十一章 第四話 君の為に笑顔を 後編
雨の中、目を腫らして眠るナーヤを、ナーリャはイエルに預ける。
その安らかな寝顔に、イエルは首を傾げた。
「あ、な、ナーリャ!この子、どうしたんだい?」
「溜め込んでいたものが、溢れてしまったんだ」
四年前、家を無くしたナーヤを泊めてから、イエルは彼女と姉妹のように過ごしてきた。
だからこそ、この寝顔を悲しみか喜びか判断しきれず、怒るべきか喜ぶべきか判断できずに戸惑っていたのだ。
「大丈夫、きっと目が覚めたら、全部話してくれるから」
「ぁ……うぅ、ごめん。ありがとう、ナーリャ」
そう告げたナーリャの表情。
その穏やかで優しげな笑みに、イエルは僅かでも疑いを抱いた己を恥じた。
「千里はどこにいるか、わかる?」
「そ、そうだ、その千里のなんだけどね――」
イエルの必死な表情に、ナーリャは思わず足を止めた。
慌てながら、それでも途切れ途切れに告げるイエルの言葉。
――それは、あの時の、“真実”だった。
「――ってことだから、チサトはアンタを裏切ったとかじゃないんだよ!」
考えてみれば、わかることだ。
あの優しい千里が、怪我をさせるとわかりきっているのに突き飛ばせるはずなどない。
長く接していたナーリャはそれがわかって当然で、わからなければならなかった。
「あ、はは、は、そうか……そうか、それなら」
「ナーリャ?」
額を抑えて笑い、そして眉を落として唇を噛む。
ならば、傷ついたのはナーリャではなく。
「謝らなければならないのは、僕だ」
顔を上げて、イエルに背を向ける。
そんなナーリャを見て、イエルは慌てて奥へ走り、戻ってきた。
「弓と槍と、ええと短剣!」
「ありがとう」
「それから、チサトの居場所は――」
言い出そうとしたイエルを、ナーリャは遮る。
「――それは、すぐわかる」
そして、それだけ告げて飛び出した。
槍は嵩張るので宿に置く。人混みを移動するのに、長柄は不利だ。
後ろ腰に短剣、背に弓、左腰に日本刀を差して走る。
「【継承把握】」
地に踏みしめた足から、断続的に過去の映像を吸い上げる。
その足取りの向かう先を、降りだした雨に構うことなく走り続けた。
「待っていて、千里……ッ!」
この想いを、届けるために。
E×I
大振りになってきた、雨。
その中を、千里とリャウは移動していた。
赤い塗りの和傘を差して、ゆっくりと、警戒しながら進んでいく。
「今のところ、妨害はないか」
「うん、そうみたいだね」
歩きながら、千里は考える。
ナーリャのことを考えたいのはもちろんだが、今は別のことだ。
それは考える度に胸が強く痛むから、今は別のことで気を紛らわしたかった。
「そういえばリャウは、彼女と……ナーヤと、知り合いなの?」
一番、最初のとき。
ナーヤは、リャウのことを気安げに呼んでいた。
だから、彼らがどんな関係なのか、気になったのだ。
「あぁ、彼女か。火災の時、避難所で出会ったのが最初だ。
兄が居ないと泣きじゃくる彼女を慰めていたはずが、
気がついたら俺より強く快活になっていた。まぁ、幼馴染さ」
リャウは、ため息と共にそう告げる。
泣いてばかりいた幼い少女は、己の別荘を思い出して山へ行き、それから変わったのだという。兄の名を、呼ばなくなったのだ。
「あんなに求めていたんだ。今頃は、笑っているだろう」
「リャウ……もしかして」
千里の声は、雨音にかき消されて届かない。
あの時、千里を無理にでも引っ張って行ったのは、決して己のためだけではなく。
「優しいんだね、リャウ」
「なにか言ったか?」
「ううん。なんでもないよっ」
優しさに触れる度に、思い出す。
優しい笑顔と、柔らかい声と、温かい手。
思い浮かべて、その度に強く痛むのだ。
「――リャウ、誰か来る」
「わかった」
気配……それも、殺意の込められたモノだ。
それらを感じ取って、千里はリャウに告げる。
