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ソアレス9の所有権はこの島を建造したC.Cフロンティア社が持っている。
“9”に住むにはフロンティア社から居住権を購入しなくてはならない。たったの1000シリンだから裕福な者しか住めないということではない。
重要なのは金額ではなく、審査に合格した者しか購入できないというシステムだ。
どんなに財力があっても審査で不適切と判断されれば“9”には住めない。こうして安全で快適なユートピアを実現しているのだ。
居住権があれば土地を買って家を建てることもできるし、商売を始めることもできる。
ただし、それもC.Cフロンティア社の許可が必要だ。わずらわしい気もするが、秩序と規律を維持するためには必要なことだ。
そんな“9”の中でもいちばんの高級住宅街=クラッシスヒルに僕の家はある。
ここが本邸というわけではない。本邸はアビュースタの首都クアトリーリオにあるのだが、お母様がこの別邸を気に入っているため今はここに住んでいる。
お父様は仕事でいつも方々を飛びまわっていて“9”にはたまにしか来られない。従って、この家の主はこの僕だ。
「おっはよう!!」
ひさしぶりに登校したローゼンストック学園の校門をくぐったところで、背中をたたかれ前につんのめった。それが誰なのか、顔を見なくてもわかる。
この僕、セイスタリアス・コングラートに対してこんな行動を取るのは彼女しかいない。
クラスメイトのシャルロット・リデルハーツ。
いつものようにディックル兄妹も一緒だ。
「あんまり見ないから顔を忘れちまうところだった」
この僕の顔を忘れるなんてありえない。リッガルト・ディックルは相変わらず無礼な男だ。いつも大きなバックパックを背負い、いつも不機嫌な顔をしている。
そんな男でも役には立っている。カテク(大型の乳牛)でも絞め殺しそうな筋肉隆々の男がそばにいることで、シャルロットによこしまな心を持つ男子を寄せ付けないでいるのだ。
でなければ、とっくに排除している。
「おはよう、セイスタリアス」
妹のテュテュリン・ディックルは元気がない。どういうわけか、制服の右そでがない。
「そんな顔するな。着替えはバックパックに入っているんだ。更衣室で着替えればいい」
リッガルトの言葉にもテュテュリンの気持ちは晴れないようだ。
「今日一日私服でいなくちゃならないんだね」
「心配するな。すぐに直してやるよ」
「もしかしてあるの? ソーイングセット!」
「ああ」
リッガルトはパンパンにふくらんだバックパックをたたいた。まるで何でも出て来る魔法の袋だ。
「兄さん大好き!」
この時だけはリッガルトもうれしそうな顔をしていた。
兄の庇護下にあるテュテュリン・ディックルは、いつもリッガルトの後ろに隠れるようにして歩いている。おとなしくて頼りない感じの子だ。
兄と似ているのはパールグレイの瞳だけ。夢見るようなローズピンクの髪が女の子らしい。シャルロットの影に隠れて目立たないが、かわいらしい彼女にファンは多い。
付け加えると、不愉快なことにリッガルトの方にもファンはいるようだ。そでをまくって筋肉を見せびらかすように歩いているのだ。目立たないはずがない。
校舎に向かう生徒の間を舞うように歩いて行くシャルロットは、誰彼かまわず声をかけている。
陽気な彼女はすべてのひとに等しく光を降り注ぐ太陽のような存在だ。シャルロットの姿を見るだけで、声を聞くだけで、明るい気持ちになれるのは僕だけではないはずだ。
大輪の花のような少女の後ろ姿を見送っていると背中に視線を感じた。
振り返ると予想通りシェーファー兄弟がこっちを見ている。僕のボディガードでもあるふたりは片時も僕のそばを離れることはない。
学校にいても僕の安全が保障されることはないため同じ学校に通っている。もちろんクラスも同じだ。
「何だ」
ふたりをにらみつけてうなる。半分は照れ隠しだ。
「何でもありません」×2
声はそろっているが、エイムスはすまし顔、ライトナはニヤニヤ顔だ。
学校を休んでいる間に進級した僕は中等部の5年生になった。クラスはそのまま持ち上がりだから顔ぶれは変わらない。A組の教室はいつも通りにぎやかだ。
いや、いつも以上に騒々しい。窓際の前から2番目の席に女子生徒が集って騒いでいる。この僕が入って来たのにも気付かない。
誰なんだ。この僕をさしおいて女子の注目を集めているのは。まわりをすっかり取り囲まれていて中の人物の姿を見ることはできない。
シャルロットは――――自分の席で後の席のテュテュリンと笑いながら話をしている。窓際の前から2番目の席に特別な関心は持っていないようだ。
ホームルームの時間になってみんなが席に着いたところで、やっとその正体が明らかになった。
女子?かと思った。小柄で華奢な身体つきをしているがどうやら男子ようだ。自分でカットしたようなふぞろいの髪には寝ぐせがついている。きれいな空色をしてるのに台無しだ。
はじめて見る顔だが、転入生だろうか。
向こうもこちらに気付いたらしい。パープルの瞳で僕の顔を見たが、ニコリともせずに視線を戻してしまった。
なんだ、あいつ!! この僕を無視するなんて!
