3-1
「セス。セスってば。ちゃんと聞いてる?」
もちろんさ。キミの声に聞きほれていたんだから。シャルロットから親しみを込めて“セス”と呼ばれるのは心地いい。
「そんなことはセスに任せちまえよ」
リッガルトにその名で呼ばれるのは心地悪い。
「おまえなら一流の素材を格安で手に入れられるだろ?」
この僕をおまえ呼ばわりするとは! そんな無礼な人間はあの赤い髪の男以来だ。
何が気に入らないのか、リッガルト・ディックルは相変わらず不機嫌な顔をしている。
こんな男はシャルロットの友人にはふさわしくない。親友のテュテュリンの兄だからといっても図々しいにもほどがある。
それなのに、そんな男さえもシャルロットは受け入れてしまっている。
シャルロットは誰にとっても太陽だ。付き合う人間を選り好みしない。太陽がすべてのものに分けへだてなく光を降り注ぐように。
ついこの間まで、“セス”という愛称を使ってもいいのは僕の両親とユーシスの3人だけだった。それが今ではクラスの全員がそう呼ぶようになっている。
きっかけはシャルロットだった。
ユーシスが僕を“セス”と呼んでいるのを耳にした彼女が、「わたしも“セス”って呼んでもいい?」とたずねてきたので当然のごとくOKした。
するとディックル兄妹も彼女にならって“セス”と呼ぶようになり、それがいつの間にかクラス中に広まって教師までもがそう呼ぶようになっていた。
最初は戸惑いもしたがそう悪い気はしない。僕とクラスメイトの間にあった壁が取り除かれたような、本当の意味でクラスの一員になれたような、そんな気がしたからだ。
これまでの僕は5年A組の一員というよりはお客様だった。
皆が僕を特別扱いし(もちろん、シャルロットとユーシスを除いて)それが当然のことだと思っていた。僕は特別な存在なのだと。
それが窮屈で寂しいことだと気付いたのは、みんなから“セス”と呼ばれるようになってからだ。
皆と同じ地面に足を着けることがこんなに心地よいことだとは知らなかった。こうなってみてはじめて学園生活を心から楽しめているような気がする。
今、毎日が楽しくて仕方ない。
あの暴漢事件を境に取り巻きたちと距離を置くようにしたことも幸いしたようだ。他の生徒たちと接する機会が増え、話しかけられることも多くなった。
昼休みはポルッカの木の下でユーシスとシャルロット、それにディックル兄妹とすごすようになり、専用ラウンジにこもることはなくなった。
とても解放的な気分だ。僕の世界は広くて自由なものになった。
12月になるとこれまで一度も経験したことのない委員にも選ばれた。
各クラスで男女1名ずつ選出される学園祭の実行委員だ。男子は僕、そして女子はシャルロットが満場一致で選出されたのだ。
毎年各クラスではホールで発表する演芸と、教室での展示か販売を企画することが義務付けられている。
今年の5年A組の演芸はミュージカル、販売はスイーツショップに決まっている。今はスイーツの材料をどこで調達するかを話し合っているところだ。
放課後の教室でシャルロットとふたりきりになれるはずだったのに、なぜか今、4人でひたいを寄せ合っている。
僕の前にはシャルロットが座っていて、シャルロットのとなりにはテュテュリンが、そして、僕のとなりにはリッガルトが座っている。
シャルロットの親友であるテュテュリンが同席するのは許可しよう。
だが、リッガルトの同席は納得できない。そもそもリッガルトはこのクラスの生徒ではないし、学年からして違う。
考えてみると、この3人はいつも一緒だ。シャルロットがひとりでいるところは見たことがない。
話し合いは次の議題に入った。
ミュージカルのヒロインを誰にするか。
脚本は作家志望のクラスメイトが書いたオリジナルだ。近い将来、作家ウィレミナ・プリンスルーの名を世界中が知るだろうと僕は考えている。
音響、照明、大道具などの係りもすでに決まっていて、配役表で空欄が残っているのはヒロインのマリアンヌ嬢だけだ。
シャルロットにこそヒロインの役はふさわしい。
ところが実行委員は他の仕事を兼任できないというルールがある。誰がそんなくだらないルールを作ったのか。この僕にならルールを変えさせることぐらい簡単だ。
だが、それをやったらシャルロットにきらわれるような気がしてやめておいた。
クラスの女子の大半はスイーツショップに取られてしまっているし、選り好みしてはいられない。
片っ端から声をかけているのだが断り続けられていた。ヒロインのプレッシャーに圧されて皆尻込みしてしまうのだ。
テュテュリンがおずおずと口を開く。
「あのぉ。そういうことなら○○○○はどうかな」
僕たちは顔を見合わせた。シャルロットはアップルグリーンの瞳を悪戯っぽく輝かせ、リッガルトは皮肉っぽい薄ら笑いを浮かべている。
自分の顔は見えないけれど愉快そうに笑っているずだ。
それは名案だ!
