位相1
※このエピソードは『深夜徘徊』『場所が悪い』や単発でアップしているエピソードと繋がってます。
徳田君は子供の頃から、他人には見えない物を見てきた。
いわゆる幽霊という奴だ。
“彼ら”は「どう考えてもコイツ死んでるよな」というような血だらけの状態だったり、体が奇妙にねじ曲がった状態――おそらく交通事故で死んだ――とかで現れることもあれば、手とか顔とか、体の一部だけが見えることもある。
普通の人間とまるで見分けがつかない姿で現れることもある。
ただ、こういった具体的な存在として現れることはごく稀で、大半は、目の錯覚といわれてもしょうがないようなモノが殆どである。
はっきりとした輪郭をもっていない靄のような、影のような、ちょっと目を離した隙にすぐにいなくなっているような、そんなあやふやな存在。
徳田君は、こういった心霊現象に遭遇しても、これまでずっと気づかないフリをしてきた。
徹底的に無視をしてきた。
みえたからといってどうになるものでもないし、無視すれば街ですれ違う通行人のように、それらはただ自分を通り過ぎていくだけの者達だった。
だが、先日、生まれて初めて、幽霊が自分に難癖をつけてきた。
深夜にラーメンを食いにいったその帰り道、女性の幽霊が自分を追いかけてきたのである。
追いつかれる前にとある助けを得て、事なきを得たが、もしあの幽霊に追いつかれ、捕まっていたらどうなっていたか、徳田君は考えるたびにゾッとするのであった。
これまで、すれ違うだけだった存在が、いきなり自分を追いかけてきたのである。
幽霊というものを舐めすぎだったと、徳田君は度々考えるようになった。
幽霊というのは、やはりちょっと頭のおかしい連中が多い。
徳田君は、そう解釈した。
だって、ふつう死ねば『あっち』に往くわけであって、『こっち』に迷い出てるという時点で、どこか頭のねじが飛んでいる連中なのだ。
(まあ、脳みそ自体ねーんだけどな)
体が無くなっても生きていたものに何かが残るのであれば、それは何だろう?
いわゆる魂とかいうやつなんだろうが……。
暇さえあればそんなことを考えるようになった、ある深夜。
深夜外出を控えるようになっていた徳田君は自宅のアパートでお茶漬けを啜りながら、友人から借りた(というより借りっぱなし)ドラマDVDを観ていた。
海外で制作されたSFドラマだ。
内容はおおまかにいえば、エイリアンの侵略の危機にさらされた人類を守るために、超古代文明が残したワープ装置を使って、銀河の様々な惑星を旅し、エイリアンに対抗しうるテクノロジーを入手しようと主人公達が奮闘する物語だった。
さほどSFには興味なかった徳田君だが、このドラマはえらく気に入っていた。
まず、ワープ装置を使って旅をするので、毎回毎回、宇宙のシーンや、宇宙船が出るというわけでもない。
迫力に欠けると言われればそうかもしれないが、地球にいながらにして銀河の様々な別世界を旅するのが面白いと感じたし、探検する星の先々で、テクノロジーを取得するどころが大失敗して、ピンチを迎え、それを切り抜ける主人公が率いる探検隊の活躍も見ていて痛快だった。
話数を重ね、シリーズを経る事に、最初は宇宙船さえ持っていなかった地球側が、主人公達の活躍で、徐々に宇宙戦艦やワープテクノロジー、ビーム兵器などをゲットしていく過程も、徳田君は楽しみながら視聴していた。
そんな徳田君のお気に入りのSFドラマも佳境……未視聴分がファイナルシーズンと数話ぐらいというところまで、観た頃、あるエピソードで興味深いSFアイテムが作中に出てきた。
位相転換装置。
物質を分子に分解して別次元に送り再構築する。
元の次元にいる者は別次元に移動した人・物を見ることも触れることもできないが、別次元に行った者は元の次元の人・物を見聞きすることができる――という装置だった。
作中の主人公達は、この装置を使い、やって来た敵の目を逃れ身を隠していた。
すぐ近くにいるのに透明人間になったように、敵には主人公達の姿が見えないのである。
否、それどころか、あらゆるセンサーにも感知されないし、体がぶつかってもすり抜けてしまうのである。
透明人間どころか、まるで幽霊だ。
「……」
お茶漬けを食べ終えた徳田君は、リモコンで映像を巻き戻し、位相転換装置が活躍するシーンを何度も見返した。
別の位相、別の次元。
別の世界。
徳田君はふと思った。
幽霊が『こっち』に迷い出ているだけでなく、いわゆる霊感がある人間というのは、向こうの世界に片足を突っ込んでしまうのではないかと。
幽霊に遭遇した時、徳田君の場合は周囲の風景も違ってみえることが多い。
この前、女性の幽霊に襲われた時もそうだった。
あの時、最近付け替えられたはずの通りの街路灯が、古ぼけた旧来のものに変わっていた。
街並みも、変わっていたような気がする。
まるで、別の道なのかと錯覚したほどだったが、本当に違う道だったのではないだろうか?
