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E×I  作者: 鉄箱
第二部 闇を打ち祓いし剣
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八章 第六話 深淵の鼓動 後編

 彼の人生は、失望から始まった。

 魔法使いの名家の嫡男として誕生し、その時点からあまりの病弱さに失望された。


 魔法の才能だけはあったのだが、それも“異端”と呼ばれるものであり、家からそんな存在が出てしまったということを隠蔽するために、彼は里子に出された。


 多額の報償を受け取った里親は、病弱な彼に見向きもしなかった。

 そして彼もまた、他者を気にかける余裕など無かった。


 あと数時間で、死ぬかも知れない。

 もしかしたら、明日までは持つかも知れない。

 でも、その次は?その次の次は?一月後には?一年後には?


 彼にとって“未来”は、苦痛を感じるためだけに用意されたものだった。

 だからこそ、人々が何故“未来”を崇めるのか、彼には理解することが出来なかったのだ。


 口の中に満ちる鉄の味も、胸を灼く痛みも、身体を襲う倦怠感も。

 全ては全て、苦しむための拷問具に過ぎない。

 彼にとっての平穏とは、過ぎ去った日々以外にあり得なかった。


 ――だから。


『この手を取れ』


 その声を、彼は忘れない。

 最早望むことにも疲れた彼に差し伸ばされた、大きな手を。


『これで、楽になれるのですか?』

『いいや、これで救われるのだ』


 ある日突然、その命が途切れることになったとしても。

 この言葉とその手だけは、生涯忘れることはないだろう――。














E×I














 煌億剣に、マガジンをセットする。

 込められた力は、熱き氷。

 赤透明の剣真を持つ魔剣、灼氷剣。


「ハァッ!!」


 その一撃を振るうと、高温により空気が燃え上がり、死霊達が灰となって消えていった。


「っ、ごめんね」


 苦しみに歪んだ表情で、死霊騎士が崩れ落ちる。

 その姿に、千里は眉を歪めて、唇を噛みしめた。


「リクト!こっちだ!」

「うんっ」


 レウの言葉で走り、バリケードを作っている侍女達を見つける。

 そして光を手に集めて放つと、侍女達が光の粒子に覆われた。


「【大地よ、壁となれ】」


 さらにそこへ、レウが鉄の要塞を作り上げる。


「そこにいて下さい!」

「は、はいっ」


 レウと合流した千里は、こうしてまだ生きている侍女や負傷した騎士達を助けていた。

 ナーリャに向けていた矢印を、生存者に向け直したのだ。

 千里は、騎士や力ない侍女達を見捨てて動けるような、人間ではなかった。


「これでだいたい、全員!」

「よし!それじゃあ合流しよう!」


 千里の言葉に反応して、レウがそう叫ぶ。

 それに千里はしっかりと頷くと、並んで走り出した。


「さっきから、なんなの?こんな、ひどい」


 悔しそうに、それでいて悲しそうに千里がそう告げる。

 それにレウは淡々と、だがその赤銅色の瞳に侮蔑の怒りを込めて口を開いた。


「……死霊傀儡、だね。

 肉体から一度離れた魂は、二度と肉体と重なることができない。

 けれど、特殊な才能を持った魔法使いによって魂を肉体に縛り付けられると、

 縛り付けられた人間は、その魔法使いによって意のままに操られる人形と化すんだ」


 殺すしか、救済手段はない。

 最後にそう付け加えたレウの、残酷な言葉。

 それに千里は、ナーリャの武器を纏めた紐を持つ左手を、血が滲むほどに握りしめた。


「なんにしても、今は合流しよう。

 考え得る“最悪”の事態を、導かないためにも」

「そう、だよね。うん……そうだ」


 千里は矢印を睨み付けながら、加速する。

 それをレウは、ギリギリまで身体能力を強化することで、なんとかついていった。

 彼はそれほど、肉体強化が得意ではないのだ。


「敵が奥に集結してる?いや……」


 大きな門の前。

 そこに広がる空間で、ナーリャ達と対峙する、テインとラック。

 その雰囲気とこれまでの状況から、レウは一目で理解した。


「何がどうなってるの?!」

「十三分団の団長と副官が裏切った、かな。

