十二章 第三話 太陽の侍従/月の使徒
燦々と光る太陽を、見上げる。
正確な時刻は解らないものの、今が早朝であることは感覚でわかっていた。
だというのに、太陽は真上から動こうとしない。
その奇妙な光景に、ナーリャは眉をしかめる。
「夕方も夜の間も、ずっと昼なんだね」
隣りに立った千里が、ナーリャに声をかける。
ルトルイムにやってきて一晩ほどの時間は、過ごした。
だが太陽は微動だにせず、未だ船の中から見たときと姿を変えず中天で輝いている。
「なにが、起こっているんだろう」
「わかんない。でも、良い予感はしないかも」
千里の声には、僅かな不安が乗せられていた。
ナーリャはそんな千里を励まそうと、ただ、柔らかく微笑んで頬を撫でる。
それだけで、思いも心も、全部が伝わった。
「心配しても、しょうがない。だよね?」
「うん、そう。だから今はこれからどうするのかだけでも、考えておこう」
「うんっ」
ナーリャの言葉に返事をすると、千里は不安を振りきった表情で笑った。
落ちない太陽なんかよりも、ずっと強くて明るい笑顔だ。
「とりあえず、この現象がなんなのかだけでも聞いてこよう」
「うんっ」
アルハンブラの訓練場から、建物に戻る。
昨日は、実戦訓練からささやかな宴会に移ってしまったので、ろくに話を聞くこともできなかったのだ。
「白夜、か」
千里の呟きが、陽光にかき消える。
ただ自分たちを見下ろし続ける、太陽の姿。
そこに千里は、生気の無かった住民たちの、その原因を感じ取るのであった。
E×I
テイガの執務室に、強い日差しが差し込んでいる。
厚く重ねられたカーテンを用いても意味をなさない、強力な日光。
生命に活気を与えるはずの太陽は今、ルトルイムの住人たちの体力を、確実に奪っていた。
「もう、半年になる」
テイガはその太陽を、厳しい瞳で睨み付ける。
そこに込められた溢れんばかりの感情には、憤怒と悲哀がない交ぜになっていた。
「ある日突然、ルトルイムから“夜”が失われた。
原因は不明、神の怒りを買った覚えもない。
ならば何故という問いも虚しく、現状はこんな感じさ」
自嘲を孕んだ顔で、カーテンを開ける。
見渡す限りに広がる街に人の姿はほとんど見られなくなっていて、テイガは今にも息絶えそうな街の様相を、その寂しげな背中で凄惨に語っていた。
「夜が長く、それ故に“常夜の国”と呼ばれていたルトルイムの姿は、もう無い」
テイガは太陽に手をかざすと、強く握りしめる。
彼は、瞳を眇めてただ陽光を退けていた。
「湿っぽい話しちまって、悪かったな」
「ぁ……ううん、そんなことないよ」
「僕たちも、できることがあったら手伝いたい。
だから、なんでも言ってくれると嬉しいかな」
千里と、次いでナーリャが穏やかな笑みを浮かべる。
テイガはそんな優しい笑みに慣れていないのか、小さく息を吐きながら頬を掻き、やがて苦笑した。
「ははっ……ああ、ありがとう。汝らに月の加護があらんことを」
胸に手を当てて、テイガは一礼する。
その本土とはまた違った挨拶は、ルトルイム特有のものなのだろう。
「月の、加護?」
その言葉に疑問を持ったのは、千里だった。
千里はテイガの言葉に小さく首を傾げ、そして思わず復唱する。
それを聞いたテイガは再び苦笑すると、直ぐに口を開いた。
「ああ、そうか、普通は知らないか。
人間は“イルリス”に近い生物だと言われている。
それに対して、魔獣や亜人は“エルリス”に近い存在だ」
テイガは足を組むと、楽な体勢で語り始めた。
「だが、亜人でありながらも、エルフだけは少し違う。
二柱の中間に最も近く、それ故に両者の加護を色濃く受けているんだ。
その結果が、月の魔力と太陽の魔力に影響されるという形で出て来た」
エルフは、月に魔力を貰うもののと太陽に魔力を貰うものが居る。
普通の人間が水魔法を扱えば、それはただの水魔法だ。
けれど、月の加護を受けているものが水魔法を使えば“月・水属性”の魔法となる。
「天空より授けられた力を行使する。
だからエルフは、なにかに特化するのではなく、全ての基準で高い能力を持つ。