休憩時間になるといつものように僕のまわりには取り巻きの男子生徒が集まって来る。
シェーファー兄弟は学校での僕の行動には一切関与しない。目立たないように気を配りながら僕の安全を確保してくれる。
その安心感があるから僕は学校生活を満喫できているんだ。ふたりには感謝している。直接礼を言ったことはないけれど。
ところで、例の転入生は・・・・・・
また、女子生徒に取り囲まれている。不愉快だ。実に不愉快だ。2か月ぶりにこの僕が登校したというのに女子は誰も関心を示さないとは、ずいぶんと失礼な話じゃないか。
「あれは誰なんだ」
かたわらの取り巻きにきいてみる。
「ユーシス・ロイエリング。新学期が始まった日に転入してきたんです」
同い年なのに取り巻きの連中は僕と話すときは丁寧語を使う。別に僕がそうさせているわけではない。彼らが勝手にそうしているだけだ。
「転入生がめずらしくて集まっているということか」
ひとりで納得していると取り巻きたちは顔を見合わせて言葉をにごす。
「それだけじゃないですけど・・・・・・」
はっきりしない物言いはきらいだ。
「どういう意味だ?」
「そのう・・・・・・ かわいい顔をしてるから」
何を馬鹿なことを!
眉目秀麗というのはこの僕、セイスタリアス・コングラートのことだ。
栄養バランスのとれた食事と計算されたエクササイズによって培われた均整のとれた肉体。
専属エステシャンと美容師による手入れを毎日欠かさない、なめらかな肌とつやのあるヴァイオレットの髪。
とどめはお父様譲りの金色の瞳だ。光を受けると黄金に輝くこの瞳こそ帝王の証し。
これほどまでに完璧な美を体現している人間は他にはいない。
ユーシスは確かにかわいい。それは認めよう。
はかなげで頼りなげで触れたら消えてしまいそうな独特の雰囲気を持っている。それが女子生徒の乙女心とやらをくすぐるのかもしれない。
それでも、この僕には遥か遠くおよばない。
転入生は何もわかっていないようだから教えておいてやろう。この学園の頂点に君臨しているのが誰なのか。
僕が咳払いをすると転入生を取り囲む女子生徒たちは無言で道を開けた。この僕のために。
「やあ、ユーシス。キミとは初対面だから自己紹介をしておこう。僕はセイスタリアス・コングラート。
当然知っているだろうが、僕の父はコングラートコンツェルンの総帥で、このソアレス9を建造し管理しているC.Cフロンティア社はコングラートの傘下にある。
だから僕は、コングラートの人間として“9”で暮らすすべてのひとが快適な生活を送れることを望んでいる。その中にはユーシス、キミも含まれるんだよ」
素晴らしく端的にわかりやすく説明してやったのに、ユーシスはすっきりしない顔をしている。
「セイスタリアス? ・・・・・・セイスタリアス・・・コングラート?」
しばらく考え込んでいたが何かがひらめいたように顔を輝かせた。
「セイスタリアス・コングラート!!」
無礼な! 僕のフルネームを気安く叫ぶとは、
「ありがとう!」
今度は何だ。礼を言われるようなことをした覚えはない。大体、初対面じゃないか。
ユーシスは僕の手を握ってうれしそうにしているが、どうしてこうなっているのかさっぱりわからない。
「きちんと説明したまえ」
「お礼をいうようにって。フィルが」
ますますわからなくなる。
「フィル? フィルとは誰だ」
「フィヨドル・キャニング」
どこかで聞いたような名だが思い出せない。
「マッカラーズ基地で。知り合いだって」
脳裏に燃えるような真っ赤な髪をした下品な男の顔が浮かんだ。
お父様の命を受けて向かった辺境の島で少しばかり手を貸してもらったことがある人物だ。名前を聞かされるまですっかり忘れていた。できることなら思い出したくはなかった。
そう言えばその男、フィヨドル・キャニングから通信があった。ひと月以上も前のことだ。
通信チャンネルを教えた記憶はないのにどうやって調べたんだか。油断ならない男だ。
キャニングの用件は頼み事だった。
「ヒトひとりそっちに送るから審査なしで“9”に入れるように手配してくれ。
それから住む所と学校、それにアルバイトの世話を頼む。短時間でも金になるところがいい。お前には貸しがあるんだ。イヤとは言わせないぜ」
少しばかり手を借りただけでなんと横柄な態度だ。この手の人種はほんの少しでも甘い顔をしようものならヒルのように吸いついてくる。
僕は今回限りという約束で頼み事をきいてやることにした。これで縁が切れるのなら安いものだと考えたのだ。
キャニングからくわしい話を聞いて、実際に頼まれた用件の手配をしたのはシェーファー兄弟だ。だからすっかり忘れていた。
その世話をしてやった人物というのがユーシスだったということらしい。
審査なしで“9”に入りたいというからにはいわく付きなのだろうと考えていたが、この頼りなげな少年にどんないわくがあるというのか。想像がつかない。
「キミはあのキャニングの知り合いなのか」
「助手」
「助手?」
「仕事をてつだってた」
ユーシスの言葉に僕は驚いた。
「よくまあ、あんな下品で粗野な男の下で働いていられたものだな」
途端にユーシスの顔色が変わる。
「フィルを悪くいわないで!」
なにをムキになっているんだか。
「本当のことだ」
「そうだけど、そうだけど・・・・・・」
キャニングを弁護する言葉がない助手は目に涙を浮かべていた。
泣くなんてひきょうだ。こっちが悪いことをしたような気分になってしまう。
お父様は言っていた。“涙を武器や言いわけにしてはいけない。それはひきょう者のすることだ”だから僕はすぐに泣く女子がきらいだ。
でも、シャルロットは違う。僕はまだ彼女の涙を見たことはない。
そのシャルロットが自分の席からこっちを見ている。僕がユーシスを泣かしたと思っているのだろうか。だとしたら心外だ。
“僕は悪くない!”と叫びそうになるのをのみこんで教室をでる。この僕がそんなみっともないことをするわけにはいかない。
取り巻きの男子生徒がぞろぞろと後を付いてきて金魚のフンみたいだ。ひとりになりたい気分なのに気が利かない連中だ。