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セイラガムとなって戦う大佐殿は出撃の度に大胆に、そして、残酷になっていくようだった。
作戦もへったくれもない、力まかせにねじ伏せたたきつぶすやり方で強引に勝利を奪い取っていく。セイラガムにはそれを可能にするだけの圧倒的な力があった。
これは戦争だ。だから相手を死に至らしめるのは仕方ない。仕方ないがなにもそんな酷い殺し方をしなくてもいいだろうにと思ってしまうほど、残虐に無慈悲になっていく。
元々畏怖の念をこめてセイラガムと呼ばれているんだ。誰もがクリュフォウ・ギガロックとはそういう人間だと思っていることだろう。
だが、俺は知っている。本当のセイラガムは他人を思いやるやさしさを持ち合わせていると。
でなければ“9”の住民を守るためにゲルリンガー中佐の言いなりになることも、リアンクール中佐を死なせたことで苦しむこともなかったはずだ。
俺の目には敵を惨殺する度、大佐殿自身も同じように傷つき血を流しているように見える。冷酷無比な人間なんだと自らをおとしめて罰するかのように。
あるいは、何もかもぶち壊し自分自身さえも消し去ろうとしているかのように。
このままだと、いずれ取り返しのつかないことになるんじゃないだろうか。不安でたまらない。
それなのにゲルリンガー中佐は、あの狂った悪魔は、今にも崩れそうな断崖の上に立つ大佐殿の足元を突き崩そうとしていた。
「フォート・マリオッシュを落しなさい」
命令を聞いた瞬間、ゲルリンガー中佐の前では、決して感情を見せることのなかったルシオンの顔に表情が浮かんだ。驚愕と恐怖の入り混じった表情が。
あの時と同じだ。リアンクール中佐のときと。つまり、マリオッシュは少年にとって特別な存在ということだ。
激しい動揺を隠せないルシオンはうつむいてかすれた声を絞り出す。
「・・・・・・できません」
これまでただの一度も口にしたことのない“NO”の意思表示。
ところが、中佐に意表を突かれた様子はない。予想していたということか。眉ひとつ動かさず冷やかに言い放つ。
「そうですか。わかりました。ソアレス9は価値を失ったということですね」
「ちがう!」
力いっぱい否定するルシオンの顔は真っ青だ。
「違いません。私の命令に従わないということは“9”を見捨てるということです」
「ちがう! ちがう!! ちがうっ!!!」
「では、命令に従いますね」
答えることができず呆然と立ちつくすルシオンに残忍な中佐が留めの言葉を突き刺す。
「ひとつ忠告しておきます。君が自らの命を断ったとしても“9”の価値は消滅します。そのことを忘れないようにしなさい」
少年は声もなく崩れ落ちその場に座り込んだ。
逃げられない――――
ルシオンはどうあってもどちらか一方を選ばなければならなくなった。フォート・マリオッシュかソアレス9か。
片方を救うということはもう片方を見捨てるということでもある。
だが、ルシオンにとってはどちらも同じくらい大切で、どちらか片方を切り捨てるなどということは考えられないのだろう。苦悩にゆがむ顔がそれを物語っている。
ゲルリンガー中佐は知っていたんだ。ルシオンにとって“9”と同じくらいマリオッシュも大切であることを。知っていてこのふたつを天秤にかけさせようとしているんだ!
あるいはもくろみ通りに動揺させてやったと内心ほくそ笑んでいるのかもしれない。
ありったけの憎しみを込めてにらみつけてやる。
中佐殿。腐った本性が透けていますよ。あなたは本当に最低のくそったれヤローだ!
