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伝説を繋ぐは白布なり

作者: 筐咲 月彦

 その伝説は、動かぬ石巨人。

 壊れ得ぬ冠の逸話。

 輝く日輪を覆う、そびえる巨大樹。

 そして……

 白い、洗濯物の、話。


 【1】


「はぁ~っ、今日も良い天気っ」

 ん~んっ、と背伸びをする少女。

 少女――いや、背が小さい上に顔立ちも幼いけれど、どことはなしに風格が漂っている。良い天気と言いながらも、それをどこかで拒絶しているような表情が、右の口角だけが上がったまま馴染んでしまっている。皮肉げな笑み。ねめつけるように見上げる眼差し。

「あぁあ~~~ぁ~……っふ」

 大きな大きな、欠伸だか溜め息だか深呼吸だか分からない声を出すその姿にも、恥じらいは欠片も無い。あまつさえ腰を丸めて背中側からトントンと叩く姿は、老婆の如し。

 サラリと風になびく、木漏れ日を受け増して輝く金髪も、少女性を際立たせる膝丈のシルクのスリップドレスも台無しである。

「あ~、寝過ぎた。ほんと、マジで」

 言葉も蓮っ葉。ますます台無しだ。

 太陽は中天、らしい。葉に大部分を遮られてはいるが。

「あの子ら、ご飯どうしたかな?」

 何かを思い出し、上を向いて考える少女――いや、老婆? ――とりあえず、女性と言っておこう。

「ま、いっか。なんか食ったでしょ。それよりアタシの朝ご飯よね~♪」

 女性はすぐに歩き出す。既に昼ご飯だと突っ込む人間はここには居ない。

「ん~、確かご飯は残ってたわよねぇ。卵も。じゃあやっぱり卵かけご飯で……」

 ふひひひひ、と心底嬉しそうに含み笑う女性。に、足元から声がかかる。

「ご飯も卵も、もう無いよ」

 反応して、声を荒げる女性。足元に向かって。

「なに~っ、アタシの朝ご飯どうすんだっ」

「朝ご飯じゃなくて、昼ご飯じゃん。パスタでも茹でれば?」

 足元。一本下の枝から、少年が応える。突っ込む人間は居たようだ。

「あと、母ちゃん。下からパンツ丸見え」

「茹でるのめんどい! あと、見る方が悪い! タダじゃ無いんだからね!!」

 と、仁王立ちのまま――つまりは、下からはパンツ丸見えのままで噛み付くように言って、それから、あっと小さく声を上げる。そして、にまにまと意地の悪い顔になって言う。

「う~ふ~ふ~。ねぇ、ソルト」

「なんだよ、母ちゃん」

「パスタ茹でて! パンツ見たバツね!!」

「……はいはい」

 とっくのとうに展開は読めていたらしい、素直に返事をして立ち上がるソルトくん。

 なんとも驚いたことに、上側を歩く少女……のように見える女性は、彼女よりふた周りは体の大きいこの青年の母親らしい。

 上の枝と下の枝、5メートル程離れた場所で会話をする。

「卵もご飯もベーコンも、シュガー達に食わせたよ。昨日、食糧少なくなってるって言ったろ? だから俺も釣りしてるんだし」

 青年の口振りからすると、彼だけじゃなく下にも何人か居るらしい。おそらくは少女のような女性の、子供が。

「ふ~ん。んで、釣れた?」

「ん、ホロホロ鳥三匹だけ。まだまだだよ」

「もっとちゃんと釣りなさいよっ」

「飯作れって言う癖に。夕方にはもうちょっと釣れてるよ、夕方が一番釣れるんだ」

「そうなの?」

「うん、糸が見えにくくなるし、巣に帰る時間帯で」

 魚釣りと同じ仕組みで、鳥を釣るらしい。まさに釣り竿と魚籠のようなものを携えて歩く青年。

 二本の枝が近付いてくる。合流点に向かって、幹に向かって歩いているのだから当然だ。

 高低差が1メートル程になったところで、青年が「よっ」という掛け声と共に上の枝に飛び移る。

「んで、母ちゃん。パスタは何が食いたいの?」

「ん~……カルボナーラ?」

「卵無いって言ってんじゃん」

 溜め息を吐く青年。

「ふんだ、食べちゃうのが悪いのよっ」

「はいはい。他のは?」

「んじゃなんか、クリームソースの。鳥肉入れて!」

「……捌かないと無いから却下。ツナで作ります」

「ソルトのばーか!」

 い~っと口を広げ不満を露わにする女性。青年は溜め息。

 そんな会話を続ける内に、家に辿り着いた。

 木の幹の虚。その中に作られた、家に。


 ここにあるのは、世にも稀なる巨大樹。名を“アーシィ・ゼオルジィ”というらしいが、そんな名前は住んでいる人間には何の価値も無い。

 昔は――女性が住み始めた頃は、数百人規模で人間が住んでいたらしいが、今ではもっと小規模だ。

 当時は研究者達が。今では、研究者達の成れの果てというか、そのまま居着いてしまっただけの数十人が。出来る限りは樹の内側での採取や狩猟によって生活を守りながらも、時には外との交流を取りながら生きていた。諦めずに巨大樹の調査にやってくる研究者や、単純に巨大樹に興味を惹かれてやってくる観光客を相手取って外貨を獲得する……のだが、外に出るのがかなりの手間な上、基本的になんとかかんとかは樹の内で生活はまかなえるので、その辺はあまり重要視されない。

