十二章 第四話 砂漠の要塞
黒い肌と大きな角を持ったサイが、車両を牽引する。
ルトルイムの民に“カウカウ”という名で呼ばれているこのサイは、砂漠で覆われた賭しにおいて用いられる貴重な移動手段であった。
カウカウの牽引する車両、ようは馬車のようなもの。
その中で、千里とナーリャは緊張を滲ませていた。
アルハンブラ治安維持組織の隊長以下数名が、千里達に付き添っている。
今本部には、その他の隊員とその代理司令となるイリューネが残っているのだと、乗り込む前に聞かされていたことを、千里は思いだした。
「もうすぐ到着だ」
テイガの言葉に、気を引き締める。。
首都からカウカウ車で三十分ほどの場所に在る、石の城。
そこが、千里達の目的地であった。
「王様かぁ……どんなひとだろう?」
千里の呟きに、正面に座るテイガは小さく苦笑した。
その笑顔の意味がわからず、見ていたナーリャは首を傾げる。
なんだか気まずげな仕草に、ナーリャは僅かだが“嫌な予感”を覚えていた。
「なんにしても、なるようにしかならないか」
「ナーリャ?」
「いや、なんでもないよ」
窓から身を乗り出して、城を見る。
エルフたちの王が住むという、その巨大な石の城を――。
E×I
砂で囲まれた、石造りの城がある。
太陽の光に晒され、風に当てられ、徐々に砂へ還っていく大きな城。
その威風堂々とした佇まいは、見上げる千里を圧倒していた。
「すごい」
思わず、息が零れる。
今まで千里は、この世界で色々な建造物を目にしてきた。
王都の城。
銀の吸血城。
帝国の城。
灼雪の悪魔城。
神託の神殿。
朱色の議事堂。
それらどれにも当てはまらない、まるで古代の遺跡のような建物に、千里は魅入っていた。
「こっちだ」
「千里、行こう」
「ぁ……うんっ」
テイガの声で引き戻されて、ナーリャに手を引かれる。
石の城の周囲には、アルハンブラのメンバーの他にも、常駐しているのであろう兵士たちの姿も窺えた。
城、と最初に千里は考えたが、ここはそんな生易しいものでは無い。
まるで巨大な外敵から戦い続けてきたかのような、経験の粋がこれでもかと込められた要塞。
大型の魔獣が数多く存在する“砂漠”で、生存し続けるために作られた砦だった。
「テイガ、こんなに簡単に来られるところの場所のようには思えないんだけど?」
道中、ナーリャが訊ねると、テイガは小さく肩を竦めた。
その表情には戸惑いが浮かんでいて、どう答えて良いかも判断しかねているようだ。
「俺も、こんなことは初めてだ。王に、こんなに簡単に会えるなんてことはな」
今までになかったこと。
その理由が自分の背後で建物を見回している千里が持つレラの涙あれば、それでいい。
だがそれだけではいかないような気がして、ナーリャは胸の内に燻る感情を抑えた。
「ここから先が謁見の場だ。
――俺も一緒に入るが、失礼の無いようにな」
「わかった、ありがとう。テイガ」
「うんっ、ありがとう。テイガさんっ」
ナーリャと千里は、テイガに礼を告げると、前を見る。
大きな石造りの門を門兵が開くと、そこから伸びる赤い絨毯が見えた。
千里はその絨毯に、“ラテン”系の色を思い浮かべ、ほんの僅かに懐かしい気持ちを抱く。
赤い絨毯の向こう。
七つ重ねた石の階段。
薄くヴェールの並んだ天蓋。
石で作られた赤い装飾の玉座。
「連れて参りました、王」
「――ああ」
腰まで届く、月明かりのような金砂の髪。
濁りのない海のように、恐ろしいほど碧い目。
額は大きくさらけ出されていて、その褐色の肌からは気怠さが見える。
けれどなにを於いても崩れる事のない高貴な雰囲気が、彼を最良種とまで呼ばれたエルフたちの王であるということ、否応なしに見せつけていた。
