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ゲルリンガー少佐は初めからそのつもりだったのだ。準備はすでに整えられていた。
ルシオンの心臓にFODチップを埋め込むための手術に立ち会った少佐は、嬉々としていたことだろう。
1時間後、ストレッチャーにのせられて手術室から出てきたルシオンは、胸を押さえてうずくまっていた。
青ざめた顔は汗でぐっしょりぬれており、じっと痛みに耐えるように硬く目を閉じている。
これは一体どういうことだ! 麻酔が効いて眠っているはずだろ?
ストレッチャーの後に出て来た少佐は俺の顔を見てうっすらと笑う。
「悪いことをした子供にはお仕置きが必要です」
!!!
麻酔なしで手術したのかっ! 身体に穴を開けるんだぞ。 どうしてそんなむごいことができる!?
想像しただけで冷たい汗が出てきた。
俺はこの時ハベス・ベルリンガーという男の本質を知った。
ルシオンはこんな男に命を握られてしまったのか。もう...取り返しはつかない。この子の心臓にはFODチップが埋まっている。
運ばれて行くルシオンに付き添う俺は重いずた袋を引きずっているような気分だった。
一、どのような状況下においても、リトギルカ軍総司令部から発令された命令は全てにおいて優先される。
一、補佐すべき上官が任務を遂行できるよう、常に考慮して行動しなくてはならない。
一、任務上知りえた情報は些細なことでも一切口外してはならない。
俺は大佐殿の副官としてどう行動すべきか書かれた誓約書をめくっているところだ。
ルシオンの状態は安定しているがしばらく休ませる必要があるので、その間に目を通しておくよう指示されていた。
煙草を切らした俺は10分で飽きてしまい、20分で集中できなくなった。
もう一箱ポケットに入れておいたのに、なくなっているのはきっとティモシーの仕業だ。近頃、煙草の量が増えたと口うるさくなっていた。
「ウォスレイ、今手にしている煙草は今日20本目です」とか
「ウォスレイ、また煙草を買うのですか。家にはまだ3カートン残っています」とかいった具合に。
俺が耳を貸さないもんでついに実力行使ときたな。煙草がないと何も手に付かなくなるってのに。
よし。ルシオンの様子を見に行こう。副官として大佐殿の状況は常に把握しておくべきなんだろ。誓約書にもそう書いてあるじゃないか。
どうにもじっとしていられない俺は上手い言い訳を見つけて部屋を出た。
元々刑務所だった建物だ。空調が行き届いているとはとても言えない。照明も必要最低限のものしかない。
窓もなくよどんだ空気がたむろする薄暗い廊下を通って目的の部屋にたどり着く。
ドアが開かない。ロックされているんだ。
どうしてカギをかける必要があるんだ? ケガ人がひとり寝ているだけなのに。ルシオンが自分でかけたとは思えない。ということは他の誰かということになる。
誰が?
何のために?
胸騒ぎがする。憑依を使うか。ルシオン本人に憑依すれば無事を確認できる。
心を落ち着けて少年に意識を移す。。
―――――
何だ、この感触は? 不快感に悪寒が走る。
肌の上を生あたたかくざらついたものがはいまわっている。おおいかぶさった誰かが、俺=ルシオンの身体をなめまわしているのだ。
部屋の中は薄暗く逆光になっているため顔はわからない。
少年はベッドの上で何も身に付けていなかった。細い腕で懸命にその誰かを押しのけようとしているが、子供の力では無駄なあがきにしかならない。相手は大人のようだ。
なぜ特殊能力を使わない? 力さえあればこの不埒者を打ちのめすこともここから逃げることも簡単なはずだ。そうはできない状況にあるということか。
抵抗できないルシオンの代わりに思いっきり殴りとばしてやりたい。何もできないことがこんなにも腹立たしいのは久しぶりだ。
ポゼッションで憑依した相手を操ることはできないまでも、俺の力を貸してやることができればよかったんだ。叶わないことを願っているとますます腹が立ってきた。
くそっ! こいつは誰なんだ。
俺はそこにいる者の正体をつきとめようと五感をとぎ澄ます。
生き物のようにはいまわる舌が胸の上で止まり同じ箇所を丹念になめまわし始めた。強い痛みを感じる。恐らくそこからFODチップが挿入されたのだろう。
いくら脅威の回復力を持つ特殊能力者とはいえまだ1時間もたっていない。傷口はふさがり始めたばかりのはずだ。
「あうううっ!!」
ふいに胸に突きささる痛みを感じルシオンはうめき声をあげ、俺は口を押えた。
「痛みますか。これではどうです?」
この声! ゲルリンガー少佐!?
つううっっ!! さらに強い痛みを感じ少年と俺は歯を食いしばった。心臓へとつながる傷口に舌先を押しつけられ激痛に息が詰まって声も出ない。なんてことをしやがる!!
「無理しなくてもいいのですよ。好きなだけ泣き叫びなさい」
まちがいない。少佐だ。
俺の中で怒りと嫌悪感が爆発する。
まともじゃないとは思っていたがこれはただの悪癖ではすまされない。少年の幼い心と身体をもてあそんで快楽に浸る変質者だ。なぜこんな男が少佐なんだ!?
抵抗虚しくされるがままのルシオン。痛みを共有する俺よりも激しい怒りと憎しみを抱いていることだろう。
!!!!―――――!
突然、胸を貫き全身を走る激痛に襲われ、ポゼッションは切断された。
なんだ! 何が起こった?
ドアに寄りかかって廊下に座り込んでいる俺の身体は汗に濡れ激しく鼓動を打っている。この身体が傷つけられた訳ではないのに痛むような気がして胸をさすってみる。
この痛みを実際に味わったのはルシオンだ。大丈夫だろうか?