 それよりも、ラックのアレは、止めないとまずいぞ!」


 今走っていっても、間に合うかは解らない。

 だが、自分の手には、先を紡ぐ道具がある。


「レウ、遠くに物を投げるの、得意?」

「うん?……なるほど。任せろ!」


 レウが足を止め、杖を持つ。

 するとレウよりも一回り大きなゴーレムが出現し、千里からナーリャの弓と矢筒を受け取った。


「ナーリャっ!!」


 千里が思いきり叫ぶと、ナーリャが振り返る。

 それとほぼ同時に、ゴーレムがナーリャへ弓と矢筒を投げた。

 投げても受け取れるか解らないので、槍は後回しだ。


「受け取って!」

「っ……」


 千里の言葉に頷くと、ナーリャは素早く弓を受け取る。

 矢筒は受け取るのではなく、ただ矢を一本引き抜いてうち捨てた。

 この場では、それで十分だ。


 突然の来訪。

 それに反応することができたのは、鍛え上げられた聴覚で千里の声を受け取ったナーリャのみ。


 だからこそ、この状況はまたとないチャンスだった。


「先見三手」


 動きの後。

 三手先までを見通す擬似的な未来予知。

 死霊達もテインの妨害も全てすり抜けて狙うは、ラックの身体だ。


「一射必中!」

「なんだ、とォッ!?」


 大剣を振って叩き落とすのも、間に合わない。

 視線の流れ、それが外れた刹那ほどの隙。

 針の穴を通すような一撃が、正確にラックの詠唱を止めた。


「【今ここに導かれよ、果てに在りし……ぐぁっ?!」

――ドンッ


 左肩を射抜かれたラックは、その場に膝をつく。

 綺麗に貫通したのですぐに失血死するほどではないようだが、これで満足に戦うこともできないだろう。詠唱など、もってのほかだ。


「千里、ありがとう、助かった!」

「ううん、それよりも今は!」


 途中で中断させられたとはいえ、にじみ出てきたものはある。

 黒い体、赤い瞳、歪な体躯。

 腕が三本や四本の者、片足が半ばから分かれている者、頭が二つある者。

 歪んだ魂が集結し、そこに闇を纏う血色の化け物達を生み出していた。


 その数は、優に五十を超えることだろう。


「これで、不完全って?たまんないなぁ」

「遅いぞ、レウ」

「全速力っスよ、フィオナ様」


 追いついてきたレウは、心底嫌そうな顔で変質した死霊達を見る。

 フィオナも一緒に軽口を叩くが、その目には焦りが見え隠れしていた。


「助かりました。……ところで、チサト、というのは?」

「ア、アルトレイさん。これは、その」

「今は些細なことを気にしている場合ではないぞ、アルトレイ」


 クラウトの声で、アルトレイは前に向き直り、千里とナーリャは胸をなで下ろす。

 もうばれるのは時間の問題だし、そもそもばれずに戦う方が難しいことだろう。


 けれど今は、それを話している暇は無いのだ。


「“怨霊傀儡おんりょうかいらい

 ……不完全だが、まぁいい」


 歪な死霊――怨霊たちは、布で止血したラックの意に従い動き始める。

 その息苦しくなるようなプレッシャーは、ナーリャ達に強く向けられていた。


「ごほっ、ごほっ……こ、こは、お任せを、ごほっ、テイン、様」

「あぁ、任せた」


 ラックの声に頷き、テインは踵を返す。

 その先は神託の間、神託の聖域だった。


「待て!テイン!」

「……その“偽りの名”も今日で終わりだ。騎士アルトレイ」

「なに、を?」


 それだけ呟くと、振り向きもせずにテインは扉を開け放つ。

 その先に続くのは、水晶のように澄んだ通り道だ。


「くっ……怨霊をどうにかしないと、狙えないか」


 矢筒を腰に提げて、槍を背負う。

 そのまま弓に矢を番えて構えるが、怨霊達の壁が厚すぎて、テインどころかラックにすら当たりそうになかった。


「まずは、ここを越える必要があるという事か」


 フィオナが、そう忌々しそうに呟く。

 見るからに強大な怨霊達を倒すのはやはり、骨が折れるのだろう。

 だが、その光景をもろともせずに、千里は踏み出した。


「怯えてばかりじゃ、きっと誰も助けられない」


 それほど長くない旅路だが、その中で幾度となく困難を乗り越えてきた。

 そんな中で千里が学んだことは、“踏み出さずに乗り越えることはできない”ということであった。


「みんな、行こう!」


 光の粒子が舞い上がり、千里の身体を覆う。