 巨大樹には、他の植物すらある。枝に降り積もった葉が腐り葉土となって、元々住み着いていた鳥が種を運び植物を根付かせる。それを下地に、動物が入り込み生態系を作り上げ、今や一本の樹にして一つの森の形だ。

 それというのも結局は巨大樹の巨大樹たる巨大さに依る訳だが。その大きさたるや、500メートルを超えるらしい。

 その巨大さ故に未だに研究者達の心を捉えて離さないものの、それでも研究者達は次々と巨大樹を降りていった。

 その理由は……


「結局のところこの樹って、ただの樹なのよね。おっきいだけで」

 息子に作って貰ったパスタを啜りながら、女性は呟いた。

「そうだね」

「ほら、アタシも130年生きてる経験っていうか、長命種としての勘っていうか。魔法が関わってる気もしないし」

 はふはふ。

「……そうだね」

「あんた達だって半分は長命種なんだし、分かるでしょ? まぁアタシが一切魔法使えないから、魔法に触れたことすら無いでしょうけど」

 ずず~っ。

「……そうだねぇ」

「どっちにしろ、土にも水にも豊富過ぎるくらいの栄養が偶然含まれてただけだし、偶然それに耐えられる突然変異的な種の植物が育ったってくらいしか説明が付かなくて」

 ずぞっ、ずぞそ~~っ。

「……そう、だねぇ」

「まぁそんなんはアタシ達には意味なくて、結局のところ幹を伝って降りたら地面は日が当たらないせいで腐れ過ぎてて沼地みたいで歩けない。ちゃんとした地面に降りるには枝をず~っと歩いて紐をず~っと降りなきゃいけなくて面倒な上に洗濯物も乾かないから、日差しをどうにか……特に南側のあの枝をどうにかして欲しい訳よね、分かる?」

 はふはふ。ずるり。もぐもぐ。ごっくん。

「……分かるよ、母ちゃん。それはともかく、その話は何十回も聞いたし話しながら食べるのは行儀が悪いし日差しをどうにかって言うのは母ちゃんだけの意見だし俺はいい加減釣りに戻りたいんだけど」

「だって喋りながらの方が食が進むし息子との交流を計りたいし下の沼地は魚が居ないことも無いけど美味しくないしあんた達は身体が大きいから良いけどアタシは丸一日半かけないと地面に降りれないし釣りは夕方からが本格的なんでしょ?」

