二章 第一話 牙の団
風が吹く度に、草原が波打つ。
人や馬、馬車の轍によって踏みならされた街道は、土色の肌をむき出しにしていた。
「先、見えないね」
「あはは、まだ見えないよ」
村を出立してから、二時間ほど経つ。
そんなに短い旅ではないと頭では解っていたはずなのに、実際に体験するときつかった。
長い時間馬に乗っていると、痛むのだ。
主に、尾てい骨の辺りが。
「はは、
それじゃあ……あの大きな木のところで、ちょっと休憩しようか」
「うぅ、
なんか、ごめんね。ナーリャ」
肩を落として項垂れる千里に、ナーリャはおかしそうに笑った。
まだまだ道は長いのだ、ある程度は、肩の力を抜いていた方が良いだろう。
「あとちょっとだから、頑張ろう?」
「はぁ……うんっ」
少しだけため息をつくと、痛みを押して背筋を伸ばす。
なんとも前途多難な旅の、始まりだった。
E×I
木陰に座り込み、水筒のお茶を飲む。
温度を保てる訳ではないので生ぬるいが、ミドイル村特製のお茶はそんなことが気にならない程度には、美味しかった。味は、ハーブティに近いモノがある。
「っん
……はぁっ、生き返る~」
大げさに息を吐いてみせる千里に、ナーリャは苦笑する。
千里はそんなナーリャの顔に首をかしげつつ、馬の横につけた革のバッグから、袋を取り出した。
時刻は丁度お昼時。
昼食タイムである。
「はいっ、ナーリャの分」
「うん、ありがとう」
茶色の革袋。
その中には、森で捕れた兎の干し肉と、パンが入っていた。
「えーと、まだ北西へ進み続ける
……だよね?」
「うん、
そうなるね」
干し肉を噛みちぎるのに苦戦しながら、千里が問いかけた。
ナーリャは慣れているのか、普通に食べながら質問に答える。
既に確認済みのことだから意味のある会話でがないが、やはりなにか話しをしていた方が、リラックスも出来るのだろう。
「アロイアって、ナーリャは行ったことあるの?」
「うん、一度だけ。
爺ちゃんに連れて行って貰ったことがあるんだ。
高台から見ると、遠くに青い海が見えるんだよ」
「へぇー
……海、かぁ」
千里は、あまり綺麗な海を見たことがなかった。
写真で見たことはあるが、自分の目で“エメラルドのような海”なんか、見たことはない。ここの海がそうとは限らないが、千里は楽しみだった。
「魚だけならまだしも、
魔獣なんかがいると泳ぐのは危ないけどね」
「魔獣って……
黒帝、みたいな?」
そういえば、魔獣という単語もしっかり聞いていなかったことに気がついた。
黒帝は、ナーリャやイルルガから“魔物”と呼ばれていたが、千里の世界でも特別大きかったり凶暴だったりする動物を“魔物”と呼ぶことはあったため、あまり気にしていなかったのだ。
「そうだね。
獣のなかでも飛び抜けた能力を持つ存在。
それを、“魔獣”とか“魔物”って呼ぶんだ。
森に溶け込むマクバードウなんかも、場所によっては“魔物”扱いだよ」
「そうなんだぁ、
確かに、黒帝は抜きん出てたもんね」
明らかに人では叶わない、抜きん出た存在。
“暗き森の狩人”と呼ばれるアインウルフの群れすら、容易に蹴散らす“魔物”だった。
「この辺りで魔物と呼ばれているのは……
ほら、丁度あそこで走っている獣とか、そうだね」
「どれどれ?」
ナーリャが周囲を見回して、指で示す。
その方向を、千里は目で追いかけた。
普通の人間なら裸眼で見える距離ではないが、強化されている千里の視力と、狩人として鍛え上げられたナーリャの目なら、その姿を捉えることが出来た。
「イノシシ?」
「“トライフ”っていう魔物だよ」
それは、千里の世界の“猪”によく似た獣だった。
焦げ茶色の毛皮と大きな豚鼻、それから白い牙。
猪と違うのは、逆三角形の配置に三本生えた、大きな角だろう。
「赤とか紫とか、