きっと楽しいことに、もとい、立派なマリアンヌ嬢になることだろう。
次の日の朝、僕たち4人はいつもより早目に登校して教室に集まっていた。
「おはよう」
登校してきたユーシスを見て僕たち4人は合図を送り合う。
「おはよう!」×4
笑顔で迎え入れて作戦開始だ。
ディックル兄妹が両側からユーシスをはさみ、腕をがっしりとつかんでイスに座らせる。シャルロットが素早く化粧をほどこし、僕が巻き毛のウイッグをかぶせる。
!!! これはっ!
想像以上の仕上がりに声もない。登校してきた生徒たちも騒ぎだす。
「やだー! すっごい美人!!!」
「自信なくすなぁ」
「ヤバいかも」
「オレも。マジでほれそう」
僕は高らかに宣言する。
「マリアンヌ嬢役はユーシスに決定だ」
拍手が沸き起こり満場一致でヒロインは確定した。これを見て異論を唱える者などいるずがない。
「ぼくは男だよ」
ユーシスが抗議の声をあげたところでテュテュリンが手鏡を渡す。鏡をのぞき込んだユーシスは目を丸くしたまましばらく動かなかった。
それはそうだろう。元々かわいい顔をしていたとはいえここまでの美人に変身するとは予想以上だ。小柄で華奢な身体つきをしているしドレス姿も様になることだろう。
「これを見てもまだそんなことが言えるのかね」
僕のいじわるなセリフにユーシスはか細い声でつぶやく。
「ぼくは男だよ」
その日からユーシスの昼寝の時間はなくなった。
昼休みはランチがすむとすぐにミュージカルの稽古に取りかかる。学校が引けるとすぐにアルバイト先に直行するユーシスにとれる時間は昼休みだけだ。
時間がほしいからと言って仕事を休ませるわけにはいかない。彼はアルバイトの収入だけで生計を立てているのだ。
ローゼンストック学園は名門だ。生徒のアルバイトは禁止されている。ただし、特別な事情がある場合は例外だ。身よりのないユーシスはその例外だった。
稽古は基本的なところから始めなければならない。まずは発声練習から。
3か月なんてあっという間だ。その短い期間でどこまで完成度の高いものに仕上げることができるか、実行委員である僕とシャルロットの腕の見せ所だ。
やるからには最高のものを。僕の辞書に妥協などという言葉は存在しない。
狙うはローゼンストック賞。生徒と教師、それに来客の投票で決まる、最も人気の高かった出し物に与えられる賞だ。
今回はシェーファー兄弟の助けは借りず自分の力だけでやりとげるつもりだ。
僕はお父様からどんなに困難な仕事を任されたときよりも、熱いものが胸の内で燃え上がっているのを感じていた。
ドアベルが鳴った。メイドの先まわりをしてドアを開け来客を迎え入れる。
「いらっしゃい。よく来てくれたね」
ちょっと近所の公園に遊びにきたといった格好のユーシスは、ものめずらしそうに周囲を見まわしている。
「大きな家だね。セスの家ってお金持ちなの?」
今さら何を言っているのやら。そんなラフな格好で我家を訪れたのはキミがはじめてだ。
「さあ、入りたまえ」
屋敷の中はピカピカに磨きあげられている。頼みもしないのに使用人たちはいつもより念入りに掃除をし、身なりを整えて客人を出迎えた。
今日はユーシスを我家に招待したのだ。ミュージカルの稽古に明け暮れるユーシスに息抜きは必要だったし、紹介したいひともいた。僕のお母様、ラトリカーティ・コングラートだ。
こんな風に誰かにお母様を紹介したいと思ったのははじめてのことだ。
お母様のことは大好きだけれど恥じてもいた。だから、憐れんだり蔑んだりした目でお母様を見るような連中に会わせたりはしない。
でも、ユーシスなら決してそんな目で見たりしないという確信が持てた。それにふたりは気が合いそうだ。
ちょうど、午後のティータイムになるところだ。
メイドに連れられてリビングにやってきたお母様ははじめての来客に興味津々だ。ユーシスのまわりを一周して顔をのぞきこみ小首をかしげる。
「だあれ?」
「ユーシス」
「ユースス?」
こくりとうなずくユーシス。
お母様の言い間違いを気にしないところは彼らしい。ユーシスは多くを語らないから足りない言葉を足してやる。
「僕の大切な友達です」