俺にできるのは心の内でののしるだけ。情けない。。
あれ以来ルシオンは家には帰っていない。学校にも行っていない。
あの日は動揺が激しくてとても家には帰せなかったため俺の家に泊めたのだが、そのまま預かることになってしまった。
アンジェリカからは毎日のように少年を気づかう電話がかかってくる。
学校は体調が悪いと言って休んでいる。
セイスタリアスたちが見舞いにやって来たとアンジェリカから聞いた。ルシオンは知人宅で養生していると伝えてあるが、その住所を教えて欲しいとくい下がられて困ったらしい。
みんなに心配をかけている。それはルシオンの望まないことなのだが今はそれどころじゃない。
「ウォスレイ。コレハ片付ケテモイイデスカ?」
ティモシーが手にしたトレーには手つかずのランチがのっている。
またか・・・・・・ ずっとこの調子だ。室内を見まわしても少年の姿はない。
やれやれ。
トレーの上のフルーツを取って部屋を横切りクローゼットの扉を開ける。洋服のかかったハンガーを片側に寄せると、その後ろからひざを抱えたルシオンが姿を現す。
これまでもソファーの後ろや家具のすき間に隠れていたことはあったが、ここのところはいつもクローゼットの中だ。
最初にいなくなったときはティモシーとふたり血相を変えて探しまわった。少年が抱えている問題の大きさを考えると何をしでかすかわからないと大いに心配した。
心当たりはすべて探したが見つからなかった。
それもそのはず。ルシオンは家にいたのだ。帰宅し上着をしまおうとクローゼットを開けたら、なんと、そこで眠っていた。泣き腫らした顔をして。
それ以来、クローゼットから出てこない。
「ティモシーがおまえさんの好きなものをアンジェリカからきいて、わざわざ市場まで行って買って来たんだ」
みずみずしく甘い香りを漂わせるフルーツを少年の手に握らせる。こうでもしないと自分から手を出すことはない。
「ロボットは心配なんかしないと思うか」
俺の質問に返事はないが、ルシオンは手にしたフルーツをほんの少し口に入れた。味など感じないのかもしれない。それでも少しずつ時間をかけてなんとか食べきった。
こぶし大の小さなフルーツひとつだが何も食べないよりはましだ。油断していると丸一日、食物どころか水分すらまったくとらないこともあるのだ。
毎日がこんな調子で、まさかとは思うがこのまま衰弱死するんじゃないかと不安になってくるほどだ。
どうにもならない状況を動かしたのは突然の来訪者だった。
これ以上体調不良で学校を休むのなら診断書を出さなければならない。アンジェリカが務めている診療所で書いてもらえるだろうか。
そんなことを考え始めた時にその人物はやってきた。
アンジェリカから来客がこちらに向かったとの電話がきてから、10分もしないうちにドアベルが鳴った。徒歩だと20分はかかる距離のはずなんだが。
ティモシーが玄関のドアを開けるが早いか、突風のようにすべり込んだ男は息を切らしながら部屋の中を見まわしている。
「どこに隠れてるんだ? 出ててこいよ!」
この声!!!
なんて伸びやかで透明感のある声なんだ。心の奥深くにまで染み入るような声に驚いた。本当にこの男の声なのか? 目の前の男をまじまじとながめる。
燃えるような真っ赤な髪に黒いサングラス。やせ形で背は高くファーの付いた派手なジャケットをはおっている。乱暴で品がない印象の外見からは想像もつかない美声だ。
クローゼットの扉がわずかに開いた。
中の少年がすき間からこっちの様子をうかがっているんだ。特殊能力で全部見えているだろうに、直接自分の目で確かめなければ気がすまないらしい。
「そこか」
赤毛の男はつかつかとクローゼットに歩み寄り無造作に扉を開け放つ。
「よぉ。久しぶりだな!」
サングラスを外した男の顔を見上げるルシオンは幻でも見るような目をしている。
「なんだよ。わざわざこのオレが来てやったってのにうれしくないのか?」
少年は親しげに声をかける赤毛に何か言いたそうに口を動かすが言葉にならない。赤毛はなおも一方的に話しかける。
「泣き虫のおまえが泣ける場所がなくて困ってるんじゃないかと思って、かけつけてやったんだぜ」
赤毛はおもむろに両腕を広げ満面の笑みを浮かべる。
「ほら、こいよ。好きなだけ泣け」
呆然としていたルシオンの目に涙がにじむ。それは少しずつ盛り上がり、あふれて、こぼれて、落ちた。
こうなったらもう止まらない。後からあとからわきでる涙は途切れることなく白いほおを伝っていく。
「うぁあああぁあああああああああああ!!!」
赤毛の腕に飛び込んだ少年はのどがつぶれそうなくらいのけたたましい声で泣いた。今までずっと押さえこんでいた感情を一気に解き放つように。
あふれ出る涙に身体の奥深くに沈めていたものがどれほどのものだったのか、はっきりと見て取ることができた。
どんなに苦しかったことだろう。どんなに悲しかったことだろう。どんなにつらかったことだろう。なりふり構わず泣き叫ぶ少年の姿に胸が張り裂けそうだ。
ルシオンをふところに抱いた赤毛は、すべてを受け止めてやろうとしているかのようだった。
涙の訳をたずねるでもなく、慰めの言葉をかけるでもない。ただ、延々と泣き続ける少年をしっかりと抱きとめている。
ずっと思っていた。俺とふたりきりのときぐらい泣いてもいいのにと。心の中にしまい込んだ様々な感情を涙で洗い流せばいい。
それでルシオンの置かれた状況が好転する訳じゃないが、気持ちはいくらか楽になるはずだと。
アンジェリカに心配をかけたくないルシオンが彼女の前で涙を流すはずはない。だが、すべての事情を知っている俺の前でまで我慢する必要はない。
それなのに決して涙を見せることはなかった。
意志が強いのか、強情っ張りなのか。そんなルシオンにこれだけ激しく感情を露出させるこの男は何者だ?




