二章 第二話 テレイの村
まだ太陽が沈む前の、夕時。
黒い影が、木々の間から村を見る。
街道の仲介地点にあるため、そこそこの財を持つ中規模の村だ。
「ちっ、
タイミングの悪い……」
黒い影が、悔しげに呟いた。
この村は、彼らの“獲物”だったのだ。
「どうする?
手土産なしで帰るか?」
小馬鹿にしたような声が、別の影からかかる。
その声を、村を見る影は鼻で笑った。
「ハッ、冗談言うな。
どうせあっちは少人数……余裕だろう」
「そうだな。
たかだか六人。
それも、ほとんどガキと女だ」
聞く者が聞けば嫌悪感を催すような、淀んだ声だった。
まだ足りないと人を骨まで貪る、餓鬼の声だ。
「予定どおり、今夜決行だ」
「了解した」
影が、散り散りに飛んでいく。
その姿を見ながら、村を見ていた黒い影は、唇を舐めて厭らしく笑った。
E×I
日も暮れ始めると、昼間よりも寒くなる。
辿り着いた村で厚い鎧を外すと、背筋に走る寒気に千里は身震いさせた。
「到着だ!」
「見れば解るよ、ファング」
大きく手を広げて、到着を宣言するファング。
そんなファングに、クリフはため息をつきながらツッコミを入れた。
ちなみに、アレナは宿と食事の予約を取りに行き、アストルは馬車を預かって貰うために動いていた。
「うぅ、酔ったかも」
「あはは……馬車は揺れるからね」
口元を抑える千里の背中を、ナーリャがさすっていた。
寒気と吐き気で、千里の顔は心なしか青いように見える。
「はい、お茶」
「ありがと、ナーリャ」
ナーリャから受け取った水筒で、喉を潤す。
イルルガオススメのお茶には、吐き気止めや腹痛、頭痛の緩和などの効果があった。
「ふぅ、
今度からは、もっと大人しくしていよう。うん」
「慣れれば大丈夫だと思うよ」
密かに決意を固める千里に、しっかり聞いていたナーリャがそう言った。
ガッツポーズの行き場を無くした千里は少し逡巡してから、拳を降ろす。
その顔は、どこか不満げだ。
「みんなーっ!
宿はこっちよ」
「おうッ、
でかしたぞアレナ!」
アレナが手を振りながら戻ってきたので、ファング達が移動を開始する。
重厚な鎧は手荷物の中へ入れておいて、見た目を軽くすると、千里とナーリャもファング達の後に続く。重厚な鎧で村人を威圧するのは、得策ではない。
道行く村人は、みんなどこか陽気な雰囲気だった。
野菜を運びながら笑う農夫、井戸の周辺で盛り上がる主婦。
子供達は泥だらけになって遊び、大人達は仕事の傍らそれを眺める。
「ミドイルの村も、こんな感じだったなぁ」
「ミドイルの村は、豊作と言えなくとも不作はないからね」
その光景に目を眇めて呟いた千里に、横からナーリャが答える。
ナーリャの声に顔を上げると、ナーリャも千里と同じように、どこか楽しげな笑みを浮かべていた。
「税を納めて、でも食べられるだけの食料は採れる。
天候も土地柄からか、ひどくなったりはしなくて、
豊かとは言えなくても、満足した生活が送れているからね」
非道い飢饉が起きない、それなりに生活していける村の人たちは、みんな陽気だ。
精一杯生きながらも、どこか余裕がある村人達は、その余裕の楽しみ方を知っている。
充実した一日を過ごすことの大切さを自然と理解しているから、笑顔が絶えないのだ。
「テレイの村は、北への街道の仲介地点。
旅人や商人が宿泊していくから、自然と蓄えが増えるんだよ」
「そっか。
儲かれば生活に余裕が出来て、その余裕の使い方が上手なんだね」
千里はそう、こくこくと首を縦に振って頷く。
納得したのか、表情が晴れていた。
そうしているうちに宿屋に到着し、ナーリャ達は足を止めた。
三階建ての木造建築で、部屋の大きさはそこそこといったところだろう。
「二人部屋を三部屋とっておいたから。
