深夜徘徊
徳田君は夜型の人間である。
そのため、日付が切り替わった時に起床することもよくある。
実は、二~三時間前にすでに目が覚めているのだが、寝る前に飲んだ酒が残っている為、頭痛やらなんやらで、すぐに起き上がる気力がないのだ。
二度寝にふけって、尿意が押し寄せ、それが我慢できなくなる頃に起きると、日付が切りかわり、深夜になっているというわけである。
徳田君は寝床のロフトから、はしごを使って下に降りた。
トイレを済ませ、顔を洗い、バスルームから出ると、休止状態にしていたパソコンを起動させる。
メールチェックなどを終え、徳田君はボーっとした頭でそのままネットサーフィンをしていた。
今日は何の予定もない。休日である。
このまま、ボーっと室内にいると、ネットをして、本を読んで、それで一日が潰れてしまう。
意を決して、徳田君は下をジャージからジーパンに履き替え、上はそのままジャンパーを重ね着して、外へ出た。
意を決してやることといっても、やることは夜の散歩――いわゆる深夜徘徊である。
休日は寝すぎてしまう徳田君にとってはよくあるパターンであった。
――深夜徘徊はハマりすぎると人生を破綻させるから気をつけろよ。
以前、誰かにそんなことを言われたのを徳田君は思いだした。
しかし、徳田君にとっては深夜徘徊は朝の散歩のようなものだ。
近所を歩き回り、コンビニに立ち寄って雑誌を立ち読みしたり、気が向けば隣町まで足を伸ばすこともある。
腹が減ったら、二十四時間営業の牛丼屋等を利用する。
お気に入りのラーメン屋に入ることもあったが、近くにあった店は潰れてしまった。
だが今は……ラーメンを食べたい気分の徳田君であった。
徳田君は隣町まで歩き、某ラーメンチェーン店に入った。
このチェーン店は三時まで営業している。徳田君にとっては貴重なお店だ。
店内はそこそこ混んでおり、仕事帰りっぽいサラリーマンやフリーター風の男性、タクシーの運ちゃん、おネエさん等々がいる。
そんな中で、髪もボサボサで無精髭ボーボーの自分は異質な存在だろうな……などと思いつつ、徳田君はカウンター席についた。
すぐに給仕のおばちゃんが近づいてきた。
「いらっしゃい」
「みそタンメンにバター。あとライスで」
「あい」
一瞬、餃子とビールを追加で頼みたい衝動に駆られたが、起きたばかりの「朝飯」でそれはだめだろう、とさすがに徳田君は自制した。
程なくしてラーメンとライスが目の前に置かれた。
徳田君はカウンターに置いてあるすり下ろしニンニクを大量投入し、平らげる。スープも全部飲み干し、完食した。
食欲も満たされ、人心地ついたところで、徳田君は店を出た。
(……バターとライスは余計だったかな)
少し食い過ぎた感がある。徳田君はジャンパーのファスナーを開け、帰宅の徒についた。
部屋に戻って何をするのか、特に決めているわけでもないのだが、背中を丸め足早にアパートへと向かう。
西陽台の志道通りに入ると、徳田君はふと周囲を見回した。
妙に、夜の闇が、濃い。
最近付け替えられた志道通りの街路灯は、強力なLED白色灯だ。
眩しいほどの光は、最初隣町へ向かう時は、通り全体を鮮明に照らし出していたはずなのに、この帰り道はどうだ。
まるで、別の通りなのかと錯覚するほど、街路灯と街路灯の間が暗い。
そして、その闇の中を行き来する、人の形をしたいくつもの影を徳田君はみた。
「チッ」
徳田君は舌打ちした。
「またか」という気分である。
徳田君は、いわゆる幽霊やそれに類する怪現象に遭遇しても、気づかないフリをする。
徹底的に無視する。
視えたからといってどうなるものでもないし、気にしたら負けだ。
だから幽霊だのなんだのといったものは信じない。認めない。
視えているからといって、そんなのは自分には関係がない。
この世のことでも精一杯なのに、あの世のモノと関わってる暇などない。
と、いうのが徳田君の持論である。
神や仏も信じない……いたとしても関わらない方がいい。
……まあ、伊勢神宮には参拝しに行ってもいいが、大神神社や出雲大社には自分が行っても仕方がない。
常々、自分自身に言ってそう聞かせる徳田君であった。
霊能者とよばれる人間と、会ったこともなければ話したこともないが、霊感があるタイプは二つに分けられるのではないかと徳田君は思っている。
積極的に関わっていくタイプと、徹底的に関わろうとしないタイプだ。
そして、自分がそうだからというわけではないが、『関わろうとしないタイプ』は強いか弱いかでいえば強いタイプだと思っている。