そんなわけあるか! 尋常な痛みじゃなかった。一体何をされた?
確かめるためにもう一度少年の身体に憑依してみるか。いや、ダメだ。あの状況でポゼッションを維持することは不可能だ。
もうひとつの方法を取るしかないのか。変質者に憑依するのは気がすすまないが仕方ない。
ゲルリンガー少佐に憑依すると少年の悲痛な叫び声が鼓膜を激しく震わせていた。
ルシオンは激痛からのがれようと必死にあがいているが、成人男性にのしかかられたのでは逃げられない。
少佐の目は悲鳴をあげもがき苦しんでいる少年の顔を見降ろしている。
左手は暴れるルシオンの身体をベッドに押しつけ、右手は――――
右手の人差し指は少年の胸に突き刺さっている! これがあの激痛の原因だったのか。
こじ開けた傷口をていねいに押し広げつつ突き立てた指をグリグリとねじ込んでいく。奥へ奥へ、より身体の深いところへと。
少佐の荒い息づかいが耳障りだ。熱を持ち汗ばんだ身体が不快だ。大きく激しい鼓動が忌々しい。
ついに指は根元までルシオンの身体の中に埋まってしまった。
それで満足したらしい少佐が指を引き抜くと、傷口からは鮮血が噴きだした。鋭い叫び声をあげ胸を押さえてうずくまる少年の下のシーツに真っ赤な色が広がっていく。
少佐はその様をながめながら、赤く塗られた爪の先から滴り落ちる雫を舌の先で受けじっくりと味わうように目を閉じた。
鉄の味と生臭い匂いをこの身体はおいしいと感じている。
急激に湧き起こる激しいのどの渇き。
少佐は自分の身体を抱きかかえるようにしているルシオンの腕の下に強引に頭をねじ込み、鮮血を噴きだしている傷口に唇をつけた。そして――――
なんてことだ!! こいつは狂っている!
のどを鳴らして生血を飲み始めたのだ!!
成長期真っ只中の身体からあふれる液体はどれだけ高価な酒よりも芳醇でエネルギーに満ちている。
細胞のひとつひとつが生き返るような感覚に酔いしれ、全身にいきわたらせようとむさぼり続ける。
少年の鼓動の音を聞きながら、心臓が収縮するたびに勢いよく噴きだし惜しげもなく与えられる命の液体に狂喜する。
ダメだ! この感覚に身を任せるな!!
これは少佐の、常軌を逸した男の狂った感覚だ。己の意思を強く持て!
――――っ!
引きはがすようにポゼッションを解いて自分の肉体に戻った俺は、異常な感覚を振り払おうと激しく頭を振った。
祭壇に捧げられた生贄をむさぼり喰らう悪魔のような少佐の行為を思い起し、あまりのおぞましさに吐き気が込み上げてくる。
一刻も早くルシオンを救いだすんだ!
我が身第一なら見てみぬ振りをすべきだし、これまではそうしてきた。
だが、この日の俺は色んなことがあり過ぎて冷静ではいられなかった。更に訳のわからない理由で昇任させられて頭にきていた。少佐に復讐してやりたい気持ちもあった。
あせる俺の目が壁の赤いランプに留まる。
建物全体がうなっているようなけたたましい警報の音が鳴り響いている。ロックされていたドアが開きゲルリンガー少佐が顔を出す。
「何事ですか」
少佐の声はいとわしげだ。
「わかりません(俺が警報器を作動させたんだよ!)」
俺はたった今かけつけてきたような芝居をしながら心の内で舌を出していた。そして、偶然少年の姿が目に入ったようなふりをして部屋の中に駆け込み、大声を張り上げる。
「大佐! どうしたんですか!!」
ポゼッションで見たとおり、ベッドの上には全裸のルシオンが血まみれでうずくまっていた。
「何があったんですか?!」
何も知らないという顔で少佐に詰め寄る。さあ、うまい言い訳をしてみろ!
「騒ぐのは止めなさい。傷口が開いただけです」
無理やりこじ開けたのはあんたじゃないか。その上あんなおぞましいことまで。“口のまわりが血で汚れていますよ”と言ってやりたいところだが我慢した。
些細な復讐のために大きなしっぺ返しをくらったんじゃ割に合わない。
それよりも手当てだ。すでに大量の血液を失っている少年の顔は蒼白だった。閉じかかったまぶたの奥の瞳は虚ろだ。
ルシオンは眠っている。なぶられた傷の手当てはすみ、奪われた血液を補うための輸血が続けられている。
今、部屋の中にいるのはふたりだけだ。あの後、ずっと俺は少年に付き添っている。せっかく救い出したんだ。もう少佐には渡さない。
ベッドのルシオンがうめき声をあげた。傷が痛むのかと思ったがそうではない。
「・・・・・・いや・・・だ・・・・・はなせ・・・・・・」
あんなむごい目にあわされて10歳の幼い心はどれほど深く傷ついたことだろう。悪夢にうなされるのも当然だ。
だが、ルシオンの悪夢は始まったばかりだ。少年を手の平にのせてもてあそぶ少佐が、次に何をするつもりなのか想像しただけで背筋が凍る。
せめて眠っているときぐらいは何もかも忘れられればいいいのに。
俺はルシオンの頭に手を当て銀色の髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜる。悪夢を追い払ってやろうと思ったんだ。
でたらめなまじないだが案外上手くいったようだ。すぐに落ち着いて深い眠りに落ちていった。
安心して眠れ。せめて今だけは・・・・・・