部屋割りは、私とチサト、クリフとナーリャ、団長とアストルね」
男女で分けられた、良い組み合わせだ。
当然ながら大部屋の方が安いのだが、そちらは空いていなかったのでこの部屋割りになったようだ。
やっと部屋で一息つける。
千里はその安心感から、背筋を伸ばして大きく息を吐いた。
背骨が小さく鳴る音が、身体の内側から耳に伝わる。
その心地よい感覚に一時身をゆだね、アレナに教えられた部屋に向かった。
階段を上って、二階の部屋。
角部屋な為、朱色の太陽と夜と昼の狭間の空が、窓からよく見えた。
「きれい……」
都会のようにビルなどの障害物のない空間は、広大で美しい。
千里はその光景に思わず息を呑みながらも、それが知らない空間であるということに一縷の寂しさを覚えた。
「いけない、
くよくよしてちゃ、ダメだ」
少しだけ目尻に溜まった熱を持つ雫を、左手で擦るように拭う。
黒帝という巨大な獣を討ち斃してなお、千里はどこか夢見心地のような危うさを内包していた。
そう――――“本当にここに立っているのか?”という疑問を、漠然と抱いていた。
「あれ?
窓辺で黄昏れちゃって、どうしたの?」
「ぇ――
い、いえっ、なんでもないですっ!」
今後の相談をファング達としていたアレナが、戻ってきていた。
アレナは窓辺で黄昏れる千里の姿に、首をかしげていた。
慌てて答える千里の様子に、アレナはますます首をかしげる。
そしてすぐに何かに思い至って、チャシャ猫のような笑みを浮かべた。
「そっかそっか。
うん、なるほどね~?」
「な、なんでしょうか?」
その笑みを浮かべたまま、アレナは窓脇のベッドに腰掛ける。
二段ベッドの一段目で、少し硬そうだ。
「いやー、
……お姉さん、もっと気を遣った方が良かったかな?」
「え?」
口元に手を当てて、クスクスと笑みを零す。
その笑みに嫌な予感を感じて一歩下がるが、残念ながら窓際である。逃げ場はない。
「ナーリャと一緒の部屋が、良かったんだよね?」
「へ?
…………ふえぇっ!?」
思わず、どこから出たのか解らない声が、出た。
意味を理解するまで一拍おいて、意味を理解して頬を朱に染める。
その過程を、アレナは本当に楽しそうに見ていた。
「ちちち、違います!
私とナーリャは、そそそ、そんな関係じゃありません!」
「あれ?兄妹みたいだったから、そっちの方が良いと思ったんだけど
…………ふーん?」
はめられた。
千里は、そんな表情で口をぱくぱくと開けたり閉じたりしていた。
目は大きく見開き、顔は空を染め上げる夕暮れの朱より、なお紅い。
「ななな、なんのことでほうっ」
噛んだ。
この上なく悪いタイミングで舌を噛み、羞恥と痛みで蹲る。
その様子を見て流石に悪いと思ったのか、アレナは顔を引きつらせた。
「あはは、
ごめんごめん、冗談だって」
「もうっ
アレナさん?!」
「あははは」
頬を膨らませて怒る千里の様子が可愛らしくて、アレナはお腹を抱えて笑っていた。
目元に浮かんだ涙を指でぬぐい取り、立ち上がって伸びをする。
「いやー、
笑った笑った」
「むぅ~」
散々からかわれた千里は、へそを曲げて呻り声を上げる。
そうしている千里に、アレナは苦笑しながら近づいた。
「それで、
――気分は晴れた?」
そして、先ほどまでとは打って変わった優しい笑みで、千里にそう問いかけた。
その意味を理解して、千里は目を丸くした。
「……はい」
「そっか。
いや、なーんか放って置けなくて、ね」
年端もいかぬ少女が、窓の外から“遠く”を見る。
冒険者として各地を巡ってきたからこそ、沢山の人に会ってきたからこそ解る、小さな女の子の“郷愁”の目。
そんな目をされたら、放って置くことなんか、出来なかったのだ。
「えーと、
ありがとう、ございます」
「よしっ!
