お坊ちゃん、勇者になる
そしてある日、シルバーは信輝に呼び出される。
「おやっさん、何か用ですか?仕事中ですが……」
いぶかしげな顔をするシルバーに、信輝は黙って鍵を渡した。
「これは?」
「てめえの元のアパートの鍵だ。今日から寮を出て、そこに移れ」
信輝はぶっきらぼうに命令する。
「何でまた?寮にいた方が、お金がたまって都合がいいんですが……」
シルバーはおそるおそる言う。この二ヶ月借金返済のために貧乏生活をしていたので、すっかり節約をする意識が根付いていた。
「いいから、言うとおりにしろ。それから今日はもう上がっていい」
それだけ言うと、事務所から追い出す。シルバーは訳のわからないまま、寮の自分の部屋に戻って荷物をまとめた。
「……はあ……どうしたんだろうか。もしかして、寮を追い出したのはクビにするためとか?もしそうだったら、明日からどうやって生きていけばいいんだろうか……」
そんな不安を持ちながら、元いたアパートのドアを開ける。
すると、満面の笑みを浮かべたメイドに出迎えられた。
「シルバー様。お帰りなさい。お待ち申し上げていました」
メイド服を着たマリーが、深々と頭を下げる。
シルバーは最初理解が追いつかずキョトンとし、次に歓喜の叫び声をあげた。
「マリー!よかった!戻ってきてくれたんだな!」
部屋に飛び込むと、マリーを力いっぱい抱きしめる。
「シルバーさま……急に出て行ってごめんなさい。ヒカル叔母様から、私が側にいると、シルバー様を駄目にしてしまうと言われたのです。この二ヶ月、叔母様のマンションで生活しながら、ずっとシルバー様を見守らせていただきました」
「えっ?元の世界に戻ったんじゃなかったのか?」
「はい……マリーはシルバー様の婚約者です。私一人で戻るなんてことはできません」
そういって、マリーはにっこりと笑う。
「シルバー様が仰られたように、私もこの二ヶ月ヒカル叔母様の紹介で、出版社のアルバイトをさせていただきました。そのお金で、この部屋の家財道具を買い揃えたのですよ」
マリーの言葉を聞いて、シルバーはあわてて部屋を見渡す。彼が売り払った家財道具より新しくなったものが揃っていた。
さすがのシルバーも、心の底から罪悪感が沸いてくる。
「……マリー、済まない。以前ひどいことをしてしまって……」
「いいえ。過ちを経験されたからこそ、シルバー様は以前より強く優しくなりました。残り九ヶ月、この世界でいろいろなことを学んで、胸を張って元の世界に帰りましょう」
「……ああ。マリー、二人で頑張ろう」
シルバーはマリーをきつく抱きしめ、キスをするのだった。
その後、シルバーは前にも増して仕事に打ち込み、積極的に学ぼうとした。
「シルバー、最近頑張っているな。どうだ?集金もやってみるか?」
「はい。おやっさん。喜んで」
信輝に従い、集金業務にも取り組んでみる。
こういった金に関することで、今までのような単純作業とはまた違った経験をすることができた。
「お客さん、新聞代をお願いします」
「はい。どうぞ!」
大きな家や新しい家の顧客はすんなりお金を払ってくれたり、最初から口座引き落としだったりするが、世の中はそんな家ばかりではない。
「金なんかねえよ!バカヤロー」
中には罵声を浴びせられ、金も払わず追い返される所もあった。
「おやっさん。どうすればいいでしょうか?」
「ああん?てめえが優男だから、舐められてんだよ!死ぬ気でとって来い!」
仕事に厳しい信輝は、シルバーの甘えを許さず、あきらめずに集金してくるように突き放す」
「お客さん。集金しないと帰れないんです。お願いします!」
「……わかったよ」
結局、客が根負けするまで何度も通うことで、どうにか集金することができた。
またある時は、景品と契約書を持って街に営業に行かされる。
「あの……新聞いかかですか……」
「いらないよ!」
話をする前に断られ、すごすごと引き下がり、また一軒一軒訪問していく。
「なんでこんな事をしなきゃいけないんだ……ううっ。でも契約が取れないと、おやっさんに怒鳴られるし、クビになったらマリーを悲しませるし……」
何度も心が折れそうになるが。その度にマリーの顔を思い浮かべてぐっと我慢する。
そして何十軒も回って、ようやく契約を取ることができた。
「へえ……外人さんの新聞勧誘員って珍しいね。うーん。引っ越してきたばかりで、新聞を頼もうと思っていたからちょうどよかったわ。お願いするわ」
「ほ、本当ですか?」
シルバーは飛び上がって喜ぶ。まだ若いその主婦は、苦笑しながら契約印を押してくれた。