その声を受け取ったリャウは小さく頷くと、走り出した。
「【光よ、示せ】」
千里は、道に迷わない加護をレメレより授かった。
そのためこの光の矢印は、道ではなく敵を指すモノ。
ようは、レーダーである。
「後方に八、左右にそれぞれ十と十二、前から奇襲で五。
うぅ……なんでこんなに多いのさ」
そう悪態を吐きたくなるのも、無理はないだろう。
合計三十五人の敵だ。人混みなど気にせず襲って来るであろう敵の姿に、千里は項垂れる。
「リャウ、私から離れないで」
「あ、ああ、わかった!」
煌億剣を収めて、手を前に出す。
直接攻撃力を有さず、かつ対象を選べる剣。
そうなると、物理的な攻撃力は極端に下がるが、通常の光の剣しかなかった。
「“イル=リウラス|≪光より顕れる者≫”」
千里の手の平から出現した光の剣に、周囲の人間は何事かと道を空ける。
するとその中に、あからさまに千里へ向かってくる一団が見えた。
鎧などを着られるとダメージが下がってしまうが、敵は市井に紛れるために軽装だ。
「【悪徳を斬れ!】」
「ウェン=リャウ!その首頂戴……ぐあぁっ!?」
一歩前に出て、下から袈裟に切り上げる。
血の一滴も流すことなく倒れ伏した男の表情は、安らかだ。
だがその永眠を思わせる顔色は、男の仲間達を震え上がらせた。
「はぁぁっ!!」
「ひぃっ!?」
一喝、一閃。
大上段から振り下ろされた一撃が、怯えた男を切り伏せる。
直後には安らかな笑顔で、眠りについた。
「おい、あれ影爪会の連中だぞ」
「ええっ。あの女の子、大丈夫かなぁ?」
「いい腕っ節だな。おい、道開けるぞ!」
次々と影爪会の頭巾を被った男達をなぎ倒していく千里に、周囲は強く反応し始める。
誰かが先陣を切って、悪を打ち倒そうと、闇を払おうと動けば、その心は伝わる。
だからリャウは、この国で、この街で、先陣を切ろうと決めたのだ。
「あ……人混み、が」
剣を振るっていた千里は、三人目を切り伏せたところで気がついた。
人混みが避けて道を造り、千里達に舞台を用意してくれていたということに。
「な、なんだァッ?!」
後ろから追いついてきた八人と、前から来て残っていた二人。
さらに左右から四人ずつの合計十八人が、千里達を取り囲む。
左右からの人数が少ないことが気になったが、千里はそれを保留にした。
「この人数相手に、護りながら戦えるかァ?」
手に持った青竜刀を振り回しながら、男は下卑た笑みを浮かべる。
確かに一人ずつ相手にしていたら、リャウを傷つけてしまう可能性もあるだろう。
けれど千里の手札は、それだけではない。
「【マガジンセット・イグニッション】――“蒼炎剣|≪アルク=イグゼ≫”」
鋭い切っ先とノコギリ状の刃を持つ、青い剣。
青い炎を剣真から揺らめかせるその刃は、見る者の心を凍てつかせる。
「薙ぎ払え!」
詠唱ではなく、かけ声。
ぐるりと一回転しながら放たれた青い炎は、男達の足下を凍り付かせる。
「ひぃっ!?……あ、な、なんだこれは!?」
「そこでしばらく、反省してて!行こう、リャウ!」
「ぁ、ああ!」
千里はリャウと連れたって、その場を去る。
残ったのは、歓声を上げる住民たちと、項垂れる男達であった。
――†――
暗闇を、走る。
全身を漆黒で覆い、黒い弓を手に掛け矢を番える。
音もなく疾走するその姿は、暗い洞窟を迷わず進むコウモリのようであった。
路地裏は、薄暗い。
晴れの日でもそうなのだから、大振りの雨ともなれば前も見えない。
そこで武器を手にして通りがかる人間を待ち伏せする、男達の姿があった。
暗い雰囲気を身に纏う男達は、気がつかない。
己の命運を分ける、一筋の漆黒の存在に。
「来たぞ、行け!」
先陣を切って、まず四人飛び出す。
さらにそこへ続こうとするも、男達は足を止めることになった。
――タタタタンッ
「なんだッ!?」
降り注いだ矢に、思わず飛び退く。