それじゃあお礼ついでに、“それ”も止めよう!」
それ、と言われても解らず、首をかしげる。
そんな千里に苦笑を一つ零して、しかしすぐに快活な笑みを浮かべた。
「敬語よ、敬語。
もっと気楽に話しなさいよ。
……ね?」
「え、と……うん。
わかった。ありがと、アレナ」
「うむ、よしっ」
明るくも暖かいアレナの人柄に、千里はごく自然に惹かれていた。
その場の空気を読んで和ませる、生粋のムードメーカーのようだった。
「それで、チサトは……
ナーリャの、どんなところが好きなの?」
「えーと、
あああ、アレナっ?!」
「ふふっ
あはははははっ」
それでもからかってしまうのは、きっと癖なのだろう。
千里はどうにも締まらない感覚を覚えながらも、すっかり晴れた心中の重みに安堵した。
――†――
千里の部屋の丁度真上。
三階の角部屋が、ナーリャとクリフの部屋だ。
「よいしょっと」
ナーリャは、部屋で邪魔にならないように弓を置く。
立てかけていたら重みで弓の形が変形してしまう可能性があるので、置くのは備え付けの机の上だ。
「なぁ、ナーリャは何時から旅をしてるんだ?」
茶色の皮鎧の籠手を外しながら、クリフが問いかけた。
特に深い興味がある訳ではなく、暇つぶし程度の話のネタが欲しかったのだ。
「実は、今日からなんだ」
「へぇ、それなら平民の馬車に慣れてないのも納得だ。
てっきり、イイトコのお嬢さんとその従者、みたいなもんかと思ったよ」
クリフがそんな感想を持つのも、無理はない。
特に荒れていない手に、滑らかな髪。
世間を知らなそうな表情は、見たまま“お嬢様”だ。
けれど、ずっと村から出たことがない“子供”ならば、それも頷ける。
「あはは、そう見えるかな?」
「まぁ、俺は馬車の操縦で見ていなかったが、
すっごい大剣振り回してたってファングから聞いたから、
王国の魔法騎士、貴族様かな、とも思ったんだけどな」
魔法騎士の称号は、貴族でなくとも得ることは出来る。
けれど、平民から魔法騎士というエリートになるためには、修練を積んだ戦士くらいでないと、厳しい。
千里のような見た目で魔法騎士ならば、それは貴族として英才教育を受けた子供という可能性が高かった。荒れていない手なども、その想像に拍車をかけていたのだ。
「クリフは、何時から冒険者に?」
「俺は……
えーと、九歳の時だから、十年前だな
まぁ、ファングが俺の、育ての親だ」
そう言うと、クリフは気まずげに頭をかいた。
父親といえればいいのだが、彼は未だに“ファング”としか呼べていない。
「そうなんだ。
……豪快なお父さん、だね」
「豪快“過ぎる”育ての親、だ」
クリフはベッドに腰掛けると、あぐらをかいた。
ナーリャから顔を逸らす姿は、彼よりも一つ上の年には見えなかった。
「だぁー、もう。
いいから行こう!
ファングのおごりで宴会だ」
「うん、そうだね。
楽しみにしてるよ」
年下の弟を見るようなナーリャの視線に、クリフは顔を逸らしながら立ち上がる。
そして、どこかふて腐れた空気を醸し出しながら、ドアノブに手をかけた。
「畜生、
これもどれもそれも、全部ファングのせいだ」
「全部?」
「全部」
宴の場は、向かいの酒屋だ。
ナーリャは下の階から聞こえる笑い声に首をかしげながら、クリフの後に続いて外へ出た。
――†――
太陽が落ち、月が顔を覗かせる。
空には漆黒の天蓋が覆い被さり、宝石箱の中身を散らばしたような星が輝いていた。
人々の生活の終わりを見送る、白い月が村を照らす中、宿屋の前の大衆向けの居酒屋では、牙の団一行が楽しげな賑わいを見せていた。
「フハハハハッ!
