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◇◇◇◇
こんな事は初めてだった。
特殊能力が使えない。
呼吸をするように自然に使えていた力が、突然使えなくなったことは恐怖でしかなかった。
理由はわからない。どうしたらいいかもわからない。ルシオンは恐怖から逃げるように走り続けた。
だが、大きすぎる燕尾服を着ているので思うように走れない。ついに追いついたリッガルトに服をつかまれてしまった。燕尾服を脱ぎ捨てて狭い路地に逃げ込む。
「あっ、こら! 待て!!」
迷路のような路地を走りまわっていればそう簡単には捕まらない。だが、逃げ切ることもできない。それでも、ルシオンにあきらめるという選択肢はなかった。
(こわい! こわい!! こわい!!!)
どこに向かうでもなくやみくもに逃げ続けるルシオンの後を追うディックル兄妹。テュテュリンの体力は限界に近付いていた。
これ以上鬼ごっこを続けることはできないと判断したリッガルトが妹に合図を送る。
ルシオンがちらりと振り返るとふたりはまだしつこく後を追ってきている。
その瞬間、何かにたたきつけられたような衝撃を全身に受けて意識が途切れた。
すっかり冷静さを失ったルシオンは後方にばかり気を取られていたため、前方にシールドが展開されている事に気付かなかったのだ。
罠を仕掛けたのはリッガルトだった。
彼はテュテュリンのとなりにいたはずだ。少なくともルシオンはそう認識していた。
だが、実際には先まわりしていてそこにはいなかったのだ。テュテュリンの横で走っていたのは彼女が作りだした幻影だった。
「場所を変えるぞ」
ルシオンを抱えたリッガルトとテュテュリンがテレポートアウトしたのは“テオフィニアの丘”だった。次から次へと花をつけるテオフィニアは今も雪のように咲き誇っている。
ふたりは地面に寝かせた少年の顔を改めてのぞきこんだ。銀色の長い髪が印象的なその子のことは知っている。
だが、こんなに近くで見るのは初めてだ。子供だとは思えないほど整った顔立ちをしている。
「やっぱりルシオンくんだよ。シャルロットが時々この丘で会っていた・・・・・・」
ディックル兄妹はシャルロットの行動のすべてを把握していた。
特に彼女と接触を持つ者については厳しく目を光らせている。彼女を守るためには必要なことだ。
だからといってシャルロットに窮屈なおもいをさせたくはないから、できるだけ離れた場所から見守るように心がけていた。
そのため少年のことは知っているが直接顔を合わせたことはなく、シャルロットに害を為すことのないただの話し相手という認識しか持ち合わせていなかった。
「特殊能力者だなんてちっとも気付かなかった」
テュテュリンが感心したようにつぶやくと、リッガルトは腹立たしげに吐き捨てる。
「さっきの手品には本当にタネも仕掛けもなかったってことか」
見破れなかった自分に腹をたてているのだ。
「どうしてユーシスのふりをしていたのかな?」
テュテュリンの中で疑問がふくらんでいく。それはリッガルトも同じだった。
「本人にきいてみればいいさ」
テュテュリンがルシオンのひたいに手を当てる。その手がオレンジ色に光ると少年は身じろぎして目を覚ました。
青緑の瞳にディックル兄妹の顔をとらえたルシオンはあわててはね起きようとするが、リッガルトに胸を押えつけられ起き上がることができない。
力を入れているようには見えないのに微動だにしないのだ。
「鬼ごっこはもうごめんだからな。おとなしくしてろ」
「兄さんったら、子供相手にすごまないでよ」
テュテュリンに助け起こされたルシオンは逃げることをあきらめた。逃げたところでどうなるものでもない。どうせ明日になれば学校で顔を合わせることになるのだから。
「なんでこんなことをした? 正直にしゃべらないと・・・・・・」