道を挟んで反対側も、同じように降り注いだ三本の矢に、警戒して足を止めていたのだが、男達はそのことには気がつかない。
「壁駆――」
なぜならば、仲間の様子など知る暇もなく。
「――疾閃」
黒い影に、屠られるのだから。
鉄で殴られたような衝撃に、殿の男が倒れ伏す。
壁を蹴り、人では捉えられない動きで走る影。
男達がそれに気がついたのは、三人目の仲間が倒れ伏したときだった。
「な、なんだッ!?……ぐぁッ」
声を上げた男も、次の瞬間には倒れ伏していた。
そこで漸く、残った二人の男が武器を構えるも、遅い。
「煌めけ――――“銀蛍”」
黒い髪と黒い目、黒い軽鎧に黒いマント。
背負った黒い弓と手に持つ黒い刀。
鞘まで漆黒で覆われたその剣の刀真は、儚くも力強い銀だった。
「ぎっ」
「がっ」
峰を利用した一撃が、剣を構えた男の手を打つ。
返す刃で首筋を打ち、同様にもう一人の男を叩き伏せた。
「しばらく、眠っていろ」
そう告げると、影は再び壁を走る。
そのまま人混みに紛れるように飛び出し抜けると、反対側の路地裏へ飛び込んだ。
「なんだッ!」
急いでいたためか、今度は最初から気がつかれる。
だが影はその瞳に童謡を映すことなく、ただ淡々と壁を蹴った。
「【領域把握】」
その反射音で、足止めされ警戒していた八人の男達の立ち位置を、正確に把握する。
獣が獲物を狩るときに決して逃がさないように、その匂いを覚えるが如く。
影は男達の命運を、いとも簡単に握りしめた。
「死ねッ!!」
男が振り下ろした青竜刀を、影は刀で受け止める。
未だ細剣を扱う特殊な技術が身についていないためか、力任せに受け止めて、銀の刃が欠けた。といっても、元からボロボロだったので、どう欠けたかは判断が付かなかったのだが。
「ふっ」
短く息を吐いて、峰で男の腕を打つ。
痛みから青竜刀を落とした男の鳩尾に、柄頭を以て打撃を叩き込むのも忘れない。
「ぐがっ」
崩れ落ちる男を見て、男達は怯む。
人間とは闇を恐れる生き物だ。
であるならば、この影に怯えるのも仕方がない。
「あんなボロい剣に怯むな!あっちは俺らのことを殺せねぇんだ……やっちまえ!」
リーダー格の男。
その男の言葉に、配下の男達は下卑た笑みを浮かべる。
そして同時に、青竜刀を振りかざした。
「【継承把握】」
一歩踏み出し、刃を振る。
青竜刀を受け止め、刃を更に欠けさせた。
「【継承把握】」
横薙ぎに襲いかかる青竜刀に、刃を合わせる。
そのまま力加減を考えて流すも、衝撃が腕に伝わった。
「【継承把握】」
背から振り下ろされた青竜刀を感じ取り、身体を回転させる。
握り手を整え、刃筋を揃え、重心を考慮し、タイミングを計る。
そして綺麗に絡め取り、青竜刀を見事に流して見せた。
「【継承――完了】」
持ち主の記録を完全にインストールし、己の身体に付与する。
影は――ナーリャは今、歴戦の剣豪へとその身を変化させていた。
「【煌めき集え――“銀蛍国俊”】」
ナーリャが記憶から読み取った世界。
千里の世界の過去で行われた戦争。
第二次世界大戦と呼ばれるその戦争以降から行方の知れない、旧国宝があった。
蛍丸国俊。
そう呼ばれていた刀を守ってきた阿蘇家は、戦後にそれを紛失した。
そのことを悔やむ余り、時代にそぐわなくとも侍の道を目指していた男はそれを諦めて、家を出て僧侶になった。
そんな男に、男の親友が鍛えたのがこの“銀蛍”だった。
結核で倒れ後がないと知った男の親友は、最後の一時を男のために費やした。
刀工集団“来派”の末裔であった男の親友は、刀鍛冶だったのだ。
そうして鍛え上げられた刀は、蛍丸の化身と言うべき“力”を以て、今この場でナーリャに受け継がれた。
「なん、だ、あれ」
男の一人が、途切れ途切れにそう告げる。
ナーリャの持つ銀蛍に、淡い白銀の光が集い始めたのだ。
それはまるで、銀の蛍が刀に吸い寄せられていくような、不可思議な光景。