クリフ!男ならもっと呑め!」
「あぁいいぜ!
アンタなんかよりも呑めるってところ、見せてやるッ!」
水のように酒を飲む二人を、アレナが笑いながら見ている。
アストルはその横で、黙々とほうれん草によく似た野菜を食べていた。
そんな四人を尻目に、千里は木のコップに入った果実のジュースを少しずつ飲んでいた。
時折、野菜のスープに舌鼓をうつナーリャに視線を向けながら、顔を逸らす。
もう三十分は、そうしていた。
「うぅ、アレナのばか。
ナーリャの顔、まっすぐみられないよぅ」
結局、この会場に着くまで、千里はアレナに散々にからかわれていた。
どんなところに惚れたのかと聞かれても、別に惚れてはないと言っては、いた。
だが、言ったから意識するなというのも、無理な話だった。
例えば、目元が優しげで。
例えば、笛の音が綺麗で暖かくて。
例えば、優しくて強くて頼りになって。
例えば、けっこう“可愛い”ところがあって。
例えば、そういえば村で一瞬見てしまった上半身は引き締まっていて――――。
考え出したら止まらず、思考がぐるぐると巡り出す。
初恋の相手は、保育園のお兄さん。五歳の時のことだ。
十年前の恋愛感情は拙く、千里はそれが“憧れ”にすぎないと、自覚していた。
「うぅ、ダメだ。
これじゃあなんか、私、変態さんだよ」
思い浮かべた、ナーリャの顔。
そこについて廻る感情は、友情……だと、思っている。
それで間違いはないはずなのに、どこかで千里の心を乱す、名前の知らない感情があった。
「はぁ、もっとしっかりしないと」
「さっきから一人で、どうしたの?」
「ふぇ……。
ひゃっ、そそ、そのっ
わわわ、私、なんか変なこと言ってた!?」
自分を覗き込むナーリャの声に、千里は慌てて椅子ごと身体を引く。
聞かれたかも知れないと考えて、千里は頬を抑えながら叫んだ。
羞恥と訳のわからない感情で顔が熱を持っていくのを、千里は実感していた。
「う、うーん。
締まりがどうとか、って……」
一番内容に関わりなく、かつ一番聞かれたらキツイ部分だった。
ナーリャがよくわかっていなさそうな雰囲気なので救われているが、そうでなかったらと思うと気分も落ち込む。
「お願い、忘れて」
「う、うん。いいけど」
千里は机の突っ伏すと、涙ながらにそう言った。
そんな千里に、ナーリャはひたすら首をかしげていた。
「鶏肉の締まりは、確かに良かったかも」
そして、当然ながら忘れていなかった。
項垂れる千里を余所に、ナーリャがファング達に呼ばれて席を立つ。
どうやら飲み比べを始めるようで、アレナが入れ替わりに千里の側までやってきた。
ひとまずうやむやになったことに、千里は少しだけ安堵の息を吐く。
「あはは、
いやー、楽しかった」
そう言いながら千里の隣に座ると、自分も強めの酒を飲む。
そんなアレナを、千里は恨めしそうに見ていた。
元はと言えば、全てアレナのせいである。
「うん?どうしたの?」
「うぅ……。
なんでも、ないよぅ」
「どうしたのさ?
