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E×I  作者: 鉄箱
第三部 運命を穿つ矢
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十章 第三話 Revenge of the Vampire ! 前編

 薄暗い船室の一角。

 強風によりガタガタと揺れる窓には、無骨な鉄格子が嵌められていた。

 かび臭さと、半ば腐った床と、違和感のある真新しい鉄の牢。


 その六畳ほどの部屋に、外套たちに連行されたナーリャが叩き込まれた。


――ガンッ

「くっ……かはっ」


 強く押され、船室の壁に背中を打ち付ける。

 肺から空気が漏れだしほんの僅かに息が止まり、ナーリャは小さく咳き込んだ。


『そこでしばらく、大人しくしていろ』

「待て!……くそッ」


 大きな倉庫を無理矢理改造したような、鉄の檻。

 その鉄格子にしがみつきながら、ナーリャは外套を呼び止めようとする。

 だがその外套は、中身が居なくなったかのように、崩れ去った。


 事実、中身がその場から消えたのだろう。

 先程までナーリャを睨んでいた異質な気配は、もうその場に残っていなかった。


「武器は……って、あそこか。嘗められている、んだろうなぁ」


 牢屋の外。

 船室の入り口付近には、ナーリャの武器が乱雑に置かれていた。

 逃げられはしないという自信の表れか、それともそもそも捕まっていようがいまいがどうでもいいのか。


「まさか“うっかり”なんてことはないだろうし……そうなると、何か思惑があるのか」


 自分たちを捕らえた存在。

 その自信を裏打ちするほどの、思惑。

 ナーリャは、単純に武器をたぐり寄せるだけではどうにもならないのだろうと、額に手を置いて考え込む。罠である危険性が、高すぎるのだ。


「千里……どうか、無事でいて」


 早く抜け出して、どんな状況に立たされているかわからない千里の下へ向かおうと、ナーリャは敵の裏を掻く方法を思案し始めるのであった。


 まさか武器を捨て置いたのが敵の“うっかり”だとは、思いもせずに……。














E×I














 一歩進む度に床が軋む。

 未だ嵐は止まず船体が右に左に大きく揺れる中、背中に剣を突きつけられた千里は歩いていた。


「どこまで行くの?」


 問いかけても、返事はない。

 廊下を進み、階段を登り、甲板に出る。

 強い風が身体を浚おうとし、煽られた雨が強く肌を打っても、歩みを止めることは許されない。


「っ寒い」


 救出に乗り出た時は、そんなこと思いもしなかった。

 なのに今は、背筋から寒気が浸透し、鳥肌が立つ。

 どうして今になってなど、少し考えれば直ぐにわかった。


「ナーリャが、いないから」

『何か言ったか?』

「……なにも」


 隣に、ナーリャが居ない。

 側にいる時は心の奥底から温かくあれたのに、今はこんなにも寒い。

 千里はぎゅっと眉を寄せると、下唇を軽く噛む。

 痛む胸を隠すように手を添えて、逡巡の後俯いた。


 負けるもんかと、自分に言い聞かせながら。


『ここニ……ャ』

「や?」

『ここだ』


 甲板の船尾部分に設置された部屋は、船長室なのだろう。

 この部屋だけ一際綺麗にしてあることからも、奥にいる人物が“元凶”であるということは伺えた。


「入れ」


 中から聞こえてて来た声に、千里は小さく肩を跳ねさせる。

 男の声……それもどこかで、聞いたことがある声だ。

 だがどこで聞いたのか思い出せず、千里は首を捻る。


「……っ」


 弱みは見せない。

 そんな決意と共にドアを開け放つ。

 部屋の中に風が吸い込まれていくような感覚に、怯むことなく。


「ようこそ、我が光よ」


 奥の椅子で足を組む、男。

 血色のワインを傾けながら潜めたように笑う男の顔は、灯りのない部屋の影に隠れて見えない。


「だ、れ?」

「くく、照れるな」

「え?」


 男がそう声を発した瞬間、暗雲から稲妻が轟き、船の近くに落ちる。

 そしてその眩いほどの閃光が、男の顔を闇夜の中で浮かび上がらせた。


 耳にかかる程度の、銀の短髪。

 深みのある血色の瞳は、白すぎる肌と相まって強く浮かび上がっている。

 しなやかに引き締まった体躯を包むのは、ワイシャツと黒いズボン。

 その端整な顔立ちに乗る口元は、どこか皮肉下に歪められていた。


「この時を待ちわびたぞ……我が、花嫁よ」

「……エクス」


 銀月の吸血王。

 ニーズアルへの支配者、“エクス・オン=イーエルハイト”が、不敵な笑みで佇んでいた。


「覚えていてくれたか!