降り注ぐ雨によって消えることのない光が、刃に溶けていく。
――後に残ったのは、刃こぼれ一つ無い、美しい銀の刀だった。
「来い」
「う、うわぁぁぁっっっ!!」
暗がりに輝く銀光と、雨に濡れた黒髪から覗く、闇色の瞳。
その煌めきと深淵に錯乱した男が、ナーリャに斬りかかる。
大上段から振り下ろされた一撃を、ナーリャは半歩前に出ながら半身になって躱すと、峰でもって男の腰を打ち据えた。
「ぐあっ」
蹲る男の首に一撃。
そのまま近くの男へ走る。
「ひっ」
「ぎっ」
「あぐ」
「がは」
手首を打ち、鳩尾を打ち、腱を斬り、意識を奪う。
川の流れるが如く通り過ぎた黒い風に、身震いする暇などない。
気がつけば、瞬く間に七人が地に伏し、最後の一人となっていた。
「御仏の救いが、あらんことを」
「い、ぁ」
何か男が口にするより早く、ナーリャの刃が男を打つ。
すれ違い様に首を打たれた男は、白目を剥いて倒れ伏した。
「さて……早く、追いつかないと」
刃を上に向けて、鞘に収める。
そしてナーリャは再び、闇に溶け込むように走り出すのであった。
――†――
雨の中を、リャウと二人で走る。
途中で何人影爪会の人間が現れようとも、風の如き速さで情報が伝わったのか、街の住人は道を空けて千里達の舞台を整えてくれていた。
「頑張れよ!お嬢ちゃん!」
「期待してるぞ!ウェン議員!」
「あんなにご立派になられて」
「あのお嬢さんは、まさかウェン議員の?」
「いやいや、だったら手の一つでも繋ぐだろうさ」
「頑張ってー!」
口々に溢れ出す、声援。
屈強な男達も影爪会の人間と戦い始め、戦えない人たちはリャウに声を送る。
やがて賄賂で上司が動かなかった公安の人間達も、上司を振り切って参加し始めた。
「俺たちは、今、一つになっているんだな」
リャウは、そう、心から声を零す。
影爪会の妨害で、命を落とす危険性があった。
だから焦って千里に想いを告げ、結果的に彼女を傷つけた。
そんな後悔を吹き飛ばしたのは、千里の言葉だけではない。
こうして彼を後押ししてくれる存在を直に感じられたから、リャウは逆境に身を置いてもなお、前を向くことができていた。
「議事堂だ!」
「リャウ、ここは任せて、行って!」
「ああ……ありがとう、チサトっ!」
議事堂に飛び込むリャウの背に、千里は声を投げかける。
それにリャウが返事をするのとほぼ同時に、千里は踵を返して前を見据えた。
「チィッ!こうなったら、会議そのものを潰すぞ!」
「おおッ!!」
街に根を張る影爪会の人間達が、二人三人と集まり出す。
その数が二十を超えたところから、千里は数えるのをやめた。
「【パージ・マガジンセット・イグニッション】――“雷響剣|≪ミール=イグゼ≫”」
黄色に輝く、雷電の槍剣。
その威風堂々とした構えに、男達はたじろいだ。
「さぁ――」
瞑目して、背中に感じる寂しさ。
いつもなら後ろから全部を見回して、戦いの場を整えてくれるのに。
なのに、今は、背中にはただ冷たい雨が流れるばかりだ。
「――どこからでも、かかってきなさい!」
それでも千里は、剣を掲げる。
夢を語られて、守ってくれと願われた。
だから千里は、背筋に伝う寂寥を押し隠して、敵を睨む。
「魔法使いといえどたった一人だ……押し通れ!!」
集団の背後に控えた男が、大きく声を上げる。
それに反応して、男達が武器を手に走り出した。
「少し痺れる程度に、調節……【痺電槍撃】」
見た目の派手さはそのままに、後遺症が残らない程度のスタンガンほどの威力を想像して調整。これで、思う存分電撃の槍剣を揮う事が出来る。
「はぁっ!」
雷響剣の能力である、高速移動。
周囲の流れが遅く感じるほどの移動を用いて、千里は自分を乗り越えようとする敵を痺れさせて、倒していく。
「持続して使えるのは、たぶん一秒くらい、かな」
緩やかに動く世界で、千里はそう呟く。