 ずるり。ごくん。

「……分かってる。分かってるよ、もう」

 はぁ~っと大きな溜め息を吐く青年。抗議した以上の言葉が、しかも嬉しそうに返ってくるのだから、もう。

「ドジョウを嫌いなの、母ちゃんだけだしさぁ」

「だってアレ、小骨多いじゃない?」

 ずぞり。もぐもぐ。

 何を言おうと、食べ終わるまで離してはくれないのだ。青年としては諦めるしかない。

「はぁ……あ、そういやさ、昔母ちゃんがシュガーにあげたティアラなんだけど」

「あぁ、あれ? ティアラってゆうか、王冠でしょ」

「まぁどっちでも良いけど。あれ、久しぶりに出したら壊れてたってさ」

「ふぇ?」

 目を丸くして、啜りかけのまま口の半ばでパスタが止まる。

 しばしの間の後、改めて、ずぞりと啜り込む。

「……っくん。へ~、別に良いけど、アレってば壊れなかったのよ? てゆうかそのまんま、壊れ得ぬ冠の伝説、ってのがあったくらい」

「そんなの、くれてやるなよな……んで、どんな話なの?」

「うん、そもそもでアタシの家から持ってきたものなんだけど、実家にはそ~ゆう伝説っぽいのいっぱい転がっててあんまり大切にされてなくて」

「それもどうかと思うけど。うん、それで?」

「確か、巨人が持ってきたものだとか、付いてる宝石を取り外したかった女王様が国にお触れを出したんだけど壊せなかったとか、そんなの」

「適当だなぁ」

 青年が呆れる。

「だって本当に、そんな程度だったんだもん。巨人だの女王だのも怪しいもんね。……でも、壊れなかったのは確かだったんだけど。魔法も感じたし」

「へぇ、魔法?」

「そうよ、何の魔法かも分かんないけど。ていうか、だとしたら何かが起きるかも? ちょっと、その壊れたの持って来てくれる?」

「ん、分かった」

 言って立ち上がる青年。女性は部屋を出て行く彼を見送り、思い出したようにパスタを啜る。

 ずぞそ~~っ。もぐもぐ。ごっくん。

 青年は、すぐに帰ってきた。

「はい、これ。壊れたって言うよりは、分解したって感じみたい」

「ふ~む。そう言えばさっきの話で言えば、あんた達が見たことのある魔法の品ってこの王冠か外の石巨人くらいなのよね。どう? 何か感じる?」

「いや、2つだけじゃあねぇ。石巨人なんかさ、物心付いた時から見てるし、感じるもなにも無いよ」

「そ。……ん~、なんか、穴があるわね」

 女性が、王冠の部品を手に持ち、矯めつ眇めつ言った。

「うん、もう一度組み立てることも出来そうなんだよね」

 部品は大小合わせて十数個。突起部と穴とが、それぞれにある。

 それを手の中で転がし眺める母を、同じく眺めていた青年だが、はっと気付く。

「あぁ! だからもう、さっさと……あ、もうちょいじゃん! さっさと食い終わってよ母ちゃん!!」

「ん~? うるっさいわねぇ」

「ちゃんと釣りしないと、シュガーとペッパーに怒られちまうよ。母ちゃんだって、ほら、洗濯物干さないと!」

「ったくもう。はいはい、分かりましたよ~だ」

 ずるり。もぐもぐ。ごっくん。

「ぷはぁ、ごちそうさま! ちなみにあの子達は?」

「上の方に行ってるよ。んっと、野菜類取ってくるって言ってたかな」

「そ。んじゃあまぁアタシも、腹ごなしに仕事するかねぇ」

 ぽんぽんとお腹を叩いてから、席を立ち手を組んで、ん~っと背伸びをする。小さい身体は、背伸びをしてやっと、座った青年と同じくらいだ。

 背伸びついでに、青年の頭もぽんぽんと叩く。

「ごちそうさま、ソルト。ほいじゃ、美味しいの釣ってきてね!!」

「……はいはい」

 満足そうな笑みに返ってくる、苦々しい笑み。青年は「頭の中、食いもんばっかかよ」などと呟きながら、釣り竿と魚籠を持ち外に出て行った。

 それを見送り、女性は準備を始める。

 タンスから紐を取り出し、胴に回して胸の下で結ぶ。そしておもむろに、スリップドレスの裾を捲り上げ、後ろから脇にかけてを紐に挟み込む。つまりは、胸の下にカンガルーのようなポケットが出来ると同時に、見るものも居ないが、パンツ丸見えになっているのである。

 パンツも丸見え。しなやかで肉の薄い太ももも、少し膨れたお腹も小さなへそも、丸見えである。

 ……まぁ、うん。

 それはともかく。その状態のまま、タンスからズボンを取り出す。七分丈の綿のパンツを一気に履きあげる。髪は根本を纏め、ぐるぐるぐると束ねて捻って丸めてピンで留める。その勢いは、いっそ男らしい。

「いよっしゃあ! 干すぞぅ!!」

 とまで言って、外に飛び出して……行こうとして、一度戻って腹のポケットに王冠の部品を放り込み、そしてやっぱり「よっしゃあ!」と言って飛び出して行くのであった。


 【2】


 動かぬ石巨人。

 動かぬ巨大石像。

 石像、とただ言ってしまうのは簡単だが、それをどう見るか。全高500メートルを超える巨大樹の傍らにかしずく姿。巨大な傘のほんの少し外で、時に雨に打たれ、時に強い日差しを浴びる。

 片膝を付いてしゃがみ、立てた膝に逆腕を乗せて、頭を垂れているその姿。王に仕える騎士か時を待つ勇者か……それとも、指示を求める恐怖の化身か。

 もし立ち上がったとしたら、想像するだに恐ろしいが、巨大樹に匹敵する高さになるだろう。巨大樹の幹をもすら一撃で折って伏せるやもしれぬ。村を、街を、その一歩で破壊せしめるだろう。もし立ち上がったとしたら、それは恐怖の化身とすら言わず、恐怖そのものと呼ばれるだろう。

 ――が、もし動けば、の話。

 動かぬ石巨人の伝説。語り継がれる、恐怖を夢に溶かす挿話。

 高名な魔術師が調べても、魔物が襲ってきたときにも、人間同士の戦争でも。千年を超える年月の中で重なる、それら全てと全てと全て。

 何が起きたとて、何が触れたとて、動くことは無かった石巨人の伝説。


「実際には千年どころの話じゃ無いっぽいしね~」

 ぱんっ!

 と、音を立てて洗濯物を開きながら、見た目は幼女のようでいながらも三児の母であるらしい女性が呟く。

 目の前には、石巨人。

 目の前には、などと言ったところで、どれほどの距離があることか。巨大樹の傘のちょうど外。傘の端までの距離。彼女の足で、丸一日強。

 それだけの距離があれば石巨人がどれだけ大きくとも、どれほどのものか。更には彼女がここに住んで百年ほどの間、動かぬその姿……慣れと、それに伝説への信用もある。

 恐れも畏れも無く、石巨人を眺める。

 強い日差しに耐える姿。

「……んん。今日もトンちゃん、元気そうね☆」

 石の肌は、おそらく肉も焼けそうなほどだろう。

 “トンちゃん”は、家族の中だけで通じるあだ名。ストーンだから、トンちゃん。名付け親は6歳の頃のシュガーだ。

「でもホント、向こうは良い日差しねぇ。分けて欲しいわ」

 徒歩1日分の距離があれば、天候も違う。という訳じゃなく。

 “ここ”は変わらないのだ。天候が雨だろうが晴れだろうが、雷が降ろうが雪だろうが。分厚く折り重なった巨大樹の葉は、木漏れ日が抜けることすら容易では無い。

 “ここ”は変わらない。もちろん、そうであればこその便利さはとても多いが、悩みもある。こちらは多くは無いが一つだけ。

「洗濯物干す気が無くなるのよねぇ。乾かないから」

 彼女は、洗濯物の詰まった籠を横に置き、腰に手をやり突っ立っている。石巨人を眺め、直上も晴れているだろうその日差しを眺め、洗濯日和だろうその日差しを眺め……むしろ忌々しそうに呟いた。