 ほらみろダーク!私の愛は通じていたのだ!!」


 先程までの雰囲気とは一転して、子供のように喜ぶエクス。

 その背後から、尾の毛先の白い黒猫が、呆れた表情で現れた。


「主のことを忘れられる人間なんか、早々いませんニャ」

「そうだろうそうだろう。なにせ私は“いけめん”だからなッ」


 どうにも様子がおかしいことに、千里は首を捻る。

 前にあった時、エクスは圧倒的な“悪のカリスマ”を内包していた。

 抗うことに絶望させるほど強く、恐ろしい吸血種の支配者。

 それに相応しいだけの恐ろしさは、感じられない。


「イ、イケメンってそれ……」

「あぁ、ダークから聞いたのだ。

 チサトが私のことを“いけめん”と言って褒め称えていたとなッ」


 確かに千里は、ダークに向かってエクスをそう称したことがある。

 けれどその時千里は、“似非イケメン”と言ったのだ。

 そこに褒める意志など、欠片もなかった。

 言葉の上では、イケメンと認めているのだが。


「なんでもそれは女性が示す求愛の一種だそうじゃないか!」

「ち、違う!そんな訳無いじゃない!」

「照れずとも良い。私はわかっている」

「だ、だから違うってば!」


 どうにも、調子が崩れる。

 エクスとは、果たしてこんな性格だったか。

 思い返せば、すぐに“否”と答えることができる。

 ならばこれはいったい“なんなのか”わからず、千里は険しい目でダークを見た。


「……浄化の光から奇跡的に蘇生を果たした主は、丸くなられたのですニャ」

「つまり、バカっぽくなったと?」

「……丸く、なられたのですニャ」


 ナーリャが全力で放った浄化の光。

 それはエクスの身体を魂ごと灼いた。

 その上で立ち上がって一矢報いようとして、走り回ったのだ。

 どうにかならない、はずがない。


 つまりエクスは、頭の螺子が数本飛んだ状態で、復活したのである。


「さて、こちらに来い」

「っ……」


 千里の背後に立っていた甲冑が、ダークの力で動いて千里の背に剣を突きつけた。

 ダークの力、強力な念動力で動いていた甲冑や外套。

 千里はまんまと追い詰められたことに、歯がみする。


 だがダークは、甲冑が自動で動くように調整していたので、さりげなく千里の背後にいた甲冑に気がついていなかった。彼はそんなに考えて動いたりは、しない。


「来ないならいい。こちらから行こう」

「流石主。積極的ですニャ」


 ダークもおかしい気がしたが、元からかもしれないと思い直す。

 よくよく思い返してみれば、わりと適当なところがある猫妖精だった。


「こ……来ないでっ」


 下がろうとするが、背には剣があるため下がれない。

 そうしている内にエクスは、緩慢な動作で千里に歩み寄っていた。


 男性にして細い指を、苦しげに顔を逸らす千里の頬に這わせる。

 撫でるように指を落し、顎を伝って首を撫で、鎖骨を親指でなぞった。

 その度に不快な刺激が、千里の脳を侵し、危機感を募らせる。

 甘く歪められた表情、抗おうと身を捩る仕草、怒りから上気した頬。

 その全てが、エクスの心を嗜虐心に染め上げる。


「くく……さぁて、味見といこうか」


 エクスはそう呟くと、腕を戻して口元に持っていこうとする。

 千里に触れた指を舐め上げようと背徳的に舌を伸ばして――。


「ほうぐっ?!」

「へ?」

「主!?」


 ――ひっくり返った。

 鼻を押さえてごろごろと床を転がるさまは、無様を通り越していっそ哀れだ。

 そんな己の主の姿に動揺したダークは、何故か生身のまま千里に飛びかかる。


「主の仇――フニャッ?!」


 そうして、千里に触れようとして、落ちた。

 訳もわからず首を傾げる千里を、エクスは睨みながら立ち上がる。

 鼻を押さえて後ずさる姿は滑稽だが、疑問符が邪魔をして笑えない。


「くっ……なんのために亡霊どもの辺境に立ち寄ったのかと思えばッ」


 一歩二歩と千里から下がる、エクス。

 目尻に涙が溜まっていたのは、見ないことにする。

 代わりにダークが、エクスにハンカチを差し出していた。

 自分も辛いだろうに、エクスを優先する姿は従者の鑑である。


