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あくる日の朝、学校に着いて黒塗りのモータービークルから降りると、出迎えの取り巻きの間からかけ寄って来る者があった。
ライトナが素早く僕の前に立ちはだかる。暴漢の襲撃から僕を守るためだ。だが、それは暴漢ではなかった。
「主に御用ですか?」
ライトナに詰問されたのはユーシスだ。
「これを、セイスタリアスに」
差しだされたものを受け取ったライトナはよく調べてから僕に手渡す。贈り物に爆弾が仕掛けられていたなんてことはめずらしくない。
それはキャプラ(音を記録しておくもの)だった。何が録音されているのだろう。気になることはすぐに調べてみなくては気がすまない。
モータービークルのオーディオにキャプラを入れて再生してみる。
荘厳なパイプオルガンの音が流れ静かに歌声が重なる。
なんという声だ!
聞き覚えのない曲だが讃美歌だということはわかる。伸びやかで透明感のある美しい歌声は朗々と響きわたって心を洗い流してくれるようだ。
こんなところで聞くのはもったいない。邸のオーディオルームで聞くべきだ。そうだ。お母様にも、それから、シェーファー兄弟にも聞かせてやろう。
「どう?」
ユーシスが僕の顔をのぞき込んでいる。興奮している顔を見られてしまった。咳払いをして威厳のある声を作りだす。
「いくらだね」
「え?」
「キミの言い値で買い取ってやろうと言っているんだ。いくらほしいのかね」
ユーシスの顔が輝いた。
「あげる!」
とびはねるようにしてかけだし、急に立ち止まって振り返る。
「歌っているのはフィル、フィヨドル・キャニングだよ」
「へっ!?」
思わずマヌケな声をあげてしまった。
まさか、あのキャニングが? 信じられない!!
あんな下品で粗野な男のどこをどう押せばこんな美しい声がでるんだ。
確かに外見にそぐわない意表を突く声をしていたような気もするが、野蛮な印象ばかりが強く残ってよくは覚えていない。
それにしても、ユーシスはキャニングをけなされたことがよほど悔しかったのだろう。
僕がお母様を馬鹿にされると、自分が馬鹿にされているような気分になってしまうのと同じなのかもしれない。胸がチクリと痛む。
そうだ。キャプラをもらったお返しに何かプレゼントをしよう。ただで物をもらうというのは僕のプライドが許さない。
ユーシス・ロイエリングとなら友達になれるかもしれない。
僕はそんなことを考えるようになっていた。これまで友達と呼べる者がいたことは一度もない。でも、ユーシスならお父様に胸を張って友達だと紹介できそうな気がする。
いつでもどこでも僕のまわりには大勢の人間が集まってくる。けれども、彼らはコングラートの権益に群がる蟻だ。僕を慕っているわけではない。
僕に貼られたアレクサンドル・コングラートのひとり息子というラベルにしか興味はないから、中身を見ようともしない。
学校でもそれは同じだ。こびるか避けるか。誰もがこのふたつのうちのどちらかを選択する。
ただひとり、シャルロットだけが他のクラスメイトと同じように僕に接してくれていたのだが、、そこにユーシスが現れた。
ユーシスの場合は僕の立場というものが理解できていない節がある。つまり、本当にこの僕を他のクラスメイトと同じにしか見ていないのだ。
それはそれで不愉快な気もするのだがこの際目をつぶっておいてやろう。
世間知らずだが、素直で正直で裏表のないユーシスはお母様に似ている。そんな彼が親しげな視線を向けてくるのはいやではない。
もっとも彼は僕がキャニングの知り合いだというだけで親近感を抱いているようだが。それでも構わない。飾られた僕の外見ではなく僕自身を見てくれるのなら。
僕はユーシスを受け入れようとしていた。
ところが――――
ユーシスの方は僕と友達になりたいとは思っていないと言うのだ。
「尊敬されているのは父親でセイスタリアスにはなんの力もない」
「セイスタリアスはゴウマンで、偉そうな態度が鼻につく」
そんな言葉を女子生徒にもらしているのを聞いたと、取り巻きたちが口をそろえて証言したのだ。
そんなことがあるはずはないと断言できない僕は心の寂しい人間なのかもしれない。
だが、僕に対して丁寧語を使う取り巻きたちも、表面に見せている態度と心の内で考えていることが同じでないことはわかっている。
それに、「キミを信じる」と言えるほどユーシスのことを知っているわけでもない。
特殊能力者のように他人の胸の内に隠された本心を読み取ることができたらよかったのに。そんな力などない僕は本人に直接きいてみるしかない。
授業が終わったらユーシスと話して確かめよう。
「誰かこの問題に挑戦してみようという勇者はいるかな」
数学教師の問いかけに黒板に目をやる。そこには数字と記号が長々と並んでいた。これはなかなかの難問だ。クラスメイトも首をひねっている。
「無理だよ。難しすぎる」
「わたしには絶対ムリ!」
「これが解けそうなひとは・・・・・・」
みんなの視線が僕に集まってくる。
わかっているじゃないか。常に学年トップの成績を維持し続けている僕の得意科目は数学だ。この難問を解けるのはこの僕、セイスタリアス・コングラートをおいて他にはない。
僕はクラスメイトの期待と尊敬を受けてすっくと手を上げた。
「さすがセイスタリアスだ。どうやらこの問題をやっつけてくれるのは君しかいないらしい。よろしく頼むよ」
「まかせてください」
早速、前にでて難解な数式に取りかかる。かなり手強いぞ。
・・・・・・
だめだ!! どこから攻めても、何度やっても、この“α”が邪魔をして先に進めない。
落ち着け、セイスタリアス! もう一度だ。もう一度最初からやり直してみるんだ。
・・・・・・
・・・・・・
・・・・・・
これで何度目だ?