道を歩いている時、対向してくる人とぶつかりそうになると、どちらかが避けてすれ違わないといけない。
この場合、相手の背格好、見た目でどうするかが決まる。
双方避けあうのか、片方だけが避けるのか、パーソナルスペースに入る間近までお互い粘ってしまうのか。
生身の人間相手では『並』の徳田君だが、幽霊に対しては自分はかなりの『コワモテ』の部類に入ると自負していた。
気づいていないフリ、無関心な様子、ツンとした態度をとっていれば、『視えているモノ』はたいてい姿を消すか、自分を避けていく。
徳田君は何食わぬ顔で、歩調を強めた。
すれ違う『影』達はみな徳田君を避けていく。
(ざまぁ……)
すこし得意な気分になっていた徳田君だったが、急に腹に痛みを覚え、顔色を変えた。
思わず立ち止まってしまうほどの、刺すような痛みだった。
その時、影達が一斉に身動きを止め、徳田君を見つめた。
(ヤバイ……やっぱ食い過ぎた)
猛烈にトイレに行きたい衝動に駆られるが、近くにはコンビニも公園もない。
できるだけ、早く部屋に戻るしかない。
腹に刺激を与えないように、なおかつ最大限の早歩きで、徳田君は急いだ。
と、進行方向数十メートル先の交差点に、女性が佇んでいるのがみえた。
『影』のようなもやもやした存在ではなく、街路灯の光の中に立つその姿は普通だ。
徳田君は、真っ直ぐ突き進む。
だが、女性の足元を見て、背中に冷たい痺れがはしった。
極度の動揺で、額、腋、背中、そして尻の尾てい骨あたりに大量の汗が発生し、下着に滲むのを感じた。
女性の足下――信号機の柱に、花が添えられてある。
女性のグイッと首が動き、徳田君の方を向いた。
街路灯の白い光の中、ハッキリと見えた。
女性の額からは血が流れ、顔は腫れ上がり、片方の目が真っ赤に充血していた。
「ッ」
徳田君は息をのんだ。そのまま真っ直ぐ歩いていても、ぶつかりはしなかったのに、思わずビビって体をひねり、飛び退くように女性を避け、距離を置いてすれ違った――。
グルリ。
女性が振り向き、自分に興味を示したのを感じた。
街路灯の光を抜け――暗闇の中。
コツ、コツ、コツ、と自分の後をついていく足音が聞こえる。
頭痛がする、いやな圧迫感が背後から感じる。
次の街路灯の光の中に入ると、足音は消えた。
しかし、光を抜けると、また足音がした。
コツコツコツコツコツ。
しかも音は大きくなり、自分に近づいているのが分かった。
ゾッとした徳田君は力を込めていた腹筋にさらに力を込め、息を大きく吐き、そして吸った後、次の街路灯の光の中に入った瞬間、走り出した。
すぐさま次の暗闇の中に突入する。
カツカツカツカツカツカツカツカツカツカツ!
激しい足音が聞こえる。徳田君は一心不乱に走り続ける――。
首筋に冷たい吐息がかかった。
じめじめとした感じがした後、首の一切の感覚がなくなった気がした。
溶けて無くなったんじゃないかと思った。
パニックに陥って足がもつれた。
街路灯に照らされる歩道に、つんのめるようにして転けた時、白いなにかが視界をよぎった。
地面に手をつき、体を起こすと、白い犬がいた。
毛を逆立たせ、徳田君の後ろのアレに向かって、唸り声をあげている。
そして、吠えた。
直後、スッと背後からの圧迫感が消えたのを感じた。
後ろを見るが、そこには何もいない。
相変わらず暗闇が濃くみえるが、女性の姿も影達も消えていた。
そして、何事もなかったかのように白い犬は、徳田君が走ってきた方へと去っていく。
「……」
徳田君は立ち上がった。
呆然としつつ、もう一度後ろを振り返ってみるか、迷っていたその時――。
「不用心に、夜を徘廻らない方がいいですよっ」
活発そうな、溌剌とした女の子の声だった。
徳田君は後ろを振り返った。
そこにいたのは、白いフライトジャケットみたいな上着に、袴(?)のような妙なスカート姿の可憐な少女だった。
艶やかなショートカットの黒髪に縁取られた、凛々しい顔に見つめられ、徳田君は思わず視線を逸らし、目をパチクリさせた。
もう一度目を凝らすと、そこには暗闇の中を悠然と歩き去っていく白犬の姿があるだけだった。
徳田君は、呆けたように犬の姿を眺め続けていた。
そして、思いだした。あの犬はハヤタという、西陽台近辺に出没する野良犬だ。
「……」
思わず、声を掛けてみようかという、衝動が頭をもたげたが、直後に猛烈な腹痛がぶり返してきて、徳田君は心の中で毒づきながら、アパートへと急いだ。