3-2
この日を境にルシオンは憑き物が落ちたかのように以前の自分を取り戻した。フィヨドル・キャニングが持ってきた言葉が少年の心を救ったのだ。
それはリアンクール中佐の言葉だった。
セイラガムが戦場に戻って来たと知ったリアンクール中佐は、ルシオンによくないことが起きているのではないかと心配していた。
最期の場となったあの戦場にいたのは偶然じゃない。中佐自ら志願してのことだった。
中佐は言っていた。
「誰かがやらなければならないのだとしたら、それは私たちの仕事だわ。何も知らないひとに彼が殺されるのは見過ごせないもの」
「我々に勝ち目があるとも思えませんが」
ヘットガー中尉の率直な意見にも中佐は笑っていた。
「その通りね。でも、私は彼が何も知らないひとを殺すのも見過ごせないの」
「死ぬつもりですか」
「まさか! そんな気はさらさらないわ。
ただ、私は軍人だから戦場でひとを殺すことも殺されることも容認しているだけ。
彼は違うでしょ。そもそも戦場にいるべきではないのだから。
知っていて見て見ぬふりはできないわ」
そして、こうしめくくった。
「どっちが生き残っても恨みっこなしよ」
ヘットガー中尉からこの話を聞いたキャニングは、すぐにソアレス9行きを決断し決行した。
そして、ルシオンは学校に通い始め、学校が引けるとアンジェリカの待つ家に戻った。その後は何もかも元通りになったかのようだった。
食事はきちんととるようになり、ミュージカルの稽古には以前にも増して熱心に取り組むようになった。いつものメンバーとじゃれ合う光景も度々目にするようになった。
まるで、当たり前の日常を精一杯楽しもうとするかのように。
同じような変化は小さな大佐殿にも現れていた。何もかもぶち壊すような戦い方をすることはなくなり、狂気のような残虐性もすっかり消え失せていた。
わかっているさ。少年が立ち直れたのはフィヨドル・キャニングがいたからだ。必ず救いだすと約束したのがあの男だからだ。
もしあれが俺の言葉だったなら、何ひとつ疑うことなく安心しきってはいられなかっただろう。ルシオンとキャニングとの間にはそれほど強く確かな絆があるということだ。
俺は、、ルシオンをだましていたんだ。信頼されるはずがない。
わかってはいても、やはり寂しいものだな。以前カッセームで働いていたときには、こんな俺のことを慕ってくれていただけに余計にそんな風に感じてしまう。
セイラガムに慕われても俺にとっていいことなんか何ひとつないってのに。むしろ、副官に任命されたおかげで何度も最前線にかりだされて危険な目にあっているじゃないか。
俺にとっては、なるべく近づかないよう距離をとっておくべき相手だ。そんなことはわかっている。
それでも・・・・・・
危なっかしくて放っておけないと言ったキャニングの気持ちが、理解できてしまうんだよなぁ。。
学園祭が明日に迫った日のこと。ルシオンがこれまで一度もしたことのない質問をしてきた。キャニングではなく、この俺に。
「チップを取りだすのはいつごろになりそう?」
いつになく真剣な表情だ。俺は言葉につまった。不安にさせるようなことは言いたくない。
「手術を執刀してくれる医者が見つかればすぐにでも」
わざと軽い調子で答えたのはどうってことないと思わせたかったからだ。
「ドクターが見つからないんだね」
真っすぐに俺の顔をみつめる青緑の瞳は全部お見通しだ。
実は、肝心の執刀医が見つからずに困っていた。心臓に埋め込まれたチップを摘出できるのは循環器外科の医者なのだが、“9”にはたったの3人しかいないことがわかった。
もちろん、話せる範囲で丁寧に事情を説明して手術を頼んでみたが引き受けてくれる者はいなかった。
医者たちは口をそろえて言うんだ。リスクが大き過ぎると。
もし、手術を執刀したことがばれたら占領軍から厳しい処罰を受けることになる。
ばれなかったとしてもFODチップには自爆装置が内蔵されている。取り扱いをひとつ間違えば爆発するかもしれない。
元々心臓にメスを入れるという難しい手術な上に、そんな危険まで背負い込むのは願い下げだ、というのが3人の本音のようだ。
