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店内に入ってきた女は俺の姿を認めると、つかつかと歩み寄り向かいの席に腰掛けた。
今日の彼女はクラシカルなワンピースに身を包み、萌葱色の髪は肩にたらしている。
俺は火を付けたばかりの煙草を灰皿に押し付けた。時計を見ると約束の時間まで30分もある。
家にいるとティモシーがうるさくてゆっくり煙草も吸えない。だから、約束にかこつけて逃げて来たのだが封を切ったばかりの煙草はポケットに逆戻りだ。
「やあ。今日は一段ときれいだ」
お世辞ではないほめ言葉にもニコリともしない女は真正面から俺を見据えて口を開く。
「何があったの?」
一気に空気が硬化したような気がした。
話があると俺を呼びだしたのはアンジェリカ・マスカーレ。ルシオンの保護者だ。
できることなら会いたくはなかった。だが、受話器から聞こえる彼女の張りつめた声がそれを許さなかったのだ。
話の内容には予想がついている。アンジェリカには俺にききたいことが山ほどあるはずだ。ルシオンに口止めされていなければなんでも答えてやるんだが・・・・・・
「コーヒーでいいかな?」
空気をやわらげたい俺はコーヒーふたつと本日のおすすめスイーツを注文した。
甘いものにはリラックス効果があるとティモシーが言っていた。少しでもアンジェリカの気持ちを落ち着かせることができればいいのだが。
「あの子に、ルシオンに何があったの?」
アンジェリカの押し殺した声には今にも大声で叫びだしそうな緊迫感が漂っていた。
「何もないとは言わせない。あの子の様子を見てればわかるもの。明るいのよ。不自然に」
口数の少ないおとなしいタイプのルシオンが、ある日を境に急に陽気になったらしい。本当の気持ちを隠すかのように。
「わたしの知らないところで何かよくないことに巻きこまれている。そうなんでしょう?」
この様子だと何も話さないまま帰してもらう訳にはいかなそうだ。流れを変えなくては。
「どうしてそんなに心配するんだ。君たちは赤の他人なんだろう?」
「・・・・・・そうよ。他人よ。わたしはあの子が大嫌い。憎んでさえいる。あの子は、ルシオンは、わたしの大切のひとを殺したんだもの」
!!!!
ちょっと待ってくれ! ふたりの間には何か特別な事情があると感じてはいたが、まさかそんな重いことだとは思ってもみなかった。
「だから、わたしにはあの子が何をなすのか見届ける義務があるの。何も知らないではすまないのよ!」
アンジェリカは高まる感情を抑えるようにまつ毛を伏せた。素直に心配でたまらないとは言えないらしい。過去にそんなことがあったんじゃ仕方ないか。
「きみは優しいひとだな」
だからこそルシオンは彼女に本当のことを知られたくなかったんだ。
「あなたたちは上手くごまかしているつもりでしょうけれど、わたし、気付いているのよ」
胸の奥で心臓がはねた。アンジェリカのセピア色の瞳がまっすぐに俺の顔を見つめている。
「あなた、何者なの?」
そうきたか。
「おいおい。変に勘ぐるのはやめてくれ。俺はただの使い走りなんだから」
苦笑いを浮かべはぐらかそうとするもアンジェリカは聞く耳持たずだ。
「“カッセーム”をやめて別のバイトを始めたというのは、うそなんでしょう。毎日どこで何をしているの?
学校から電話があったわ。最近欠席や早退が多いけど大丈夫なのかってね。
あなた知っているのでしょう。ねぇ、答えてよっ!!!」
顔をくしゃくしゃにしながらも必死で涙をこらえるアンジェリカ・・・・・・
ずっと不安でたまらなかったのだろう。それでもそんな感情を表にださないようにしてきたんだ。彼女もまた同居人に心配をかけないようにしていたのか。
無理だ。これ以上口をつぐんでいられそうにない。
「リアンクールというミュウディアンを知っているか?」
俺の言葉にアンジェリカはいぶかしげな顔をした。
「ええ。マッカラーズ基地の司令官だわ。わたしはそこで働いていたの。中佐がどうかしたの?」
もしかしたらと思ったが、本当に知り合いだったのか。余計な説明は必要なくなった。
「死んだよ」
――――――
長い沈黙だった。
「ルシオンが、・・・・・・関わっているのね」
俺は重い口を開く。
「あの子に責任はない。だが、自分のせいだと思っているんだ」
あの時、交換が発動した時、何が起きたのか俺は知らない。ミュウディアンたちはすぐに行ってしまったし、ルシオンは多くを語らない。
あの時の状況とルシオンの言葉の断片から推測するしかなかった。
無意識にエクスチェンジを使わなければ、俺は重症を負った小さな大佐殿を前に泣き叫んでいたはずだ。
光の矢はリアンクール中佐ではなく大佐殿の身体を貫いていたんだ。
そうならなかったのは、恐らく、大佐殿が反転を発動したから。
大佐殿に抗う意思がなかったのは明らかだ。
エクスチェンジがその意思をねじ曲げ強制的にリバースを使わせたんだ。
俺と口ひげ男の未来を入れ替えるにはそれだけでよかった。
エクスチェンジが選択した最適解だ。
だが、ルシオンにとっては最悪の結果になってしまった。傷つけたくない相手を自分の力で死なせた。その事実が今もルシオンを苦しめ続けている。
「あれはおまえさんのせいじゃない。俺のエクスチェンジがさせたことだ」
と何度言い聞かせても、ルシオンの苦しみが薄まることはなかった。
「きみの同居人は懸命に“9”を守っている。俺が言えるのはそれだけだ」
すまない。詳しく事情を説明したいところだが、これが精一杯だ。
「・・・・・・なんとなくそんなことじゃないかって気はしていたの。以前にもにそんなことがあったから」
強張っていたアンジェリカの身体からすうっと力が抜けていくのを感じた。
ほんの少ししか情報を与えることはできなかった。けれども、何もわからずに不安がっていたアンジェリカの闇に小さな明かりをともすことはできたようだ。
これだけは言っておこう。
「ルシオンのためにいつもと変わらないきみでいてくれ」
「わかっているわ。わたしの方があなたたちよりずっと演技は上手よ」
「そうだった」
かすかな微笑が今日初めて見るアンジェリカの笑顔だった。
実は、あの日を境に変わったのはルシオンだけじゃなかった。小さな大佐殿にも変化が現れていたのだ。
むしろこっちの方がずっと深刻で放置できない状態だ。しかしながら有効な手立てが見つからないでいる。そもそも身体の傷は治せても心の傷は簡単には消せないと言うからな。
しかもそれが、大切に思っていたひとを自分の手にかけてしまったとなると、慰めの言葉すら見つからない。
結局、自分自身で乗り越えるしかないのだろうが、10歳の子供には高すぎる壁だ。
そんな訳で、大佐殿と出撃する度にハラハラさせらされる日々が続いている。
アンジェリカの気持ちもよくわかるというもんだ。ルシオンを心配する彼女を突き放せなかったのはそのせいかもしれない。