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E×I  作者: 鉄箱
第三部 運命を穿つ矢
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九章 第三話 精霊王の秘宝

 精霊王の治める島国、トゥーユヨーク。

 ここは、中心に流れるヴィルウィの川を境に住人の種族が異なる。


 右側が、妖精達の暮らすカロートニルス。

 左側が、亡霊達の暮らすウルートガルズ。

 カロートニルスは、昼間は陽光に包まれているが、夜は濃霧に覆われている。

 ウルートガルズは、夜間は月光に包まれているが、昼は濃霧に覆われている。


 つまりナーリャ達は、夜の中で濃霧を避けた結果ウルートガルズに迷い込むことになったのだ。


『昼間だったら、妖精達の集落に迷い込んでいただろうな』

「じゃあ、昼間に来られたら良かった、ってこと?」


 石のテーブルを中心に置き、月明かりの下で耳を傾ける。

 場の仲裁を買って出たトラストは、遠巻きに見る亡霊達を制しながら、ナーリャ達に説明をしていた。


『いや、それでもおそらく反応は変わらんだろう』

「そっか……」


 トラストの言葉に、千里は眉を下げる。

 ナーリャもそんな千里の肩を叩いて慰めつつ、この状況に疑問を抱いていた。


『トラストよ、何故その人間の肩を持つのだ?!』


 そんな中、トラストに声がかかった。

 ナーリャの一撃から回復したバルバロイが、駆け寄ってきたのだ。


『この者は、我に正面から挑み打ち破った、誇りある戦士だ。

 姑息な手段で“王”を謀った人間達とは、違うのだ。我が友バルバロイよ』


 事も無げに、トラストはそう言い放つ。

 闘技大会の準決勝、その一対一の場に“姑息”や“卑劣”といった言葉は似つかわしくない。正面から挑み、そして打ち勝つための場。


 そこへ昇ってきた者達を貶す気持ちは、トラストにはなかった。


「トラスト……ありがとう」

『礼を言われるようなことではない。

 貴殿は胸を張ればいい。我は貴殿に、“誇れ”と言ったはずだぞ?』

「あぁ、そうだね。そうだったね」


 切り結んだ相手だからこそ、その心意気は伝わる。

 そんな二人の“戦士”の姿に、千里は一縷の寂しさを覚えていた。

 こんな時、自分は会話に入っていくことができないのだ。


『ぬぅ……いいだろう。

 吾輩は敗者だ。どの道、勝者へ道を譲らなければならなかった』

『すまんな、バルバロイ』


 バルバロイは、無い首を竦めるような仕草をして、敵意を解く。

 ナーリャがトラストなしにあの場を切り抜けていたとしても、このように敵意が解かれることはなかっただろう。そう思うと、トラストへの感謝は募るばかりだ。


『して、一体何用でこの島へ?』


 トラストがそう訊ねると、ここで漸く千里が顔を上げた。

 微妙に疎外感を受けていたのだが、そうは言っていられない。


「神託を受けたんです」


 ナーリャがまず、そう告げる。

 トラストとバルバロイはその言葉に反応し、姿勢を正した千里へ視線を移した。

 視線を受けた千里は、それに促されて上着の内ポケットから“レラの涙”を取り出す。

 これ以上に信用を持つ“身分証明書”は、他にない。


『こ、これはッ』

『ほぅ』


 バルバロイがまず身を乗り出して、次いでトラストが呻り声を上げた。

 どのような場所にあっても変わらない輝きを放つ、高純度の熾煌晶。

 神からの授かり物として名高いそれは、幽族の二人を呻らせる。


『間違いはないようだな?バルバロイ』

『そのようだ。ぬぅ……此度のことはお詫びしよう、使者殿よ』


 心なしか、バルバロイは落ち込んだように見えていた。

 哀愁を漂わせる亡霊というのは実にシュールで、もの悲しさを飛び越えて成仏してしまいそうな雰囲気がある。千里は、口元を引きつらせながらそんなことを考えていた。


『改めて歓迎しよう、人間の使者よ。

 我はトラスト。ウルートガルズの“領主”をしている』


 トラストは、改めてそう告げる。

 腕試しで自分の領を離れてしまう、なんとも自由な領主だった。

 尤も、自由な住人ばかりなので、あってないような肩書きなのだが。


 そんなトラストの自己紹介に、ナーリャと千里はポカンと口を開けるのであった。














E×I














 トラストの家は、ウルートガルズの端にある。

 妖精族も幽族も、領主は中央のヴィルウィの川を挟んで向き合った場所に居を構えるのが、慣わしとなっていた。もっとも妖精族の方は、元来居を持たないのでその慣わしに従ったのは最初期に限るのだが。


