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E×I  作者: 鉄箱
第三部 運命を穿つ矢
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十章 第二話 幽霊船

 強く吹いた風が海を揺らし、やがて大きな波を生み出す。

 空は真っ黒な雲に覆われていて、時折紫電を吐き出していた。


「外、凄い嵐だね」


 千里の言葉に、ナーリャは頷く。

 思えば海の上で嵐に遭うのも、これで三度目だ。

 一度目は王国から船を出した時、二度目は帝国から出て来た時。

 三度目となる今回は、スエルスルードへの旅路で嵐に遭っている。


 こんなにも海上で嵐に遭うのは貴重な経験になるのだろうが、嬉しくない体験にもなっていた。


「嵐が収まるまで、船から出ない方が良いだろうね」

「うん……普通、こんなに嵐に遭遇するものなのかなぁ」


 千里はそう、大きく息を吐く。

 リビングに備え付けられた窓から覗く、大荒れの海。

 高い波が船を覆う度に、千里は肩を震わせる。


「大丈夫だと思うよ、この船は」

「う、うん……そう、だよね」


 恐る恐る窓に近づいては、肩を竦ませて戻ってくる。

 そんな千里の様子に、ナーリャは度々笑みを零していた。

 一々の動作が非常に可愛らしいと思うのは、彼が“惚れた弱み”というフィルターを通して千里を見ているからなのかも、しれない。


 トゥーユヨークを出て、一晩。

 まだまだ、太陽は拝めそうにないようだ。














E×I














 嵐の始まりは、ナーリャがぎこちなく船に戻ってすぐのことだった。

 強くなってきただけかと思われた風が、だんだんと勢いを増してきたのだ。

 そうすると、様子を見るまでもなく……。


――ゴォォォォォ……――……


 ……波は荒れ狂い、空は暗雲に覆われ、外に出ることもできないほどの強風が吹き荒れ始めていた。


「今外に出たら、どうなることやら」


 ナーリャはそう、窓の外を見て呟く。

 船が何メートルも上下しているのにあまり揺れを感じないというのは、流石とノーズファンの魔法使いの、技術の結晶と言えるだろう。


 だが、窓から見える風景のほとんどが荒波に支配されているというのは、なんとも不安になる状況だった。これでは、まっすぐ進んでいるのかも解らない。


「ナ、ナーリャっ」


 そんな中だった。

 千里の焦りに満ちた声が届いたのは。

 千里はナーリャとは反対側の窓に張り付き、そこから外を眺めていた。

 その最中で何か気になるのものでも見つけたのか、必死に窓の外を指している。


「あれって、まさか」

「あれ?……って、船!?」


 荒れ狂う波の狭間で、はっきりと見ることはできない。

 けれど千里が人差し指の腹を窓に張り付けながら指した先には、微かに船の影があった。


「この嵐じゃ、危ないよね……?」

「そう、だね」


 不安げに問いかける千里に、ナーリャは曖昧に頷いた。

 大型船で海に出ているのなら、自分たちよりも確かな航海技術を持っていることだろう。

 第一、自分たちが行ったところで何の力になれるのか、解らない。


 それでも決意に溢れた千里の瞳に、ナーリャは曖昧な返事しかできなかったのだ。

 行って欲しくはないが、行かないという選択肢は……彼女はきっと、持っていない。


「ナーリャ……私」

「ふぅ……解ってる、助けに生きたいんだよね?」

「うん、でも、私一人で――」


 光の粒子を用いれば、きっと一人で行けないこともないだろう。

 けれどそれよりもずっと確実な方法がある以上、一人で行くなんて言わせない。

 ナーリャはそう、少しだけ真面目な顔をして見せながら、千里の唇に指を置いた。


「どんな危険があろうと、乗り越える時は二人で行こう、ね?」

「……うん。ありがとう、ナーリャ」


 頷く千里に、柔らかく微笑む。

 ナーリャも必然的に一緒に行くことになる方法……つまり、アルトノーアの針路を、微かに見えた大型船に固定するというものだった。


 船の針路を変えるくらい、外に出ずとも可能だ。


「もう誰も残ってないって可能性も、覚えておいて」

「うん……わかった」


 しっかりと首肯する千里に、ナーリャは満足げに頷く。

 目指すのは、海の果ての大型船だ。











――†――











 大型船の横に、ゆっくりとアルトノーアをつける。

