第1章ー2
「そうは言われても、新型戦車の主砲に適当な戦車砲が、無いものは無い」
それが偽らざる土方歳一中佐の本音だったが、すまじきものは宮仕え、というのが、世の中の現実であり、そして、海兵隊は文句なしにトップを争える職場の一つだった。
戦車の主砲に適当なのが無いなら開発しろ、と文句を言われ、開発する技術も費用も海兵隊が無い、という反論を土方中佐がすれば、工夫すれば何とでもなる、という再反論がなされた。
精神論でできるのなら、すぐにでもできる、と土方中佐は、更に反論したくなったが、これ以上やっても馬鹿相手に無駄、という境地に、すぐに土方中佐は達したことから、別の面から考えることにした。
戦車砲は、外国から買うなり、別から転用するなりしよう。
土方中佐は、そういった点から、情報を収集することにし、部下に情報を収集させた。
「90式野砲を戦車砲に転用するという案ですが」
部下の一人が、恐る恐る土方中佐に上申しようとしていた。
「何か問題があるのか」
土方中佐は、その案に最大の期待を持っていたが、部下の態度は、それを裏切っていた。
「どうにも難しそうです」
部下は口ごもりながら報告した。
部下の話を要約すると、次のようになる。
90式野砲を開発するのには、それなりに費用が掛かっていた。
製造費用に上乗せして、その費用を回収する予定だったが、90式野砲は、日本の野砲としては、増加試作段階で事実上終わってしまった。
満州事変の戦訓の結果、口径が75ミリでは、列強の火砲と比して弱火力である等、余りにも問題があるとされ、105ミリと155ミリの口径を、日本陸軍の主力野砲にすることが決まり、その時点で、口径が75ミリの90式野砲は、事実上、潰されてしまったのである。
とはいえ、開発費用等の回収は図られねばならない。
90式野砲は、韓国軍や満州国軍向けの火砲として、(ライセンス)製造されることになった。
そのために、却って、海兵隊の戦車の戦車砲としては、採用しづらくなってしまったのである。
わざわざ、外国向けに製造されている火砲を、事実上、逆輸入する。
確かにどうにも気乗りのしない話であり、土方中佐は、90式野砲の採用に否定的になった。
「仏製のM1897野砲を、戦車砲に採用するというのは、問題が少ないと考えますが」
別の部下が、土方中佐に上申した。
土方中佐は考え込んだ。
こちらも、口径は75ミリである。
更にもう一つ、この案にはメリットがあった。
「我々が使い慣れている砲でもあるな」
土方中佐は、独り言を言って、自分で自分の考えを確かめた。
(第一次)世界大戦時、日本海兵隊は、いわゆる西部戦線に日本から派遣され、勇名を轟かせたが、実際問題として、装備は完全に英仏米に、おんぶにだっこ状態だった。
日本製の装備と言えば、38式歩兵銃のみと言っても過言ではない状態で、日本海兵隊は戦い抜いた。
これはある意味で止むを得ない話で、当時の日本に、遥々と欧州にまで、十分な兵器(弾薬)を供給する力はそもそも無かったからである。
そして、M1897野砲は、当時の日本海兵隊の主力野砲であったと言っても過言ではない存在だった。
更に、世界大戦後に日本に持ち帰られ、海兵隊の主力野砲的存在になった。
もう一つ言うなら、世界大戦後の軍縮により、米仏では、この火砲が大量の予備役兵器として退蔵されているのである。
こうしたことから、M1897野砲を、米仏から安値で買い叩き、海兵隊の戦車の戦車砲として装備することが可能ではないか、と土方中佐の部下は考えたし、土方中佐自身も賛同する気になったのである。
「確かに有用な考えだ」
土方中佐は、部下の発言にそうしようと決断した。
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