トモダチ、ともだち、友達・・・・・・ なんて素晴らしい響きだろう。友達という言葉を口にすると胸が高鳴る。
「セスのともだち?」
「そうですよ」
何を思ったのかお母様は突然ユーシスのほおにキスをした。これには僕も驚いた。こんなことははじめてだ。よほどユーシスを気に入ったのだろう。
ユーシスは、、、さすがに驚いたようだが不快な顔はしていない。ほっと胸をなで下ろす。
「さあ、お母様もユーシスも席についてください。お茶にしますよ」
特別な客人のために用意した特別なスイーツを目にしたなら、移り気なお母様の興味はそっちに移るだろうと思ったがそうはならなかった。
お母様は自らイスを引いてユーシスを座らせると、となりのイスを彼の横に引き寄せて座った。
そして、スイーツスタンドに盛られた色とりどりのケーキを取り分け、あれもこれもとユーシスの皿にのせていく。見る間にケーキの山ができる。
これでは見てくれも何もあったもんじゃない。繊細な細工のケーキが台無しだ。
「お母様、もう充分です。いくらユーシスでも食べきれませんよ」
助けたつもりなのに僕を見るユーシスの目は恨めしそうだ。まだ足りないとでも言うつもりなのか。どれだけ甘いものが好きなんだ?!
「おかわりならたくさん用意してあるから、よく味わって食してくれたまえ」
「ん!」
返事はいいが早速大口開けていっぺんに3種のケーキをほおばっている。あれじゃひとつひとつの味なんてわからないだろうに。
それでもおいしそうに食べているからよしとしてやろう。見ているこっちの口の中まで甘くなってきた。
「客人とは珍しいな」
ここにはいないはずのひとの声に振り返ると
「お父様! いつお帰りになったのですか?」
お父様は立ち上がった僕に“そのままで”と合図をするが、お母様にそんなことは関係ない。
「アレー!!!」
ひと言叫んでかけ寄りお父様に飛び付いた。お母様はお父様をアレーと呼ぶ。
お父様が何の連絡もなく突然帰ってきて僕たちを驚かすのも、お母様が久しぶりに会うお父様にあいさつもなく抱きつくのも毎度のことだ。
「たった今帰り着いたところだよ。カティは変わりないようだな。顔中クリームだらけなのもいつも通りだ」
お母様ったら、お父様の服に顔をこすりつけてクリームを拭き取っている。それなのにお父様はいやな顔をするどころかうれしそうにお母様の暴挙を許している。
これもいつものことだ。
ふたりは....本当に仲がいい。夫婦というよりは父親と幼い娘のような関係ではあるけれど。
「セス。そちらの客人を紹介してもらえるかな」
お父様はユーシスを見ている。僕の胸の中は誇らしい気持ちでいっぱいだ。
「ユーシス・ロイエリング。僕の友人です」
立ち上がったユーシスのほほにもクリームがついていた。きっとお父様なら気にしない。
「私はアレクサンドル・コングラート。セイスタリアスの父親だ」
お父様はどんなときでも堂々としていて威厳があるけれど、他人を威圧するようなものではない。ひとを安心させるような大きさと広さ、ふところの深さがあるのだ。
「よろしく頼むよ。ユーシス君」
差し出された手を握ったユーシスはその手からお父様の偉大さを感じ取っているはずだ。
「どうやら君は特別な友人のようだね」
「他の連中とは違います」
お父様はユーシスと話しているのについ口をはさんでしまった。
「本当の友達です。親友に・・・なりたいと思っています」
これは僕の考えだ。ユーシスはどう思っているのだろう? ちらりと見やるとユーシスと目が合った。
「セスはぼくが死ぬまでずっと友達でいてくれるの?」
「なぜそうなる」
「親友って、一生の友達ってことでしょ?」
そういうことか。それなら
「僕たちは一生友達だ」
胸を反らす僕にお父様が微笑みかける。
「おめでとう、セス。君たちはすでに親友だ」
お茶の後、僕たち4人は庭にでた。カティの庭と名付けられたその場所は“9”にあるどの公園よりもずっと広くて美しい庭園だ。一年中花が絶えることはない。
大きな木に吊り下げられたブランコはお母様のお気に入りだ。いつもなら庭にでると一目散にブランコに向かって走っていくのだが、今日はユーシスをお共に花摘みに夢中だ。
ユーシスはお母様のことをどう思っているのだろう。