「ゆ、幽霊屋敷」


 トラストの家――古ぼけた洋館を見上げて、千里はそう零した。

 亡霊が暮らしているのだから、当たり前と言ってしまえば当たり前なのだが、如何にも“なにか”出そうな雰囲気が漂っている。有り体に言えば、“怖い”ということだ。


「千里?どうしたの?」

「な、なんっでもないよ!」


 思わず、声が裏返る。

 変な声を出してしまったことに朱くなる千里を見て首を傾げながらも、ナーリャは彼女の手を引いて中に入るよう促した。


 蜘蛛の巣の張った廊下。

 ひび割れたガラス窓。

 劣化した灰色の壁。


 隙間風に身を震わせながら、千里はナーリャの手にしがみついて移動する。


――ひゅぉぉぉぉぉ

「ななな、なんか、響いてる」

「風の音だね」


 解っている。

 だが、そういう問題ではないのだ。


――ガタンッ

「だ、だれ?!」

「あはは、これも風の音だと思うよ」


 それも解っている。

 苦笑いを浮かべるナーリャを上目遣いで睨みながらも、千里はナーリャの手から離れることができない。体勢としては非常に恥ずかしいのだが、怖い思いをするよりは遙かにマシであった。


「まずい、な」

「ナーリャ?」


 一方ナーリャも、千里とは別の意味で危機感を覚えていた。

 いや、千里のせいで、と言った方が正しいだろう。

 腕にぎゅっとしがみつく千里は、小さな物音を聞き取る度に小さく震える。

 大丈夫、と声をかければ頬を上気させながら、上目遣いでナーリャを見るのだ。


 理性の箍が、ぐらぐらと揺らぐ。


「ううん、なんでもないよ。千里」

「そう?」


 千里に心配されて、ナーリャは頷く。

 なにやら“超えた”のか、眩いほどに爽やかな笑顔だった。


『さて、好きな場所に座ってくれ』

「あ、うん」


 ナーリャは慌てて返事をすると、トラストが促した先を見る。

 古ぼけた長いテーブルに、緑色の火が灯った燭台。

 壁に掛かった絵画の中では、描かれている貴婦人が時折笑う。

 シャンデリアの光は紫色なのに、空間は薄暗いだけで、紫色の光なんか見えない。

 照明の意味がないにもほどがある。


「とりあえず、座ろう?千里」

「と、隣で良い?」

「ッ……もちろんだよ」


 思わず顔を逸らしながら、熱くなっていく鼻頭に手を当てる。

 そんな情けない出血はしたくないからこそ、ナーリャは理性をフル稼働させていた。


『……何時までやっているんだ?』

「あ、あははは」


 トラストの呆れたような声に、ナーリャは苦笑いを返すことしかできない。

 そんな二人の様子に気がつくことなく、千里はひたすら怯えていた。






 一通り落ち着いた後、千里とナーリャはトラストの話に耳を傾けていた。

 フルプレートアーマーの下の表情は、当然ながら伺えない。

 けれど、どうにも彼からは“呆れ”が滲み出ているように見えた。


『もう、いいようだな』

「あ、はは、は……はい」

「面目ないです」


 ナーリャと、次いで千里が肩を落とす。

 恥ずかしい所を見られたというか、恥ずかしい所を見せつけたというか。

 とにかく、二人は羞恥心で頬に朱を差していた。


「それでトラスト、いったい何故、僕たちはあんなに警戒を?」


 慌てて本来の流れに軌道修正を図ったナーリャに、トラストはため息を一つ零す。

 だがそうやって何時までも引き摺る気がないから、トラストもそれに乗った。


『我らが精霊の王は、“夢を叶える力がある”と謂われていた』

「夢を、叶える?」


 トラストが頷き、千里とナーリャは顔を見合わせる。

 本当にそんな力があるのなら、それは“神様”の領域だ。

 イルリスも、ここに行けと命ずるだけで良い。だが……。


「謂われて“いた”っていうのは?」

『考えれば解る事だ。

 そのような規格を外れた力、

 イルリスでもエルリスでもない我らに、持てるはずがない』


 夢を叶える、それは望みを――空想を現実にすることだ。

 そんなことは、島に縛り付けられた精霊の王にできることではない。

 神ですら、望むことを望むままにできていないというのに。


「でもそれなら、普通の人も信じたりはしないんじゃないか?」

