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―――――カッセーム
“召し上がれ”という意味の名を持つ店で提供されるのは料理だけじゃない。ここでは美少年と過ごす楽しいひと時も味わえるのだ。
スタッフ全員が男で客は好みのギャルソンを指名することができる。ギャルソンは給仕だけでなく会話やゲームで客を楽しませる。
そんな店でユーシスは働いていた。人気のギャルソンとして。
彼に養ってくれる親はいない。生活費と学費は自分で稼がなければならないのだ。
学校が終わってから閉店まで店休日以外休むことなく働いている。それでも、不平不満をもらすのを聞いたことはない。
元々口数が少ないせいかもしれないが、それにしたって遊びたい年頃だ。同い年の子供たちは親の庇護の元、スポーツに汗を流し恋に悩み、大いに青春を謳歌しているというのに。
ぐちのひとつやふたつこぼしたってよさそうなものだ。
実は俺もこの店で働いている。エアトン・ファイクスという名で。
上からの指示があったからだが、上官が憑依のことを知っていたならそんな命令は出さなかったことだろう。面倒だが能力のことは話せないから仕方ない。
やむなくカッセームに行って働かせて欲しいと頼んだ。筋骨たくましい店長はたくわえた口ひげをつまみながら俺をながめて一言。
「残念だわ」
何がだ?
「10歳若ければギャルソンになれたのに」
そういうことか。
「いいわよ、雇ってあ・げ・る。ちょうど人手が欲しいところだったし、あなたワタシの好みのタイプなのよねぇ。孤独な一匹狼って雰囲気が女心をくすぐるわぁ」
巨漢には不似合いな女言葉で色目を使われても困るんだが・・・・・・
こうして一抹の不安を覚えながらもカッセームで働くことになった。キッチンのヘルプから接客までなんでもこなす。要するに雑用係だ。
俺の目的はいうまでもなくユーシスの監視だ。監視とは見張ることでターゲットと親しくなる必要はない。必要はないのだが・・・なぜかなつかれてしまっている。
断っておくが俺はあくまで仕事上の付き合いしかしていない。雑用にギャルソンの身のまわりの世話も含まれていたのがまずかった。
まだ仕事に慣れておらず周囲とのコミュニケーションも上手く取れていないユーシスに、気を配って欲しいというのが店長の要望だった。
それをユーシスは親切にされていると勘違いしたらしい。
まぁ、そのおかげでわかったこともある。少年は相反するふたつの顔を持っていた。
大胆で物怖じしない反面、怖がりでなんでもないものにもおびえる。人見知りで自分から他人と関わろうとはしないが、一度心を許した者を疑うことはない。
おかげで情報を得やすくなって監視するのには便利だ。だが、親密になり過ぎると後々面倒なことになりそうな気がする。
どうしてユーシス・ロイエリングを監視しなければならないのか、その理由を俺は聞かされてはいない。
カッセーム開店の時刻だ。
入り口前に整列したギャルソン全員で客を迎え入れる。席は次々と埋まり一気に活気があふれる。
「よかった。ほんとーによかった・・・・・・」
巨漢の店長が店内のにぎわいをながめてしみじみとつぶやいた。気持ちはわからないでもない。
客足が遠のいて閑散とした店内は火が消えたように寒々としていた。
それはつい半月前のことだ。とんでもないことが、ソアレス9の住民にとっては天地がひっくり返ったような大事件が起きたのだ。
アビュースタの勢力圏内にある“9”が、我がリトギルカの属領となったのである。
我軍が多くの犠牲を払ってやっとのことで落としたアビュースタ軍要塞ミルネルモス。その要塞と交換という条件で“9”を手に入れたのだ。
捕虜の交換はよくあることだが、これは前代未聞の珍事と言える。
ミルネルモスは重要な戦略的拠点だ。それがリトギルカのものになれば戦況は我が軍に傾くことになる。
そうした事態を恐れたアビュースタが一も二もなく交換に応じたのはわからなくもない。
だが、リトギルカの行動はまったくふに落ちない。
アビュースタ圏海域のふところ深くに位置するソアレス9に、戦略的価値などまったくないのだ。
内海の島をひとつ手に入れても、本国からの物資が届くはずもなく援軍もない。周辺の島を襲撃しようものなら袋叩きに合うだけだ。
そんなものを欲しがるリトギルカ軍は気が狂ったのかとあらゆる方面から非難されもした。それでも、皆を納得させる説明のないまま今日にいたっている。
軍上層部は何かを隠している。そんなうわさもたっていた。
取引は“9”住民のあずかり知らぬところで行われ、アビュースタ政府から相談を持ちかけられるどころか通告すらなかったらしい。
アビュースタを守るためという大義名分のためにあっさり見捨てられたのだ。政財界の要人の関係者も多く住んでいるというのに。
深夜、住民が寝静まっているうちに押し寄せたリトギルカの進駐軍は、夜が明ける前には“9”のすべてを掌握していた。
朝になって自分たちを取り巻く状況が180度ひっくり返っていることに気付いた住民は、驚きうろたえ次に怒り悲しんだ。だが、“9”に軍備といえるものはない。
そのため、いたるところで起きた暴動はすぐに鎮圧され大きな反乱に発展することはなかった。
やがて住民は無力感と絶望感に打ちひしがれ、この状況を待っていた進駐軍は日常を取り戻すようにと訴えた。
すでに街中に配置されていた装甲車や兵士は人目につかない場所に移動しており、まるで以前と同じ“9”に戻ったかのような錯覚を人々に起こさせた。
ひとつだけ違っていたのは“9”から出られないということだけだ。
進駐軍は住民を刺激しないよう細心の注意を払っていたし、リトギルカの支配下にあるという事実にだけ目をつぶっていれば、これまで通りの生活を送ることができた。
人々は偽物の平和に甘んじることを選んだ。
にぎわいを取り戻したカッセームは以前よりも客足が伸びている。明日にはどうなるかわからないという不安から、今を楽しもうとする心理が強くなっているのだろう。
見渡すと満席かと思われた店内に空席がある。店の入り口では数人の客が順番待ちをしているというのにだ。
「奥の席が空いてますよ」
ギャルソンたちにあれこれ指図している店長に声をかけると、巨漢はひげをつまんで不快そうに顔をゆがめた。
「大きい声じゃ言えないけど予約席なのよ」
「予約は取らないんじゃなかったんですか?」
そんなことを店長が話していた記憶がある。
「きっぱりとお断りしたのよ。うちはお客様に公平を期すため予約は受け付けていませんって。そうしたらなんて言ったと思う?
