それでは参りましょうか
「それでは参りましょうか。」
あの日へ、あの時へ・・・
-----------------------それでは参りましょうか
眼前は真っ暗だった。
いや、ただ僕が眼を閉じていただけかもしれない。
耳に入ってくる音は皆無だった。
あまり使わない嗅覚もやはり何も感じなかった。
何に触れてるわけでなく、何を食べてるわけでなく。
僕はただそこにいた。
いや、それも間違いかもしれない。
使われない耳の替わりに僕の心に直に訴えられた。
ーそれでは参りましょうか。
何処へ?何故?僕はここにいたい。
ここであの子を見ていたい。
ーそれは出来ない事ですよ。規則を守って貰わないと。さもなければ・・・
さもなければ・・・?
ー・・・多くの方に迷惑をかけます。それでなくてもあなたはあの子の心を傷つけました。
それはあなたが意図していないことでしょうけど。
これ以上何をしてもあなたはあの子を傷つけることになります。
あなたはもうあの子の心の中で生き、思い出になることしかできません。
そしてあなた自身も思い出の中で生きることしかできません。
あの日、凄い台風が日本列島に近づいていた。
雨と風はいつになく激しく、そんな日に僕らはお決まりのカフェで待ち合わせをしていた。
僕はいつもより早く家を出た。
渡したいものがあったから。伝えたいことがあったから。
2年半。僕らが恋人同士だった時間。
長かった?それとも短かった?
僕はとても短く感じられるよ。
昨日まではすごく長く感じられたのに何故だろうね。
いつでも触れられると思っていた手は遠くに離れてしまった。
ーあなたは思い出の中で生きられます。いつ、どの日に行かれますか?
どの日?・・・あの子と出会った日に行きたい。
ー1つだけ注意があります。過去は変えることはできません。
あなたはその日を眺めていることしかできません。
僕があの子と出会ったのは高校2年のとき、図書館だった。
大学に併設したうちの高校には広い図書館があった。
ただ古い建物なのであまり高校生は近寄らなかった。
僕もその1人だった。
だけど、なぜかクラスみんなの策略で図書委員とやらを押し付けられ、
週に1回受付をやらなくてはならなくなった。
彼女は本を借りに来た子の1人だ。
僕は暇で暇でならないその仕事を彼女を見るということで潰していた。
その時すでに彼女に恋していたのであろう。
背の高い、黒い長い髪、ちょっと挑戦的な眼、細い手足。
僕はもう1度あの日の彼女を眺めていたい。
僕があの日に行くとなぜだか頬をつたう雫を感じた。
その雫は果たして温かいのだろうか、冷たいのだろうか。
雫の主はどういう顔をしているのであろうか。
もうあの笑った顔も怒った顔も泣いた顔も見ることは出来ない。
なんだか疲れたよ。
あの日、あの時に戻り続けることも僕には重たくなってしまったみたいだ。
おやすみ。
ーそれでは参りましょうか。永遠にあなたに安息を与える場所へ。
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