 何枚か干しただけで、休憩してしまっている。

「んも~、だからあの、あの枝が無くなってくれればなぁ」

 少女の顔立ちに、皮肉げな笑み。ねめつける先には、石巨人のちょうど肩口に影が出来るように差し掛かる、太い枝。最も太い枝の一本で、最も遠くまで伸びている枝の一本だ。

 その“肩口”に向けて真っ直ぐに伸びるロープ――洗濯紐。それを手繰って洗濯物を日の当たりそうな場所までやるのだが、ちょうど見事に影になっているのだ。左右や上下に枝か石巨人が少しでも動けば日が当たるのに、見事に。

「はぁ、今さらなんだけどさぁ」

 言って、もう一枚洗濯物を手に取る。ソルトのTシャツ。

 パンッ、パンッ、パンッと三回、大きく振る。大きなTシャツは、目の前に掲げれば女性にとってはワンピースのようだ。

「っしょ……と」

 女性の子ども達は、全員が彼女より体が大きい。彼らの分を干すのは、ほんの少し骨が折れる。

 次はシュガーのワンピース。こちらは、女性にとってはロングドレスか。

 パンッ、パンッ、パンッ。

「ふぅ」

 何枚か干して、また休憩に入る。洗濯物の籠は、ようやっと半分になったところ。

 足元の、少し出っ張った木の節に座る。

 緩い風が頬を撫でる。裾の広がった大樹の枝と地面とで入り口が狭いため、強い風は幹近くまで入ってこない。それでいて地面に広がる沼のおかけで暑くなることは無く、かなり快適だ。

 膝に肘をつき、顎を載せる。

「ふぅ……」

 再びの溜め息。

 最近体の節々が痛むのは、運動不足かそれとも年齢から来る衰えか。朝起きた時に腰が痛いし、上下運動で息が切れるし、すぐ疲れる。

 子ども達ですら、見た目の若さに騙されて思いやってくれやしない。

 ……などと頭の中で愚痴る彼女だが、昼まで寝ているのも仕事が洗濯物干しと夕食当番だけなのも母親としては随分楽をしているし、その分だけ子ども達が食器洗いや掃除や食料集めに洗濯物を洗うまでやその他細かいことまでやってくれているのは見て取れる。

 つまりは結局のところ、彼女の性分なのだろう。

「せめてなぁ、洗濯物が日に当たってくれるならなぁ、やる気出るのになぁ」

 全くもって、楽をしたいというだけの、愚痴とすら言えない愚痴である。

 と。

「あ~、お母さんサボってる~!」

「ホントだ。いかん、いかんよ母ちゃん」

 二人分の声が聞こえた。

 女性が目線だけで振り返ると、そこには若々しい男女の姿。

「私たち、スゴい頑張って取って来たんだから! お母さんも頑張って!!」

「そう、トマトに梨に、ゴーヤに空豆に、芋とイモといも! どうよ、母ちゃん」

「そうそう、上のほ~~~まで登って……あ、スッゴい天気良かったよ! ほら干さなきゃお母さん!!」

「そうそうそう、トンちゃん熱そうだしちょっとトンちゃん焼きが食べたくなってきたんだけど、晩飯なんだろや母ちゃん!」

 ――ちなみに、“トンちゃん焼き”というのは、所謂バーベキュー。昔初めて家族揃って石巨人まで行ったとき、石巨人の体でバーベキューをしたことに由来する。

 鉄板を使っても全部トンちゃん焼きで、つまりは、鉄板焼きがしたいと。

「トンちゃん焼きは、めんどくさいから無理」

 母の答えに、

『えぇ~~っ!?』

 と息の合った不満を返す。

 若々しい女性は、シュガー。兄弟の二番目。

 若々しい男性は、ペッパー。兄弟の三番目。

 ソルトも入れて三人兄弟で、上から順番に28、23、21歳である。長命種の血により、見た目はもう少し若いが。

「トンちゃん焼きをしないって言うなら、晩飯はなんだって言うねや母ちゃん!」

「あ、でもでも空豆とお芋のスープも飲みたいからお家でも良いんじゃない?そういえばお母さん、ソルトが鳥を釣ってくるって言ってたよ!」

 どこで学んだのか、語尾が若干おかしい方がペッパー。どこからか女性らしさを学んできて、一応は丁寧なのがシュガー。

 基本的に二人で一セット。騒がしい二人である。

「……はぁ」

 目を逸らす母。

 すげない対応にも慣れたもの。二人は更に食ってかかる。

「母ちゃん母ちゃん、洗濯物干さないと晩飯抜きな! な!!」

「え、でもでも晩御飯当番お母さんだし、それじゃ作って貰えないよ?」

「あ、そうか、じゃあお酒無しな! これだろや母ちゃん!」

「わわ、それキツいね! お母さんキレちゃうね、キレまくっちゃうね!!」

「キレちゃ駄目だぁよ母ちゃん! 代わりに空豆のスープあるからや!!」

「空豆のスープあったらご機嫌だよねお母さん! あ、ソルトが取ってくる鳥入れようか!!」

「……分かった分かった。分かった。折れますやります作ります。お母さんが悪かったし、母ちゃんが悪かった。サボってるのも確かだし、あんた達が働いてきたのも確かだから文句言われて当然よね。でもそれはともかくあんた達、いくらあたしの血を引いてるとはいえ、どう考えても喋り過ぎでしょ……」