そういった派手な色を見つけると、ひたすら突進してくるんだ」
「うわぁ、
ますますイノシシだ」
明るい色、派手な色を見ると、見境無く襲ってくる。
毎年それで被害が出ているため、彼らは“魔物”なのだ。
「一匹突出してきただけみたいだね。
ほら、後から群れがついてくる」
「すっごい数だね。
あんなのに追いかけられたら、かなり怖いかも」
草を蹴散らし、土煙を上げるトライフの群れ。
ざっと見て、三十はくだらないだろう。
その姿に、千里は身体を竦ませて身体を退いた。
「それにしても、なんか興奮してるみたいだね、ナーリャ。
……赤いモノでも見つけたのかな?」
「うーん……うん?」
千里の言葉に、ナーリャは首をかしげる。
そして、ゆっくりとトライフが追いかける方向に目をやると、赤いモノが動いていた。
「あれ、馬車?」
「へ?どこ?」
トライフばかりに注視していたため気がつかなかった、トライフの進行の先。
そこでは、馬車が走っていた。
「あの馬車、あの天井のって」
「人、に見えるなぁ、僕」
馬車の上に仁王立ちする、赤マントの巨体。
そんな目立つところにいたら、狙ってくれと言うようなモノだ。
「何やってるんだろう?
ナーリャ、解る?」
「うーん、たぶん“冒険者”だから、
依頼を受けてトライフの誘導をやってるんじゃないかな?」
貴族や服飾の商人は、派手な色の積み荷を持つことが多い。
そういった時にトライフに狙われると一網打尽にされかねない。
だからこうして、派手な格好で誘導することが、よくあるのだ。
「ふーん、
……ねぇ、ナーリャ。
なんか、こっちに来てない?」
「馬車の誘導が、こっちに?
――千里ッ!」
ナーリャは、飛び起きるように立ち上がると、千里の手を引いて馬に跨る。
千里もすぐに気がついて、ナーリャが馬に跨るのと同時に、手を離して馬に跨った。
「行くよ!
ブラックタイガー!」
腹を強く蹴って、走り出す。
ナーリャと並んで速度が出始めた頃には、馬車はすぐ側まで迫っていた。
御者をしている薄茶の髪の少年が、目を見開いて驚いていた。
「フハハハハハッ!
すまんな、少ゥ年少ゥ女よ!」
「ファング!
あんたが引っ込むタイミング失敗するから、こうなるんだ!」
「そう怒るな、クリフ。
怒りすぎると身体に悪いぞ?
フハハハハハハッ!」
「俺が身体を壊したら、
アンタのせいだ!」
赤茶色のごつごつした髪と、赤茶色の髭。
体格は熊のように巨大で、その身には鉄の鎧を纏っていた。
少年に“ファング”と呼ばれたその男性は、豪放磊落な態度で笑っていた。
一方、ファングに“クリフ”と呼ばれた少年は、苛立ちを隠しもせずファングを怒鳴る。
薄茶の短い髪と薄茶色の目が特徴的な少年だ。
見るからに、苦労性である。
「ね、ねぇ、なんか喧嘩してるよ?」
「そうだね。
あの余裕……もしかしたら、何か切り札があるのかも」
「あ、なるほど」
直ぐ後ろで喧嘩をするその声に、何か作戦があるのだろうと判断する。
そうでなければ、今にもこちらを角で貫こうとしているトライフの群れの前で、余裕そうに笑っていられるはずがないからだ。
「すみません!
僕はナーリャ!旅の者です!
何か、手伝いましょうか?!」
走りながらでも声が届くように、なるべく声を張り上げる。
ナーリャは自分の獲物を示すために、外套をめくって折りたたまれた弓を見せた。
「フハハハッ!
そんなモノはない!」
「えぇっ?!」
やはり自信満々、余裕綽々にファングが胸を張って言った。
この答えにナーリャは口を開けて固まり、千里はあからさまに驚いている。
「い、いやいやいや!
ちゃんとあるから!退かないで!」
ちょっと軌道を修正して、ファング達を囮にして逃げようかと考え始めたナーリャたちを、クリフが必死な顔で引き止めた。
「少し先にある崖下に突き落とす!