体感時間ではなく、現実の時間で一秒程度しか持続的に使えない高速移動。
それ以上使おうとすると骨が軋み痛みを発し始めたので、訓練次第である程度延ばせるのかもしれない。
けれど必要なのは、今。
今すぐ手に入らないことを気にしても仕方がないと、千里は荒くなった息を隠すように苦笑いを浮かべた。
「ぐあぁ!」
「ぎがァッ!」
「ぎゃうッッ」
「ひぎ、ァッ」
時間が正常に動き出す度に、悲鳴が聞こえる。
聞いていて気持ちの良いものでは無いが、仕方がない。
そう思いつつも、千里は柔らかい微笑みを思い出して、下唇を強く噛んでいた。
これからはずっと、一人で旅を続けないとならないかもしれない。
そんな想像が、足枷となって千里を縛る。
まだ半分も減っていない敵に、弱みを見せる訳にはいかないのに。
「ッ……貰ったァ!」
「ぁ」
考え事をしていたためか、高速移動から回復した一瞬の隙を、敵の男が偶然にも捉えてしまった。もう今更、逃げられる距離ではない。
「ごめん、ナー――」
全ての言葉を紡ぐ前に、男が崩れ落ちる。
路地裏から飛び出してきた影が、男の首筋を打ち据えたのだ。
「――ごめん、千里。少し、遅れたみたいだね」
変わらぬ笑顔。
その優しい表情に、千里は眉を寄せる。
そうでもしないと、涙がこぼれ落ちてしまいそうだったからだ。
「イエルから、聞いた」
「ぁ、そ、そっか」
ナーリャは一言そう告げると、千里に近づく。
そして、微笑みを引き締めて真剣な表情を浮かべた。
その鋭い眼差しに、千里は身体を震わせる。
「問いもせず、君から逃げた。本当に……ごめん」
何を言われるのかと恐れていた千里に、ナーリャは頭を下げる。
何時だって向き合ってきたのに、逃げてしまった事への謝罪だった。
「そ、そんな、私の方こそ……隙だらけだったかなって、思うし。だから、ごめんっ」
揃って頭を下げ合うものだから、滑稽な様子になってしまった。
そうして顔を上げればすぐに目があって、揃って吹き出す。
「おい何やってんだ、アレ?」
「イチャついてるんですぜ」
「チッ、嘗めやがって」
突然の事態に距離を取っていた男達が、動き出す。
どうせなら最中に一撃で倒してやろうと、円を縮めるように間合いを詰めながら。
「それじゃあ、仲直り、だね」
「うん……うんっ」
千里とナーリャは、今度こそ笑い合う。
千里が浮かべるのは、リャウが見たいと思っていた……あの、花開くような笑顔だった。
「ナーリャ、背中、お願い」
「うん、任せて。気がかりは、僕が全部潰すから」
「うん、ありがとう。ナーリャ」
男達が、笑い合う千里達の背に向けて跳躍する。
隙を突けるようにかけ声すら発さず、青竜刀を振り上げた。
「【痺電槍撃】……はぁっ!」
振り向くことなく、超加速に入る。
ゆったりと流れ出した世界でナーリャを一瞥すると、彼はすでに矢を構えて飛び退いていた。
「せい!」
「ぐぁっ!?」
加速の解けた世界で、千里に近かった男が五人、吹き飛ばされる。
だがその光景を見てなお、一部の男達は怯まず声を上げた。
「なにかやっていやがるようだが、終わりに隙ができる。そこをつけ!」
「おおッ!!」
加速し、倒し、隙ができる。
そこを狙うように振り下ろされる青竜刀の一撃を、千里は一瞥することすらない。
背中を……思う存分戦うのに不要な思考に労力を裂く必要は、ないのだ。
「先見三手、三射必中!」
飛来した一息三射の矢が、千里の隙を突こうとして控えていた男含めて、三人の男達の足に突き刺さる。その衝撃と痛みに倒れ伏すのを、千里は確認することなく更に加速状態に入った。
なぎ倒し、隙は全て矢が払い、瞬く間に電撃が走る。
水は電気を通し、雨は稲妻を伝える。
地面に当たれば弾かれてしまうが、一撃で周囲三人ほど蹴散らすことは、可能だった。
「たった二人で、なんでこんな……ッ」
「力を合わせられるから、人は強くなる」