「要件は聞いている。宵闇の腕輪が欲しいのだろう」
頬杖をついたまま、王は胡乱げに告げた。
名も名乗らず、名乗ることも許さず、目を見ることすらせず。
「は、はい!これが証明の、レラの――」
「――いい。好きに持っていけ」
「え?」
レラの涙を取り出そうとした千里を、制する。
その受け答えに、千里やナーリャはおろか、テイガまで驚いていた。
「不満か?」
「い、いえ、そんなことはないです!けど……」
「ああ、どこにあるのか気になるか」
ため息を吐きながら告げる、王。
聞くものの腰を砕くような憂いのある声。
その美声から紡がれる声には、ひどく力がない。
褐色の肌は、月の加護を得た証。
ならこの気迫の無さは、月が隠れて久しいために起こったのか。
判断できず、ナーリャは口を噤んで眉を寄せた。
「砂漠の果てに遺跡がある。そこの守護者から手に入れろ」
「ッ?……王よ!お待ちください、王よ。この者たちは我々の恩人。そのような――」
「――であるならば、問題はないだろう。エルフよりも優れた力を宿しているのなら」
テイガの言葉を、王は真っ向から切り捨てた。
それきり食い下がることができず、テイガは唇を噛んで頭を下げる。
その様子に、千里とナーリャは今までに何度も経験してきた感覚を覚えっていた。
そう、途轍もない厄介ごとを任されるような――“嫌な予感”である。
「その、守護者というのは?」
ナーリャが、真剣な瞳で問いかける。
すると王は、胡乱げな瞳をナーリャ達の方向へ戻した。
「魔獣だ。夜を呑んだ、愚かな魔獣だ」
「王、彼のものをそのような――」
「無粋な口出し、幾度も許すと思うか?」
「――申し訳、ありません……ッ」
テイガと王の遣り取りは、奇妙だ。
それ故に、千里とナーリャは小さく視線を交えて、戸惑いを浮かべていた。
「道はあとで案内をつけよう」
「王よ!それならその役目、私めに」
「……構わん。兵も連れて行け」
「はっ、ありがたき幸せにございます」
謁見も、それで終わり。
そうしてお開きになろうとする中、ナーリャはその場から動かず王を見据えた。
「守護者とは、どのような存在なのですか?」
石造りの王の間に、ナーリャの声が静かに響く。
その声に、立ち去ろうとしていた誰もが、足を止めた。
「――龍だ」
静かに告げられた声。
その声をナーリャは、真っ向から睨む。
幾多の人生を内包するナーリャは、今、長い年月を生きてきたエルフの長と、さほど変わらない“強さ”を宿していた。
その黒い瞳に――夜を映し込んで。
「その性格は?」
「半年前より、凶暴」
「その在り方は?」
「半年前より、暴虐」
「その名は?」
「宵闇の、龍」
玉座の前で跪いているはずのナーリャは、この時、確かに王と対等に立っていた。
神の使いと名乗ってやってきたナーリャ達に、王はこの時、確かに押されていた。
その流れを、緊迫した場を――千里が、塗り替える。
「王様」
「なんだ」
千里に、再び気怠げな表情を向け――そして、目を瞠る。
栗色の髪から覗く、栗色の瞳。
そこに込められた強く美しい輝きに、王はたじろんだ。
「龍がなにを、したんですか?」
「夜を呑んだ」
「龍を倒さねば、どうなるんですか?」
「民が滅びる」
「困って、いるんですね?」
「ああ、そうだ」
何故こんなにも素直に受け答えしているのか、王は理解できていなかった。
けれど、どうしてだか、その姿に見たこともない“神”を重ねていた。
「王様、私たち、行きます」
「チサト、正気か!相手は龍だぞ!」
「だって、放って置けないから」
「あはは、君ならそう言うと思っていたよ」
ナーリャはそう笑うと、千里の隣に並び立つ。
どのような陰謀が込められていようと、関係ないのだ。
