3-1
「オレの名はフィヨドル・キャニング。歌手だ」
赤毛の言葉を聞いて思い浮かんだのはロック歌手だ。腰に下げたチェーンやスタッズの打ち込まれたブーツがいかにもな感じだ。
勝手に納得しているとキャニングと名乗った男は鼻にしわを寄せた。
「言っておくがロックじゃないからな。オレが歌うのは讃美歌だけだ」
冗談だろう?!
俺の顔には奇妙な笑顔が張り付いているはずだ。神なんか信じそうにない男が讃美歌を歌うだと? とても信じられない。
「その顔はウソだと思ってやがるな? OK、今証明してやるよ」
キャニングは静かに歌を口ずさみ始める。最初の一小節で心の中にすうっと入ってきた伸びやかで透明感のある声は、全身の細胞ひとつひとつにまで染み入るようだ。
突然のぶしつけな来訪者にかき乱されていた心が次第に凪いでいく。心地よい響きに安らぎさえ感じていた。
大げさなことを言っているんじゃない。その証拠にキャニングのひざに顔をうずめて泣きじゃくっていたルシオンが、いつの間にか穏やかな寝息をたてている。
歌が終わっても驚きと感動で呆然としている俺の上にキャニングの声が降ってくる。
「リサイタルのチケットなら融通してやってもいいぜ。お友達価格にしといてやるよ」
おい。下世話なセリフを吐くな。天の声ともおぼしき美声には不似合いだ。せっかくの余韻が
ん?
「リサイタル? 誰の?」
「オレのに決まってるだろ」
リサイタルを開くほどの有名歌手だったのか!? 讃美歌に興味のない俺が知るはずもないのだが。
「なんでオレがここに来れたと思うんだ?」
そう言われればそうだ。リトギルカ軍の占領下にあるソアレス9では、アビュースタ人の出入りが全面禁止されている。どうしてキャニングは“9”に入れたのだろう。
「あ。」
そういうことか。
「このオレ、フィヨドル・キャニングのリサイタルが、ここソアレス9で開催されるのさ」
リサイタル開催の許可は思ったより簡単におりたそうだ。占領軍将校の中にも、フィヨドル・キャニングの生の歌声を聞きたいという者がいるのかもしれない。
有名歌手というのはうそではないらしい。おみそれしました。
「で、あんたがウォスレイさんかい?」
キャニングは俺に好奇の目を向けている。どうしたものか。どこまで話せばいい? どこまで知っている?
キャニングのひざの上ではルシオンが安心しきった顔で眠っている。
「ウォスレイ・シーボルグ。リトギルカ軍中尉だ」
さあ、どう反応する?
「ふうん」
キャニングはどうでもいいことのように鼻を鳴らした。憎悪の目で見られることを覚悟していたのに拍子抜けだ。
「オレはリトギルカってだけで敵視したりはしないぜ。こいつも半分はリトギルカ人だしな」
「半分?」
「なんだ。知らなかったのか。こいつの父親はリトギルカ人で母親はアビュースタ人だ」
キャニングは俺よりも少年のことを知っているらしい。
「テーブルニオ茶ノ用意ガ出来テイマス。オ話ハソチラデドウゾ」
ティモシーが声をかけると、キャニングはロボットの人形のような顔をまじまじとながめた。
「あんたチャーミングだな」
まばたきもしないロボットにそんなほめ言葉を言ってくれる人間は初めてだ。ほら見ろ。ティモシーもどう反応したらいいのかわからずに固まってるじゃないか。
「オ世辞ハイリマセン」
おっと、手厳しい言葉。
「お世辞なもんか。ぜひ、連れて帰りたいね。うちのチビどもが大喜びすること間違いなしだ」
この男、一体どういうつもりだ?
「ソレハ無理デス。私ハウォスレイノ物デスカラ」
確かにその通りだが、なんだか危ないセリフに聞こえるぞ!
「サア、テーブルニドウゾ」
ティモシーはルシオンをソファに寝かせて、もう一度キャニングをお茶に誘った。すると、赤毛の男はほおをかきながらティモシーの顔を見上げる。
「ちょっと手を貸してくれないかな」
「ハイ?」
「足がしびれて立てないんだ」
キャニングがこのタイミングに突然現れて、ルシオンの抑圧された感情を解き放ったのは偶然じゃなかった。
少年はキャニングの元で世話になっていた時期があり、運送屋を営むキャニングの助手をしていた。
「色んな荷物をふたりで運んだもんだ」
目配せするキャニングに荷物の中身についてきくのはやめておいた。
その後、ソアレス9に移り住んだルシオンとは連絡を取り合っていたが、“9”がリトギルカ軍に占領されてからは音信不通になっていた。
心配していたところにセイラガム復活のニュースが飛び込み、さらにヘットガー中尉から悲痛な情報がもたらされた。
そう、あの口ひげのミュウディアンだ。ふたりはちょっとした知り合いらしい。
リアンクール中佐の死の真相を知り、居ても立ってもいられなくなったキャニングは即座に“9” 行きを決断した。
そして、“9”に入るための手段としてリサイタルの開催を計画したのだった。
つまり、ルシオン=セイラガムであることをキャニングはとっくに知っているのだ。
そこまで知っているとなれば何も隠す必要はない。俺は請われるがままルシオンがおかれている状況について話してやった。
副官として知り得た状況を第三者に話してはならないだと?