 その幻想的な光景に、ナーリャやフィオナ、レウだけでなくアルトレイとクラウトまでも引き込まれていた。


 千里の後ろならば、どんな壁でも乗り越えられるような。

 そんな、心の底から沸き上がってくるような、活力。

 それは如何なる力か、確かにその場にいる者達の心を掴んでいた。


 群がる怨霊と、ネズミの死霊。

 ここが……正念場だ。











――†――











 向こう側を見ることのできない、不可思議な水晶の間。

 そこでルフィルは、他の侍女達と共にオリヴィアを守っていた。

 といっても、戦うのは近衛騎士の仕事であり、彼女たちに外敵に対処するような能力はほとんど無い。


「【風よ、盾を】」

「【水よ、壁を】」

「【土よ、砦を】」

「【火よ、刃を】」


 魔法を扱うことができる侍女達が、使いこなせるただ一つの魔法を重ねがけしていく。

 年若い侍女であるルフィルはそれすらもできないが、せめて何か出来ればと、オリヴィアに寄り添っていた。


「……オリヴィア様、

 必ずアルトレイ様たちが外敵を打ち倒して下さいます。それまでしばしお待ち下さい」


 部屋の中心で祈りを捧げるオリヴィアに、ルフィルは精一杯の笑みを浮かべる。

 この場で心が折れるようなことがあってはならないのだと、ただ必死に前を向こうとしていた。


「ルフィル……ありがとう。

 私もなんとか、イルリス様に“繋ぎ”打開の手段を探します。ですから――」

「――それをさせる訳には、いかんのだよ」

「っ!?」


 水晶の間、神託の聖域と呼ばれるこの場所に足を踏み入れることが許されるのは、オリヴィアと彼女付きの侍女達だけだ。


 だからこそこの闖入者――テインの存在に、動揺が走る。


「裏切ったのですね……テイン」

「裏切ったつもりはない。俺の心は、常に一つにある」


 背中の大剣を引き抜くと、片手でそれを構える。

 強靱な腕力があってこそ為し得る剛剣の構え。

 その大柄な体躯から放たれるプレッシャーに、ルフィルは吐き気にも似た感情を覚えた。


「さぁ、我が願いを叶えて貰おうか。神託の巫女よ」

「願い?貴方は、何を望むのですか」


 ルフィルの震える手を、オリヴィアはそっと握りしめる。

 その優しさに、何も出来ないふがいなさに、ルフィルは小さく唇を噛んだ。


「神託だ」

「神託?」


 テインが一歩近づくと、四人の侍女達が魔力を高める。

 風の盾、水の壁、土の砦、攻撃をしてきたものに傷を与える炎の刃。

 戦うことはできなくとも、護ることには一級の力を持つ近衛侍女。


 その全力が、ここに在った。


「そうだ。だが俺の求めるモノは、イルリスのそれではない」

「エルリスの神託が欲しいがために、数多の命を掠奪したのですか」

「そうだ」


 テインの言葉に、躊躇いはない。

 その瞳に浮かぶのは、狂気よりも純粋な、渇望の念であった。


「確定のない未来への導きなど、現在を司る我らに必要ない」

「貴方は、まさか……」


 テインの言葉から何を読み取ったのか、オリヴィアは目を見開く。

 演説でもするかのように悠然と歩み寄るその姿には、悲願を目前としている事への歓喜の感情が満ちあふれていた。


「我らに必要なのは、積み重ねてきた過去のみ。

 未来に縋る愚かな人間達の信心を一掃し、エルリス一柱のみの信仰を築き上げる!」


 盲信であり、狂信。

 未来への可能性を破棄し、過去への積み重ねのみで現在を紡ぐ。


 その思考はまさしく、“異端者”のものだった。


「なんと、愚かな」


 侍女の一人が、呆然とそう呟く。

 過去の神は語りかけない。だから、未来の神の言葉を求める。

 過去の神の言葉を知りたければ、積み重ねられた歴史から読み取るしかない。


 それをテインは、異端者の心を以て、覆そうとしているのだ。


「世界に縛られるているから、俺の言葉を異端だと思うのだ。

 だからこそ、俺には異端である資格がある。二つの血を身に宿す、俺にはな」


 強力な防御結界まで、既に目と鼻の先となった。

 その超至近距離で、テインは右手に持った剣を振ることなく、ただ素手で防壁に触れた。


「なにを?!」

「フンッ!!」


 テインの左手が焼けただれ、切り刻まれ、傷つきながらも防壁を侵す。