高さはそんなに無いからトライフを倒せる訳じゃないけど、
急な斜面になってるから、街道まで戻って来られなくなるんだ!」
クリフの答えに、ファングは目を見開いて驚いた。
「何?!
そんな作戦があったのか!」
「昨日言ったじゃねぇか!
ちゃんと聞いておけよ、団長だろうが!?」
「フハハハッ!
……すまん」
少し悪いと思っているのだろう。
ファングは、大きく笑った後、目を逸らして頬を掻いた。
「なんだか、疲れてきたよ」
「ナーリャ……」
そんな二人のやりとりに、ナーリャは肩を落とす。
千里はその様子を見て、顔を引きつらせた。明らかに巻き込まれている最中だというのに、クリフとファングは千里達を忘れて口喧嘩をしていたのだ。
「もぅっ、
それで、私たちは何をすれば良いんですかーっ?」
項垂れているナーリャの代わりに、千里が声を張り上げた。
大声は出し慣れていないため、少しだけ喉が痛む。
「あっ、そうだった。
予想以上に集まって困ってたんだ!
誘導する進路からトライフが漏れないように、左右から追い立ててくれ!」
「わかりました!
それじゃあ、私は左へ行くね、ナーリャ」
「え、あ……。
うん、ごめん、ありがとうッ!」
手綱を掴んで、勢いよく左右に割れる。
モノクロカラーの二人は、トライフの対象になる見た目ではない。
千里は群れの左側に回ると、馬の横に括ってあった大剣を、片手で構えた。
「帝剣“アギト”
――――せぇいっ!!」
右手一本で持たれたアギトが、勢いよく振られる。
その迫力に圧し負けたトライフは、徐々に群れの内側へ潜っていった。
当然そうなると、右側から抜けようというトライフが出てくる。
しかし、そちら側には大きな弓を構えて馬に跨る、ナーリャの姿があった。
「夜影弓の力、試させて貰うよ」
鎧越し、服越しではわかりにくい引き締まった右腕が、強く張られた弦を引く。
弓が弦の力で軋むが、その強い反発力の中にあっても、番えられた矢が震えることはない。
「シッ!」
高く風を切る音が、鋭利に響く。
ナーリャの耳にその音が届くころには、矢は大きく土を削ってトライフを追い詰めていた。大地を削り風を起こすほどの威力――それが、対大型魔獣の弓の、真髄だ。
「よし!
二人とも、崖が見えたから離れて!」
「はい!」
「わかりました!」
クリフの言葉で、ナーリャと千里は左右に分かれた。
もうすぐ崖の言葉のとおり、視線の先には崖がある。
「逃げない、のかな?」
囮になっているファング達の馬車は、進行方向を変えることなく突き進んでいた。
このままでは、トライフと共に崖の下だ。
「だめだ、
あの速度と距離じゃ、もう避けられない」
群れを挟んだ反対側で、千里も心配そうにしている。
そんな二人を余所に、ファング達は――――馬車で崖から飛び出した。
「フハハハ!
出番だぞ!アレナ!」
「解ってるわよ!もう!」
空を飛ぶ馬車の中から、水色のショートカットの女性が顔を出した。
女性――アレナは中で準備をしていたのだろう、どこか疲れが見える。
「操作、増幅完了。
【水よ、我が声に応えて道となれ!】」
アレナがそう唱えて手を振ると、虚空から大量の水が出現する。
その水が集まると、馬車を乗せる道となった。
「長くは持たないよ!クリフ!」
「解ってるよ!
ハイヤッ!」
手綱で馬を操作して、ナーリャ達の方へ軌道を変える。
そして丁度その時、地を鳴らすほどの震動と共に、トライフの群れが落下した。
「ね、ねぇねぇナーリャ!
今のって、なに?」
「今の……?
あぁ、うーんと“魔法”だと思うんだけど……僕も、実際に見たのは初めてだ」
淡い水のベールでできた道。
その道を馬車が往き、そしてゆっくりと降り立った。
すると、中から人が出てきた。
水色のショットカットに水色の目の、ボーイッシュな女性――アレナともう一人。
緑色の髪を左目が隠れる程度に伸ばした、仏頂面の男性だ。
「大変だったな、クリフ」
「そう思うんだったら手伝えよ、アストル!」
アストルと呼ばれた緑髪の男性は、クリフの言葉に首をかしげる。
天然ではない。すこし、茶目っ気があるだけなのだ。
「よう!坊主に嬢ちゃん!