 大型船に針路を固定されたアルトノーアは、錨を降ろさなくともこの場から離れることがないので、船が流される心配は無かった。


「うーん、どうやって乗り込もうか」


 アルトノーアの船体にしがみつきながら外に出て来たナーリャは、そう零す。

 十メートルから十五メートルほどもある船体を登って船に乗り込むのは、至難の業だ。

 当然、ロープのような物もない。


「ナーリャ、あれ」

「……小窓、かな?」

「うん、あそこから入れないかな」


 波と風の音が激しいため、千里はナーリャにしがみつき、耳元まで近づいて提案をする。

 強風のおかげで香りが散っているから良かったが、花の香りが残っていたらまずかっただろう。理性が揺らいで海に落ちる的な意味で。


 千里が指したのは、船の壁に取り付けられた窓だった。

 確かに上に登るよりは早いだろうが、その小窓でも五メートルほど上にある。

 そのまま窓の横に目を滑らせば、等間隔で並んでいることが解った。


「他に方法がある訳じゃないけど、あそこまで登れそうにないなぁ」

「大丈夫。ちょっと考えがあるから」


 千里はそう言ってウィンクをすると、煌億剣とマガジンを手に取った。

 ナーリャは両手を離した千里が落ちてしまわないように、その腰にそっと手を回して身体を固定する。


「【マガジンセット・イグニッション】……“蒼炎剣|≪アルク=イグゼ≫”」


 ノコギリ状の刃と鋭い切っ先を持つ、幅広の青い大剣。

 周囲を凍てつかせる蒼炎を身に纏いし剣が、仄かに揺らいでいた。

 その剣を上段に構えながら、千里は波の動きを見る。


「――今」


 そうして一際高い波が来た時、千里は剣を振り下ろした。


――ガチ、キィンッ


 大型船の船体に当たった波が、蒼炎に包まれて凍り付く。

 すると、アルトノーアから小窓へ続く、氷結した波の道ができた。

 だが嵐の最中で凍らせたこともあり、早くもヒビが入り始めている。


「今の内に!」

「わかった!」


 完全に崩れ去る前に、走り出す。

 だが、千里の後ろに続くナーリャが通った場所から、氷結の橋は砕け散って波間に消えていた。


「くっ……」

「窓は……蹴破るから続いて、ナーリャ!」

「わかった!」


 足下を掬われそうになって焦るナーリャに、千里がそう呼びかける。

 少しでも遅れれば、待っているのは帰ることが困難な海底散歩だ。

 海の魚や魔獣たちの餌となり果てる気は、二人にはない。


「っえい!」

――バリンッ


 千里が小窓を蹴り破りながら、船の中に転がり込む。

 ナーリャもそれに続いて飛び込もうとするも、その前に足下の氷が砕け散った。


「っまずい」

「捕まって!」


 千里が差し出した手を、なんとか掴む。

 力強く引っ張られることで窓に飛び込むことに成功するが、同時に橋は完全に消滅していた。


「うわっ」

「ひゃっ」


 力強く引き込まれたナーリャは、その勢いに抗うことができず倒れ込む。

 下になった千里を潰すまいと両膝を立てることに成功するが、計らずとも千里を押し倒す形になっていた。


「あ、ご、ごめん」

「ぁ、う、ううん」


 互いに頬を染め合い、それからゆっくりと離れる。

 今はそんな場合ではないと解っているはずなのに、その動きは名残惜しそうだった。

 未だに赤らんだ顔を誤魔化すために周囲を見回すところまで、全く同じ仕草だ。


「もう、避難した後なのかな?」


 千里の声に、ナーリャは改めて周囲を見る。

 集中できないほど“乱されて”いる自分に、呆れながら。


 船の中はガランとしていて、人の気配が無い。

 それだけではなく、もう何十年も使われていなかったのか、蜘蛛の巣が張っていて床も所々腐っている。沈没していないのが不思議なくらい、ぼろぼろだった。


「とりあえず、誰かいないか捜してみよう」

「そうだね。それなら私は、右側から回るね」


 千里が窓から見て右側、ナーリャが左側からそれぞれ見て回ることにする。

 長居をして沈没でもされたらたまらないので、二手に分かれて早急に捜す必要があった。


 そうしてナーリャと別れた千里は、一部屋ずつ入ってみる。

 念のためノックをして、返事がないことを確認する前に開けて入る。

 突然入ったら驚かせてしまうかもしれないという配慮であり、返事を期待している訳ではなかった。


「誰かいませんかー?」


 声は、薄暗い客室に、静かに響いた。

 強風が窓を叩きつける音、軋みをあげる船体。