 そのうちに彼の左手は、まるで防壁に“適応”していくかのように、再生していった。


「その力は、いったい」

「これは“加護”だ。神託の巫女よ。

 俺に、“我ら”に思う道を歩けとエルリスが与えたもうた、赦しだ!」

――バリンッ


 防壁が、ガラスの破れるような音と共に敗れ去る。

 そして無防備になった侍女達に、テインは右手の剣を振り上げた。


「――血で汚すのは、まずいのだったか?面倒な」

――ドンッ!

「きゃあっ!?」


 剣の腹を使って、四人を纏めて薙ぎ払う。

 骨の一本や二本は折れているのだろうが、殺さずに無力化することが目的な“だけ”なので、後遺症で死のうともテインには関係のない話だった。


「エルリスの言葉を求めて、どうするつもりですか」


 オリヴィアはそう言い放ちながら、ルフィルを背に隠す。

 この震える少女を……妹のように接してきた少女を凶刃の前に晒す気など、無かった。


「エルリスの言葉を、世界に伝える。

 神託の巫女から発せられしエルリスの“怒り”を聞けば、

 世界で未来を憎む全ての同士が立ちあがり、現在よりイルリスを排除するのだ」

「エルリスが、怒っていると?」


 オリヴィアはそう、外の仲間達に希望を託して、時間を稼ぐ。

 テインはそれを解っていながら、あえてそれに乗っていた。


「異なることを!解っているだろう?」


 テインは振り上げた大剣を、オリヴィアの首筋に当てて止める。

 薄皮一つ斬らない、正確な力加減だった。


「エルリスの加護を持つ魔獣達の凶暴化、それはエルリスの怒りであるのだと!」

「対となるイルリスの言葉を待たずそう断ずるのは、愚かなことです」

「だが、感じ取っているから貴様も“怒りなどない”と断ずることができないのだろう」

「それ、は……」


 言葉に詰まるオリヴィアを見て、テインは嗤う。

 その瞳に狂気を宿し、その魂に狂信を孕み、ただただ歪な笑みを浮かべていた。


「さぁ、神託を成せ」

「できません」

「ほう?」


 テインの剣が、音を立てる。

 己の首に刃が当たる、冷たい恐怖。

 それを受け手なお、オリヴィアは首を横に振った。


「エルリスは神託には答えません。

 エルリスは我々に、言葉を授けはしないのです。

 ですから貴方が……いえ私がいくら望もうと、エルリスは答えません」


 無理なのだと、それは不可能なのだとオリヴィアは告げる。

 それにテインは、失望を込めた瞳で、つまらなそうに受け取った。


「……ならば、仕方在るまい」

「では」

「イルリスの神託などという世迷い事を発せられる前に」

「え?」


 テインは、興味を失った瞳で剣を振り上げる。

 その動きにオリヴィアは、咄嗟にルフィルを横へ突き飛ばして、目を瞑った。


「その命、刈り取るまで――」

――ヒュンッ

「――ぬぅっ?!」


 後ろを振り向きながら、剣を振る。

 するとその大剣に、一本の矢が弾かれた。


「そこまでだ、テイン!」


 弓に矢を番えるナーリャと、灼氷剣を構える千里。

 アルトレイたちは怨霊に足止めでもされているのか、姿が見えない。


「神託に導かれし、真なる者か」


 とうにカツラは落ち、千里は栗色の長い髪を隠すことなく剣を構えていた。

 その姿に動揺する者は、ここにはいない。


「やはり女であったか。だがそれも、今となっては意味のないこと」


 ただ、屠るまでだとテインは剣を掲げる。

 彼は魔法使いでは無い。よって、その剣に込められる力は彼生来のものだ。


「来い、真の英雄はどちらか……決めようぞ!」


 まずはナーリャが一歩下がり、千里が前に踏み出す。

 背中に光を集中させ爆発させることでの超加速。

 千里に宿る“未知と既知の経験”は、彼女に卓越した踏み込みを可能とさせていた。


「焼き尽くせ【灼氷一閃!】」

「先見三手、三射必中!」


 ナーリャもまた、積み重ねられてきた経験により使いこなせるようになった、先見の術を駆使して矢を放つ。三手先を読んで放たれる、一息三射の矢。

 それは確実に、テインを追い詰める楔となるのだ。


「先読みの矢か……だが、所詮は“矢”にすぎん」


 テインは、無造作に大剣を振り下ろす。

 どこを狙っている訳でもない一撃、だがそれに込められた力は、尋常なものでは無い。


――ドンッ!