助かったぞ!フハハハハッ!」
一々声を張り上げなければ気が済まないのか、ファングは大きな声で笑う。
その声が空気を震わせて、ナーリャと千里は思わず耳を押さえた。
そんな二人の様子を気にも留めず、ファングはナーリャの側に行って背中を叩く。
行動が一々豪快で、ナーリャは困惑から苦笑いを浮かべていた。
「あーもぅっ!
止めなさいよ、団長」
背中を叩き続けるファングを止めたのは、アレナだった。
アレナは両手を使って押しのけるようにファングを退かすと、ナーリャ達に向き直る。
「助けて貰ったのに、なんかゴメンね。
私はアレナ、冒険者よ。よろしく」
アレナはそう、笑顔で名乗る。
少年のような雰囲気を醸し出しながらも、どこか艶やかな笑みだった。
「ごほっ、ごほっ!
ふぅ……旅の狩人で、ナーリャです」
「ナーリャと一緒に旅をしている、千里=高峯です!」
ナーリャは咳き込みながら、千里は元気よく挨拶をする。
挨拶は第一印象に繋がる重要なポイントだ。ハキハキと元気よく、である。
「ナーリャにチサトか。
俺はクリフ、冒険者“牙の団”のメンバーだ。
えーと……あっちの髭達磨が団長のファングで、
あそこの“エセ”クールが、副団長のアストルだ」
クリフが、自分の仲間を見回しながら紹介した。
メンバーは全部で四人の、小規模な冒険者団だった。
「これも何かの縁だ!
そうだな……次の村、テレイで飯を奢ろう!」
「無理にとは言わないけど、方向が同じなら、どうかな?」
豪快に宣言するファングと、申し訳なさそうに言うアレナ。
ファングの様子に頭を抑えて呻るクリフと、薄く笑うアストル。
でこぼこながらもどこか暖かい、良いチームだった。
そんな四人を前に、千里は小声でナーリャを呼んだ。
「ねぇ、どうする?」
「うーん。
……悪い人じゃないみたいだけど」
急な展開についていけずに、戸惑う。
のんびり旅を始めて、休憩してからまだあまり時間は経っていない。
それなのにこうも早く状況が展開してしまうと、どうしたらいいか解らなくなっていた。
「坊主!」
「は、はいっ」
「そうか!“はい”か!
よし、決まりだな!行くぞ!」
「えっ、へ?」
展開が読めていたのだろう、クリフはさっさと動いてナーリャ達の馬を馬車に繋いでいた。馬車を引かせるのではなく、並走させるのだ。
アレナもそれに付き合いながら、苦笑いをしている。
「あはは、
うん、私は良いと思うよ?ナーリャ」
「う、うぅん。
……なんか、ごめん」
旅の始まりで千里が言ったことと、同じようなことを口走る。
ぐいぐいと引っ張るタイプには慣れていないのだろう。
千里は、故郷の友人である利香が、ぐいぐいと人を引っ張るタイプだった。
そのこともあって、ナーリャよりは“耐性”があったのだ。
揺れる馬車に乗せられながらため息をつくナーリャと、懐かしさから楽しそうに笑う千里。
二人の旅は、出だしから奇妙な絆を結んでいた。
「はぁ、
これからどうなるんだろう?」
「うわぁ、
馬車ってけっこう速いんだねーっ」
どこまでも対照的に、二人と四人を乗せた馬車が走る。
全員それぞれに微妙にテンションの違う馬車の中は、どうにも奇妙な空気が醸し出されていた。
目指すはテレイの村――――街道の、仲介地点である。
二章の第一話ということで、短めです。
冒険者や別の村など、これからどんどん“外”に触れていきたいと思います。
ご意見ご感想のほど、どうぞよろしくお願いします。
それから、目次ページの下に拍手を設けましたので、お気軽にご意見など書き込んでいただけたら、幸いです。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。