時間ばかりがすぎていってしまう。どうしてこんなに静まり返っているんだ。余計にプレッシャーを感じるじゃないか。
(ああ、誰か!)
馬鹿なことを考えるな。他人に救いを求めてどうする。僕はセイスタリアス・コングラートなんだ。期待にこたえられなくてどうする!
息使いさえも聞こえない静寂に支配されていた教室にざわめきが湧き起こった。
何事かと振り返ると、誰かの右手がまっすぐに上がっている。ユーシスだ。困り果てた顔をした数学教師は僕とユーシスの顔を代わるがわるながめている。
「てつだわせて」
ユーシスの言葉に数学教師は視線を泳がせる。
「いや、それは・・・・・・ でも、どうしたら・・・・・・」
そんなことをしたら僕が機嫌をそこねるとでも思っているのか、教師は威厳の欠片もない顔で噴きでる汗を拭っている。失敬な。僕はそんな度量の狭い人間ではない。
大体、この僕に解けない問題が他の生徒に解けるわけがない。ここはひとつ僕の器の大きさを見せてやろう。
「頼むよ、ユーシス」
教師を無視して声をかけると
「ん。」
素っ気ないほど短い返事。彼らしいと微笑む余裕が僕にはまだあった。
僕の横に立ったユーシスがチョークを持つとまたたく間に黒板がうまっていく。教師もクラスメイトも唖然としている。
なるほど、“α”はそう処理すればよかったのか。僕としたことがどうして気付かなかったのだろう。時間はかかっても確実に解ける問題だと思うと余計に悔しい。
あっさり解いてしまったユーシスに憎しみを覚えてしまうほどに。
いけない! そんなことを考えるな!! ユーシスが悪いわけじゃない。
「いやあ、素晴らしい! 正解だよ。ユーシス、よくぞ解いてくれた。
ああ、いや・・・・・・前半を解いてくれたセイスタリアスも素晴らしい。セイスタリアスがこの“α”の処理が重要だと示してくれたからこそユーシスも解けたわけで、・・・・・・その・・・・・・」
僕の顔色をうかがう教師は言葉に詰まり
「みんな、ふたりに拍手を」
やめろっ!! 拍手なんかするな! そんな目で僕を見るな!!
ああ、そうだとも。問題を解いたのはユーシスだ。僕じゃない。
僕はただの、大まぬけだ!
数学が今日の最後の授業でよかった。ホームルームが終わるのももどかしく、学校をでると迎えのモータービークルに乗り込んだ。1分1秒たりとも学校にいたくなかった。
「出してください」
僕のとなりのエイムスが運転手に告げて、モータービークルはゆっくりと走りだす。
助手席ではライトナが息をひそめている。今、口を開いたら僕の逆鱗に触れると恐れているかのように。僕は、そんなに余裕のない顔をしているのだろうか。
「あっ!」
しまった。すっかり忘れていた。うわさが本当かどうか、ユーシスに確かめるつもりだったのに。今ならまだ間に合う。
引き返して校門の近くに停車した。
待っていると、ユーシスがでて来たがひとりではなかった。シャルロットと一緒だ。当然のようにディックル兄妹もいる。
「今日は孤児院訪問の日です」
彼らは孤児院訪問ボランティアのメンバーなのだ。メンバーにはこの僕も名前を連ねている。僕はすまし顔のエイムスをにらみつける。
「どうして黙っていた?」
「今朝スケジュール確認した際に、ボランティアには参加せず商業組合のパーティに出席すると、セイスタリアスさまがお決めになりました」
そうだった。今日の僕は少しもスマートではない。
こんな状態で、シャルロットがいるところで、まともに話ができる自信はない。明日だ。明日になればいつもの僕に戻っているはずだ。
ところが、明日が今日になってもユーシスと話をすることはできなかった。
あんなことがあった後ではききづらいのだ。数学の授業で恥をかかされた僕が、怒って言いがかりを付けているみたいになってしまう。
ユーシスの態度はこれまでと何も変わらない。でも、僕の心にはわだかまりが残ってしまった。もやもやとした形にはならないものが胸の内に巣くっているみたいだ。
ユーシスの親しげな態度がうとましく感じられ、いつの間にか彼との間に距離を置くようになっていた。こうなるともう、うわさの真偽を確かめるどころの話ではない。
このままではいけない、なんとかしたいと思いながらも、どうしたらいいのかわからずに悶々とした日々をすごすはめになっていた。