あ、水飲む?」
アレナは首をかしげながら、空になっていた千里のコップに手をかざした。
「【水よ】」
すると、虚空から水球が出現して、コップの中に収まった。
その“魔法”という名の奇跡に、千里は目を丸くする。
改めて近くで見ると、ますます“ゲーム”みたいだと息を呑んだ。
「魔法が珍しい?」
「うん。
魔法って、誰でも使えるの?」
異世界にいて、魔法がある。
それならば使ってみたいと考えるのは、現代人の必然ともいえる行動だった。
「才能が必要だよ。
魔力を感じ取れる、才能。
あとは努力と根性かな?」
「こ、根性?」
千里の中の魔法使いのイメージは、シンデレラの魔女だ。
杖を一振りすれば、カボチャは馬車になってボロ服はドレスになる。
大鍋で煮えたぎる紫の液体をかき混ぜる、細身の老婆。
頭でっかちと言われても、根性とは無縁の風貌だ。
「そ、根性。
チサトは、魔法ってどんなモノだと思う?」
「えーと、
難しい呪文で、きらきらーっ!どっかーん!
……かな?」
爆発は、するかどうか解らない。
だが簡単に自分のイメージを伝えるのなら、これだった。
「あはは、面白いね」
擬音が、だろう。
どことなくからかわれているような気がして、千里は頬を膨らませた。
「魔法っていうのはね、
世界に満ちる“力”を、自分の中で増幅、変換させて、表に出す術なの」
世界に満ちる力……“マナ”を自分の中へ取り込む。
そして、取り込んだマナを増幅させて、魔力という型に嵌め込む。
そこへ、詠唱によって形を与えて解放する。
それが“魔法”であるのだと、アレナは簡単に説明をした。
「変換できる“形”にも個人差があってね。
私は水に特化した才能。
結界や回復、捕縛とかの補助が得意かな」
馬車を乗せた、水の橋。
あれは、結界の応用である。
「魔法はね、感情で威力が左右されるの。
愛情、歓喜、憎悪、憤怒、悲哀、苦痛、信頼、忠義。
とにかく、強い感情なら強い感情なほど、威力も強くなるの」
それは、千里が抱いていた“魔法使い”のイメージとは、まったく違うモノだった。
感情に左右されないのが、魔法使い。
漠然とだが、千里は魔法使いにそんなイメージを抱いていたのだ。
「詠唱も、感情のトリガーとなるオリジナル。
一番発現しやすい文章を考えたりもするのよ。
人によっては、愛する人の名前を叫ぶ、なんてのもあるんだから」
「へぇ……
なんか、すごいや」
千里は、感心したのか何度も頷いた。
アレナはその様子に微笑みながら、酒を喉に流し込む。
「ふぅ……。
魔力を制御するために、頭は常に冷静に。
それでいて、威力を上げるために、心はいつも熱くする。
だから魔法使いは、“情熱の学者”って呼ばれることもあるの」
情熱の学者。
それが、フィクションの世界とは一線を画す、リアルの“異世界”の魔法の形だった。
「ふはは、はは」
「うぐぅ、つえぇ」
呻り声につられて、アレナと千里はナーリャ達の方へ視線を移した。
するとそこには、白い顔で動かなくなるファングと青い顔で崩れるクリフ。
……そして、平然とした顔で飲み続けるナーリャの姿があった。
「うへぁ……。
なにあれ、すんごいわね」
「お酒強かったんだ、ナーリャ」
千里の呟きの先。
ナーリャは笑顔を崩さないまま飲み続けて――――そして、笑顔のまま倒れた。
「えぇええぇぇぇっっっ!?
ななな、ナーリャ!だいじょうぶっ?!」
「あーもぅ!
