第7章ー6
土方勇志伯爵が、アラン・ダヴーと面談したように、日本からの義勇兵の幹部も、手分けをしてローマに集った日系義勇兵の面々と面談を行った。
土方伯爵を始め、日本からの義勇兵の幹部は、彼らとの面談の後で、面映ゆい想いをせざるを得ないことが多かった。
日系義勇兵の多くが、記憶を美化等して、ローマに駆け付けていたからだ。
彼らの多くが言った。
「父は、フランスを救え、と日本から駆け付け、母と関係を持って、フランスのために戦死していった、と聞いています。父を見習い、父の国、日本と共に戦いたいのです」
「かなわないな。我々が、あの世界大戦時に、フランスを救え、と駆け付けたのは事実だが、それは士官以上の者の一部、それも最上層部がほとんどだ。下士官や兵は、仕事上、欧州に赴いた者が多かったというのに。本当に皮肉なものだ」
土方伯爵は、日本からの義勇兵の幹部のみが集まった席で、思わず述懐してしまった。
「人間の記憶というのは、そういうものですよ」
和田操空軍大佐は、土方伯爵を慰めた。
ちなみに、和田大佐自身は、(表向き)予備役に編入されて、ローマに来ている。
井上成美空軍少将が、スペイン行を謝絶したので、代わりに山本五十六空軍本部次長が、和田空軍大佐をスペインに派遣される義勇航空隊の指揮官に選任したのだった。
更に言うと、土方伯爵が、小耳に挟んだ限りでは、和田空軍大佐は、この一件について、極めて複雑な感情を抱いてしまったらしい。
戦場で前線に戦って戦うのは、軍人の本懐とはいえ、(表向き)予備役に編入されてしまったのである。
少なくとも、他の同期生と同時に、少将、中将にならない、と腹の虫が収まらない、と和田大佐が陰で言っている、と土方伯爵は聞いていた。
「彼らの気持ちを裏切るわけにはいくまい。かといって、彼らは20歳から10代後半ばかりだ。軍人としての経験を持っているというのも、陸軍士官学校生が5、6人だけで、後は素人ばかりだ。どうするのが相当だと思う」
土方伯爵は、その場に集っている他の幹部に問いかけた。
高木惣吉海兵隊中佐が提案した。
「彼らは全部で300名近くがいます。1個歩兵中隊を編制し、陸軍士官学校生を小隊長、中隊長に置き、残りを互選で、下士官、兵にしましょう。余剰人員が出ますが、彼らは、後方部隊に回しましょう」
「その歩兵中隊は?」
土方伯爵の問いかけに、高木中佐は、打てば響くように答えた。
「我々、日本からの義勇兵旅団の総予備中隊扱いにしましょう」
今里博海兵隊中佐が言った。
「中々良い提案では。彼らの希望を満たすことができます」
「そうだな」
土方伯爵も同意した。
土方伯爵ら、日本からの義勇兵達は、他国の義勇兵を「白い国際旅団」に編制するに際し、できる限り同国籍の者で部隊を編制する、また、軍隊の経験者を幹部に据え、未経験者を兵に基本的にとすることで、短期間に戦力とするという基本方針があった。
そういった観点からすれば、ほぼ同年代ばかりで、軍隊の経験者がいない、日系義勇兵は扱いに正直に言って悩む存在だったのである。
かくして、日系義勇兵を含む各国の義勇兵は、三々五々、「白い国際旅団」に編制されていくことになった。
もっとも、英は実は、日本と同様に、正規兵を義勇兵と偽って派遣しているのであり、それ程、「白い国際旅団」にするのに苦労はしなかった。
むしろ、それ以外の国、主にカトリック信徒達の義勇兵を、「白い国際旅団」にすることに、四苦八苦する羽目に、土方伯爵達はなった。
必要な部隊編制をし、現地へ送り込み、そこで部隊として動くように訓練を積ませて、と努力が重ねられ、戦場で役立つようにと苦労する羽目になったのだった。
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