 風圧により、三本の矢が落ちる。

 水晶の床はそれでも傷一つ無いが、だがオリヴィアが思わず膝を落とすほどの震動が響き渡った。


 だがナーリャの読んだ“三手”は、なにも矢の軌道に限ったことではない。


「せいっ!!」

「ぬっ!?」


 灼氷剣の燃え盛る力が、がら空きになったテインに襲いかかる。

 咄嗟にテインは大剣を掲げるが、無理な体勢だったために力を受け流しきれず、大きく体勢を崩してふらついた。


「悪徳を斬れ――“光より顕れる者|≪イル=リウラス≫”」


 左手に灼氷剣を、右手に光の剣を持つ。

 そしてがら空きになったテインの胸板を、光の剣で袈裟に切り裂いた。


「ぐ、ぁっ!?」


 テインは大きく後退し、そして俯く。

 他者の悪意のみを斬り裂き消滅させる、千里の切り札。

 ナーリャの三手は、この一撃を与えるために読まれた行動だったのだ。


「やった!」

「千里……下がって!」


 余韻に浸る間もなく、千里は後方に飛び退く。

 ただ佇んでいたテインは、俯いたまま千里に大剣を振り下ろした。


「っ……なんで?!」

――ガヅンッ!!


 大剣が水晶の床にぶつかり、再び大きな震動を残す。

 確かに悪意を斬ったはずなのに、それでもテインは攻撃の手を緩めなかった。


「く、くくくっ……。

 この崇高なる信心を悪徳と断ぜられるのは癪だが、今のは危なかったぞ。小娘」


 未だに輝きの消えない、漆黒の右目。

 だがその青い左目には、不自然な罅が入っていた。


「己の命に関わる攻撃を、一度だけ肩代わりしてくれる魔道具。

 こんなものが役に立つ日が訪れようとは、な」


 そういうとテインは、己の左目をえぐり出す。

 それは、彼が左目に埋め込んだ、義眼だった。

 彼にとっての狂信は、彼を構成する重要な要素。

 だからこそ、その魔道具は千里の一撃を肩代わりしてみせたのだ。


「さて、淡い希望を摘み取ってやろう」

「ナーリャ……もう一回!」

「わかった!」


 先見により矢が放たれようとするが、ナーリャは動きを止める。

 それを千里は、訝しげに見た。


「ナーリャ?」

「テインに、避ける気がない?……千里、斬ったら直ぐ後ろに飛んで」


 ナーリャは千里に耳打ちすると、今度こそ矢を放つ。

 千里はそれに戸惑いながらも、再び風圧で矢を落とすテインに踏み込んだ。


「ハァッ!」

「ぐ、ぬぅっ!!」


 光の剣を身に受け……身体に傷がないのを良いことに、カウンターのように剣を振る。

 千里はそれを大きく後退することで避けるが、その顔には動揺が浮かんでいた。


「もう、身代わりはないはず!」

「ああ、もう肩代わりはない。重要なのは、“一度受けた”という事実のみ」


 テインは告げる。

 その顔に、隠しきれない笑みを浮かべて、千里を見る。


「さて、どうする“流れ人”よ。

 異界から連れてこられ、命を賭して戦わせられているのだ。

 イルリスに憎しみを以てエルリスの救いを得ようというのなら、歓迎しようぞ」


 流れ人。

 ここに来てから一度も言っていない、千里の正体。

 それを言い当てられて、千里とナーリャは目を瞠る。


「何故だかわからんか?ククッ……」


 剣を向けたまま、動けない。

 どこにも隙が無く、また全力で戦おうとすれば侍女達が危ない状況で、ナーリャも強く攻勢に出ることができなかった。


「誰にも扱えない固有の力。誰も知らない未知の能力。

 ……俺にも一つ、誰も持たない力があってなぁ」

「誰にも使えない、力?」

「そうだ」


 閉じられた左目、見開かれた右目、歪んだ口元、隆起した筋肉。

 その全てが、千里を呑み込もうと、狂気を伴ったプレッシャーを放っていた。