『それを可能とする道具がある。そんな、噂が出回っていたら?』

「まさか……それって」


 千里が、愕然とした声を出す。

 それなら、秘宝を求めてきた千里達が、非難されるのも頷ける。

 夢を叶える道具があり、それを王が所有しているのだと聞けば……人は、動く。


『奇襲、人質、謀り。

 あらゆる手段を用いて、侵入してきた人間達は望みを叶えようとした』

「その人間達が求めたのが……」

『そうだ。それこそが、我らの王の秘宝。

 ――“恒星の耳飾り”だ』


 人間達が、犯した罪。

 人間という種族で一括りするつもりは、トラストには無かった。

 だからこそ闘技大会にまで赴いたりしていたのだが、他の住人達は別だ。


「どうして、そこまでしちゃうんだろう。

 誰かを叩いて、それで望むものを手に入れて、本当に幸せなのかな?」


 膝の上で拳を強く握り、千里はそう吐き出した。

 トラストはそんな彼女の姿に、内心で心を軽くする。

 人を謀るような人間ではない……それくらい、見れば解る。


「千里……人間は、貪欲なんだ。

 望みのために他者を害することを厭わない。そんな人間は、世の中には沢山いる」


 そう語るナーリャの瞳は、どこか空虚だ。

 感情が込められていないのではなく、どこか遠くを見ているような。

 人の裏側――人間の“陰”に、直面したことがあるような。


「でもさ」


 だが、その陰も不意に消える。

 その瞳に宿るのは、真摯な光だった。


「だからこそ、千里は“そうやって”いて。

 それだけで、翳りを知る人たちは、頑張ろうって思えるんだ」

「ナーリャ?どうして、そんな。

 ……ううん、わかった。だからそんな悲しそうな顔、しないで」


 穏やかな笑みを浮かべるナーリャの頬を、千里は撫でる。

 どうしてだか、ナーリャが泣き出してしまいそうに見えたのだ。


『光を宿す少女と、翳りを知る少年か。

 なるほど、神託で選ばれたというのも頷ける』


 トラストは、ナーリャ達に聞こえないように、小さくそう呟く。

 トラストが知っていたのは、ナーリャのみだ。

 けれどこのやりとりで、トラストは千里のことも信じてみたくなった。


『昼になれば、ウルートガルズは濃霧に包まれる。

 そうなれば移動は困難だ。今日は泊まり、朝の霧が薄い内に橋を渡ろう』


 トラストがそう告げると、千里は前を向いて頷く。

 そこに怯えはなく、ただ前につき進む意志の光だけが宿っていた。


『その後は、我が王の所までの道案内を紹介しよう。

 妖精族の方も人間を嫌っているが、我の紹介ならばそれも和らぐ』

「何から何まで、本当にありがとう。トラスト」


 礼を言い頭を下げるナーリャと千里。

 そんな二人を、トラストは手で制した。


『構わん。我も、人間と我らの“未来”が見たくなったに過ぎん』

「そっか、それでもありがとう、だよ。トラストさん」


 千里に笑顔で言われて、トラストはわざとらしく肩を竦める。

 そして、やれやれと言わんばかりに息を吐き、今度こそその礼を受け取るのであった。











――†――











 トラスト屋敷の寝心地は、あまり良いものでは無かった。

 ベッドは硬い、シーツはかび臭い、隙間風が寒い、壁を叩く音がする。

 ろくに寝られたものでは無かったが、千里はなんとか目を閉じて一晩過ごすことができた。


「うぅ、こっちにきて寝起きの悪さ、だいぶ良くなったと思ったんだけどなぁ」


 原因は、寝不足か。

 故郷では夜更かしをしてしまうことが自然と多くなり、それ故の寝起きの悪さだった。

 習慣で悪くなっていた寝起きは、習慣で良くもなる。

 こちら来て最初は悪かった寝起きもここ最近は良かった……と思ったら、寝不足でやはり寝起きは悪くなっていた。


「日本に戻ったら、夜はしっかり寝よう」


 眉根を寄せてふらふらと、幽鬼のように歩く。

 実に不気味で機嫌が悪そうだが、それをなんとか振り払って千里は掛けてあったブレザー型の服を手に取った。


 腰には煌億剣とマガジン。

 鎧の嵌められた、黒いブレザー型の服。

 ベッド脇のブーツを履けば、準備は完了だ。


「よし……まずは朝食だ」