バレなきゃいいのさ。
俺には何もできない。だが、この男なら今の八方ふさがりの状況を変えてくれるような気がしていた。
キャニングは少年とは反対に感情表現の豊かなタイプだった。
俺の話に激昂し何度もつかみかかってきた。その度になだめて落ち着かせなければならなかった。しかしながら、キャニングが激怒するのも当然だと思う。
ルシオンの心臓に埋め込まれた自爆装置付きFODチップ。人質に取られた“9”の住民2万人。下されたフォート・マリオッシュ攻略の命令。
どれかひとつであっても幼い心を押し潰すには充分だ。
その上、繰り返されるゲルリンガー中佐の少年に対するおぞましい行為。
口にするのもはばかられるような内容にキャニングの形相が見るみる変わっていく。はっきりと殺意が見て取れるほどに。
「ルシオンを助けるために力を貸してくれ」
話が終わるとキャニングは真剣な目で俺を見つめてそう言った。
「それはできない。俺はリトギルカ軍兵士なんだ」
キャニングは落胆の色を隠さない。俺は言葉を継ぐ。
「だか、ルシオンが知人の一般人と親しくしても報告義務はないし、俺のひとり言を聞かれても仕方ない」
「ああ、そうだな」
キャニングはにんまりと笑った。
フィヨドル・キャニング
危険な臭いのする男ではある。だが、悪人には見えない。
聞けばまだ19歳だと言う。そこまで若いとは驚きだ。余裕を感じる雰囲気に頼もしささえ感じていたというのに9歳も年下だったとは。
しばらく話をしてみてフィヨドル・キャニングという男を俺はすっかり気に入ってしまった。派手な身なり、軽薄な口調とは裏腹に中身は実直な人間であるとわかったからだ。
遠慮がなくて図々しくい態度も、慣れてしまえばこちらも気を使う必要がないから気さくに話せる。
決め手はやはりルシオンだ。あまり感情を表に出さない少年が全力で泣くところを初めて見た。
身体の奥深くに沈めていた感情を解き放ってくれたキャニングは、ルシオンにとって特別な存在なのだと認めざるを得ない。
俺は、歌手と運送屋という奇妙な取り合わせの肩書を持ったこの男を、信用するにたる人間だと判断した。
俺たちは夜通し話し合った。テーマはどうやってルシオンを救い出すか。
最も少年を苦しめているのはマリオッシュ攻略の命令だ。この命令に従わなくてもすむようにするためには、“9”を占領軍から解放しなくてはならない。
まずはソアレス9管理センターだ。そこから占領軍を追い払うことが大前提になる。
管理センターは、人工浮島である“9”のライフラインを一括管理している。
電気、ガス、水道、通信。どれかひとつでも止まってしまうと島民は正常な日常生活を送れなくなる、というだけの問題ではない。
例えば、島中に張り巡らされたガス管に火を放てばどうなる?
例えば、上水道用の貯水槽に毒物を入れたらどうなる?
現在、管理センターは占領軍の支配下にある。占領軍を追い払うためにはそれ相応の戦力が必要だ。だが、こちらには武器もなければ人員もない。それでどうしろと言うんだ?
いや、待て。戦力ならあるじゃないか。それもとっておきの切り札が。
こっちにはセイラガムがいる!
作戦は決まった。まず、ルシオンの心臓に埋め込まれているFODチップを取り除く。管理センターをリトギルカ軍の手から取り戻すのはそれからだ。
ただし、作戦の決行には綿密な計画と慎重さを要する。チップの摘出も管理センターの奪還も秘密裏に行わなければならない。
占領軍、特にゲルリンガー中佐には決して知られてはならない。
FODチップの起爆装置は中佐の手中にあり、“9”住民の生殺与奪権を握っているのも中佐なのだ。
最初にやるべきことは、FODチップの摘出手術を執刀してくれる医者を探すこと。
体内の異物は特殊能力を使えば簡単に取りだすことができる。だが、チップに能力を使うと自爆する仕組みになっている。摘出するには手術しかない。
後は時間との勝負だ。中佐がルシオンにつきつけた期限は1か月。それまでにすべての準備を整えるんだ。
キャニングは目覚めたルシオンに計画を説明し、1か月以内に準備を整えることを約束した。
「必ずオレがくそ忌々しいチップを安全に取り出してやる。だから時間をくれ」
真剣なまなざしに少年はいつものように素っ気なく答える。
「ん。わかった」
そして、キャニングを見上げて丁寧に言葉を紡ぐ。
「ありがとう」
どんなことをしてでも約束を守ろう。そう心に誓ったのがキャニングの顔に見て取れた。