 耐えきれなくなったらしく、女性が一気に言葉を吐いた。

「ふふん、母ちゃんそれで良いんだねぇ。一応手伝うつもりで帰って来たんだしや」

「ふふふん、お母さんその通りだよ。空豆のスープ作ってくれるなら、送るのは私たちがやったげるから!」

 “送るの”

 そう、干した後にもう一つ労働が待っているのも、気が乗らない要因だった。それを代わりにやってくれると言う。文句を言っても叱っても、なんだかんだで母親思いだ。

 ……まぁ、女性には労働でも兄弟たちにとっては遊びに近いのも、ある。

「そ。んじゃ、頑張るかねぇ」

 よっこいしょ、と顔に似合わないかけ声で立ち上がり、更に腰を伸ばしトントンと叩く。

「ああ゛~、しかし最近腰の調子が良くないねぇ」

 言いながら、洗濯物を手に取る。布製の靴なんかも入っている。

「運動不足じゃね~のかな母ちゃん。今度一緒にてっぺんまで行くかや」

「そうそう、最近洗濯物干しも飽きがちでしょお母さん。仕事の振り分け変えても良いよ!」

 二人も言葉と一緒に、自然に母と並び洗濯物に手を伸ばす。それぞれのパンツ。

 並んで洗濯物を干す風景。そよぐ髪は三つとも、影にあっても陽光の色。

「いやよ、めんどくさい」

 はぁ、と美しい風景に似合わぬ溜め息。

「飽きたってのもあるけど、歳なのよ、単に。そ~ゆうオトシゴロなの!」

『オトシゴロって……』

 二人揃っての突っ込みと苦笑が入る。

「あ、今バカにしたな! シュガーもペッパーも、母の苦労ってのを分かってないな! グレてやる!!」

 今度は顔立ちに似合った仕草で、頬を膨らしてそっぽを向き、ペタンと座り込む。

「あ、母ちゃん拗ねちゃった! 拗ねちゃったんな~」

「拗ねちゃったってお母さん、サボりたいだけじゃないの?」

 言いながら、手は止めない。ズボン、シャツ、パンツ。――やがて洗濯物を干し終える。

「結局やんなかったやねぇ母ちゃん」

「えへへへ、二人ともありがと! ちゃんと空豆のスープ作るからね~」

 いつの間にか膨れ面は消え、悪びれもせず言う母。姉弟も分かっていたようで、

「良いけどね~、お母さん、パンも焼いてよ! ……で、どっちが先に“送る”?」

「ん~、じゃあシュガー先やってねや」

「分かった~」

 と、シュガーが傍らの細長い何かに跨る。

 前方に二股に分かれた持ち手が。細長い胴体と、その左右に足の置き場が。足の置き場は、一つの支点から前後に伸びており、片方を踏み込むと連動してもう片方が上がりまた踏み込み……を続けて、回転させていく仕組みらしい。そしてその回転は後方の円形のパーツを更に大きく回転させる。