もう既に、ここのエルフたちと、笑い合ってしまった。
だから、退かない。
だから、逃げない。
だから……挑むのだ。
「行こう、ナーリャ!」
「――待て」
踵を返そうとした千里とナーリャを、王は呼び止める。
二人がその顔を見上げようとした頃には、王は玉座から降り、二人の直ぐ目の前に佇んでいた。
「先程の無礼、詫びよう。
私はフェイン=フェイルラート――ルトルイム王である」
「フェイルラートって、まさか」
千里が目を瞠った瞬間、玉座の間に炎が走った。
――ドン
「敵襲か!?」
テイガの驚いた声。
そこに通り抜ける、真紅の熱気。
それを千里は――千里とナーリャは、知っていた。
「兄上!私を封じ込めておけるとでも思いましたか!?」
最後に見た、欠けた剣ではない。
真紅に染め上げられた、炎の紋章を持つ長剣。
その美しき剣真を収めるのであろう、赤く輝く鞘。
「フィオナ!?」
金の髪に碧い瞳を持つ、エルフの女性。
フィオナ=フェイルラートが、長剣を片手に突入してきた。
「……詳しい説明をしよう。フィオナも、落ち着け」
「ぬ、う。了解した。きっちりと、説明して貰おう!」
その光景に、今度はテイガが頭を抱える。
千里達の発する“カリスマ”じみた雰囲気に押されていたら、いつのまにかこの状況。
混乱してしまうのも、無理はないだろう。
「だいいち、アンタ旅に出たんじゃないのか!?“姫”さん!」
「テイガか。相変わらず騒がしいな」
「そうじゃなくて、ああもう、俺にも説明はいただけるのでしょうか?王!」
「当たり前だ、道案内に志願したのはおまえだろう」
「ああ、そうでしたね……」
志願したことに、後悔はない。
けれどこんな気の抜けた展開になることは、予想できていなかった。
だからテイガは、大きく大きく息を吐いて肩を落とすのであった――。
――†――
場所は再び、玉座の間だ。
だが先程とは違い、王――フェインは玉座から降りて石造りの椅子に腰掛けていた。
それを咎める兵は既に部屋から出していて、ここではただ、テイガがフェインと対等な視線でお話をすることに、居心地の悪さを感じるだけとなった。
「事の始まりは、一年ほど前のことだった」
話をし始めたフェインに、千里とナーリャ、そしてテイガとフィオナはただ耳を傾けた。
「ルトルイムの夜は、龍が守っている。その龍が、時々嘆くようになったのだ」
夜を支配する、宵闇の龍。
それが嘆くと、夜が震えるのだと。
「それが気になり何度か龍の住処へ行くも、夜が震えているせいで全力が出せない。
――それはお前もだろう、テイガ」
月の加護を持つものは、夜によってその力が左右される。
晴れた日の満月には力が増し、曇の日の新月には弱くなる。
それでも隠れているだけだから、決定的に落ちたりはしない。
けれども、震えれば、力は乱れ、使いづらくなる。
「龍は我々の言葉を、受け入れなくなった。
嘆き、嘆き、嘆き――気がついたら、夜を呑み込んでいたのだ。
……秘宝、“宵闇の腕輪”ごと、な」
「っ……!」
千里が、ただ目を瞠って驚く。
つまり秘宝は今――龍の腹の中に、あるのだ。
「何度行っても無駄だった。
その矢先に現れた貴君らを向かわせようとしたのは……
八つ当たりに過ぎなかったのかも、知れない」
ただ未来を諦めようとしていた。
その矢先に秘宝を――ルトルイムを追い詰める原因を求めてやってきたのだ。
あわよくば、と考えてしまうのは無理もないが、突如神の使いと言って現れたものが信用ならないと言っても、些か浅慮に過ぎただろう。
「――私が修行の旅を切り上げて闘技大会に出場したのも、それが理由なのだ」
口を噤んでいたフィオナが、ゆっくりと告げた。
それに、千里はそっと目をやる。
「神託を求めて出場し、結局神託は得られなかった。
