プロローグー1
「勘弁してくれ。確かに日本海軍は、英海軍の弟子だが」
海兵隊中佐に進級し、海兵本部の軍備課長に、1935年春に就任していた土方歳一は、同年末には半ばぼやく羽目になっていた。
海兵本部の軍備課長というのは、ある意味で、海兵隊の装備する兵器全てを総覧する立場にある。
従って、兵器開発等にも、本来から言えば、ある程度は関わらざるを得ない。
だが、海兵隊は、基本的に兵器開発は行わない。
何故なら、陸軍と海兵隊の兵器等の装備は共通なのが、補給や整備等々といった、いろいろな観点から当然だからである。
従って、海兵隊で必要な兵器があれば、陸軍に相談して、開発等をするのが暗黙の了解である。
どうしても、海兵隊で陸軍と違った独自の兵器が必要という事態になったら、海軍本体に相談して、開発してもらうか、外国から購入するしかない。
そうした中で、昨今、大問題になっているのが、海兵隊の装備する戦車だった。
「国産で陸軍と同じ戦車で、海兵隊は、いいのではないか」
それが、土方中佐の偽らざる心境だった。
だが、海兵隊の(戦車関係者の)面々が、土方中佐に猛烈な圧力を掛けてきていた。
海軍兵学校同期の岡村徳長中佐(土方中佐に言わせれば腐れ縁、岡村中佐に言わせれば無二の親友)が、その筆頭ともいえる存在に、土方中佐にはなっていた。
「いいか、陸軍が新たに開発、装備する戦車は、ダメだ。何としてもお断りさせてもらう」
岡村中佐は、(海兵同期と言うこともあり、遠慮無しに)土方中佐に獅子吼した。
「何故だ」
土方中佐の問いかけに、岡村中佐は一言で切って捨てた。
「対戦車戦闘等を、陸軍は全く考慮していないからだ」
日本の戦車装備は、第一次世界大戦末期にまで遡る。
そして、皮肉なことに、日本で戦車を最初に装備したのは、陸軍では無く、海兵隊だった。
何故なら、日本から、第一次世界大戦で欧州に派兵されたのは、陸軍では無く、海兵隊だったからである。
そのために日本の海兵隊は、海兵隊としては世界初の戦車師団を保有するという栄誉にも浴している。
第一次世界大戦終結当時、数百両単位で戦車を保有していた国は、世界中を見渡しても、日本以外は英仏米しか無かった。
第一次世界大戦終結時、日本は世界でも有数の戦車保有大国であり、その戦車全てを、海兵隊が保有していたのである。
第一次世界大戦終結に伴う軍縮等により、日本の海兵隊は縮小され、戦車師団は解散することになり、海兵隊の保有する戦車の多くが、日本陸軍に移譲された。
だが、日本の海兵隊の戦車関係者の多くが、日本陸軍よりも戦車に詳しい、というプライドを持つようになったのは、ある意味で止むを得ない事だった。
更に1927年の南京事件に伴う日(英米)中戦争、1931年の満州事変においても、日本海兵隊の戦車部隊は縦横に戦果を挙げた。
1935年現在、世界で最も実戦経験を積んだ戦車部隊を、日本の海兵隊は保有していると言っても過言では無かった。
そうした実戦経験からすると、日本陸軍が新たに開発しようとしている戦車は、日本海兵隊にとっては、とても満足のいくものでは無かった。
勿論、日本陸軍に、日本海兵隊が実戦経験で得られた戦訓が伝えられていない訳ではない。
だから、日本陸軍も、それなりに戦訓を踏まえた戦車を開発しようとしているのだが、日本海兵隊にしてみれば、本当に戦訓を踏まえているのか、という疑念を覚えてしまうのだ。
そういった疑念から、日本海兵隊の戦車関係者は、海兵隊独自で戦車を開発することを主張するようになっていた。
更に皮肉なのは、日本陸軍の一部にも保険として考えれば、これはこれで好都合では、と考えて支援する動きがあることだった。
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