月の加護を持つエルフは肌が褐色になり、太陽の加護を持つエルフはその逆となる」
ちなみに、亜人たちは肌以外の所にその特徴が現れている。
吸血鬼ならば牙、悪魔なら羽、亡霊ならば姿形などといったように。
「あれ?でも人間にも、褐色の肌の人がいたような?」
千里が思い浮かべるのは、ノーズファンの神殿騎士だった。
騎士団長アルトレイの副官、クラウト。
彼はテイガ同様、褐色の肌を持っている。
「人間の中には、エルリスに近く生まれてくるものが居る。
その者達は、周囲に幸福を与える存在だと崇められることが多いそうだ。
チサトが見たのも、大方そんなところだろう」
思わぬ所で解ったクラウトの情報に、千里は呻る。
確かに、千里はこの世界で褐色の肌の人間をほとんど見なかった。
だがそこには、神の使いという意味が強く込められていたのだ。
それでは、見つけるのは容易ではない。
「まぁ、いざとなったら頼らせて貰うよ。
それまではここで、俺の部下たちでも鍛えてやってくれ。
上へ渡した報告が帰ってくるには、まだ時間があるはずだからな」
千里とナーリャは、その言葉に顔を見合わせると、頷いた。
誰かを鍛えるとか、教えるとか、そんな経験はない。
せいぜい、帝国でライアンにアドバイスをした程度だ。
けれど、それが望まれていて、そして機会があるのなら。
「たぶん、一緒に訓練する程度しかできませんが、大丈夫ですか?」
千里が問うと、テイガは笑顔と共に頷く。
必要なのは、実戦訓練だ。
なら、それを行ってくれるのが一番だった。
秘宝を求めに行く、その前。
二人はそうして、アルハンブラの訓練に参加することになるのであった。
――†――
矢を番え、弦を引き絞る。
獲物を見据える黒耀の瞳は鋭く眇められ、その末路を映し出しているようだった。
空に上がった獲物が、風の影響を受けて複雑な軌道で落ちてくる。
「先見三手」
それをナーリャは、ただ俯瞰して受け入れた。
「一射必中」
舞い落ちる獲物――ザージグラージスの絵が描かれた紙。
描かれた魔獣の額の部分を矢が貫き、絵画上の命を摘み取って見せた。
「おおっ!さすが“先生”!」
それを輝かしい笑みで見守り、拍手をする少女が一人と。
「なんだよ、あれくらい」
それを不満げな表情で、時折窺う少年が一人。
テトラと、ファイス。二人は、ナーリャの実演を見て呻り声を上げていた。
「人気者だね、“先生”?」
「千里……」
そんな二人を見てどうしたらいいか解らないナーリャに、声がかけられる。
他の隊員と模擬戦を行い、休憩に入った千里だった。
ちなみに、彼女と戦った隊員たちは皆、見事にバテている。
「からかわないで。僕も、どうしていいか解らないんだ」
「あはは、ごめんごめん。でも、ちょっと楽しそうだったよ?」
「そうかな?」
「うん」
千里に微笑まれて、そんなような気がしてしまう。
だがナーリャはそれを言うのはどこか気恥ずかしく、頬を掻きながら顔を背ける。
その先には、なにやら言い合いをしているテトラとファイスの姿があった。
「あんなヤツのどこが良いってんだ。優男じゃねーか」
「あの弓を見て優男だなんて、よく言えるな。表へ出ろ!」
「ここは外だ!」
「むぅ」
そう言い合う二人に、怒気は見えない。
おそらくじゃれ合いでしかないのだろう。
普段から、このような関係であるということがよく解る光景であった。
「でも」
千里の声に、視線を戻す。
視線を斜めに落とす千里の頬は朱く、首筋から覗く肌にナーリャは再び目を逸らした。
「あんまりあっちにばかり熱中しちゃうと、ちょっと妬いちゃうかも」
自分で言ったのに、恥ずかしかったのだろう。
――その可憐な横顔を抱き締め連れ去ってしまいたくなる気持ちを、ナーリャはすんでの所で抑えて、伸ばしかけた手を千里の頬に添えた。
「僕もだよ。君が魅力的なのは、よく知っているから」
顎まで手を滑らせ、持ち上げる。
だから、と続けて唇を横切り、千里の耳朶にそっと告げる。
――耳朶に触れる柔らかな風に、千里は大きく肩を振るわせて目を閉じた。
「あんまり僕から、離れないでね?」
「ぁ……う、ん」
