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陸橋下の公園

 その公園の入り口前には、よく警官が立っている。

 学生の頃は通学路として、今は隣町の飲食店への通勤路となってるFにはそんな印象が強い。


 昼間でも薄暗いその公園は、地面からせり上がった大きな幹線道路が陸橋になって、志道通りと立体交差しているところにある。

 周囲の一角には大学があり、敷地内のこんもりと茂った木々が塀越しに見える。

 他には年代物のマンションや雑居ビルが建ち並んでいる。

 真上の陸橋の影が被さり、街灯もないので夜になると真っ暗になる。

 かなり気味が悪かった。


 実際、ひったくりや痴漢の発生も多く、その為に警官がよく巡回していたりするのだろうと思っていたが、警官の立ち寄りが頻繁になったのは、数年前に殺人事件が起きてからだ。



 被害者は公園に寝泊まりしていたホームレスだった。

 死因は全身打撲。

 殴り殺されたのだ。

 息絶えていたところを朝に発見された。


 犯人は捕まっていない。


 その事件以来、夜間は公園入り口の扉が施錠され、立ち入ることが出来なくなった。


 酔っぱらった大学生が寄ってたかってリンチした、それを大学ぐるみで隠蔽した……などと、近所の人々の間でまことしやかに囁かれたが、半年と経たずに、殆どの人々は忘れ去っていった。


 だが一部の怪談好きやオカルトマニアの間では、その公園に深夜ホームレスの幽霊が出る……などという噂が立った。

 Fも自分で、公園のことを色々と調べてみたが、実際にこの公園で目撃されたのを最後に行方不明になっている者や、原因不明の発作で突然死した子供などがいるらしい。


 そんなわけで、陸橋下の公園は昼間でも利用者はほぼ皆無だ。


 最近、志道通りの街灯は新しいLED灯になり、それは公園内にも設置された。

 

 深夜通りかかっても強力な白色光に明々と照らされ、以前のような不気味さは消えた。


 それでもやはり、今でも公園前に警官がよく立ち寄っている。

 自転車を呼び止めて防犯登録の確認などをしているのをよく見かける。



 ……Fは、殺されたホームレスのことを覚えている。



 学生時代、公園前を自転車で通り過ぎる時、ボロボロの服を着たホームレスの男が、公園入り口前で座り込んで何をするでもなく、ただ志道通りを通り過ぎる車や人を眺めているのをよくみかけた。


 曲がった背中。

 大昔の探偵が被るような帽子。

 煤けた顔。

 ボサボサの白髪混じりの長髪。


 池袋や新宿駅周辺でよく見かけるホームレスと似たり寄ったりの格好だが、陸橋下の公園のホームレスの目には妙な鋭さがあった……と、Fは記憶している。


 普通のホームレスは無気力に寝転がっていたり、俯いて他者と目を合わせようとしない。

 だが、Fは公園前を通り過ぎる時、そのホームレスの眼光の鋭さに、なにやら怯んでしまうような、気後れしてしまうような感情を抱くことがちょくちょくあった。


 他のホームレスにはない、力強さがあった……ともすればそれは相手を値踏みでもしているかのような挑戦的な態度にもみえた。

 そんな態度と雰囲気が癪に障り、生意気だと思った連中が、もしかしたらそのホームレスをボコボコに殴り殺してしまったのかもしれない。


(なんか……いやだな。そういうの。可哀相とかそういうんじゃなくて……いやな感じだ)


 実は学生時代、Fはそのホームレスとちょっとした知り合いだったのだ。


 

 部活帰りの夕暮れのことだった。

 真夏の暑さでバテ気味だったFは自販機で買ったスポーツドリンクを飲みながら自転車を漕いでいた。


 いつもように陸橋下の公園前を通り過ぎようとした時である。


 妙にひんやりとした風が吹いた。

 蒸し暑い空気の中、まるで冷凍庫を開けたような冷たさをもった風だ。


 思わずFは自転車を止めた。

 公園にはいつものホームレスの姿はなかった。

 だが、入り口脇にあるガラクタにしか思えないような荷物の山や、公園内のトイレ横のダンボールハウスがそのままなのを見ると、退居したわけではなく、外出中なのだろう、とFは思った。