リッガルトが高圧的な態度で少年に迫る。
「こわがらせないでってば。警戒させてどうするの」
テュテュリンの言う通りだった。少年は無表情は何事にも動揺しないと覚悟した最大限の警戒だ。ここは任せた方がよさそうだ。
「ひどいことはしないから安心して。最初に確認しておきたいんだけど、キミ、ルシオンくんだよね?」
やさしく語りかけるテュテュリンに少年は小さくうなずいた。
「偽名じゃないだろうな」
リッガルトに疑いの眼差しを向けられ少年は身体を固くする。
「もうっ! 兄さんは黙ってて」
強権的な尋問者は後ろに追いやられてしまった。
「じゃあ、ルシオンくん。話してくれる? どうしてユーシスになりすましていたの」
少年がどう説明したものか考えあぐねていると、リッガルトがあごの先をさすりながら彼なりの推測を披露し始める。
「こういうことじゃないのか。あのとき、ユーシスに見えていたこいつに偶然シャルロットが触れて不能が発動した。
それで、こいつが使っていたなんらかのヴァイオスが使用不能になって正体がバレた」
「いなびりてぃ?」
ルシオンは聞き慣れない言葉に小首をかしげた。
「イナビリティっていうのはね、さわった相手のヴァイオスを一時的に使えなくするの。シャルロットしか持ってないすっごくめずらしい能力なんだよ」
「テュテュリン! しゃべり過ぎだ」
兄に怒鳴られた妹は首を引っ込めた。
「どんな力を使ったんだ。幻覚か、催眠か」
リッガルトはふたつのヴァイオスのうちのいずれかで、ルシオンをユーシスと誤って認識させられていたのだと考えていた。
ところが、ルシオンの口から発せられた言葉はそのどちらでもなかった。
「・・・・・・変身」
今度はディックル兄妹が首をかしげる番だった。
「・・・・・・なんなの、それ。どういうの?」
「姿をすきにかえられる」
そうは言われてもそんなヴァイオスがあるとは聞いたこともないし、にわかには信じられない。
「好きに。それじゃわたしになることもできるの?
シャルロットにさわられたのが一瞬なら、もう力は戻ってるはずだよ」
好奇心全開のテュテュリンは目で訴えかける。
ルシオンはうなずいて立ち上がり目を閉じた。脳裏に焼き付けた少女の姿を思い描く。
身体が白い光に包まれ、まぶしくて正視できないほどになる。すぐに光は薄れ消えてしまうがその時にはもう銀色の髪の少年の姿はなかった。
代わりにそこに立っていたのは白いシャツを着たテュテュリンだった。
「・・・・・・わたしだ」
テュテュリンは呆然ともうひとりの自分を見つめ、リッガルトは声もなくふたりのテュテュリンを代わるがわるながめている。これでは信じるしかない。
「おまえもめずらしいヴァイオスの持ち主らしいな」
メタモルフォーゼを目の当たりにしたときの反応はみんな一緒だ。しかし、全身に浴びせられる好奇の視線に慣れることはない。居心地の悪いルシオンはすぐに元の姿に戻った。
「その力でユーシスになっていたんだね」
「おまえとユーシスはどういう関係なんだ」
「ユーシスはこのことを知っているの?」
浴びせかけられる質問にルシオンは口を閉ざすしかなかった。真実を知ったらどんな顔をするだろう。そう考えたら怖くて話せない。
「黙ってないで答えろよ!」
いら立ったリッガルトはルシオンの肩をつかんで激しく揺さぶるが、少年はますます固く口を結んでしまう。
「兄さん、落ち着いて! それじゃますます話してくれなくなるでしょ」
妹になだめられてとりあえず手は放したもののリッガルトのいら立ちは治まらない。ルシオンからはかたくなに拒絶しようとする態度がありありと見て取れる。
「こいつが素直の口を割るもんか」
『テュテュリン、こいつの心が読めるか』
『それが・・・・・・さっきから試してるけど何も読み取れないの』
『やっぱりか』
『兄さんもダメなんだね』