だから私は一路ルトルイムに戻り、剣を修復して龍に挑もうと思った」
「姫さん、そりゃ無謀ですぜ」
フェインの妹、フィオナ。
彼女は兄と違い、太陽の加護を受けるエルフだ。
だからこの白夜のルトルイムは、フィオナがもっとも力を発揮することができる空間と言えた。
「それで、止められて、軟禁?」
千里が告げると、フィオナは苦々しく頷いた。
龍に一人で挑むことを認められず、その結果兄よって軟禁された。
「こんなことならば、黙ってで行くべきだった」
「それは許さんぞ、フィオナ」
「わかっております、兄上」
「わかっていないだろう。まったく」
解っているのならば、唇を噛みしめたりはしないだろう。
フィオナはルトルイムで生まれ育った、ルトルイム王の妹だ。
愛する祖国を守りたいがために、龍に挑もうとするのも無理はない。
「あの、龍って、そんなに強いんですか?」
千里が恐る恐る告げると、傍で聞いていたテイガが思い切り肩を落とす。
どれほど強いか理解できていなかったのか、と。
「え?あ……どんなに強くても、私たちは負けませんよ!テイガさん」
「ああ、そうかい」
自信満々に、千里は少しずれた事を言った。
だがしっかりと“たち”と言っている辺りに、テイガは好感も感じていた。
生きることに必死になれねばならない過酷な環境である、ルトルイムの砂漠。
その地で生き残るのに何よりも必要なのは、仲間への信頼からなる強い結束力だ。
「龍とは、天災の一部を担うものだ」
二人の遣り取りが一団ランクしたのを見計らって、フェインが告げる。
千里たちは、その言葉に再度耳を傾けた。
「イルリスの言葉を受け、癒しの奇跡を行使するのがノーズファンの巫女だ。
同時に、エルリスの声を聞きその思いを汲み、そして天災の一部を授かった者、
……それが、“神の従僕”と呼ばれる、龍だ」
天災とは、即ち天の怒り。
イルリスが嘆けば、命は祝福を許されず誕生することが無くなる。
エルリスが怒れば、天が轟き地が震え、風が吹き起こり海が荒れる。
この時エルリスが憤怒から巻き起こす災いを、龍は一部譲り受けているのだという。
「神様と、戦うんだね。
それじゃあ、頑張らないとね?ナーリャ」
「うん、そうだね。……負けられない」
それを聞いてもなお、二人の根底は揺るがない。
長い旅を続けてきたことで生まれた、絶対の信頼。
そこに、怯え退く要素など、入り込むはずがなかったのだ。
「お前たち……」
フェインは小さく呟くと、何かを決意した表情になる。
千里とナーリャを優しい瞳で見つめる、フィオナ。
肩を落としながらも、意志を固めているテイガ。
ここまできて、反対することなどできはしない。
「私は王として、この場を開け続ける訳にはいかない。
だから改めて、頼む。ルトルイムを、救ってくれッ!」
立場上、頭を下げることはできない。
しかし、強く、そして重く告げられた言葉に、千里とナーリャは強く頷いた。
「はい!」
「任せてください、フェイン王さま」
在り方を、強く持つ。
それは確かに、能力で劣る人間達の誇りであったと、フェインは思い出した。
「フィオナ、おまえも行け」
「よろしいのですか?」
「止めても行くだろう?」
「……勅命、承りました」
恭しく頭を下げるフィオナを見る。
続いて、テイガに視線をよこした。
「アルハンブラは心配するな」
「はっ」
「だから頼んだぞ、我が膝元の守護者よ」
「了解です、我らが王よ!」
話は纏まったとばかりに。立ち上がる。
その背を、フェインは目を眇めて見送った。
どうか、どうかと思いを込めて。
「頼んだぞ、イルリスの遣いよ」
フェインの声が、玉座の間に響く。
ただただ、強く細く、流れるように響き渡った――。