珍しく“恥ずかしい言葉”を言った千里に対抗して、自身もできる限り気障な言葉で対応したナーリャ。
だが予想以上に熱が篭もってしまい、ナーリャは胸の内に宿る熱を冷まそうと必死になっていた。
「うぅ、やっぱり勝てない」
「やっぱり?ならどうして始めたのさ?」
頬を赤くしたまま離れて、互いに頬に宿った熱を冷まそうとする。
だが中々冷ますことが敵わず、ため息を吐いてただ誤魔化しているようだった。
「え、えーと……あはは」
千里は曖昧に笑うと、ナーリャからゆっくり離れて行く。
そして赤い顔を隠すように踵を返し、走り去っていった。
「ごめんイリューネ、負けた!」
「ふむ、そうか。では次は――」
千里に近づいたイリューネが、なにやらアドバイスをし始める。
その影では、伸されたはずの隊員たちが肩を振るわせて親指を立てていた。
項垂れているものもいる様子から、賭を行っていたことが窺える。
「あー……ぁー……」
まんまと“してやれた”事に気がつき、ナーリャは深く息を吐いた。
乗せられてしまう千里も千里だが、ノリノリで返してしまったナーリャもナーリャである。
……悔しいので次からも勝ち続けようと思ったのは、彼だけの秘密である。
「先生、なにも今いちゃつかなくとも」
「バカ、あーゆーのは触れると碌なことにならないぞ」
いつの間にか元の調子に戻っていたテトラたちが、ナーリャの背に声をかける。
ナーリャがそれに恐る恐る振り向くと、ファイスはともかくテトラは頬を赤くしていた。
どうやら、しっかり見られていたらしい。
「ルトルイムは皆情熱的だ。後からいくらでも誘い込めばいいと思うぞ?先生」
頬を赤くはしていたが、特別“純情”ということでもないようだ。
子ができにくいエルフにとって、種の保存は一つの命題だ。
老人ばかりの社会を形成する訳にも行かず、それ故か皆おおらかなようであった。
「さて、続きをしよう!」
「あ、おいテトラ、誤魔化しているぞ」
「ファイス、それには触れないのが礼儀だ」
ナーリャは二人の言葉に、無言で矢を番える。
解っていてからかったのか、それとも生来の戦士気質なのか。
二人は顔を見合わせると、前衛と後衛に別れてナーリャから距離を取った。
「――僕に一撃与えられたら、君たちの勝ちだ」
「余裕だな、人間!」
「僕が君たちを追い詰めたら、僕の勝ちだ――」
自分たちを格下に置いた、条件。
事実ナーリャの方が強いのかもしれないが、そのルールにファイスは小さく苛立つ。
だがテトラを後衛に任せている以上、みっともない姿は見せられなかった。
「その条件、後悔しろ!」
「先見三手」
ファイスが黒い剣を腰だめに抱えながら、走り出す。
ナーリャはそれを注視することもなく、ただ上空へ弦を向けた。
「二拍時雨」
一息三射、二連六本の矢が高く打ち上げられる。
同時に弓を背負い直すと、ナーリャは刀を片手に駆けだした。
ファイスはそれをナーリャの威嚇と判断して、つき進む。
彼は、千里と戦っていたため、テトラの仕合を見ていないのだ。
「直接戦闘もこなすってか?だが、“魔法使い”相手にどこまで通じるかな?」
ファイスはそう不敵に笑うと、黒い影を剣に纏わり付かせた。
光を遮る影。それを振り抜くと、ナーリャに黒き刃が飛来する。
飛来する刃は、さほど速くはない。けれど、言いようのない不安に、ナーリャは警戒を緩めなかった。
「ファイス、出過ぎだ!」
テトラが矢を放ち、ナーリャに飛来する。
一拍おいて連続で襲いかかる矢。
命中力よりも連射力を優先した足止めの矢だった。
「【影よ】」
ファイスが再び剣を振ると、もう一度黒い刃が放たれた。
一回目の刃はナーリャの後ろまで来て制止し、二回目の刃はナーリャとファイスの中間地点で止まる。
「【影よ】」
詠唱に詠唱を重ね、ナーリャがファイスに接近するまでに配置された刃は、四つ。
その全てが、ナーリャを取り囲むように置かれていた。
「弓を捨てて挑んだことを、後悔しろ!――【影重ね、対牢死楼】」
ファイスは、目の前に配置された影に剣を突き入れる。
一度や二度ではなく、何度も何度も突き入れ――引き抜いた。