 なんとなく自転車を降り、公園内に入ってみた。


 陸橋下は常に日陰になっている為、ある程度は涼しいが、それでは説明がつかないほど公園内は冷たく、静かだった。


 Fはスポーツドリンクを飲み干し、ベンチの側にあるゴミ箱に捨てると、自転車に乗ろうとした。

 帰ろうとしたのだ。


 しかし、急な目眩が起こって、Fは目を瞬いた。

 その場でスタンドを立てて自転車を止めると、ふらふらとFはベンチに座り込んだ。

 猛烈に背中がだるかった。目頭を押さえながらFは俯いた。

 どうしようかと考えあぐねた末、ベンチで少し横になることにした。


「おい兄ちゃん」


 Fはびっくりして飛び起きた。


「いけねえよ。学生さんがこんなとこで、夜中まで寝転がってちゃ」


 公園を根城にしているホームレスだった。


 Fは「あ、はいすみません」と咄嗟に返事しながら、とっくに日が暮れて夜になっていることに気がついた。

 Fは唖然とした。今さっき、ちょっと横になったばかりだというのに。公園に入った時はまだ明るかったはずだ。

 頭上の陸橋を通り過ぎる車の音が、ブォーン、ブォーンと、やたらと大きく聞こえる。


「大丈夫かい? ずいぶん青い顔してるぜ」


「だ、大丈夫です。ちょっと休んでただけですから」


 そう言いながら見上げると、ホームレスの姿は真っ黒な影のようだった。内心ビクッとしながら、Fはこんなに暗いのによくこっちの表情がわかるな、と思った。


 立ち上がり、自転車にまたがりながら、


「あ、あの、ありがとうございました」


 と、Fが礼を言うと、ホームレスのおじさんは笑った。


「気ぃつけて帰りなよ、兄ちゃん」


 それからというもの、Fは公園前を通り過ぎる時、ホームレスのおじさんと目が合うと軽く会釈するようになった。

 向こうもFの事を覚えているようで、軽く頷いたり、小さく手を振って返事を返してくる。


 そんな小さなやり取りは数週間続いた。

 そして、うだるような猛暑が続いたある日、おじさんは殺された。


 事件を聞いた時、何ともやりきれない悲しさがFの中でわきあがった。


 時間の経過と共に徐々に薄れて入ったが、公園前を通り過ぎるたびに、今でもFはそういう感慨を抱くことがちょくちょくあった。


 ある日、勤め先の飲食店で、シフト移動があり、Fは夜番になった。


 店内の掃除片づけが終わると日付もかわって深夜になる。

 夜番初日の帰り道、公園の前を通りかかり――


「あっ!」


 Fは急ブレーキで自転車を止めた。


 公園の中で人が倒れていた。

 よれよれの衣服をまとったホームレス風の男だった。


 Fは自転車から降りて急いで駆け寄った。

 夜間は公園には立ち入られないように、フェンスの扉は施錠されて閉ざされているはずだとか、そういうことは頭の中から吹き飛んでいた。

 もちろんホームレスの幽霊が出るなどという噂もだ。

 脳裏にあったのは知り合いだったおじさんが撲殺されたという記憶だけだ。


「大丈夫ですかっ?」


 うつぶせで倒れている男の背中を叩きながら、Fはそう声を掛けた。


「……ええ、ええ」


 男は返事をしながら手をついて体を起こした。


「ようおいでなすった」


「え?」


 男は振り返った。

 ――手には角材のような木の棒を持っていた。

 それを振りかざすと、Fめがけて振り下ろしてきた。


「うわッ」


 Fは寸でのところで仰け反るように後退って、棒をかわした。

 空を切って地面に激突した棒がズサッと鈍い音を立てる。

 突然のことに体のバランスを崩したFは尻餅をついた。痛みに思わず一瞬、目をつぶる。


 そして目を開けた時、公園は真っ暗になっていた。


 新設されたはずのLED灯が無くなっている。

 さっきまで明るかったはずの周囲は何も見えない真の闇だった。


「せっかくですから、寄っていってください。もうしばらく、寄っていってくださいよ」


 のっぺりとした、淡々とした声が前方から響いてくる。


「ちょ、ちょ――」


 Fの頭に唐突にこんな考えが浮かんだ。


 ――公園に出る幽霊って、ホームレスのおじさんじゃなくて、おじさんを殴り殺した方じゃね?


 直後、Fは半泣き状態になって、立ち上がり公園の外へ逃げようとした。

 が、出入口まで駆けてきて愕然とした。微かに遠くの街灯やマンションの光で視える僅かな視界に映ったのは閉じたフェンスの扉だったのだ。


 死にものぐるいで、扉を開けようとしたが、ガチャガチャいうだけで扉は開かなかった。

 ――施錠されていた。

 

(なんで? なんでだよッ。開いてただろ! 入った時は! 開いてたじゃないか)


「そんな急がなくてもいいじゃないですか。もう少し寄っていってくださいよ。なあ、いいだろおい」


 背後から男の声が聞こえて、ハッとしてFは振り返る。


 木の棒を持った男が目の前まで迫ってきていた。すでに木の棒を高々と振り上げている。

 まさにFの脳天めがけて振り下ろそうとしている。

 Fは反射的に両手を上げて頭を守ろうとした。

 その時――。


「おい兄ちゃん」


 聞き覚えのある声がしたと思ったら、グイッと右腕を後ろから掴まれた。

 そのまま後ろに引っ張られる。


「うわッ」

 思わず目をつぶった。

 後ろは鍵のかかった扉のはずだ。

 Fは今この瞬間にも背中にピッタリとフェンスの感触を感じていた。


 にもかかわらず、Fは後ろに引っ張られ、公園の外を抜け出たのを感じた。

 微かに、木の棒を持った男の罵るような唸り声が聞こえた。

 目の前にいるはずなのに、ひどく遠くから聞こえたように感じた。


「こんなとこ来ちゃいけねえよ、兄ちゃん」


 聞き覚えのある声は、間違いなかった。公園にいたホームレスのおじさんの声だった。

 

 Fはハッとして目を開けた。


 眼前にあるのは、施錠されたフェンスの扉だった。

 公園内はLED白色灯に煌々と照らされている。

 そこに木の棒を持った男はいなかった。

 周囲を見回すが、もちろんホームレスのおじさんもいなかった。


 Fはしばし呆然と立ちつくしていたが、一つ大きな息を吐くと、止めていた自転車にまたがり、猛スピードで家路についた。


 以来、陸橋下の公園前はあまり通らないようにしている。

 特に、夜は絶対通らないようにしている。



 ――こんなとこ来ちゃいけねえよ、兄ちゃん

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