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この数日間、ルシオンは何事もなかったかのような顔をしてこれまでと同じ日課をこなしている。ただ、放課後に向かうバイト先がカッセームから刑務所に変わっただけだ。
表面上の変化は本当にそれだけだった。
だが、少年を取り巻く状況は大きく変化していて、はっきり言ってこれ以上ないというほど最悪だ。
ルシオンの心臓には自爆装置付きのFODチップが埋まっている。常に死をかたわらに感じておびえていなくちゃならない。
しかも、少年の命を握っているのはあのゲルリンガー少佐だ。生きた心地はしないはずだ。
さらに、卑劣な少佐は何かにつけて、自分には“9”の住民を自由にできる権利と力があることをほのめかして、ルシオンを脅迫していた。
少年は2万人の命が自分にかかっているということを否が応にも自覚させられるのだ。わずか10歳の子供には過酷な重さだ。
ルシオンは、自分が命を失うことと多くの人間が不幸に見舞われることとでは、どちらがよりつらいと感じるのだろう。。
どっちにしても、少佐は少年を二重の鎖でがんじがらめに縛りあげ奴隷にしてしまっていた。
ルシオンをどうとでも好きにできるゲルリンガー少佐は、もはや自分の悪癖を隠すつもりはないようだった。
度々少年をひと気のない場所に連れ込んでは狂った欲望の餌食にしていた。
少佐の爪がなぜ赤く塗られているのか。その訳に気付いたときには悪寒が全身を駆け巡った。爪の間に血がこびりついていてもわからないようにするためだったのだ。
どんなことにもただひたすら耐えるしかないルシオンは痛ましかった。研究所にいるときは、常に完璧な無表情で人形のように命令に従っていた。
まるでほんのひとかけらの感情さえ持ち合わせてはいないかのように。
精神的にぎりぎりに追い詰められた毎日を送っていても、ユーシスとしての生活態度や行動には何の変化もなかった。
もちろんそれは、まわりの人間に異変を悟られないようユーシス本人が細心の注意を払っていたからだ。
他の学生と同じように学園祭の準備に忙しい日々を送っている。本番が間近に迫りミュージカルの稽古に費やす時間も増えていた。
初めユーシスは男の自分がヒロインを演じることに納得がいかない様子だったのだが、今では皆で協力して舞台を成功させることに情熱を傾けていた。
稽古を重ねるうちに伯爵令嬢らしい立居振る舞いを身に付けており、衣装を着けるともうどこから見ても立派なヒロインだった。
マリアンヌ嬢のファンクラブまで結成され、立稽古には見物人の人垣ができるほどだった。
ミュージカルに打ち込むユーシスは真剣で、そのときだけはつらいことを忘れていられるのかもしれない。いや、そうであって欲しい。
少佐がルシオンにこれまで通りの生活を続けせているのには、ふたつの理由があると俺は考えている。
ひとつは少佐の言うことさえきいていれば平穏な日常を守れると実感させるため。もうひとつは、すべての望みを断って少年が自暴自棄になるのを防ぐため。
あの狂った悪魔のような男は、ルシオンを生かさず殺さずの生殺しの状態にしておきたいのだ。なぜそこまであの子に執着するのだろう?
そもそも俺はルシオンのことを知っているようで肝心なことは何も知らない。
最大の謎は、どうして10歳の子供がリトギルカ軍総司令部直属の大佐ということになっているのか、ということだ。
“必要のないことまで知ろうとしない”が俺の信条なのだが、今回ばかりは好奇心に勝てなかった。周囲を嗅ぎまわるような真似はしたくない。だから直接本人にきいてみた。
“いいたくない”のひと言で片付けられてしまったが。
俺の日常も副官に任命される前とたいして変わってはいない。俺に監視されていることをルシオンが知っているか知らないかだけの違いだ。
少年の日常を見守り(要するに監視している訳だ)学校が引けるとモータービークルに乗せて刑務所へ。元刑務所には第29戦略戦術研究所という大げさな名前が付いていた。
確かにそこは研究所だった。研究対象はルシオン少年ただひとり。つまり、そこはルシオンだけのための研究施設なのだ。
児童保護団体に知れたら激しい非難を浴びることは必至の、検査だの実験だのが毎日のように行われている。
かたわらで見ていて顔を背けたくなることも多い。それでも、ルシオンは辛抱強く付き合っている。言いなりになるしかないとあきらめているのだろうか。
感情のかけらも見せない完全な無表情でやり過ごしているのは、つらいという感情をほんの少しでもこぼしてしまったなら耐えられなくなる。そうゆうことなのかもしれない。
そして、どれだけつらい思いをさせられ心身共に疲弊していようと、帰宅してドアを開ける時には、何事もなかったかのような元気な声で「ただいま」を言うのだ。
俺はルシオンを自宅に送り届けたモータービークルの中で毎日のようにその声を聞いている。
