四連チャン
『付近住人公認の野良犬』に出てきた人物が登場しますが、このエピソード単体でも読めるショートストーリーとなっております。
工藤昭彦はN区西陽台にある、親所有の賃貸アパートの一〇五号室で暮らしている。
ある週末の夜、母から電話があった。
パチンコで大勝ちしたから、出前で寿司やらピザやら頼んで夕食を豪勢にやるから、家に来ないかとのことだった。
実家にいる兄夫婦は旅行で不在とのこと。
(母さん、パチンコやり始めたんだ……)
父は他界しているので、今実家には母しかいないことになる。
実家といっても自転車で二十分足らずで行ける距離だ。
何の気兼ねもなく、昭彦は実家へと向かった。
パチンコで十万以上儲かったらしく、夕食は昭彦の予想以上の豪華さだった。
テーブルに置かれた寿司桶と宅配ピザ。高そうな日本酒の一升瓶とビール……。
そして、久しぶりの親子二人の水入らずである。
昭彦が寿司をつまみながらビールをやっていると、日本酒が注がれたコップを片手に、赤ら顔の母がこんな事を言いだした。
「実は今年から民生委員の仕事をしてるんだけどさ」
「民生委員?」
母の話によると、ボランティア活動をしていた時に誘われたのだそうだ。
民生委員というのは、地域住民の様々な相談に乗ってあげたり、社会福祉関係の情報を提供したり、一人暮らしの高齢者の様子を伺いにいったりする、奉仕者のことらしい。
無給ではあるが、法的には公務員にあたるらしく、各地域ごとに配置されているのだとか。
「へえー、なんかカッコイイじゃん。母さん昔からボランティア活動とかに熱心だったし、性に合ってるんじゃないの?」
何の気なしに、そう感想を述べた昭彦に、母は不機嫌そうにこう漏らした。
「そうでもないわよ」
「どゆこと?」
詳しく話を聞いてみると、担当地区の巡回や訪問調査をしていると、最近は本当にだらしない人間が増えたのだなとつくづく思うことに出くわすのだそうだ。
例えば、一緒に住んで、子供までいるというのに、形だけ離婚して、生活保護を二重に取得し、児童扶養手当も得ているような家庭が驚くほど多いというのだ。
昭彦は話を聞いていて呆れていた。
グイッとビールを一気に飲み干す。
「そりゃー、真面目に働いているのが馬鹿らしくなるね」
「でしょう? 社会福祉の仕組みをさぁ。そんな風に利用してる人等にさぁ。私らが納めた税金が使われてるわけよっ」
母もグイッと日本酒を飲み干した。
二人とも、酒がすすむすすむ。
「でもさー、ホームレスの人とかでも、生活保護もらえるのって難しいんでしょ? そんな簡単にいくもんなの?」
「ホームレスの人達って、住所不定だからね。それに体は健康なんだからってことで、生活保護の対象にはならないのよ」
「なんだかなぁ……体が健康ってそれは、その偽装離婚してる奴らも一緒じゃん」
「これはお母さんの想像なんだけど、多分“子供がいる”ってのがすごく重要視されてるんじゃないかなぁ」
「あー……なるほど」
「小さな子を飢えさすわけにはいかないでしょ? それで、生活保護の審査が簡単に通っちゃってるんじゃないかな」
そう言いながら母はコップに酒をまた浪波と注ぐ。
ふと、昭彦は母親をみつめた。
母は下戸ではない。
だがこんなに酔っぱらった母親を見るのは昭彦は初めてだった。
(ストレスたまってるのかなぁ)
そんなことを思いながらも、昭彦は空になったグラスに手酌でビールを注ぎながら、母親の話に憤慨していた。
大学を卒業し、働き初めてそろそろ一年。何かと憂鬱なことも多い。
だが母の話はそれだけにとどまらなかった。
「昭君は知らないだろうけどさぁ。今昭君が住んでる……西陽台に、事故物件の借家があるの知ってる?」
「え? 知らない」