 不気味な雰囲気に背筋が粟立つのを覚えるも、人命救助が優先なのだと頭を振って恐怖心を追い払う。


「【光よ】」


 小さく手の平に光を生み出すと、それを肩の高さまで浮かべて固定する。

 すると、薄暗くてよく見えなかった部屋の全貌が、見渡せるようになった。


 机の上に置かれた日誌、インクの瓶に入れられたペン、栞の挟まれた小説。

 クローゼットには衣服が掛けられていて、壁には帽子が引っかけられている。

 まるで部屋にいた人物が霞のように消え去ったかのような、生活感の残る光景だった。


 だが、その全てはインクが乾ききっていたり衣服にカビが生えていたりと、長い時を超えてきたかのような印象を残していた。


「ここには、いないね」


 生唾を飲みながらそう呟くと、扉を閉じて隣の部屋に移る。

 その部屋も同様に生活感が残っていて、千里を震え上がらせた。

 気味の悪い幽霊船ものの映画に迷い込んだような、感覚だ。


「ここも、かぁ……」


 一部屋、二部屋、三部屋、四部屋。

 歩き回り中に入り呼びかけて、その全てが不気味な様相を残している。

 これ以上捜しても、無駄なのではないだろうか。

 そんな気持ちになりながら、千里はため息を吐いた。


「メアリー・セレスト号みたい」


 以前、故郷のテレビ番組で見た、有名な幽霊船。

 孤立した船の救助に向かうと、船の中には誰もいなかった。

 だがまだ温かい朝食など、確かな生活感が残っていた……というものだ。

 温かい朝食などはデマらしいが、幽霊船の状況と酷似している光景に、千里は喉を鳴らして生唾を呑み込む。もう、ここにいたくなかった。


「一端ナーリャと合流して、情報を交換しよう」


 そう肩を落として、最後に入った客室から出ようとする。

 だが、コトリと響いた小さな物音に、肩を跳ねさせて動きを止めた。


「だ、誰かいるの?」


 生きた人間だったら、僥倖だ。

 そんな“淡い”期待を胸に、千里は恐る恐る振り向く。

 けれどそこには何もおらず、壁に掛けられた外套と帽子だけが寂しそうに揺らいでいた。


「って、船内で、風もないのに?」


 強風に煽られているかのように、ぱたぱたと揺らめく外套。

 ぼろぼろと言っても船内に風や水は侵入していなくて、現に今も風は感じられない。

 だというのに、外套は未だ揺らいでいた。


 そしてついに、外套が壁から外れる。


「ひっ」


 壁から外れた外套は、中に透明に人間でも飼っているのか、ゆらりと立ち上がる。

 壁に掛けられた帽子を手に取り、優雅に頭が在るであろう場所に被る姿は、不気味を通り越して滑稽だ。だが千里は、滑稽を通り越して恐怖心を抱いていた。


 外套が一歩近づく。

 千里は一歩離れる。

 外套が二歩近づく。

 千里は三歩離れる。

 外套が走り出そうと前屈みになる。

 千里は逃げだそうと外套に背を向ける。


「あわわわわわっ!?」

『――――――ッ!!』


 そうして、追いかけっこが始まった。

 床が抜けそうだとか、急に廊下に光が灯っただとか、そんなことを気にしている暇は無い。千里はひたすら、トゥーユヨークで見慣れたはずの亡霊に逃げ惑っていた。


「ととと、とにかく!ナーリャに合流しないと」


 このまま真っ直ぐ走れば、ナーリャに合流することができる。

 左右逆方向に別れて探索していたので、時間はかかるかもしれないが。


「ん?……ナーリャっ!!」


 だが思っていたよりも早くナーリャの姿を見つけて、喜色を浮かべる。

 何故だかナーリャも自分に向かって走ってきていて、焦りが見えたようにも思えた。


「千里!」

「ナーリャ!ね、ねぇ、今、後ろからお化けが……」


 焦りながらナーリャの手を掴んで自分の後方を指す千里に、ナーリャは痛ましそうに首を振った。その顔にはやはり、焦りが見える。


「ナーリャ?」

「どうやら僕たちは、おびき寄せられたみたいだ」


 ナーリャの後ろからやってくる、ドレスや外套。

 その全てに中身はなく、不気味に浮かんでいた。

 千里の方から走ってきたのは外套一人前だというのに、ナーリャの方からは十人単位の団体が来ている。


「衣装部屋に出たんだ」

「な、なるほど……って、どうしよう!」

「まずは意思疎通、かな」

「そそそ、そうだよねっ」


 客室の扉を背にしたナーリャにしがみつきながら、千里は自分を追いかけてきた外套に向き直る。明確に敵意を持って追いかけられた訳ではないのだと、彼女は自分に言い聞かせていた。


