プロローグー2
何故、陸軍の一部も、海兵隊の戦車開発を歓迎するのか。
それは、陸軍の一部も、自らの戦車開発に不満を覚えていたからだった。
それも兵科士官の上層部に多かった。
彼らの多くが第一次世界大戦において、欧州で戦火をかいくぐった経験の持ち主だった。
いわゆる梅津美治郎中将を旗頭とするブリュッセル会の面々が主軸である。
とはいえ、戦車の開発となると陸軍技術本部が当然、主導権を握ることになる。
幾らブリュッセル会が、陸軍の主流を占めるようになりつつあるとはいえ、陸軍技術本部は技術者の巣窟である以上、ブリュッセル会と言えど、口を中々差し挟めるものでは無かった。
それに自業自得だったが、技術畑を歩んだ緒方勝一大将が陸軍技術本部長から参謀総長へと就任したこともあり、陸軍技術本部の鼻息は荒く、ブリュッセル会の頼みを聞き入れる雰囲気は無かった。
ブリュッセル会の会合にて
「参謀本部からの要望と言うことで、戦車について、陸軍技術本部に働きかけたが、やはり、陸軍技術本部は首を縦には振らなかった」
小畑敏四郎少将は、陸軍の戦車開発について、愚痴をこぼした。
「確かに、陸軍技術本部がこだわるのも分かるんだ。自国の技術で何とか開発したい。外国の技術に頼りたくないというのはな」
永田鉄山少将は、陸軍技術本部に半ば同調するようだった。
「だが、だからと言って、我が国の戦車が、他国、特にソ連に劣る戦車と言う訳には絶対にいかんぞ。相手は超陸軍大国だ。せめて、質的には優位に立たないと、どうにもならん」
岡村寧次少将が口を挟んだ。
そう、日本が豆戦車、軽戦車の開発を端から行わなかったのは、そこに原因の一つがあった。
日本には何種類も戦車を開発する余裕はない。
そして、豆戦車、軽戦車は確かに安いが、質的にはどうにもならなかった。
皮肉にも、日本の戦車は、国力的に、足の速い巡航戦車の役目も担える歩兵戦車、1種類の開発、保有に奔らざるを得なかったのである。
そうした観点からすれば、89式戦車は、現在的には理想の戦車と言えたが、将来的には疑問があった。
「欧州の情勢や戦訓を考えると、対戦車任務も可能な戦車が欲しいが、我が国の技術力では極めて困難か」
梅津中将が会議の事実上の結論を言うと、会合の参加者の多くが肯いた。
「海兵隊の戦車を、お手並み拝見といこうか。それに陸軍の金を使わずに済むしな」
その言葉にも多くの肯きが返った。
梅津中将は、米内光政海兵本部長に、会合の結論を伝えることにした。
土方歳一中佐は、米内海兵本部長に呼び出された。
「喜べ。陸軍の一部から、海兵隊の戦車開発に協力するとの言質が取れた。師匠の英海軍をしのぐ戦車を日本海軍は開発し、出藍の誉れを成し遂げられたい、とのことだ」
米内海兵本部長は、そう言って、笑った。
「悪い冗談じゃないんですか」
土方中佐は、驚いて言った。
「確かに、英海軍がマーク1戦車開発に関与したのは事実ですが、だからといって、日本海軍までそれを見習わなくても」
土方中佐は、多少、不遜だとは思ったが、言わずにはいられなかった。
「悪い師匠に付いたら、弟子にまで悪い癖がつくということさ。海兵隊の戦車開発の総責任者を事実上、務めてほしい。ま、頑張れ」
米内海兵本部長は、土方中佐を励ました後、内心で思った。
自分もとんでもないことを頼まれたものだ。
だが、海兵隊の先輩、斎藤實首相から頼まれたとあっては、自分は断るわけにはいかないか。
米内海兵本部長は、先日の斎藤首相との秘密面談を想い出した。
自らの予備役編入願いを、いつ、山梨勝之進海相に差し出すべきだろうか。
米内海兵本部長は、海兵隊を去って、故郷から衆議院議員選挙に立候補する予定だった。
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