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◇◇◇◇
学園祭期間中の校舎内はそこが学びの場だとは思えないほど華やいでいる。
いたる所に花やポスターが飾られ、陽気な音楽が気分を盛り上げる。普段は広いと感じる廊下も、この時ばかりは多くの生徒や見物客でごった返し歩くのも困難だ。
マリアンヌからユーシスに戻った少年は、ピエロにもらったチラシをながめながら人の流れに身をまかせて歩いていた。と、行く手をはばまれて立ち止まる。
顔を上げると、ふたり組のゾンビが身体をひきずるようにしてユーシスの周囲をまわっている。
ひとりは頭にナイフが刺さっており、もうひとりは片方の目玉が顔の上にたれさがっている。
「「ちょっとそこのお兄さん。ヒマそうだねぇ」」
「ヒマじゃない」
「「そうかい、そうかい。だったらいい所に連れて行ってあげよう」」
「いそいでるんだけど」
「「なに、遠慮することはない」」
「・・・・・・」
話しの通じないゾンビの相手をしているうちに、ユーシスは墓場の絵の幕がはられた教室に誘導されていた。
ぼろぼろの看板の文字を読み取って、まわれ右をする。そこには血のりのような赤いペンキで“恐怖のゾンビ屋敷”と書かれていた。
「いやだ―――っ!!!」
両脇からがっちり腕をつかまれたユーシスは、抵抗むなしくゾンビ屋敷の中へとひきずられて行った。
「「楽しんでもらえたようでよかった」」
「ぜんぜん楽しくない!」
肩で息をするユーシスは憔悴した顔で反論した。
「「また来いよ」」
「二度と来ない!!」
再びかみ合わない会話をしてゾンビと別れた後もユーシスの動悸は納まらない。なんとか気持ちを落ち着かせて歩きだすも、数メートルも進まないうちにまた立ち止まる。
今度はメイドの扮装をした女子の一団に捕まってしまった。
「7-Fのティールーム“メイドさんといっしょ”で~す」
「ご主人さま、はやく帰ってきてくださいね」
「くださいねぇ♡」×5
「これがお屋敷の鍵です。持ってきてくれたらいっぱいサービスしちゃいま~す」
「しちゃいま~すぅ♡」×5
リボンのついた鍵をユーシスに渡すとメイドたちはもう次のご主人さまを捕まえている。
「7-Fのティールーム“メイドさんといっしょ”で~す」
ユーシスはポケットに鍵をねじ込む。左右のポケットはセスホールからここまで歩いてくる間にもらった、チラシや宣伝グッズでパンパンにふくらんでいた。
はやく5-Aの教室に行かなくてはならないのにほんの数十コールがとても遠い。
なにしろ、生まれて初めての学園祭なのだ。
熱気をはらんだ独特の雰囲気に当てられ心穏やかではいられない。珍しいものや面白そうなものが次々と目の前に現れては好奇心をかきたてる。
今度こそは、誰に声をかけられても振り切ろうと決心して歩を早める。が、次第に歩みは遅くなりとうとう立ち止まってしまった。
神秘的な甘い香りが鼻孔をくすぐっているのだ。かいだ事のない香りに興味をひかれ、出どころを探しているとなにやら怪しげな雰囲気の教室にたどり着く。
入口に掲げられた看板には“ミス・カレンの占い館”とある。
誘惑に負けて中をのぞくと、暗幕が張られた暗がりに星空が映しだされている。
「どうぞ、お入り下さい」
部屋の奥、幾重にもレースのカーテンで仕切られた向こう側から声がした。落ち着いた少女の声に誘われるままカーテンをかき分けて奥へと踏み入って行く。
カーテンの中で待っていたのは、エスニックな柄の布を身体に巻き付けベールで顔を隠した少女だった。
アンティーク調のテーブルの前に座り、カードの束をもてあそんでいる。
「そこに座って。あなたの知りたいことを占ってあげるから、名前と生年月日を教えてちょうだい」
少女と向かい合って腰かけたユーシスは少し考えてから口を開く。
「あの。占ってほしいのはぼくじゃないのだけれど」
「構わないわよ。じゃあ、そのひとの名前と生年月日でね」
少しためらってその名を告げる。
「・・・ルシオン。ルシオン・フレイ・アスターシャ」
滅多に口にすることのない本当の名前だ。
占い師の少女はルシオンの生年月日を聞きながらカードを並べていく。
「準備できました。さあ、何を占う?」
「ルシオンがこれからやろうとしていることは間違っていないかどうか」
少女は居住まいを正して宣言する。
「わかりました。それでは始めます」
占い師がめくるカードにはどれも不思議な模様が描かれていた。その模様を一枚一枚確かめながら慎重に言葉を選ぶ。