全員頭を冷やせ!【水よ】!」
青い水が酒とナーリャ達を流す。
その脇でほうれん草を食べていたアストルは、さりげなく避難していたが、ナーリャ達は完全に水浸しにされたのだった。
――†――
月が西へ傾き始めた頃。
獣も森も寝静まるこの時間に、ナーリャは一人、目を開けた。
狩人として森の側で暮らし続けた、鋭利な聴覚。
それが、森から来る“招かれざる気配”を捉えたのだ。
「なんだろう」
小さく呟くと、ベッドから起き上がる。
そして、弓を手に窓辺に近づいた。
夜の闇でも働く視界。
ある程度形を捉えれば、あとは聴覚で“観る”ことができる。
「クリフ、起きてる?」
「今、起きた」
ナーリャの声で目を開けて、そしてその緊迫した雰囲気に声を潜める。
クリフはベッドから静かに起き上がると、刃渡り四十センチほどの短剣を腰に収めた。
「ファングももう、たぶん気がついてる。
アストルは動いて、探りに出ている頃だと思う。
チサトはアレナが補佐すると思うけど、いいか?」
「うん、問題ないよ。
ありがとう、クリフ」
そう話しをしながらも、ナーリャは窓の外から意識を裂かないようにしていた。
クリフは足音を消して、ドアから身を乗り出し付近を探る。
「たぶん、まだ村には侵入してない」
「集まっている場所は、わかるか?」
「方角は、北東。
詳しい場所はわからない」
相談をしていると、クリフがナーリャに手を挙げる。
それを視界に納めてドアの方へ意識を裂くと、そこにはアストルが立っていた。
極端に気配の無い、奇妙な動きだ。
「ファングとアレナ達を残して、我々は打って出るぞ。
村に侵入される前に、片付ける」
侵入者は、掠奪を生業とした盗賊だ。
アストルは小声でそう、付け加えた。
「わかった」
「うん」
頷いた二人に、アストルも頷き返す。
村の護衛はファング達に任せて、ナーリャ達は盗賊を討ちに行くことになった。
――†――
村の近くの森。
生い茂る林の中で、十数人の男達が刃を手に立っていた。
「動きは?」
「気がつかれましたが、
おそらくほんの一部です」
「なら、騒がれる前に奇襲を仕掛けるぞ」
鳥の羽を縫い付けた、黒い外套の集団。
手に持つ剣はみんなバラバラで、それがどこからか盗んできたモノであるということを示していた。
「久々の獲物だ。
……しくじるなよ」
男は、部下にそう告げると手を挙げた。
この手を振り下ろすのが、合図だ。
「さぁて、はじめ……」
――ヒュンッ
「……ぐあっ」
鮮血が舞い、男の頬にかかる。
暗闇の中目を凝らすと、自分の手を貫く矢があった。
「チィッ、散開!」
男は舌を打つと、指示を変える。
気がつかれたのなら、まずはその相手を片付ける必要がある。
夜は、掠奪を繰り返してきた、男達の領域だ。
だが――――夜の“狩り”は、その限りではない。
「弓士がいるぞ!
木々の間から出る時は、タイミングをずらせ!」
そう指示を出す。
だが、暗闇で逃げる“獲物”の動きは、男達を狙う狩人――ナーリャの“経験”の内だった。
風に乗って、遠くから、声が響く。
「先見二手――」
逃げるタイミング、動き。
その全ての軌道を二手先まで読み、矢を放つ技。
「――二射必中」
一息で放たれた二筋の閃光が、男達の中でも特に臆病な者を削っていく。
足を穿ち、手を貫き、肩を裂き、膝を割る。
そうして、すでに十五人の内の十人が、地に伏していた。
「ここから、出なければッ」
「悪いが、そうはいかん」
気配無く忍び寄ってきた、緑色の影。
その両手に携えられた細身の双剣が、男の両足と両腕を瞬く間に切った。
「まだ生きていて貰うぞ。
……情報が必要だからな」
アストルは冷たくそう言うと、次の獲物へ疾走する。
どうせ動けないし、自害するほど忠義の厚い盗賊などいない。
「うぐあぁっ?!」
森の奥から聞こえた声。
それは、最後の一人をクリフが昏倒させた声だった。
「厄介なことに、なりそうだ」
アストルの無感情な声が、夜の森に響く。
そして、丁度その声と同時に、ナーリャは二百メートルほど離れた位置の木の上で、小さくため息をついた。
「本当に、厄介なことになりそう、だね」
旅の一日目。
それは、波乱の種と共に、小さく幕を下ろした。
第二話は、二章の軸を展開してみました。
ご意見ご感想ご評価のほど、随時お待ちしております。
拍手の方も、お気軽にどうぞ。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。