ごく自然に打ち解けているように見えるけれど。似た者同士のふたりにはなにか通じ合うものがあるのかもしれない。
ほら、今ではもうずっと以前からお互いのことを知っていたかのようだ。
「アレー! セス!」
手をつないでかけてきたふたりの頭の上には花の冠がのっている。
「みてみてっ!!」
見せびらかすようにその場でくるりとまわるお母様にならって、ユーシスも同じようにまわって見せる。
「ふたりともよく似合っているよ」
お父様の言うとおりだ。美しいふたりはまるで花の妖精のようだ。
「僕も欲しいな」
仲間に入れて欲しくてそんな言葉がもれてしまった。ふたりがあんまり仲がいいものだからちょっぴり寂しくなっていたのかもしれない。
「私にも頼むよ」
あれ? もしかするとお父様も僕と同じ気持ちなのかな。
「いいよ。セスにもアレーにもつくってあげる。いこ、ユース!」
ユーシスの名前はひっ縮められてしまったらしい。
早速僕たちのおねだりにこたえようと冠作りに取りかかったふたりは、夢中で花を摘んでいる。
花選びに時間がかかっているのは僕とお父様に似合う花を探しているからだろうか。異なる色合いのふたつの花冠が少しずつ編まれていく。
「はじめて出合ったときもカティは花を編んでいたよ」
突然の思い出話。お父様とお母様がどうして結婚したのか、そのわけをたずねたことは一度もない。
お母様のことは大好きだけれど、わざわざ3歳児程度の知能しかないひとを妻にしたお父様の真意は僕にはわからなかった。
お母様の実家は永年続いている名門の家柄だ。そしてコングラートコンツェルンはひいお祖父さまのちっぽけな雑貨店がはじまりだった。
その辺りに理由があるのではないかといううわさは僕の耳にも届いていた。
だから、、、きけなかった。
「その頃の私は人間不信におちいっていてね、誰にも心を許すことができなくなっていた。おまえになら理解できるのではないかな」
僕は無言でうなずいた。コングラートの地位と名誉と権力、そして財力に群がる亡者共。
このひとだけは違う、僕自身を好きでいてくれるのだと信じていたひとに垣間見てしまった欲と打算。裏切られたと傷付き距離を置くようになる。
そんなことを繰り返し、心を許せる者はどんどん減っていってしまう。広い世界にひとりぼっちになってしまうのではないかという恐怖と孤独感。。
これは僕の経験だがお父様にも似たようなことがあったのだろうと想像するのは簡単だ。
お父様は話を続ける。
「そんなときだった。父に連れられてファーデンハイム家を訪れたのは」
ファーデンハイムはお母様の旧姓だ。
「庭でカティを見かけてずっとながめていたんだ。彼女は花を編むのに夢中で私に気付いたのは花冠が出来上がってからだった。
やっと顔をあげた彼女と目が合うと私の所にやって来て言ったんだ。”なにがそんなにかなしいの?”と。それから私の頭に花冠をのせてくれた。
知らず知らずのうちに涙がこぼれていたよ。そのときのカティの笑顔は今でも忘れられない」
お父様はとても穏やかな優しい目をして花を編むお母様を見つめている。出会ったそのときもきっとこんな目をしていたのだろう。
「カティが脳に障害を持っていると知ったときは驚いたが心底安心もした。彼女は私の地位や財力に興味はないだろうし、打算や駆け引きがないことも保障されたわけだ。
それからはまめに通いつめてカティの気を引こうと必死だったよ」
悪戯っぽく笑うお父様の向こうに若かりし頃の情熱が垣間見えた。
「本当はカティの無垢な微笑みに癒されたかっただけなのかもしれないな」
ひとり言のようにつぶやくお父様。あなたにとってお母様は救いの天使だったのですね。
ごめんなさい。僕は周囲の無責任なうわさに惑わされていました。本当にごめんなさい。
お父様はファーデンハイム家の歴史ある家柄が目当てで、お母様と結婚したのではないかと疑っていました。
お母様に向けられるお父様のまなざしはいつも愛情に満ちあふれていたというのに。
「私がカティと出会ったときには26になっていた。おまえは16でユーシスと出会えた。この幸運に感謝し大切にすることだ」
お父様の言葉に僕の胸ははち切れそうだった。