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俺とティモシーが帰宅した時には日は傾きかけていた。
ユーシスたちのミュージカルを観た後、学園祭をもっと見学したいと言うティモシーに付き合っていたためだ。予定は何もなかったからそれもいいかと思った。
学園祭の3日間、ユーシス=ルシオンはアルバイトを休みにしてもらっている。従って副官の俺にもこれといった仕事はない。監視するだけだ。
もっともゲルリンガー中佐がルシオンに突きつけたフォート・マリオッシュ攻略の期限は2週間後に迫っている。
“9”の外から医師を呼び寄せることができなければ、早急に次の手を考えなくてはならない。今はキャニングの元にいい知らせが届くのを祈るしかない。
当のキャニングも待つしかない状況なのだから。
いちばん気が気でないはずのルシオンが、不安を見せることなく我々を信じて待っているんだ。俺がうろたえる訳にはいかない。むしろここは余裕のある態度でいるべきだ。
帰宅したらまず、シャワーを浴びるのが俺の習慣だ。
いつもより早いがたまにはこんな日もあっていいか。シャワーを浴びたら一服やって、そうだ、観たいテレビがあったんだ。
アビュースタに来てからすっかり夢中になっている、プロフットボールの試合中継だ。
俺が応援しているスケッタンというチームは、はっきり言って弱い。リーグ優勝は一度もない。それでも根強いファンは多くスタジアムの応援席はいつもにぎやかだ。
対戦相手はどのチームも格上だ。それでも決してあきらめることなく果敢に挑んでいく姿は庶民に勇気を与えてくれる。
5点差で負けていようが、スケッタンが1点返しただけで勝ち越したような大騒ぎになるんだ。
俺はスケッタンの泥臭い試合がすっかり気に入っていた。
ティモシーには俺の行動が理解できない様子だった。
「ドウシテ負ケルトワカッテイルチームヲ応援スルノデスカ?」
ときいて来たから
「勝つとわかっているチームを応援しておもしろいか?」
と返してやった。
それからはティモシーも一緒にスケッタンの応援をするようになった。
今日の試合にノイジーンは出るだろうか。成績が振るわずに戦力外通告を受け、ボスコーから移籍して来た選手だ。スケッタンはそんな選手の寄せ集めだから弱い。
そんなことは言われなくてもわかっている。ファンはどん詰まりの人間が見栄も外聞も捨てて必死に戦う姿に共感し感動するんだ。
俺はそんなことを考えながら服を脱ぎシャワールームのドアに手をかけた。
!!!
蛇腹式のドアを開けた瞬間、のんびりした余暇の気分は吹き飛んだ。
一瞬、ここがどこなのかわからなくなる。
ここにあるはずのない光景!
いるはずのない人間!!
なんだってこんなことになっているんだ?!
むせかえる血臭にめまいがしてくる。まるで殺人事件の現場だ。壁一面にできた水玉模様も床の排水口に吸い込まれていく液体も真っ赤な色をしている。
そして、被害者は、、そこに倒れているのは、、
ああ誰か! これは幻だと言ってくれ!!
あれはルシオンなんかじゃないと言ってくれっ!!!
「ドウシタノデスカ? 変ナ声ヲタテタリシテ」
俺は自分が悲鳴をあげていることにさえ気付いていなかった。ティモシーはさすがというかやっぱりというか、ロボットだった。
驚くこともあわてることもなく的確に事態を収拾していく。混乱している俺はただティモシーの指図に従って動くだけ。
シャワールームから意識のないルシオンを引っ張り出し、応急手当をしてアンジェリカに連絡を入れる。
そうこうしているうちに乱れに乱れた俺の心も次第に平静を取り戻してきた。改めて状況を整理してみよう。
我が家のシャワールームに倒れていたのは紛れもないルシオン少年だ。学園祭を楽しんでいるはずが、なんだってこんなところで血まみれになっているのか。
横倒しになったルシオンは上半身むきだしで、胸にはぽっかり穴が空いていた。
シャワールームを赤く染めたのはその穴から噴き出した鮮血に違いない。死人のように白い顔をしているのは相当量の血液を失ったからだ。
そして、床には血まみれのナイフが落ちていた。
一体誰がこんなむごいことをしたのだろう?
俺はドアを開けっ放しのシャワールームに目をやる。殺人事件の現場のようなありさまにはらわたが煮えくりかえりそうだ。
ん。あれは何だ?
――――ああ、そうか! そういうことだったのか。俺は的外れな勘違いをしていたようだ。
排水口の上で光っているものを見て、そのことに気が付いた。
爪の先くらいの銀色の物体を、俺は前にも一度見ている。そう、ルシオンの心臓に埋め込まれたFODチップだ。
それが今、シャワールームに転がっている。ということは誰かがチップを取り出したんだ。ナイフはそのために使った。
――――ルシオンの胸に穴を開けたのは、ルシオン自身だったのだ。
少年の胸の穴はチップを取り出したためにできたものだった。特殊能力を使えばばれてしまうから使えない。だから、いちばん単純で原始的な方法を取ったのだろう。
ナイフで胸に穴を空け、自分の手で無理やりほじくり出すという方法を。確かめると少年の右手にはどこよりも濃くべっとりと血のりが付いていた。
なんだってこんな無茶をしたんだ!?