 ――つまりは、自転車に似た形状、だ。

 シュガーがこぎ始める。と、車輪に繋げられていたロープが動き始める。カラカラカラ、と留められた洗濯物がロープに伴って、三人から徐々に離れていく。

 “送る”とは、出来る限り日の光に近い場所まで洗濯物を送り込む、ということだ。日に直接当たらなくとも、下が沼じゃ無い位置にやれば、随分と乾き方が違う。

「よぉ~し、いっくよ~!」

 自転車もどきの上で、シュガーが立ち上がる。踏み込む。

 踏み込むと同時にふわりと浮き上がる金髪が、ほんの一瞬、陽光を受けたように煌いた。


 【3】


「お~、早い早い」

 シュガーが勢いよくこぎ出す。あっと言う間に洗濯物が離れていくのを見て、母が言う。彼女がやってもこうはいかないので、やはり子供たちに任せるのが一番なのだ。

 それを眺めながら、ふと思い出す。

「あ、そうそうシュガー」

「ふっ、ふっ、えっ、なに~っ?」

 細かく息を吐きながら返事を返す。

 ガラガラガラ。女性が腹の前のポケットから、音を立てて例の冠の部品を取り出す。

「ソルトから聞いたわよ。この冠、壊れちゃったって?」

「えっ? あれ? ふっ、それ……え~と、ふっ、ごめんなさ~い!!」

 こぎながら素直に謝るシュガー。若干、速度が落ちる。

「あ、いいのいいの。要らないからあげたものだし。でもね、これってそもそもで壊れないって伝説が……」

 そのまま、ソルトにしたような話をする。

「へ~、でも壊れてたよ?」

「そうなのよねぇ。まだ魔法の力は感じるんだけど」

 地面に転がる幾つものパーツ。

 と、手にとって眺めていたペッパーが、

「なぁ母ちゃん、これ組み立てて良いんね?」

 言いながら、既に組み立て始めている。

「あ~、あんたそ~ゆうの得意だもんねぇ」

 母が覗き込むと、もともとバラバラだった部品が既に、更にもう幾つか分解されている。

「こんだけ分かれてたら、王冠以外も出来そうなんよねぇ。ん~、ココがコレで、ん~」

 ブツブツと呟きながら、パキパキと繋いで外して、時に折り曲げていく。

「ん、あれ? これで体か。じゃあ首が……いや、逆か。目になるしな……なんか、あれ、馬っぽい、かな?」

 と言いながら、あっという間に組み上げる。

「で、ここに尻尾が刺さって……はい、完成ねや!!」

「おぉ~~~」

 母が、思わず感嘆のうめき声を上げる。

 確かに、馬だ。

 四つ足には王冠のトンガリ部分を使い、上から見たら楕円形の形で胴体が。そして背中と首、顔、尻尾で見事にパーツを使いきっている。

「あんた、ホント器用ねぇ」

「うぇっへっへっ」

「え、何々、見せて!!」

 得意げな顔をするペッパーの上から、自転車もどきから降りたシュガーが顔を出す。

 見やると、洗濯物はちょうど中間地点くらい。

「ん、じゃあシュガー、ついでに交代するかや」

 言ってまたがるペッパー。

「へぇ~、へぇ~、へぇ~」

 と、馬を手の中で回しながら感心するシュガー。

 そして、ペッパーが勢い良くこぎ始める。

「いよぉ~し、おいらも、いっくぞ~……」


 ご、ぐん……


 音が、響いた。

「……?」

 ペッパーは、こぎ始めている。

 シュガーは、金属製の馬を撫でている。

 母は、辺りを見回した。

「……なに?」

 音が響いた、確実に。

 “響いた”――こんなに、広々とした場所で?

 近い感覚もしなかった。けれど、遠くだとしたら、どれほどの音か。


 ずずず……ず……じゃりっ


 何かが擦れる音。忍び寄る足音のようでもある。

 小さな、いや、大きいのか?判別の付かない音が辺りに響く。

 耳のすぐ裏側で鳴っているような不快感がある。うなじに剣先を突きつけられているような、かなり昔、故郷から旅に出た当初の冒険していた頃の感覚が蘇る。不安。恐怖。危機感。

 どことなく懐かしい、魔力の囁き。


 ご……ご……ず……ん!!


 姉弟も、やっと気付いたようだ。

「え、あれ、なんか音する? お母さん、音した?」

「音、した。したねや、母ちゃん」

 見回す二人を、視界の端で捉える。

 が、声をかける余裕も無い。

 母の視線は既に一つところに捕らわれている。釘付け、というやつだ。

「……」

「母ちゃん……?」「お母さん……?」

 二人が、ほぼ同時に母の様子に気付く。

 そして、その視線を、追う。

 その先には。


 ごこ、ご、ご……ごがんっ!!


 トンちゃん。

 巨大石像。

 石巨人。

 動かぬはずの。

 伝説の。伝説となるほどの長い間、動かなかった。子供三人の歳月よりも、母が見てきたよりも、四人を全部足したよりも、その何倍も動かなかったはずの。伝説の。

 石巨人。が。


 がりっ……ずず……ずじゃりっ


「トンちゃん……動いてる……」

 それは、誰の呟きだったか。

 そう、確かに動いている。動いていた。より真実に近い言い方をするならば――変身をしていた。

 しゃがみこんでいた形から腰を上げ四つん這いに。ごりごりごりと耳障りな音を立て、動く。肩部に装甲のように付いていた石がごそりと剥げ、地響きと共に地面に落ちる。かと思ったら、そのパーツが蠢き腕部の先に、グローブのように取り付いた。


 ……びしっ、ば……くん……ばぎゃん!!


 ひと際大きな音を立て、下半身が砕ける。……が、砕け散らない。

 散ることなく、がらり、ごろりと鈍い音を立てて身体を転げ“上がって”いく。そして、がつん、がこん、がかんっと収まっていく。重力に逆らって、てっぺんに一つ一つと収まり嵌まり、一段一段と伸びていく。

 歪に、無骨に。首が伸び、顔が出来上がる。変身は終わったようだ。

 人では無いシルエット。人ではない、面長な顔。四つん這いになったため元は頭だったものの位置は下がったが、そこから伸びて出来上がった新たな頭の位置は、横にずれたものの高さは変わらないくらい。背は地面と平行で、顔とは逆の側から何かが垂れ下がっている。付け根は細く本来なら取れて落ちてしまうだろう、重力を無視したような……尻尾のようなものが。

 ――まるで、馬だ。


 ず……ず、ず、じゃり……ずず……


 音と共に、右の前足――らしきもの――が、ゆっくりと上がっていく。その速度はきっと風を巻くほどなのだろうが、この距離からではそろりそろりと上げているように見える。そろりそろりと上げていき、力と位置エネルギーとを溜める。溜める。溜める。高く

 一瞬の停止。

 後。

 ……最初はやはり、そろりと動き出したように見えたものが、次の瞬間には、もう。


「ひっ!」

 っごが!!! ……ああぁ! あぁ~~……ぁ~~……~~~ん……ん……


 視界が揺れた。気がする。

 声を上げ、耳を塞ぎ目をきつく閉じて、へたり込んだシュガー。聞こえたのは悲鳴ではなく、息を呑む音だけ。それだけしか、する間が無かった。

 振り下ろされた前足。土ぼこりが高々と舞うのが、これほどの距離からでも見える。土ぼこり……いや、正しく、あえて正しく生々しく言うならば、それは地面のかけらだ。大地を穿ち、抉り砕き、はじけ飛ばす。大地だけでなく、岩も樹木も。

 もし。もしもの話だが、そこに人が居れば。さらには、村があったならば。街でも良い。いっそ、城でも良い。

 ……ひとたまりも無いだろう。

 大きさも、速度も、破壊力も。それに加えて恐怖すらも、有り得ないほどに、見たことがないどころではなく、全てが本当に有り得ないほどに規格外で。恐ろしくて。恐ろしくて。恐ろしくて。