「あんのよ。昔一家全員がバラバラに解体されたっていう殺人事件が起こった家が」
「まじでか……」
「まあ、事故物件とかいってもね、たいてい幽霊なんか出やしないし。自殺や殺人が起こったってだけで、家賃が格安になる物件は結構人気高いのよ。知ってた?」
「いや、母さん。俺だって大家の息子なんだから、それくらいは知ってるよ。でも近所にそんなのがあるのは知らなかった」
「で、ね。大家仲間でもその家だけは結構有名なのよ。“ヤバイ”って」
「……」
「近所でも有名らしくてね――」
「“出る”の?」
「そっ。でもやっぱり人気でね。四LDK庭付きの一戸建てで、家賃が七万円だからさ」
「え、安っ! いくらなんでも安すぎじゃね?」
「入居者は絶えないんだけどね。普通一ヶ月と持たずに引っ越しちゃうの。うめき声とか、女の悲鳴とか、枕元に殺された一家の幽霊が立つとか、夜中に風呂場がが真っ赤に血に染まってたりとか、しょっちゅうらしいから……。でもね、そこに住んで一年ぐらい経過している猛者が現れたのよ」
昭彦はピンと来た。
「もしかして、その猛者って、偽装離婚してる家族……とか?」
「その通り。で、この前その家に初めて訪問したんだけど、奥さんが出てきてね。まー強かなもんだったわ。家の中の様子を伺っても、近所の情報からも、どう考えても旦那と一緒に暮らしてるのに、“離婚してます。離婚した相手はうちには住んでません”の一点張り」
「へー。偽装離婚で生活保護二重受給、児童扶養手当ももらって、事故物件に住んで……あと、こっそりバイトでもすればかなりの収入だよね。四連チャンだ」
それを聞いて、母はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべた。
「ふーん。でも、これ地権者からみても四連チャンだよ」
「え」
「まず、お化けが出る事故物件だってのに、普通の賃借一家と違って長居してくれるから安定した家賃払ってくれるで一つ。生活弱者を援助しているって建前ももらえる、で二つ。偽装離婚で生活保護二重に貰っているってのをバラすぞとこちらが逆に脅してたかることも出来る……で、三つ」
母の目は据わっていた。
「母さん、こええ」
「やーねッ。冗談での話よ」
「……でもそれじゃ四連じゃなくて三連じゃね。つか脅迫とかしてたら、その家族に殺されちゃうとかありそうじゃない。あと脅迫罪で逮捕とか」
「そこで四つ目よ。その家に住んだ人って本当にろくな事になってないからね。風の噂で引っ越して逃げていった人も、自殺したり、原因不明の事故死や病にかかったなんて噂も聞くし……長く住んでいると、取り殺されちゃうとか? そういうの、ありそうな気がするじゃない。そうすればきれいさっぱりして、地権者は新たな獲物を不動産業者に依頼……」
「母さん、やっぱ怖い。怖いよッ」
「だから冗談だって。でも、そろそろなんじゃないかなぁ。家宅訪問した時のあの女の顔、死人みたいに青白くて、ブツブツブツブツ独り言多かったし、どう考えても普通じゃなかったもの」
そういって、クククっと母はほくそ笑み、酒をコップに注ぎながらボソリと呟いた。
「早く取り殺されちゃえばいいのに」
思わず寿司を摘もうとした、箸を持つ手が震えた。
(母さんは、ボランティアとかに熱心な人だ。気も優しいし、絶対に冗談でも“殺されればいい”なんて事は口にしない……)
目の前にいる母親が、一瞬まるで知らない人のように感じ、そして、そう感じてしまったことに冷え冷えとした恐怖を感じた昭彦は、食欲が一気に失せてしまった。
その日、昭彦はアパートには戻らず、実家に泊まった。
なぜか、兄夫婦が帰ってくるまで、今の母を一人にしてはいけないような気がしたのだ。
だから週末、昭彦はずっと実家で過ごした。