「嗅覚が敏感で、匂いの強いものを避ける吸血鬼や猫妖精。

 それらを退けるために効果的な、花妖精の香水を手に入れていたとはなッ」

「まさか、奥方様は全て感づいていたと言うことですかニャ!?」

「ああそうなのだろう、ダーク。

 ……クハッ!強く、可憐で、そして聡明!ますます君が欲しくなったよ、チサト」


 見るものを否応なしに魅了する、流し目。

 けれどどうにも鼻を押さえる間抜けさが際だって、決まらない。


「臭いが落ちるまで、あとどれくらいある?ダーク」

「三刻もあれば余裕ですニャ」

「では三刻後、その時までに私を迎える準備をしておけ!」


 帝国で千里が見た時計は、十二時間半日刻みのものだった。

 ということはこの三刻とは三時間の事なのだろうと、千里は当たりをつけた。


 言い放つエクスを半目で見ながら、千里はおもむろに小瓶を取り出す。

 服の内ポケットは、けっこう色々入るのだ。


「そ、それはまさかッ!」

「逃げてください主!ここはボクが引き受けますニャ!」

「くっ、一人にしておけるか!ダーク!」

「あ、主……」


 本当に丸くなったのか。

 大まじめな顔で寸劇を始める二人に、千里はたじろぐ。

 この展開、どう見ても千里の方が“悪役”である。


 鋭い表情で千里の持つ小瓶を見る、エクスとダーク。

 この香水の小瓶は一滴ずつ垂らして使う構造になっているので、実は振りかけたりすることはできないのだが、そうとは知らずに二人は本気で警戒していた。


 後ろから甲冑で斬りつけられたら、どうすることもできない。

 だから千里は二人がそのことにに気がつかないように、香水を持ち上げたり揺らしてみたりして、時間を稼ぐのであった――。











――†――











 嵐の最中にある、大型船。

 当然、その船内は激しい揺れに見舞われている。

 気を抜けばただ立つことも難しいであろう揺れの中、ナーリャは鉄格子から手を伸ばしていた。


「あと、もう少し……ッ」


 揺れのせいで武器の位置がずれ、クリフの短剣が比較的近い場所まで滑ってきたのだ。

 敵の思案などを考えていたせいで手を伸ばすまでに無駄な時間をとってしまったが、とにかく今はできることをするしかないと、割り切っていた。


「もう、ちょっ……うわっ」

――ガンッ


 大きく船体が揺れ、ナーリャの身体が滑る。

 鉄格子に向かって滑り出した身体は簡単には止まらず、手を伸ばしていて無防備だったせいもあり、ナーリャは思い切り頭をぶつけた。


「う、ぐぅ…――……つぅ…」


 鉄格子なので、そうとう痛い。

 思わず涙目になって額を抑えるナーリャに、今度は逆方向の揺れが襲う。


「うわっ……と」


 だがそう何度も体勢を崩すまいと、辛うじてではあるが踏ん張った。

 また滑り出して背中でも打ち付けたらたまらない。


「ふぅ、って、あ!」


 滑り出してきたのか、鉄格子に引っかかる短剣。

 ナーリャは大きく目を瞠ると、慌ててそれに飛びついた。

 再び揺れでずれないうちにと掴み、一息吐いた……瞬間。


「ん?」


 再び傾いた船体に、ナーリャは体勢を崩す。

 短剣を離すまいとそれだけに集中していたのが悪かったのか。

 ナーリャは、今度は頭頂部を鉄格子に打ち付けた。


――ガヅンッ

「うぐっ…ぉ…――…ぁぁぁ…」


 鈍い痛みに、蹲る。

 どうしてこんな目に遭っているのか、運の悪さを恨みつつ、震える。

 できることならこの痛みは、今回の元凶にぶつけよう。

 そんな暗い気持ちが、ナーリャの中でじわじわと芽生え始めていた。


「は、ははは、はは」


 暗い瞳で笑いながら、クリフの短剣から躊躇なく記憶を読み取る。

 約束はしたが今回だけは特別だと、頭の中で千里に言い訳をしながら。


「牢の抜け方――【継承把握】」


 盗賊を経験していた、クリフの記録。

 その一角から、牢の抜け方を検索して引き出した。


――ドォンッ

「上か……待っていて、千里。それから待っていろ……元凶ッ」


 牢を抜けるために、鍵に向かう。

 千里の元へ辿り着くには、もう少し時間がかかりそうであった――。











――†――