「うちみたいに引っ越してきたばかりの家庭を当たってみたらいいんじゃないかしら。頑張ってね」
その主婦にアドバイスされて、シルバーは深くうなずく。
(なるほど……そういう考えもあるのか)
契約を取れて軽い足取りでシルバーは帰っていく。
彼は確実にたくましくなっていった。
その日の夜、シルバーはマリーに自慢する。
「今日、新しい新聞の契約が取れたよ。おやっさんからも褒められた」
「さすがシルバー様ですわ。あなたの頑張りが認められたのです」
マリーに尊敬されて、シルバーは照れくさそうに頭をかく。
「ま、まあ、大したことじゃないかもしれないけどね」
「いいえ。まったく知らない土地に来て、なんの後ろ盾もないのに、シルバー様は自分の力でお金を稼いで自立しています。りっばな貴族ですわ」
「貴族……そういえば、俺はそうだったんだ」
シルバーが間抜けな顔をして言うので、マリーは思わずクスっとなる。
「お父様がおっしゃっていましたわ。現在ドラゴニア王国で隆盛を誇っている、四大財閥の総帥である王妃様たちも、最初は貴族のお嬢様たちで、自立どころかお金のことも何も知らなかったんですって」
「そんなの嘘だろ。あのやり手の姉さんが」
シルバーは苦笑する。彼の姉であるナディは、王妃兼ナディ財閥の総帥で、とんでもないお金持ちであった。今でも総帥自ら財閥を経営している一流のビジネスマンである。
しかし、笑ってマリーは首を振った。
「いえ、本当の話ですよ。貴族のお嬢様のままじゃ勇者をたぶらかして世界を破滅させる悪女になるからって、お父様が必死にお金のことを教育したんですって。具体的にはナディ様に氷を使った商売を教えて、働くこととお金の大切さを学ばせたそうですよ」
「へぇ……あのおっさんがねぇ」
シルバーは複雑な顔になる。彼は未だに自分たちをもてあそんだリトネに対して、少しコンプレックスを感じていた。
そんなシルバーに対して、マリーはいたずらっぽく告げる。
「シルバー様。お父様たちの鼻を明かせてみたいと思いませんか?」
「えっ?」
いきなりそういわれて、シルバーは目を白黒させる。
「お父様は、シルバー様がこの世界で一年自立すれば合格として、シャイロック家を継ぐのを認めると仰いました。でも、今のシルバー様ならもっとすごいことができると思います。この世界でいろいろと学んで、元の世界に戻ったら何か商売を興しましょう」
「商売か……いいかも」
日本で学んだことを生かし、元の世界で起業して、自分を自立もできない無能な貴族のお坊ちゃん扱いしたリトネやゴールドの鼻を明かしてやる。シルバーの中にそんな野心が芽生えてきた。
(……元の世界には『新聞社』はないな。今なら誰も手をつけてない新しい分野だから、俺が広めれば大儲けできる。今の内にこっちで学んで……戻ったら起業すれば)
こちらの世界で体で学んだ新聞販売の経験と、シャイロック金爵家の財力、国王リトネの義弟という立場をうまく使えば、大新聞の創業者になることも夢ではなかった。
「うん!そうしよう!俺はおれ自身の力で、新たな財閥を作ってやる!」
新たな野望に燃えるシルバーを見つめながら、マリーは内心で思う。
(やはり……さすがはお父様ですわ。甘えきった貴族のお坊ちゃまだったシルバー様を、困難に立ち向かって状況を変えようとする『勇者』に生まれ変わらせてしまいました。お父様が考えた『貴族のお坊ちゃまを企業家に変える教育プロジェクト』は順調ですわ』)
そう、すべてはリトネの計画だった。
リトネは貴族という制度自体は残しながらも、その意識を企業の経営者に変換することを推し進めていた。そうなれば、貨幣経済が浸透して民が力を持つようになった今のドラゴニア王国にも、うまく適応して生き残っていけるからである。
『特にシャイロック金爵家は大領で影響力も王家に次ぐものがある。その跡を継ぐものは、徒手空拳からひとつの企業を創業するぐらいの力量を持ってほしい。自力で興した企業の経営ができるようになった後ならば、シャイロック家を問題なく継げるだろう』
リトネはそういって、娘マリーにシルバー教育プロジェクトを任せる。
「マリー。彼が立派な経営者になれるように、導いてやってくれ。これから先の時代、『勇者』とは何かを倒す存在ではなく。新しい事業を興す者のことだからね」
「お任せくださいお父様。シルバー様ならきっとりっばな勇者になれますわ」
マリーはシルバーを信じて笑うのだった。
現在、四巻の校正作業を進めています。もう少しでお届けできると思います。