 亡霊達は、食事を取らない。

 そんな基本的な事を聞いていなかった千里は、意気揚々と部屋を出た。

 疲れていたためか、夕食を摂らずに寝てしまったのだが、そもそも夕食なんかこの屋敷になかったと気がつくまで、まだ少しだけ時間があるようだった。






 そうして廊下であったナーリャに朝食がないことを告げられ、千里は肩を落としながら出発することになった。仕方がないので、森で木の実でもとって食べるしかないのだ。


 屋敷を出発して、朝霧の中、川に沿って歩く。

 向こう岸まで、川幅は百メートルから百五十メートルほどだろうと、千里は目測で見ていた。


「これ、何でできてるの?」


 橋に着くと、千里はそう恐る恐るナーリャに訊ねた。

 古い建造物には、ドクダミの蔦が絡みつくことがある。

 この橋も蔦が絡みついているように見えなくもないのだが、肝心の絡みつかれている橋本体が見あたらなかったのだ。


『リパイアだ。

 風に絡みつく蔦で、意図的に風を流せばその場所に蔦の道を造る』

「風に絡みつく?」


 見れば、橋の根元の地面に、緑色の石が置かれていた。

 翡翠のような石で、そこから絶えず風が吹き出ている。


「ナーリャ、あれは?」

「風石だね。火を熾す火石同様、風を起こす石だよ」


 王国の港街、そこで出会った隻腕の船乗り。

 ラオという老人の船にあった赤い石を思い浮かべて、千里は頷いた。

 この分だと、水の石や雷の石とかもありそうだ、などと考えながら。


「よっと……けっこう丈夫だね」

『張り巡らされているから、よほどのことがなければ落ちないはずだ』


 先に蔦の上を歩き始めた、ナーリャとトラスト。

 二人の余裕のある表情を前に意を決して、千里も蔦の上を歩き始めた。


「けっこう、ふわふわしてるね」

「そうだね。想像してたより弾力がある」


 スプリングでも入っていそうな歩き心地に、千里は少しだけ楽しくなる。

 ホラーは苦手だが、高いところは得意といっても良かった。

 それほど高さはないが、足下がおぼつかないというのに怖くなる人も居るだろうが、高いところが得意ならばそれほど恐れることでもないのだ。


『基本的に、幽族と妖精族にこれといった交流はない』


 トラストの語り口に、耳を傾ける。

 全身を覆う鎧はかなりの重量を持っているはずだが、それでも蔦が切れたりはしない。

 異世界ならではの、不思議植物だ。


『だから案内人の要請は領主へ一任することになる。

 その点だけ、了承しておいてくれ』

「わかったよ、トラスト」


 ナーリャが頷くと、トラストはそれを受け取って満足げに顎を引いた。

 仕草一つ一つから態度を見ることができるせいか、彼の内側には“なにもない”など、直接目で見たことがなかったのなら信じられなかっただろう。


 やがて橋の終わりに辿り着くと、トラストは足を止めて振り向いた。


『ここで暫し待っていてくれ。

 何かあったら、レラの涙が貴殿らの身分を明らかとしてくれよう』

「うん、ありがとう。助かるよ、トラスト」

「ありがとう、トラストさん」


 礼を言うナーリャ達に、トラストはただ一度だけ頷いてみせる。

 そして、妖精族の領主に話しをつけるために、その場から立ち去った。


 残された千里とナーリャは、二人で周囲を見回す。

 ここは既に妖精族の領域、“カロートニルス”なのだ。


「なんだか、百八十度雰囲気が違うね」


 常に陰鬱な雰囲気が漂っていたウルートガルズと違って、カロートニルスは穏やかで陽気な空気に包まれていた。


 空気は澄み渡り、風は心地よく、陽光は暖かい。

 緑の芝生は活き活きとしていて、野に咲く花は可憐で素朴だ。


「何の花だろう?ナーリャ、解る?」

「えーと……見たことない、かな」


 群生する花々の中の一輪に、千里はそっと近づいた。

 しゃがみ込んでよく見てみると、桃色の花弁が愛くるしい七つ葉の花であった。


「コスモスなんかに似て――」

「――千里、離れて!」


 ナーリャの声に驚き、飛び退く。

 それと同時に花弁から甘い香りを纏った風が吹き上がり、千里が先程までしゃがみ込んでいた場所を覆い尽くした。