「目的は、なんですか?」


 千里の問いに、外套は身振り手振りで説明する。

 あっさりと答え始めてくれた事に千里は、彼らはもしかしたら友好的な存在なのかもしれないと、小さく安心し始めていた。


「えーと、私」

――外套が、白い手袋で指を作り、千里を指す。

「を、あなたが?」

――次いで自分を指し、千里に頷いてみせる。

「ボール……あ、丸だ!」

――空に丸印を描いて、もう一度頷く。

「飲む?ああ、いや、食べる……“囓る”だ!」

――その丸を口であろう部分に持っていく仕草をして、親指を立てた。


 両手を挙げて正解を喜ぶ千里。

 一斉に親指を立てるドレスや外套たち。

 頬を引きつらせて固まるナーリャ。


「あなたが私を丸かじり……って、えぇえぇぇっ!?友好的じゃないの?!」

「どこをどう見たら友好的って発想が出てくるのさ」


 あんまりと言えばあんまりな千里の反応に、ナーリャは額を抑えてため息を吐く。

 そうしている間にも、外套たちは少しずつ輪を縮めていた。

 窓側にもドレスが居て、飛び出すことも叶わない。

 このままでは、外套の要望どおりの結果になってしまうことだろう。


「僕が道を造る」

「ナーリャ?」

「とりあえず、この場から離れよう」


 千里が強く反応する前に、ナーリャは背中の槍を手に取る。

 そして大きく身体をしならせて、天井に向けて槍を放った。


――ドゴンッ!

「上から逃げるよ、千里!」

「うん!なら私が、引き上げる」


 大きな音と共に、天井に穴が開いた。

 まずは千里が、ひとっ飛びして上の階に上る。

 それから素早く身を翻して、ナーリャに手を差し伸べた。


「捕まって!」


 ナーリャは差し出された手に飛びつこうと、足に力を入れる。

 とりあえず上に逃げて、それからアルトノーアに戻ればいい。

 だが外套たちは、千里を逃した上でナーリャまで逃がす気は、無かった。


『――――ッ!!』

「うわっ!?」

「ナーリャっ!」


 外套に掴まれて、引き摺り倒される。

 千里はナーリャに手を伸ばして助けようとするが、届かない。


「ナーリャ、待ってて今……っ」


 助けに行こうとした千里だったが、その動きが制される。

 自身に突きつけられた、鋼の剣。

 ゆっくりと振り向いてみれば、そこには銀の甲冑が剣を構えていた。


『抵抗するニ……抵抗するな』


 言い直した。

 だが何を言おうとしたのか解らず、首を傾げる。


「ナーリャは?私たちをどうする気?」

『彼は牢に幽閉するが、わざわざあの程度、命までは奪わニ……ない』


 甲冑のどこかで聞いたことがあるような声に、ひとまず安心する。

 信用できる訳ではないが、抵抗できない状況で嘘を言うメリットがない。


『さぁ、主がお待ちニ……だ。ついて来い』

「わかった……」

『武器は預からせてもらう。大剣はどうした?』


 大剣と問われて、千里は内心で首を捻る。

 闘技大会以前で自分を見たことがあるのなら、その時は“アギト”を持っていたので、そのことだろうとは思った。けれど、目の前の人物に心当たりは、無い。


「……人命救助のつもりだったから、船に置いてきたの」


 波を氷結させたところは、見られていなかったようだ。

 それを会話の中から感じ取った千里は、咄嗟に煌億剣を隠蔽した。

 服の中に隠していれば解らないものだし、初見ではなんだかよくわからないアクセサリーにしか見えないからだ。


『迂闊だ二……な。良いだろう、ついて来い』


 甲冑に剣を突きつけられたまま、千里はコクリと頷く。

 視線の先に広がるのは、薄暗い廊下。

 この先に、甲冑が“主”と呼ぶ人物が、いるのだ。


 千里はナーリャの無事を祈りながら、ゆっくりと歩き出す。

 今回の罠の元凶と、その目的を知るために――。


次回前後編で、十章を終えようと思います。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次話もどうぞ、よろしくお願いします。

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