こんなことで閉店という憂き目にはあいたくないでしょうですって!
キィ――ッ!! くやしいぃいいい!」
言葉使いや仕草はおいといて、この筋骨たくましい店長相手に無理を押し通すとは一体何者なのだろう。
予約席の客が現れたのは閉店間際の時刻だった。ギャルソンは帰り支度を始めていた。
ユーシスにも「はやく帰れ」と言ったのだが、「明日は学校が休みだから」と俺たち裏方の仕事を手伝ってくれていた。
ユーシスとフロアの食器を下げていると思いがけない人物が入って来た。ふたり連れの男は俺の知っている顔だったのだ。
これは一体どういうことだ?!
その人物こそ俺にユーシスの監視を命じた人物、ハベス・ゲルリンガー少佐とその副官だった。
少佐は人間性を感じさせないガラス玉のような目をした中年男で、貧血なのか薄い唇はいつも紫色をしている。
軍人らしからぬ長い爪には真っ赤なマニキュアが塗られており、常にヤスリでみがいているためカミソリのようにとがっている。触れたものは何でも切り裂いてしまいそうだ。
にこやかに予約客を迎え入れた店長がユーシスを呼んでいる。少佐はギャルソンも予約していたらしい。
突然、耳障りな音が店内に響いた。
原因はユーシスの足下に散らばっている割れた食器だ。空になったトレーを持つ手が震えている。
「まあ! どうしちゃったの? お客様をお待たせしてはダメでしょう」
店長が野太い声でたしなめるが聞こえていない。ユーシスの大きく見開かれた目は少佐に釘付けだ。
「申し訳ございません。すぐに連れて参りますので少々お待ちください」
「それには及びません」
ユーシスを迎えに行こうとする店長をとどめて少佐自ら少年に歩み寄る。
「やあ、ルシオン。久しぶりですね。今はユーシスと名乗っているのですか。ずいぶんと探しましたよ」
ルシオンというのはユーシスの本当の名だ。つまり、ユーシス・ロイエリングは偽名なのだ。
ユーシスはまばたきもせずに少佐の顔を見つめている。身体の自由を奪われて目を反らすこともでないようだ。凍り付いた顔が恐怖の激しさを物語っている。
なぜ?
確かに少佐には人を威圧する雰囲気がある。だが、ひと目見ただけでこんなに動揺するのは異常だ。
「そんなに怖がる必要はありません。今日は食事がてら君に会いに来ただけです」
少佐は指先でユーシスのほおをなでた。その仕草はかわいがっているペットを愛でるときのものだが、なんだろう。この不快感は。
魂をざらついた舌先でなめているような・・・・・・
真っ青になったユーシスは今にも倒れそうだ。
見てはいられずそばに寄り声をかける。
「大丈夫か」
俺が肩に手を置いた途端、金縛りが解けたようにユーシスはその場に座り込んでしまった。どれだけ緊張していたんだか。
少佐はたった今存在に気付いたというように俺に目を向けた。
「彼を家まで送ってあげなさい。もう仕事にはならないでしょうから」
いやらしい男だ。満足げな笑みを浮かべている。自分の姿を見ただけでユーシスが激しく動揺したことがそんなにうれしいのか。
「承知しました」
不快感を顔にださないようにあくまで客の応対をする店員として振舞う。まだ、アビュースタ人に素性を知られる訳にはいかない。
俺はユーシスを助け起こし抱きかかえるようにして歩き出す。
「学校は楽しいですか」
少佐の言葉がユーシスの背中に追い打ちをかける。
「友達が大勢できてよかった。セイスタリアス・コングラート、シャルロット・リデルハーツ、ディックル兄妹、この4人とは特に親しいようですね」
ユーシスの身体がピクンと震えた。わざわざ友人の名前をあげ連ねた少佐の顔には“お前のことなら何でも知っている”と書いてある。
「明日、迎えをやりましょう。今度は君の方から私に会いに来なさい」
これは命令だ。来なければ友人が不運に見舞われると脅迫しているのだ。
少佐がご執心らしいこの少年は何者なのだろう。
俺はユーシスの全てを知っている訳ではなかった。