最後の一人となった男へ、千里は槍を掲げる。
そこに、黄色の稲妻を奔らせて、男に向かって言葉を紡いだ。
「想いを通わせられるから、人はどんな壁でも……乗り越えられるんだ!」
青竜刀を振り上げるも、矢によって弾かれる。
大きく体勢を崩したそこへ、稲妻が通り過ぎた。
「が、ぁ」
倒れ伏す男を見て、佇む千里を見て、微笑むナーリャを見て、周囲から歓声が上がる。
災害の心の隙間を侵されて、諦めかけていた住人たちが、心を動かされていた。
「千里」
「ナーリャ」
近寄って、手を取り合う。
もう、胸は痛まない。
ただ、笑顔を交わせるほどに、その表情は晴れていた。
「貴様ら」
だが、そんな空気を壊す声が、響いた。
長い口髭に禿頭の男。影爪会を牛耳っていた男が、血走った目で立っていた。
「わ、ワン様っ」
「こんの……役立たずが!」
「ひぃっ」
辛うじて意識を保っていた男が、矢に貫かれた足を庇いながら後退する。
影爪会のトップとして甘い蜜を啜り続けてきた男――ワンは、自分の末路を悟っていた。
「このまま怯えて、惨めに生きるくらいなら、最後にその首を貰う!」
高い金をつぎ込んで作った、魔力射出型のクロスボウ。
魔法こそ使えないが魔法の才能だけは僅かに持っていたワンは、いざという時の手段を整えていた。
「どうせワシはここで破滅だ。なら、貴様らも道連れにして――」
「――“イル=リウラス|≪光より顕れる者≫”」
言い切る前に、千里が肉薄していることに気がつく。
咄嗟に矢を放とうとするが、それすらも遅い。
「先見三手、一射必中」
飛来した矢がワンのクロスボウを砕き、衝撃から腕を仰け反らせた。
痛みに苦悶の表情を浮かべるが、もう立て直すことはできない。
「【光よ、悪徳を斬れ!】」
「ぐぁぁあああぁッ!?!?!!」
右肩から左腹へ、袈裟に振り下ろされた光の剣。
ワンはその切り口から黒い靄のようなものを吹き上げながら、倒れ伏す。
その表情は、憑きものが落ちたかのように安らかなものだった。
「大丈夫?」
「うん。ナーリャが助けてくれたから」
「助けられたのは僕だよ。何時だって、そうさ」
「私だって、助けられているって所では、負けてないよ」
「それじゃあ、お互い様だね」
「うん。お互い様」
手を取り合って、笑い合う。
そしてふと、千里が瞳を揺らした。
「ナーヤは、いいの?家族、なんでしょう?」
「いや、彼女は、僕の起源ではなかったみたいだから、さ」
「そ……っか」
一瞬、ナーリャの記憶が戻っていなかったことに、ナーヤの勘違いだったことに安堵してしまい、千里はそんな自分を恥じる。
だがナーリャは、そんな千里に柔らかく微笑んで見せた。
「でも例えそうだったとしても、僕はこの場にいたと思う」
「え?」
公安が、ワンたちを縛って運んでいく。
沸き立った住民たちのその中心で、ナーリャはゆっくりと言葉を紡いでいた。
「だって、僕が在りたいと願うのは、いつだって君の隣だから」
「……ナーリャ」
千里に近づき、強く抱き締める。
その抱擁を受け入れて、千里はそっと瞑目した。
「どんなことがあっても、僕は千里の側にいる」
「うん……うんっ。私も、ナーリャの側にいる。ナーリャと、一緒に居たいっ」
溢れ出してきた涙で視界を濡らしながら、千里はそっと顔を上げた。
その火照った頬をナーリャは愛おしそうに撫でると、そのまま千里の顔に手を添える。
「千里。僕は君が、好きだ」
「うん、私も大好きだよ……ナーリャ」
二人の距離が、ゼロになる。
その光景に、住人たちはそっと目を逸らすのであった――。
前後編なので、後書きは纏めてこちらに。
次回、エピローグを一話投稿させていただき、第十一章の終了とさせていただきます。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
エピローグもどうぞ、よろしくお願いします。