 土煙が収まり始めた頃、また、そろりと同じく右足が動き始める。

 ゆっくりと、先ほどよりもゆっくりと、上がっていく。

 力を誇示するように。恐怖を煽るように、ゆっくりと。

 ず……ず……ず……と鈍い音を響かせながら、高く。

 普通の馬と同じように、足を上げていくには胸の筋肉が使われ胸を張るような形になり、より高く足を上げる為に首も同時に垂直に伸びていく。もちろん筋肉は無いけれど、ぼこりと似た形で膨らむ前胸は、否応無く力強さを想像させる。

 不自然な形で、足を高く上げ首を反らし、きりきりと引いた弓を思わせるような姿。再び、力と位置エネルギーとを溜めに溜めたその姿。破壊を思わせるその姿が、飽和し、再び今、弾ける。


 ――その瞬間。

 ぎぎぎぎぎしり、と音を立てながら片膝を曲げた形で停止する。顔を上に向け嘶くように、今にも走り出しそうな姿で、固まる。

 残響。

 静寂。

 静寂。

 静寂。

 静寂。

 静寂。

 葉の擦れる音。

 鳥の鳴き声。

 ごう、と強い風音。

 洗濯物が遠くで揺れている。

 そして、声。

「……ど、どういうことちや」

 ペッパーが、ぼそりと呟いた。いつの間にやら、自転車もどきから降りている。

 三人が三人とも、同じ想いを抱いているはずだ。どういうことだ。なぜ、どうして、どうやって。

「トンちゃんが……動くなんて……」

 今度はシュガーの呟き。座り込んだまま呆然と、石像……石馬を眺めている。

 動かぬ石巨人の伝説。伝説と言われるまでに積み重なった事実は、そう簡単に覆るはずのないものだった。はずなのに。

「……」

 母は押し黙ったまま、小さな体で腕組みして見据えている。

 睨みつけていると言っても過言ではない。家族の生活圏のマスコット的な存在だったものが、いつの間にか――いや、最初から――危険物だった。それは、母にとって未曾有の一大事だ。

「どういうことちや! これは!!」

 ペッパーが、誰にとも無く怒気を吐く。

「なんでトンちゃんが変形するねや! なんでこんな急に……しかもあの、足を踏み降ろしただけであんな! ずっとずっと動かなかったのやに!!」

 なんで。母は考える。

 石像はそもそもなんだったのか、結局は分かっていない。魔法を帯びているということだけ。どうやって変形したのか? それは魔法によってだ、間違いない。

 何故変形したのか。何かしらきっかけがあったはずだ。なにかしら、現場で誰かが隠されたスイッチを押したとか、それこそ作った人間の子孫が特殊な魔法具を使ったりだとか。

「あんな……あんな怖いものないやんか!! あんなおっきいのがもし動いたら、もし動いたなら、この樹だって家だってひとたまりも無いがよ!!」

 母は考え続ける。

 石像はなんだったのか。変形することから考えて、多目的用のゴーレムだろう。人間型、馬型……他にもあるのかもしれない。もっと恐ろしい形も、あるのかもしれない。

 何故変形したのか。何故、馬型なのか。常識的に考えるに、運搬用か移動用だろう。しかし、常識で考えることが何になるのか。どちらの型も破壊の為かもしれない。

「にに、逃げなきゃ! あんな怖いの、恐ろしいのの近くに居るんの! あ、いや、でももう止まってるしでもまた動くかもしれんしでもここ以外の場所なんて俺……」

 母は考え込む。

 石像はなんだったのか。そもそも誰に作られた? それは人間か? 詳しくはこれまで誰が調べても不明だったが、まさか大巨人が単に彫像として作ったとか……。

 何故変形したのか。いや、例えば巨人だったなら、石像を変形し動かせるようにする意味がなくなる。馬型にしろ人型にしろやはり、目的は不明だが労働力としてつくられたのだろう。おそらくは古代の、長命種のような魔法に長けた存在に。

「でもやっぱり命には代えられんしっつうかソルトやシュガーや母ちゃんまで危ないんじゃ逃げるのも……あぁでも出来るならここに居たいからトンちゃん壊してって馬鹿かオイラは! 無理に決まってるやろに!!」

 母はある考えに至る。

 石像はなんだったのか。古代人が作った魔法の品で、おそらくは魔法の品がスイッチになっていた。千年以上もの間動かなかったのは、スイッチとなる品に誰も触れなかったからかそれとも、その品が近くになかったから。変形が一つとは限らない。むしろそもそもが多目的用途ならば複数であるべきだ。

 では、その複数の中で、なぜ馬型だったのか。おそらくは、スイッチとなる品から、馬になれという指令が出されたからのはず。近年この地域にやってきた魔法の品。馬。

 足元に視線を移す。

 ……転がる、金属製の馬。

 シュガーが手に持って回しながら見ていたはずだが、驚いて落としたらしい。横向きに倒れて、なんとはなしに、巨大石像を見やっているようにも見える。

「そ、そうだ、ソルト! ソルト兄ちゃんは? 兄ちゃんは大丈夫なのか!? ま、まさかびっくりして落ちてたりとか……さ、探さなきゃ! えっと、兄ちゃんどこに、えっと……」

「……」

 ペッパーが慌てふためいている。シュガーは相変わらず座り込んで虚空を眺めている。

 その存在がなんであれ、どんな理由があれ、何が原因だとしても。家族を怯えさせるものは、許せない。

 足元の金属製の馬から、ゆっくりとその視線を追う。ゆっくりと、ゆっくりと。その道筋はしっかりと、巨大樹から伸びるロープに導かれる。生活の為に、家族が揃って生きていく為にあるこのロープの先に恐怖が結ばれていると思うと……?