ルシオンに聞かれないよう感応で言葉を交わした兄妹は顔を見合わせた。
読心のブロックは訓練されたヴァイオーサーなら誰でも会得しているものだが、こんな子供がここまで完璧にブロックできるというのは予想外だ。ふたりは少年に視線を戻す。
『メタモルフォーゼといい、この子、もしかしたらすごいヴァイオーサーなのかも』
『だとしたらこんな所で何してるんだ? 強い力があるならアカデミースクールにいるはずだろ』
『わたしたちもひとのこと言えないけどね』
「おまえ・・・・・・ 何者だ」
リッガルトにえぐるような鋭い視線を射こまれたルシオンは唇を固く結んでいる。
だが、心の内ではおびえていた。秘密を暴かれてしまったらもうここにはいられない。また、大好きな人達と別れることになってしまう。さよならは嫌いだ。
絶対にしゃべるものかと書いてあるような少年の顔をみてテュテュリンは溜息をついた。
「シャルロット・・・・・・どうしてるかな。今ごろひとりで泣いてるかもね」
その名にルシオンの瞳が揺れたのをテュテュリンは見逃さなかった。追い打ちをかけるようにたたみかける。
「今夜ね、シャルロットはユーシスに大切な話をするつもりだったんだよ。だから勇気を振り絞って、あんなにおしゃれして、ユーシスに会いにきたのに。
こんなことになってすごくショックだったろうな」
ゆっくりと語りかけるテュテュリンの言葉にも少年の無表情は崩れない。だが、瞳は揺らいでいる。
「ちゃんと説明してあげて。シャルロットが納得できるように」
あくまでもシャルロットのためであることを強調するが、この場で一番話を聞きたがっているのはもちろんディックル兄妹だ。
妹の意図を汲み取ったリッガルトがさらにルシオンを追い詰める。
「シャルロットをだまして傷付けたんだ。どうしてこんなことをしたのか打ち明けて、きちんと謝れ」
ついにたまりかねたルシオンが口を開いた。
「・・・ごめんなさい・・・・・・」
小さくなってうなだれている少年に悪意があるようには見えない。
「どうしてこんなことをしたの?」
再び口を閉ざしてしまうルシオンは迷っているようだ。
「おいおい! まただんまりか?」
リッガルトはまたぞろイライラを募らせている。テュテュリンは少年の説得を中断して兄をなだめなければならなくなった。
(まったく手のかかるひとだこと)
『兄さんてば。シャルロットのこととなるとどうしてそんなに感情的になるの? 冷静になってよ。あとひと押しなんだから』
テレパシーで痛いところを突き、ぐうの音もでないようにしておいてから、兄の言いたいことを代弁する。幾重にもオブラートに包んで。
「話してくれるよね。キミが何者かもわからないままじゃ、シャルロットに近づけさせるわけにはいかないよ」
すがるような目をした少年にテュテュリンはやさしくはっきりと問いかける。
「どうしてユーシスになりすましたりしたの? ユーシスとはどうゆう関係なの?」
少年は強張った顔で長いことためらっていた。テュテュリンは今にも爆発しそうなリッガルトを視線で押さえているがそう長くはもちそうにない。
「・・・・・・いない」
やっと聞きとれるかどうかのとても小さな声だった。あきらめて自白を始めたルシオンの言葉にふたりは聞き耳を立てる。
「・・・・・・ユーシスなんて・・・・・・いない」
「えっ???」×2
ディックル兄妹はそろって訳がわからないという顔をしている。
「ユーシスはぼくだから」
!!!!!!
ユーシス・ロイエリングは実在しない。
ルシオン少年がメタモルフォーゼという聞いたこともないヴァイオスを使って姿を変え、ユーシスとして振舞っていただけだった。
幻となってしまったユーシス・・・・・・
シャルロットはどれだけ傷つき落胆することだろう。リッガルトは彼女の気持ちを思って心を痛めながらも、どこかでほっとしている自分を感じていた。