それは当然の危惧であり家族のある医者に強要はできない。
そこで、キャニングの人脈を頼りに“9”の外から医者を呼び寄せようということになった。
身分をごまかして、フィヨドル・キャニングのリサイタルに必要なスタッフだと主張すればなんとかなりそうだ。
ところが、外にも引き受けてくれる医者はなかなか見つからずにいる。よい知らせを待つだけしかない俺たちは、まだかまだかとあせりを募らせる日々が続いていた。
そして、その日はやって来た。
華やかに飾り付けられた校門をくぐると、そこはいつもとはまるで違う表情を見せていた。
「盛況デスネ」
心なしかティモシーの声も弾んでいるように聞こえる。
ローゼンストック学園祭2日目。
ぎっしりと立ち並んだ露店で校舎への道ができており、元気な呼び込みの声とうまそうな匂いとで誘惑してくる。
「そこのステキなお兄さん、ふわふわのワッフルはいかがですか?」
「揚げたてのフライドポテトで~す。おいしいですよ!」
「お兄さんが豪快にホットドッグを食べるところ、見てみたいな!!」
昼食をとったばかりだっていうのに、俺はワッフルとフライドポテトとホットドッグを両手に抱えていた。
「ウォスレイ、鼻ノ下ガ伸ビテイマス」
ティモシーの言葉に一応反論してみる。
「若いエネルギーに圧倒されたんだ」
「ソウデスカ。トコロデ、ソレハ全部ウォスレイガ食ベルノデスネ?」
「う。」
確かに、ロボットのティモシーに食べさせることはできない。
ささやかなスケベ心の責任を取るため潔くホットドッグにかじりつく。味は悪くない。こんなことなら昼食は抜いておくべきだった。
なんとかフライドポテトも平らげたが最後に残ったワッフルはさすがにキツイ。ホイップクリームがたっぷりのっていて見ただけで胸やけしてくる。
「食ベ物ヲ粗末ニシテハイケマセン」
ごみ箱に捨てようとしているところをティモシーに見つかってしまった。すかさず指を組んで哀願のポーズをつくる。
「すまん。ギブアップだ。俺が悪かった。許してくれ」
ロボット相手にみっともないと思うだろうが、ティモシーはどんなささいなことも決して忘れない。後々まで小言をいわれないようにするためには潔く謝っておくのがいちばんだ。
「仕方アリマセンネ。誰カ代ワリニ食ベテクレル人ハ居ナイデショウカ」
辺りを見まわしていたティモシーの動きが止まる。
「アレハクレープ売リノ御婦人デハアリマセンカ?」
ティモシーの視線の先に目を向けると人ごみの隙間からおばさんの姿が見えた。校門の前に立ちつくし中に入るのをためらっているようだ。
俺はいつからこんなおせっかいになってしまったのだろう。人ごみをかき分けて歩み寄り声をかける。
「こんにちは」
「あら、お兄さん」
覚えていてくれてよかった。俺の方は一方的によく知っているが、顔を合わせたのは2、3度しかないから少し不安だった。
「ユーシスたちのミュージカルを観に来たんでしょう。だったら一緒に行きませんか?」
おばさんは決まり悪そうに笑う。
「実は入りづらくて困っていたんだよ。場違いのような気がしてねぇ。助かったよ」
助かったのはこっちの方だ。これでワッフルを無事消費できる。ティモシーに小言を言われなくてすむ。
俺たちがホールにやってきたのは開演20分前。その時にはもう満席に近い状態だった。
3つ並んだ空席を探すのは難しそうだ。
観客の目的は生徒たちのステージを観るためだけではないのかもしれない。このホール自体に一見の価値があると見た。
セスホールと名付けられているのは、コングラートコンツェルンの御曹司、セイスタリアスがこの日のためだけに大がかりな改装をほどこしたからだ。
新しいホールを建設するよりも多額の金がかかっているといううわさだ。アビュースタで有名なギンズバーホールさえ比べ物にならないほど豪華で荘厳らしい。
学校の設備というレベルを遥かに超えているのは確かだ。
天然ものの木材をふんだんに使い、いたる所に繊細な彫刻がほどこされている。さわやかな木の香りが漂い重厚な雰囲気と相まって気持ちが落ち着く。
俺たちみたいな庶民は本来なら足を踏み入れることのできない空間だ。こんな桁外れにぜいたくなホールに入ったというだけで自慢できそうだ。