「……ん?」

 視界に、違和感。

 強く強くねめつけてやろうと力の入っていた目線が、行き場を失う。見失う。

 もう一度、足元から、やり直す。

 足場になっている極太の枝から分かれ伸びた、それでも家族四人でも囲みきれない太さの枝にしっかりと刺さり固定されている滑車。そこから伸びる男の腕ほどの太さもあるロープが、自転車もどきを経由して空中へ。

 空中を、本来は白いんだけれど長年の汚れで薄汚れて、なおかつ巨大樹の枝葉の影で、ほぼ黒に見えるロープが、ずっと伸びる。

 追っていくと黒が、細く細くなって終点にたどり着く前、新たに発覚した恐怖の存在憎むべきものに、たどり着く直前に……黒が、白に。

「んんん?」

 首を傾げる。

「ん~~~? ん、ん、ん~……」

 もっと首を傾げる。

 ――そして。黒が、白に。至る。

「……おぉ」

「何が、おぉ、ねや母ちゃん!!」

 何かに気付き感嘆を漏らす母に、ペッパーがすがり付く。母が首を戻す。

「母ちゃん母ちゃん、こんなとこでじっとしてないでとにかく逃げなきゃ! オイラぁ、兄ちゃん探してくるから二人は家で……」

「ペッパー!!」

「うぇっ!?」

 母の大きな声に、びくりと跳ねる少年。小さな小さな、ともすれば叱り付けている相手の半分ほどと言っても良い小さな体と、可愛らしいと言って差し支えの無い顔立ち。に、似合わぬ大きな声と、迫力と貫禄。母としての年季の賜物だ。

「バタバタしてんじゃないよ、ペッパー!! とりあえず、良いかい、言うことを聞きな。……あいつで、さっきの続きをしなさい」

 指差す先には、自転車もどき。

「あいつって……母ちゃんアホいうんや無いの!」

「ペッパー!!」

「は、はいっ!!」

 母の恐怖は、時に巨大石像にすら勝るのか。ペッパーが渋々と、自転車もどきに跨り、こぎ始める。

 するするすると、ロープを滑っていく洗濯物たち。実際には、ロープ自体が動いているのだが。

「……」

 母は、腕組みしてそれを眺める。

「……」

 ペッパーは、いぶかしげに洗濯物と石像と母を順番に見ながら、こぎ続ける。

「……」

 シュガーは、未だに呆然としている。

 動かぬシュガー。その視界の中を、洗濯物がゆっくりと、ゆっくりと動いていく。風にはためき、煽られ、踊るように。それでいて軍隊のように隊列を乱さずに、洗濯物たちは影の中を歩んでいく。ゆっくり。ゆっくり。

 そして、彼らは出会う。

「……あ……」

 シュガーが、声を漏らした。

 呆然と眺めていた彼女の視界の中で、踊り続ける洗濯物が、色を変えた。

 灰色から、白へ。

「……へぇ~~~」

 ペッパーも、こぎ続けながら思わず声を零す。

 白く、輝くように、次から次へと影から光の中に飛び込んでいく洗濯物たち。飛び込むと同時に、影から出たということは巨大樹の下から出たということでもあり、より強い風に煽られバタバタと暴れる。クラシックからタンゴに、音楽が変わり、輝くシャンデリアの下で色とりどりの娘たちが。

 踊る。くるくると、ひらひらと、はらはらと、きらきらと。踊る。踊る。

「悪いことばっかりじゃないねぇ」

 女性は、腕組みしていた手をほどき腰に当てた。

 シュガーもペッパーも、遠くの光景に見入っている。

 風がそよぎ、女性の柔らかな髪を泳がせる。輝くような金髪は、実際には僅かにしか日の光の無いこの場所では輝いていないけれど。……けれど遠くのその光景は、彼女の心に輝きを取り戻したのかもしれない。

 偶然にも、本当に偶然にも、本筋からは全くもって外れているのだろうが、石像側のロープの固定位置が変わったようで洗濯物に日が当たるようになったらしい。

「明日も明後日も、洗濯物干すのが楽しみじゃないか!!」

 元気良く、からからと笑い飛ばす。

 既に足を止めて眺めているペッパー。座り込んだままだが少し前のめりになったシュガー。

「……~ぃ、ぉ~~……んにんともぉ、ぶぅじぃか~~~!」

 遠くから近付いてくる、ソルトの声。

 そちらを一瞬見やり、ソルトの腰元――正確には魚籠の中を見やり、そしてもう一度笑う女性。今度は、にやにやと、我慢できないような笑いだ。

「くくくく……今日はちょっと、豪勢にしちゃおうかね!!」


 その伝説は、動かぬ石巨人。

 壊れ得ぬ冠の逸話。

 輝く日輪を覆う、そびえる巨大樹。

 そして……

 白い、洗濯物の、話。

 日常は、日々は、伝説如きに壊されはしない。

 絶対に。絶対に。

キャラ付けは課題ですが、最後の二行はお気に入り。

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