そして、ここ近年、幽霊や怪現象に遭遇する頻度が異常に多いことにも徳田君は気づく。
明らかに危険度も増している。
霊が徘徊する別世界がこっちの世界と折り重なって存在するなら、これはどういうことなのだろうか。
徳田君はDVDプレイヤーとテレビの電源を切り、しばらくの間考えた。
可能性の一つとして『自分の霊感が強くなった』というのをまず考えた。
「ねーよ」
即座に徳田君は否定した。相変わらず不摂生で自堕落な生活を送っている徳田君である。
霊を頻繁にみるようになったという以外は、自分の生活になんら変化はない。
自分が霊能力者としてレベルアップする理由が一つも思いうかばない徳田君であった。
別の可能性を考える。
ここまであれこれ徳田君が思案する理由は「なんとかならねーかなぁ」という思いからであった。
最近は深夜の外出を控えている。
これまで、歯牙にもかけなかった霊達が――認めたくはないが――ちょっと怖くなってきたからである。
しかし、夜型の生活は変えていない。
(最近ラーメン食いに行って無いなぁ……夜に出歩くのがちょっとなぁ……)
これではなにかと不便なのである。
そして、ラーメンで思い出す。
(あ……場所が悪くなっているのか?)
潰れたラーメン屋の真っ暗な店内で、怪現象に遭遇した時に思ったことである。
――あの場所は、店が何回も潰れてる場所だ。場所が悪い。
今住んでいる、町――西陽台。
思えば、ここ二ヶ月ほど徳田君は自宅に籠もりがちで、西陽台から出たことが一度もない。
(これ、町全体がなんかマズいことになってるんじゃねーの? 祟り的な意味で)
「……ねーよ」
一言そう漏らして、また自分の考えを否定すると、徳田君は空になった茶碗をキッチンのシンクに持っていこうとした。
「…うわ!」
思わず飛び退いた。
茶碗の中に、虫がいたのである。
大きさは十センチ以上。
毛虫ような黒い胴体に、長いバッタのような足が何本もはえ、何本かは茶碗の縁からはみ出している。
ムカデのような頭の部分が鎌首をもたげ、徳田君を見ていた。
一対の長い触覚が不規則に蠢いているのを見て、徳田君は吐き気を覚えてユニットバスに駆け込んだ。
胃の中のものを便器に全て吐き出す。胃がひっくり返り、喉が痙攣した。
水洗レバーを引き、水を流すと、フラフラと浴槽の縁に腰掛け、しばらくの間じっとしていた。
さっきの虫、徳田君は過去に一度だけ、この部屋で見たことがあった。
それまで見たことがない虫だったし、ネットなどで調べても似たようなのは見つからなかった。
だから、その時は睡眠不足と二日酔いのせいでみた幻覚だと考えていたのだが、二度目ともなるとそうはいかない。
――『向こうの世界の自分の部屋』には現実には存在しない気持ち悪い虫が一匹棲んでいる。
――茶漬けを啜っている時にも、あの虫は茶碗に乗っかってたのかもしれない。
こういう時に限って想像力を発揮しだした徳田君は、また吐き気がこみ上げてくるのを感じた。
えづきながら洗面台のひねり、水を出すと、徳田君は顔を洗った。
あまり、長く目を閉じていたくないので、しきりに瞬きをしながら、両手で少量の水をすくいながら洗面する。
鏡を見る。鏡の中のやつれた自分の顔が充血した目で見つめかえしてくる。
「わかったわかった。よし、わかった。降参だ。撤退。引っ越そう」
……そう呟くが、引っ越しする資金が、貧乏な徳田君には無いのであった。
(つづく)