応急手当がすむと冷たい少年の身体を毛布にくるみモータービークルに乗せた。行き先は“フリーマン診療所”だ。他にルシオンを運びこめる病院はない。
そこで看護師として働いているアンジェリカには、詳しい事情を説明することになるだろう。
彼女に心配をかけたくない少年はそれを望まないとわかっているが、今はそんなことを言っている場合じゃない。
診療所に着くとすぐさま輸血をして、なんとか容体を安定させることはできた。しかしながらここまでだ。
内科医のフリーマン老人に心臓に開いた穴の治療はできない。かといって他に頼るわけにもいかない。
ゲルリンガー中佐にFODチップを取りだしたことが知れたらすべてが終わってしまう。このことはあとひとりを除いては他の誰にも知られる訳にはいかないのだ。
そのあとひとり、どうしても知らせなければならない人物に電話をかけようとしているとルシオンが目を覚ました。
何か言いたそうに色のない唇を動かすが声が出ないらしい。
『いわないで。フィルには・・・いわないで・・・・・・』
か細いテレパシーでそれだけ伝えるとまた意識を失ってしまった。
そんな目で見られたら電話しづらくなるじゃないか。ルシオンのうるんだ瞳が必死に訴えていた。キャニングにだけは、今はまだ、知られたくないと。
「フィヨドルに知らせるのは待ってあげて。責任はわたしが取るから」
困り果てているとアンジェリカが救いの手を差し伸べてくれた。後になって知った時のキャニングの怒りを想像しただけで気が滅入るというのに、勇気がある。
とりあえずルシオンがなぜこんな無謀なことをしたのか、その理由がわかるまでは保留ということにしおこう。
俺たちを信じて手術の時を待っていてくれると思っていたのに、どうしてこんな・・・・・・
ルシオンが意識を取り戻したのはあくる日の朝だった。いきなりとび起きるから付き添っていた俺はあわてた。
「まだ無理だ。おとなしく寝てろ」
胸を押さえ顔をゆがめているというのに、なおも起き上がろうとする。
おい、おい! どうしたっていうんだ?
少年は時計に目をやる。午前4時20分になるところだ。それがどういう意味を持つのか、血相を変えて俺につかみかかってきた。
「何日? 今日は何日?!」
「心配するな。まだ夜が明けたばかりだ。今日は4月3日だ」
俺の言葉に安心したのか、ルシオンは大きく息を吐きだした。だが、すぐに立ち上がり出て行こうとする。
ちょっと待てって!
「何をそんなに急いでいるんだ?」
「占領軍を殲滅する」
まっすぐに俺を見つめ返す青緑の瞳には強い意志の光が灯っている。
本気だ。本気で占領軍を一掃する気なんだ!
そんな身体で? このまま行かせられる訳がない。
俺はルシオンの腕をがっしりとつかむ。テレポートされたらお手上げだからな。
「事情を説明しろ! でなければ絶対にこの手は放さないぞ!!」
キャニングにはまだ何も知らせていないんだ。その上ここで無謀な行動を許したりしたら申し訳がたたない。何がなんでも行かせられない。
俺の気迫に気圧されたのか、ルシオンはベッドに腰を下ろし力なく首を垂れた。細い身体が一段と儚く見える。
ひとりで何を抱え込んでいる? 俺じゃ頼りにならないのか。。
「何があったのか話してくれ」
長い間があった。それがことの重大さを物語っている。
「・・・・・・命令が変わった」
なんとか聞きとれる程度の小さな声だった。
フォート・マリオッシュ攻略命令にはまだ2週間の猶予があったはずだった。
だが、命令は変更されていた。“4月5日まで”との期限を短縮する命令がルシオンにだけ伝えられていたのだ。
「どうしてもっと早く話してくれなかったんだ!」
俺は腹を立てていた。相談すら持ちかけてくれなかったことに。正直、命令の変更を知っていたとしても俺にできることは何もなかったことだろう。それでも・・・・・・
「ありがとう」
なぜ“ありがとう”なんだ?
「ここは“ごめんなさい”だろう」
少年は小さく首を振る。そしてもう一度
「ありがとう」
なぜ今そんな顔をする?
この時見せた微笑みは汚れなくどこまでも透き通っていた。それで充分だ。おまえさんの気持ちは手に取るようにわかったから。
なぜ、ルシオンはこんなにも重大なことを誰にも言わなかったのか。
言わなかったんじゃない。言えなかったんだ。
俺たちは手術を執刀してくれる医師を探し出せずにいた。医師が間に合わなかったことで、俺たちが自分の無力を責めて苦しむであろうことが予想できたから言えなかった。
だから、自分でなんとかしなければと思いつめ強引に計画を進めようとしたのだ。こんな無茶苦茶な方法で。
そこには、ルシオンの信頼があったのだと思う。俺たちが親身になって自分のことを心配して考えてくれているという。だから、“ありがとう”なのだ。
結果、医者なしでも、ゲルリンガー中佐に知られることなくFODチップを取りだすことには成功した。しかし、その代償に流した血は多過ぎる。コンディション最悪だ。
こんな状態で占領軍を殲滅するだと? 馬鹿も休み休み言え!
当然、俺は止めたさ。
だが、ルシオンの意思は固かった。どんなことをしてもという少年の覚悟はすでに証明されている。
自分の心臓に手を突っ込むなんてマネ、俺にはできない。どれほどの恐怖と苦痛をねじ伏せたならそんなことができるのか。想像もつかない。
それを華奢で頼りなげな子供がやってのけたのだ。そこまでしても守らなければならないものがマリオッシュと“9”にはあるということだ。
誰にも、ルシオンを止めることなどできるはずもなかった。