユーシスは首をかしげる。
「クラスメイト」
「それだけかね」
「ほかにあるの?」
ユーシスは思いつかないという顔できき返してきた。
シャルロットの様子をうかがうと気まずそうに下を向いた。その直前に見てしまったんだ。期待を裏切られたときのような失望と悲しみの表情を。
シャルロットにこんな顔をさせるなんて・・・・・・許せない!!
胸の中に渦巻くものが少しずつ濃くなり集まって何かを形作っていく。やがてその形がはっきりしてきた。もう、ごまかすことはできない。
これは、嫉妬だ。
シャルロットが特別な感情をよせているユーシスに、僕は嫉妬している。
この僕が、セイスタリアス・コングラートがやきもちだと!!!
嫉妬されることはあっても、僕自身がそんな低俗な感情を抱くことなどこれまで一度もなかったのに!
こんな屈辱は生まれてはじめてだ!!!
「どうかしたの?」
ユーシスが僕の顔をのぞいている。たった今この僕とシャルロットを深く傷つけたことに気付いてさえいない。
「何でもない」
「そう。はいこれ」
何でもないもんかっ! 僕の心はこんなに荒れ狂っているのに!!
“ママン・マニ”の小箱が宙を舞って床に落ちた。差しだされたユーシスの手をはたいてしまったのだ。
「どうして・・・・・・」
ユーシスは答えがそこに書いてあるとでも言うように僕の顔を見つめている。
わかっているとも。ユーシスが悪いわけではない。シャルロットがユーシスを好きなことも、僕がシャルロットを好きなことも、ユーシスに責任はない。
わかってはいるがあやまる気には到底なれない。僕は逃げるように教室を後にした。
もう、ユーシスと友達になることはできない。きっと、あの話も本当なんだ。ユーシスは僕と友達になりたいとは思っていないんだ。