「何かリスクの大きなことをしようとしていますね。でも、その行動には大きな意味があります。間違っているかどうかは問題ではありません」
さらに数枚のカードをめくっていく。
「信念を持ってやり抜いて下さい。そうすればいつか必ず正しいことだったと認めてもらえるはずです。今は迷わず突き進むときです」
占い師の言葉にじっと耳を傾けていたユーシスが真剣な顔で尋ねる。
「神様の声が聞こえるの?」
「おかしなことを言うひとね。神様の声なんて聞こえるわけないじゃない。これはただの占いなんだから」
ひとしきり笑った少女は真顔に戻る。
「わたしの言ったことが神様の言葉に聞こえたのなら、もしかすると、本当に神様がわたしの口を借りて言わせたのかもしれないね」
少女は冗談半分のつもりだった。それでもユーシスは占い師の言葉を信じた。だから、もう、迷いはない。
心の中にあった不安も恐怖も、そして罪悪感もすっかり取り払われていた。
占い館をでた後は声をかけられても興味をひくものがあっても、もう道草を食うことはなかった。なんとか5-Aの教室にたどり着いたユーシスは歓声で迎えられる。
「マリアンヌ嬢だ!!」
「遅い! みんな待ってたんだぞ」
「ミュージカル、大成功だったね」
「すばらしかったよ!」
「感動して泣いちゃった」
5-Aではパティスリーを営業中だが今はクラス実行委員の貸し切りになっている。
「ローゼンストック賞は5-Aがもらった――っ!!」
「気が早いって」
ローゼンストック賞は、3日間の学園祭で披露されるすべてのステージの中で、いちばん優れたものに与えられる最高の賞だ。
どのクラスもその栄誉を手にするために趣向をこらしたステージを用意している。もちろん5-Aも狙うはローゼンストック賞だ。
中央のテーブルに座らされたユーシスの前にスィーツが次々と並べられていく。クッキー、ワッフル、クレープ、その他諸々のカラフルなスィーツで埋めつくされる。
「これ全部食べてもいいの?」
テーブルからこぼれんばかりの大好物を前にしてユーシスの声は上ずっていた。
「もちろん!」
「ユーシスに食べてほしくて作ったんだから」
「マリアンヌ嬢をがんばってくれたごほうびだよ」
クラスメイトの笑顔に包まれ改めてマリアンヌ役をやってよかったと思う。最初は男の自分が女の役を演じることに抵抗があったのだが、みんなを喜ばせることができたのだ。
敵を倒さなくても、誰かを傷つけなくても、喜んでもらえたのだ。戦うこと以外にもできることがある。こんなにうれしいことはない。
満たされた気分だ。ユーシスは今、ソアレス9に来てよかったと心から思った。
たくさんのひとと知り合い、たくさんの友達ができた。何よりもごく普通の子供として暮らすことができた。自分を取り巻くすべてのひとに感謝の気持ちでいっぱいだ。
この7か月間のことは死んでも忘れない。
「5-A全員の気持ちだ。味わって食したまえ」
セイスタリアスにうながされ、ユーシスは鮮やかなピンクのマカロンをひとつ口に入れた。
「・・・・・・おいしい」
ユーシスが微笑むとクラスのみんなも笑顔になる。スィーツひとつひとつを大切そうに口へと運ぶユーシスは、幸福をかみしめているかのようだ。
ユーシスが幸せだと親友のセイスタリアスも幸せな気分になる。うれしくなって内緒にしておくつもりだったことをつい口にしてしまうほど。
「明日ローゼンストック賞が決まったら特大のケーキをプレゼントしよう。大いに期待しておきたまえ」
喜んでくれると思っていた。ところが、ユーシスは沈黙してしまう。
「うれしくないのかね?」
「そんなことない。うれしい」
ユーシスが笑った!
セイスタリアスは驚いた。自然に笑みがこぼれたのならそれでよかった。だが、その笑顔は空虚に感じられたのだ。ユーシスが無理に笑うなんて何かがおかしい。
「特大ってどのくらい?」
いつになく陽気な声も無理にはしゃごうとしているようにセイスタリアスには聞こえた。
「なぜ?」と尋ねてみたい。だが、、なんとなく怖い。
「誰も見たことのない大きさだと宣言しよう」
セイスタリアスは何も気付いていない振りをして大きく胸を張る。
「セスったら、そんなこと言っちゃって大丈夫なの?」
シャルロットの心配そうな声にはからかいも少し混じっていた。
「当然だ。僕はセイスタリアス・コングラートなのだから」
いつも通りに振舞っていればこれまでと変わらない日常が続いていくはずだ。
セイスタリアスは不安を拭い去ろうとしたが簡単には消えてくれそうになかった。