「残念でした!ここから先に行けると思うな人間どもよっ!!」


 濃いピンク色の髪をポニーテールにした、吊り目気味な女の子。

 ただしその全長は二十センチにも満たないほどに小柄で、背からはトンボのような透明な羽が二対四枚、生えていた。


「よ、妖精!?」

「千里、レラの涙を――」

「――アンタたちには、なぁーんにもさせないんだからっ!」


 千里がレラの涙を取り出す前に、妖精から桃色の風が吹き上げられた。

 甘い香りを纏った風……これは、花粉だ。


「惑え、惑え、惑え!

 我らが王の百分の一に満たなくとも、人間程度惑わすには雑作もないッ!!」

「くっ……千里!」


 蜜のような、甘い匂い。

 花々を凝縮した香水を直に嗅がされているような、不快感。

 その香りは千里の鼻孔から脳を駆け巡り、意識をぼんやりと濁していった。


「あははー、ナーリャー……うふふふふ、お花畑がいっぱい~」

「ち、千里!?正気に戻って!」


 両手を広げながら、千里はその場でくるくると回り出す。

 ナーリャも嗅いではいたが、千里の方が感受性が高いのだろう。

 虚ろな目で在りもしない蝶々を追いかける姿は、いっそ不気味だ。


「わぁ~い、てふてふだぁ」

「なにもないから!あぁもうッ」


 川に向かって走り出した千里を、ナーリャは後ろから抱き締める。

 それでも千里は諦めず、蝶を捕まえようと空に手を伸ばしていた。


「ナーリャ~、きれいだねぇ~」

「そっちに蝶なんかいないから!」

「あははは!いい気味ね、人間ども!!」


 そんな二人を、妖精は腹を抱えて笑っていた。

 ご丁寧に自分の膝を叩きながら涙目になって笑う姿に、ナーリャは苛立ちを覚える。

 けれどもまずは、千里をどうにかしなければならないと、意識を切り替えた。


「君は少し黙ってくれ!」

「うふふふふ……黙るの?」

「千里じゃなくて!」

「ナーリャが?」

「僕でもなくて!」


 カオスである。

 とりあえず術者を叩けばいいのでは?という基本的な事は、混乱したナーリャには考えられなかった。


 だがこの収拾のつきそうになかった状況にも、収束の風が吹いた。


「【風よ!】」


 突如吹いた突風が、桃色の花粉を吹き飛ばす。

 それにより幻惑から解放された千里は、衝撃で尻餅をついた。


「ララン!その人達はダメ!」

『まったく、落ち着きのない』

「元気なのはいいことですわ」


 ナーリャと千里の視線の先。

 そこには、トラストと見たことのある妖精と、見慣れない妖精の姿があった。


「あ……あの妖精さんって、もしかして」


 金の髪に黄色の瞳。

 緑がかった妖精の羽。

 風の魔法を操る、小さな女の子。


「久しぶりね、チサト!再戦は叶いそーにないけど」


 闘技大会の二回戦で千里と戦った、妖精族の少女。

 ファリリナが、トラストと共に駆けつけたようだ。


「あら、ファリリナさん、私にも紹介してくださいな」


 ファリリナとトラストの後ろ。

 その見慣れない妖精は、彼女たちよりも遙かに大きい。

 千里よりも背の高い、大人の女性然とした、白いドレスの妖精だった。

 その背には、妖精の証と言うべき金色がかった羽が、四対八枚も生えている。


「初めまして、神の使いよ。私はエリエル。

 妖精の集落カロートニルスの領主を務める、大妖精ですわ」


 金の髪に銀の瞳を持つ、妖精の領主。

 エリエルは自己紹介と共に、たおやかに笑ってみせた。


「え?神の使いって……え?」

「ララン、あなたは落ち着きなさいよ」


 いつの間にか、ファリリナは桃色の妖精――ラランの側まで来ていた。

 その光景を見ながら、千里は混乱した頭を落ち着かせる。


 千里が幻に惑わされて混乱している、その間。

 それから抜けきれもしないうちに、王を除く役者が揃うのであった――。

今回で折り返し地点。

次回から、九章の主要部分に入っていきます。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次話もどうぞ、よろしくお願いします。


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