第5章ー9
6月末、前田利為少将は、あの後、部下に再度、確認等をさせ、訂正が完了したスペインの最新情勢に関する報告書を、杉山元陸相や山梨勝之進海相等に提出していた。
杉山陸相からは、特に呼び出しは無かったが、山梨海相から、前田少将は、翌日に呼び出しを受けた。
直接、報告書の内容について、話し合いたいというのだ。
呼び出しを受けた前田少将が海相室に入室すると、その場には、山梨海相以外に、堀悌吉海軍次官、梅津美治郎陸軍次官が集っていた。
前田少将は思った。
杉山陸相は、カヤの外か。
仕方あるまい、あんな報告書を読んで、すぐに動かないようでは、陸相の資格に欠ける、と周囲に思われても仕方ない。
「よく来てくれた」
山梨海相は、前田少将を、まずは労った。
「まずは、椅子に掛けてくれ」
前田少将が座ったのを機に、話し合いは始まった。
「スペイン情勢に関する報告書を読ませてもらった。また、私の判断で、堀や梅津にも回覧した。従って、報告書の内容は、ここにいる全員が承知している」
山梨海相の言葉に、前田少将は黙って肯いた。
「スペインでクーデターなり、内戦なりが起こる公算大、ということだが。前田少将はどう考えている」
「本音を言えば、日本は内政不干渉を貫きたいところです。右派にも、左派にも肩入れしたくありません」
前田少将は、率直に言った。
その言葉に、堀海軍次官も、梅津陸軍次官も肯いた。
「全くだな」
山梨海相も言った後に続けた。
「だが、そうも言っていられないようだ」
「ソ連の動きですな」
前田少将の代わりに、梅津陸軍次官が口を挟んだ。
「スペインが、本当に赤化し、7万トン級、かつ18インチ砲を主砲とするの新戦艦を旗艦とするソ連地中海艦隊が、スペインに駐留するという事態になったら、英国は堪りませんな」
「そういうことだ」
山梨海相も同意した。
「既に香港が、北京政府によって、共産主義の脅威にさらされており、ここにジブラルタルが付け加わるというのは、地中海を生命線とする英国にとって堪らない事態だ。香港は、我が国と言う同盟国があるので、まだ、何とかなるが、ジブラルタルとなると、英国は自前で守らない訳にはいかない」
山梨海相の言葉に肯きつつ、堀海軍次官も言葉を継いだ。
「本当にスペインが赤化してしまったら、仏国内の左派も過激化し、仏までが赤く染まりかねない、と私は考えます。そうなっては、欧州大陸のほとんどの国家が、独裁国家になってしまい、英国が孤立します」
それは考えすぎでしょう、と前田少将は思わず言いたくなったが、中国やスペインで起きている事態を考えると、堀海軍次官の言葉が、杞憂とは言えないのも事実だった。
実際、堀海軍次官の言葉に、山梨海相も梅津陸軍次官も肯いている。
「そして、英国政府の一部から、スペインに介入してほしい、との依頼があるわけだ。宇垣一成首相を外してな」
山梨海相は、最重要機密をさらっとさらけ出した。
ここにいる4人全員が、実は、そのことを承知している。
敵を騙すには、まず、味方から。
宇垣内閣は、立憲民政党を支持基盤とする内閣である。
宇垣首相に、英国政府からの依頼を伝えれば、宇垣内閣は、対外不干渉主義を伝統的に標榜する立憲民政党から成る内閣だけに、スペインへの介入を断るだろう。
英国政府の一部は、そこまで把握している。
「共産主義の伸長を座視することは、本来から言えば、日英にはできない話だ。とはいえ、そう表立った干渉を、スペインに対してするわけにもいかない。明らかな内政干渉だからな。となると、隠密裏にやるしかあるまい。スペインで事が起こった時には、右派へ武器等の援助をする」
山梨海相は、そう言って、他の3人も黙って肯いた。
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