 膠着状態になって、数分。

 未だ動きが取れないことに、千里は焦りを覚え始めていた。

 船体が揺れても、背中から剣が離れる気配はない。

 エクスとダークは未だ千里が何を警戒しているのか気がついていないが、このままでは時間の問題と言えるだろう。


「主、様子がおかしいですニャ」

「……っ」


 気がつかれた。

 千里はそう身を強ばらせると、素早く煌億剣を抜けるように身構える。

 至近距離からでは、千里が動き出すよりもエクスが千里を拘束する方が速いだろう。

 けれど、何もしないよりはマシだった。


「む?なにがだ?ダーク」

「そろそろ、日が昇りそうですニャ」

「それはマズイな」

「美味しくはないですニャ」


 とぼけた会話をしながら、エクスは小さく頷く。

 そして、黒いズボンのポケットから、鎖の付いた装飾品を取り出した。

 銀の鎖に繋がれた、白金色の三日月。そこには、不思議な輝きが宿っている。


「【我が為に、陽光を覆え――“月影の首飾り”よッ!】」


 暗雲を退け日が差し込み始めていた空が、再び暗雲で覆われる。

 その雲は雨雲や雷雲よりも深い黒で、さらに中心には不自然なほどに大きい三日月が浮かんだ。


「それは……まさか」

「欲しいのか?」

「奥方さま、挙式を上げれば何時でも手に入りますニャ」


 四つの島、四つの秘宝、四つの鍵。

 太陽の指輪、恒星の耳飾りに次ぐ三つ目の装飾品が、そこにあった。

 偶然か、それとも必然か、千里にはわからない。


 けれどこれは、またとないチャンスだ。


「フハハハハッ!まさか倉庫の奥に投げ入れていたこれが、求婚の導となるとはなッ」

「球根の調べ?……花でも植えますかニャ?」

「うむ!挙式に花はつきものだ」

「挙式のためでしたら、複数必要ですニャ」

「これは一つしかないぞ」


 噛み合っていないようで、噛み合っている。でもやっぱり噛み合っていない。

 こうして間抜けな会話を繰り広げてくれることは良い時間稼ぎにはなるものの、ツッコミどころの多すぎる会話に、千里は考え事に集中できないでいた。


「では祝砲だ!轟けッ――【稲妻】」

「妻だけに、ですニャ」


 偽りの月の周辺、暗雲が紫電によって煌めいた。

 瞬きするように幾重にも輝き、そして一瞬、その光を収める。

 やがて光は集中し……幽霊船のマストに、光の柱が打ち込まれた。


――ドォンッ

「くっ……」


 マストは焼け焦げ、灰になる。

 こんなことをすれば航海が出来なくなりそうなものだが、エクスは嵐を操りそれに乗って移動しているので、船の形さえ残っていれば問題なかった。


――ガシャンッ

「あ」


 その凄まじい衝撃で、甲冑が崩れ落ちる。

 高笑いをするために、過剰なほど胸を仰け反らせているエクス。

 そんなエクスを、拍手と共に褒め称えるダーク。


 このチャンスを、逃さない。


「【光よ!】」


 煌めきと共に、甲板の中央まで下がる。

 超近接戦では圧倒されてしまうと言うことは、ニーズアルへの時に実感していた。

 だから一度距離をとり、万全を期す必要があるのだ。


「主!逃げられますニャ!」

「フンッ……私の嵐の中から逃げる?不可能だ」


 エクスが指を鳴らすと、更に海が荒れ出した。

 王国の港街、ルルイフを襲った海淵の魔獣の嵐。

 その能力は、エクスが分け与えたものだ。

 海淵の魔獣に力を与えた“オリジナル”であるエクスが、嵐を操れない道理はない。

 尤も、攻撃手段にできるほどの精密な操作は、エクスを中心に半径二メートルほどの空間にしか展開できないのだが。


「追いかけっこも悪くない。行くぞッ!ダーク!」

「はいですニャ!」


 船長室から飛び出し、雨の甲板の上で対峙する。

 余裕の笑みを崩さないエクスと、そんな主に追従するダーク。

 千里はエクスの“本気”は見たことがないが、ダークだけでも充分厄介だということを知っている分、この状況に焦りを覚えていた。


 相対する二人を、千里は強く見据える。

 ここで退く訳にはいかないのだと、栗色の双眸に力を込めて――。


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