「影は日より遅れて出、重ねて現る影の虚ろ、その闇に身を賭し宵を見よ」
「煌めけ、【銀蛍】――主の加護を、【Amen】」
低く構えて、一閃する。
だがその刃は、横合いから飛び出した剣によって弾かれた。
周囲に四つ、四箇所に配置された黒い影。
その全てから刃が出現し、ナーリャに襲いかかる。
「死出の旅への餞別だ、受け取れッ!」
模擬戦なためか、命が脅かされる配置ではない。
けれど、受けたら“相当”痛いだろう刃たちを、ナーリャは見据えることもしなかった。
「【領域把握】」
剣が弾かれたときの音で、周囲の剣撃全ての場所を把握する。
そして、術を使っている最中は動けないのか、ただ驚きに目を瞠るファイスの前でナーリャは全ての刃を叩き落とした。
ついでに、青白い輝きで影を消し去りながら。
「っ援護する!――きゃっ」
「テトラ!?」
先程上空へ放った矢が、最初の時と同じようにテトラを取り囲む。
突出するファイスに気を裂きすぎた結果、ナーリャの矢に気がつくことができなかったのだ。
「ちっ……ぁ」
そしてファイスもまた気を取られ、反撃に乗り出そうとしたときには既に、自身の首元に銀の刃が添えられていた。
「僕の勝ち、だね」
「っ……ああ、くそっ、俺たちの負けだ」
ファイスはそう吐き捨てると、大の字になって寝転がる。
そこへテトラも駆け寄ってきて、共に大きく肩を落とした。
「何がたらねぇんだろうなぁ」
「――決まってんだろ。“連携”だ」
聞こえてきた声に、ファイスは慌てて身体を起こす。
シャムシールを片手に佇む、赤い髪の青年エルフ。
テイガが、呆れた表情でファイスを見下ろしていた。
「弓と剣。その連携こそ、お前たち二人がナーリャ達に学ぶことだ」
「連携?……やっていましたよ、俺たちだって」
「いいや、やっていない」
テイガはそう、きっぱりと言い放つ。
それにファイスは、不満げな表情を見せることもなく、ただ熱心に聞いていた。
アルハンブラは、ルトルイムの治安を維持する大切な組織だ。
だからこそ、その隊長は尊敬の対象となっていた。
「突出しすぎるな、とは言わない。だが突出する必要がなかったのは事実だ。
距離を詰めれば、弓使いは何も出来ないとでも思ったか?それは油断、だぜ」
「っ……はい」
魔法と剣を用いた、“中距離”近接攻撃。
それを正しく用いず己の手で追い詰めようとしたのには、彼の自尊心があったのだろう。
そこを言われてしまうと、何も言えなかった。
「次、テトラ」
「は、はいっ!」
テイガに呼ばれ、テトラは肩を跳ねさせる。
彼女は今度は、自分で思う“ダメ”だろう部分が多すぎて、困っていた。
「おまえに必要なのは、ファイスをもっと信頼することだ。
悲観するほど悪い腕じゃあない。
ナーリャみたいに別次元の弓使いが出てきて混乱するのは解るが……」
テイガがナーリャを一瞥すると、彼は苦笑しながら頬を掻いていた。
ナーリャの技術は、現状では彼しか使えない技だ。
セアック=ロウアンスという弓の天才が零から作り上げた、彼の至高。
手ずから教わり、かつ、ある種の才能を持っていたナーリャ。
その上で他者よりも濃密な経験を積んできたナーリャに追いすがるのは、至難の業だった。
「……だが、それでもおまえなら、
ファイスに誤射をすることなど気にせずに、もっと連射できたはずだ」
「はい……隊長」
テイガの言葉に、テトラもまた項垂れる。
そんな二人の姿に苦笑すると、テイガは改めてナーリャに向き合った。
「さて、思ったよりもだいぶ早くて驚いたんだが……“上”から返答が来た」
「え?」
「だから、その件で話がある。着いてきて貰えるか?」
ナーリャがそっと周囲を見ると、イリューネに伝えられた千里が歩いてきた。
反応は両者ともに同じ。戸惑いが、見てとれる。
「ナーリャ……」
「行こう。まずは話を気を聞いてから、ね?」
「そう、だね。まずは話を聞かないと」
どこか不安さを残しながらも、千里はナーリャと共にテイガに着いていく。
喜ばしいことなはずなのに、どうにも良くない予感がする。
千里は燦々と輝く太陽を見て、そう目を眇めるのであった――。