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「まあ、ずいぶんとかわいらしいクマさんね。わたくしにもお1つゆずっていただけないかしら?」

 お茶をたのしみにいらしたちいさなご令嬢やその母君から、その手の相談をよくされるようになった。いつも棚の中に4体または3体ならべられているので、そしてその中の1体は弟とともにあることが多いので、言えば1体くらいはゆずってもらえると思ってしまうのだろう。

 だがマスターは、

「申し訳ありませんが、こちらは売り物ではありませんので」

 ティーカップや皿などは相場よりも少々高いくらいの値段を提示すればしぶしぶといった様子で手放すこともあったのだが、あのクマのぬいぐるみだけは頑として交渉にすら応じなかった。

 相場の3倍だしてもいいという子爵家の奥方もいらしたみたいだけれども、マスターがうなづくことはなかった。ならば10倍と言いかけたところで、キッとにらみつけられて諦めたようだった。マスターは上級貴族のご令息らしく、彼が絶対にイヤだと言えばたとえ貴族の奥方であろうとそれ以上ごねることは難しいようだった。


 けれどこの日こられた王妃様からの使者には、さすがのマスターもこばみきることができないようだった。

「そう、ですか。王妃様が御長女様にと、仰せ、ですか」

 ひたいに手を当て、マスターはひどく悩んでいるようすだったが、無理もない。この国の第1王女にあたる王妃様の御長女様はまだ1歳になられたばかりのお子様だ。ものの価値なんてまだ分からない年齢だろうし、よだれでべたべたになる運命はまちがいなくやってくるだろう。マスターでなくとも、自分のたいせつなものをお渡ししたいだなんて思えるはずがなかった。

 けれど王妃様のご命令とあらば、結局は受け入れるしかないようだった。

珠里(しゅり)ならば……こちらの橙色のリボンをつけたテディベアでよろしければ、日を改めて、献上……しましょう」

 その姿はさながら、若い娘を気に入らない男に嫁に出す父親のようであった。


「聞いたわよ、アーロン。あなた第1王女様にぬいぐるみをお渡ししたんですって?」

 開店と同時に、またしてもあのご令嬢がやってきた。今度は巻き込まれないようにと、私は店の奥にいる弟のところへと避難することにした。

「また来たのか、キャロライン嬢。もう来ないように言ったはずだが?」

 だが声が遠くなっただけで、内容は丸聞こえだった。

「ふふ、認められないわ。だって私は両家も王家も認めたあなたの婚約者なのよ? 私のものがあなたのものであるように、あなたのものは私のものであるはずだわ」

「はあ、相変わらず君の理論にはついていけそうにないよ。……で、今日はなんの用なんだ?」

 だが、今さら出るに出られない雰囲気だ。お客様もいつも通りならまだしばらくこられない。──ご令嬢もそれを知っているからわざわざこの時間に押しかけるのだと思う。

 仕方がないので、弟の相手をしながら話が終わるのを待つことにする。

 ん? これは恋愛小説? まあ、ずいぶんと……えっと、むずかしい本を読むようになったのね。まだ幼児としか言えない年齢なのに。……お姉ちゃん、ちょっと心配だわ。


「ああ、アーロン。あなた、あのぬいぐるみを1体、手放したんですって?」

「……好きで手放したわけじゃない」

「ふふ、第1王女様にさしあげられたのだから私にも1体……いえ、2体ゆずってくださるわよね?」

「は? なにを言っている……」

「だって、もとは4体あったのでしょう? それならば、あなたの妻たる私には少なくとも半分の2体の所有権があるはずだわ」

「さっきから何を言っているんだ、キャロライン嬢。だいたい君はボクの妻じゃ……」

「あら、あなたが学校にもどってきてくれれば、卒業さえすれば、私はいつでもあなたの妻よ?」

「ならば、ボクは一生学校には……」

「ふふ、何を言おうとしているの? アーロン、貴族の嫡男にとって学校の卒業は義務だわ。許されるはずがないでしょう?」

「それは……」

「それに、あなたは言ったわ。青いリボンを付けたクマはあなたのもの、緑はあなたの弟のもの、橙はあなたの姪っ子のもの、赤はあなたの恋人のものだと。……あなたは一人っ子なのだから、緑、橙、赤の3体は私のものと言ってもいいはずだわ。それを2体でいいと言っているんだから、あなたの妻はずいぶんとひかえめな女性よね?」

「はあ、君はずいぶんと面の皮が厚い女性だったんだな」

「あら、ひどいわね。空想のせかいに閉じこもるようになったあなたに、現実を見せようとしただけなのに。……ねえ、アーロン。王妃様がなぜこのような場所にあるお店のことを、このお店にあるぬいぐるみのことをご存じだったか分かる? 私が先日のお茶会で……」

「ああ、もう限界だ。出てってくれ、キャロライン嬢。そして2度とここへはこないでくれ」

「ふふ、また来るわね、私のアーロン。ああそうそう、第1王女様の婚約者に私の甥っ子を推薦しておいたわ。強力なライバルはいないから、きっとそう遠くない未来、あなたがぬいぐるみをお渡しした王女様は私の義理の姪、つまりあなたにとっても義理の姪といえなくもない関係になるわ」

「……それは君の望みだろう」

「ふふ、妻の望みも夫のものよ?」


 ──あのご令嬢はどうしてあそこまでぬいぐるみにこだわるんだろう?

 そう思った私の耳に、

「あの人があのぬいぐるみをすべて手放せば、あの人はきっともとのあの人にもどってくれる」

 そんな声が届いた気がした。いえ、まさかそんな、オカルトな。


 ほどなく王妃様が第2子を身ごもられたという話が届いてきた。それと同時に御長女様が赤ちゃん返りをしてしまったという話も届いてきたが、御長女様はまだ1歳。えてして世の中の第1子というものはそういうものということで、たいして気に留める人はいないようだった。

 ただ、王女様に献上されたあのぬいぐるみはもう間違いなくよだれでべたべたにされているだろう。マスターが時おりため息をつきながら王城の方を見ているのは、きっとそのせいだと思う。

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