その日もいつものように自宅のマンションから学校にいるユーシスを監視していた。
というのはうそだ。監視中の振りをしていたというのが正しい。独断により監視はとっくの昔に止めた。意味のないことだからだ。
俺にこんなことをさせているゲルリンガー少佐は、やっと探しだしたルシオンがまたぞろ逃げ出して身を隠してしまうことを恐れているのだろう。
だが、そんなことは絶対にありえない。
片時も目を離さず監視を続けてきた俺だからわかることだ。
ルシオンは今の暮らしをとても大切に思っている。少年を取り巻く人々との日常を、と言い換えてもいい。
だから、泣き言ひとつこぼさず研究所に通っているのだ。自分からぶち壊すようなまねは絶対にしない。
少佐はルシオンの命と“9”の住民を人質に取り、身動きできないようにしておきながらそれでも不安なのだ。小さな大佐殿にはどんな秘密があるというのだろう。
その答えは向こうからやってきた。俺は口うるさいティモシーにお使いを頼んで追い出し、二箱目の煙草の封を切ったところだった。
ティモシーには煙草は一日一箱と言われているのだ。
冗談じゃない! 煙草ぐらい好きに吸わせろ。
深く吸い込んだ煙を吐き出し気持ちが落ち着くのを感じていると、至福の一服をじゃまする緊急コールが入った。俺が大佐の副官になってから初めてのことだった。
呼び出されて授業を抜けてきたユーシスを連れ、港に着くと少佐はお待ちかねの様子だ。なぜ研究所ではなく港に来させたのか、何の説明もないまま俺たちを乗せた高速艇は走り出す。
「着替えです」
渡されたスーツケースの中には黒いものが詰まっている。手に取って広げてみるとそれはザックウィック用の軍服だった。
だが、普通のものとは色やデザインだけでなく材質も異なっている。
「自分がこれを着るのですか?」
「馬鹿を言わないで下さい。この軍服を着ることができるのはルシオンだけです」
少佐は見下した目で俺を見たがこれはどうみても大人サイズだ。ユーシスには大き過ぎる。
いや、待てよ。そうか。変身で大人サイズの軍服に身体を合わせることも可能なのかもしれない。
そんなことを考えている俺の横でユーシスは服を脱ぎ始めた。俺の予想は当たっているのか?
白い光に包まれたユーシスの身体は急激な成長をとげて大きくなっていく。空色の髪は一気に伸びて腰まで届き、根元から毛先に向けて黒く変色していく。
白い肌も黒味を帯びて次第に色が濃くなる。パープルの瞳は黒いインクをたらしたように黒く塗りつぶされていく。
見る間にまったくの別人に姿を変えたユーシスは軍服を着こみ、ブーツと手袋を身に付けた。あつらえたようにぴったりだ。
その姿は、まるで死神――――
髪も肌も瞳も、そして身に付けているものまで何もかも黒ずくめだ。漆黒の闇をひとの形に切り抜いたかのような黒一色。
その姿が誰のものなのか、知らない者はいない。リトギルカ人でもアビュースタ人でも。
大人でも子供でも。
――――クリュフォウ・ギガロック
世界でただひとりセイラガムの称号を持つ特殊能力者。
どうゆうことだ?! この状況にどんな説明がつけられる?
どう解釈したらいいのかわからずに頭の中は混乱の坩堝と化していた。かろうじて絞り出した言葉がこれだ。
「どうしてセイラガムみたいな格好をするんだ?」
黙っている少年に代わって答えたのは少佐だ。
「ルシオンは大佐です。ごく普通のヴァイオーサーの子供が大佐を名乗れるとでも思っていたのですか」
そんなことはわかっているさ。 ・・・・・・ちょっと待て。
そう言えば、セイラガムのリトギルカ軍での階級は大佐のはずだ。
だからって、ルシオンがセイラガムということはあり得ない。
ギガロックの名を世界中が知ったのはSA710年のノプルクール海戦だ。その時ルシオンは生まれてさえいない。
ルシオンはセイラガムではない。絶対に!
俺たちが乗り込んだ高速艇は最新鋭だ。時速100㎞をたたき出すエンジンの振動を感じながらのブリーフィングが始まった。
「・・・・・・現在、第17艦隊、通称メギロス遊撃隊は・・・・・・」
ゲルリンガー少佐の副官の説明によると、俺はセイラガムの姿になったルシオンと共に戦場に向かうことになるらしい。
勇猛果敢で知られるメギロス艦隊が、アビュースタ軍に包囲されて自力での脱出が不可能な状況に陥っている。
救出するため援軍が送り込まれたが充分な艦隊を仕立てるだけの時間も戦力もなかった。
そこで、俺とルシオンにメギロス艦隊を救出するための手助けをせよというのだ。
敵は5個艦隊で完璧な包囲網を作り上げているというのに、援軍はたったの1個艦隊しかない。本気で救出するつもりがあるのか。
俺たちにこの戦力差をどうやって埋めろというんだ?!
大体、軍のお偉いさんはザックウィックの力を過信している。
俺たちだって生身の人間なんだ。ケガをすれば痛いし、死ににくいというだけで死ぬときは死ぬ。それを便利な兵器ぐらいにしか思っちゃいない。
いいように利用されて使い捨てにされるなんざまっぴらだ。