意匠を凝らしたホールをながめながら空席を探していると、立ち上がって大きく手を振っている者がいる。
あの燃えるような赤い髪とストリートギャングのようないでたちを見間違うことはない。
客の何人かは歌手のフィヨドル・キャニングだと気付いたようだ。なにやらひそひそと、となり同士でささやき合っている。
キャニングの連れはアンジェリカだ。俺の連れとは違って生身の女。落ち着いた色目のセットアップを着ていても華がある。
俺はとなりのティモシーをみる。いつもと同じ、変わりようのない顔。
「ドウカシマシタカ?」
首をかしげる仕草が滑稽に見えてしまう。
「いや、なんでもない(キャニングがうらやましいだけだよ)」
なんとか空席を見つけて腰を落ち着けるとすぐに開演の幕が上がった。
各クラスのステージはバラエティに富んでいる。コーラスやマジック、バンド演奏やダンスなど手を変え品を変え次々と披露されていく。
中には玄人並みの者もいるがたいがいは素人のステージだ。それでも学生らしい一生懸命さと精一杯楽しもうという姿勢が観客にも伝わり、客席を巻き込んで大いに盛り上がった。
そんな中、これまででいちばん大きな拍手を浴びて5年A組のミュージカルが始まった。
中世の街並みを背景に、パン屋や鍛冶屋、宿屋や酒場などで働く人々が歌い踊る。活気ある市井の様子を生きいきと表現している。
続いて町娘たちが登場して舞台上は一気ににぎやかになった。年頃の娘たちは王子のうわさをささやき合ってはしゃいでいる。
完成度の高い舞台装置と、かなりの時間を稽古に費やしたのであろう歌とダンスで観客を空想の世界に引き込んでいく。オープニングは順調だ。
主人公の王子がお忍びで町中を散策している場面から物語は動き始める。いよいよ待ちに待ったヒロインの登場だ。
マリアンヌ嬢に扮したルシオンが舞台に姿を現すと客席にどよめきが沸き起こった。巻き毛のウイッグとロココ調のドレスで女装したルシオンに目を見張る。
こいつは驚いた!
何と言うか、息をするのも忘れるほど美しい。可憐で輝くような立ち姿には女性客も溜息をもらすほどだ。ティモシーまでもがじっと見入っている。
恋に落ちたときめきを歌い上げる王子とマリアンヌ嬢の息もぴったりだ。歌の指導を買ってでたキャニングが稽古に付き合っていたんだ。そりゃあ、上手くもなるさ。
照明が落ちて舞台が暗転する。スポットライトの中に浮かび上がったのはマリアンヌ嬢の幸福をねたむ継母だ。
いじわるな継母は魔女に頼んでマリアンヌ嬢の心を盗み迷いの森に隠してしまう。無表情が得意なルシオンに心のないフリはお手の物だ。うってつけの役と言えるかもしれない。
嘆き悲しんだ王子は愛するひとの心を取り戻すため、一度入り込んだら二度とは出られない森の中へと足を踏み入れて行く。
次々に現れては王子を誘惑したり妨害したりする魔物たち。それらに打ち勝った王子はなんとかマリアンヌ嬢の心を取り戻した。
フィナーレは華やかだった。紙吹雪の中、パレードの馬車の上から手を振る王子とマリアンヌ嬢は微笑み合っている。町の人々はふたりの結婚を祝って、歌い踊る。
幕が下りた時には幸せな気分でいっぱいだった。
ミュージカルは大成功を収めた。
カーテンコールの拍手は止むことがなく、舞台上の生徒の中には感激のあまり涙をこぼす者もいた。大役を果たしたルシオンもほっとしたことだろう。
後は大いに学園祭を満喫すればいい。この時の俺はそんなのん気なことを考えていた。ところが、当の本人は全く別のことを考えていたのだ。
ここ数日のルシオンはミュージカルの稽古に没頭しているように見えていた。その裏であんな計画を立てていたとは、この時の俺たちには想像もつかなかったんだ。
感情を隠すのがうまい上に、口数も少ない子の考えていることなどわかるはずがないじゃないか。
わかっていたなら・・・・・・
もし、わかっていたなら、、止めることができただろうか。
いや、無理だ。きっと止められない。
それでも、少年がしでかしてしまった事の乱暴さに、もう少しましな方法があったんじゃないかと思わずにはいられない。
もっと、俺たちを頼って欲しかった。。