「一度受けた攻撃は無効化し、それに強い耐性を持つ肉体依存能力“強靱きょうじん”」


 千里の悪徳を斬る剣は、一撃必殺のものながら、身代わりを立てることで“一度受けた攻撃”にしてしまった。故に、二度と効かないのだ。


「それじゃあ、まさか、あなたは……」


 千里の呆然とした声に、テインが重ねる。

 今までのやりとりと、そこから導き出される……一つの、答え。


「遙か昔にイルリスの手によってこの地に召喚され、

 絶望の中で、帰路を探すこともできず生きながらえてきた一族の末裔!!」


 魔法に用いる魔力ではない。

 彼の祖先が“与えられた力”とこの世界の住人の力が混じり合って生まれ落ちた、異端の混血者。


「日ノ本の帝国より召喚されし男の血を、受け継ぎし者。

 偽りの名を捨てて、受け継がれてきた名を今ここに名乗ろう!」


 嗤う、嗤う、嗤う。

 解放され、そして解放するその歓喜の感情を狂信に任せて、テインは――。


「我は魂に鍛え上げられし鉄を抱く者。

 我が名は一刀いっとう――――緒方一刀ッ!!」


 ――一刀は、名乗りを上げる。

 偽りに塗れた名を捨てて、彼はここに真の生誕を果たしてみせた。


「さて、決して帰れぬ事への証明が俺であるのなら――貴様はイルリスに、何を望む?」

「ぁ」


 帰ることが叶わず、その地に暮らし、そして新たな命を育んできた一族。

 それが一刀の一族だというのなら、それはなによりも“帰路への望み”をついえさせる材料となることだろう。


「千里」

「ナー、リャ……私」

「大丈夫」

「え?」


 後ろで矢を番えながら、ナーリャは言い放つ。

 ともすれば無責任に聞こえてしまう言葉なのに、千里はその言葉を素直に受け取ることができていた。


 一緒に居てくれるから、頑張れる。


「私の望みがどうとか、そんなことで……あなたを逃がしたりはしない!」


 揺るぎない瞳で、千里は一刀を睨み付ける。

 翳りも何もかも、振り切った先に千里は立っている。

 今更それを折るほど揺るがすのは、一刀では力不足なのだ。


「フンッ……まぁいい。“やれ”」

「なっ!?」


 ナーリャの背後から、怨霊が飛び出す。

 一刀がここに入る時に連れてきて、そして今まで隠してきた怨霊。

 本当は揺るがして隙を作りつけ込ませる予定だったのだが、それが叶わなくなったのなら温存しておく必要はない。


「ナーリャ!」

「余所見か?」

「くっ……あぁっ!?」


 突進してきた一刀に、千里は大きく弾かれる。

 一刀は千里が大きく後ろへ飛んだのも確認する事なく、そのまま強靱な脚力でもって踵を返した。


「ぁ」


 視線の先にいるのは、座り込むオリヴィアだ。

 ルフィルはその視線を、オリヴィアから弾かれた場所で捉えて、身を竦ませる。


「オリヴィア様!」


 神託の聖域に、アルトレイとフィオナが飛び込んでくる。

 クラウトとレウが、ラックを抑えていてくれているのだろう。


 だがそれも――間に合わない。


「さらばだ、神託の巫女よ」


 怨霊に接近されているナーリャは、矢を番えられない。

 飛び込んできたばかりのアルトレイとフィオナは、加速しても間に合わず。

 体勢を立て直している最中の千里は、踏み込むこともできない。


 ただただ加速された、漆黒の剣閃。

 それを捉えることができたのは、ルフィルだけだった。


「だめ……オリヴィア様!」


 一歩踏み出せば、届くことができる。

 一歩踏み出せば、蹲っていた自分を変えられる。


「できない、はずがない。だって!」


 魔法を教わるまでの間、ルフィルはせめて身のこなしでも良くしようと、近衛侍女にも拘わらず身体を鍛えていたことがあった。


 だから、咄嗟に立ちあがり、身体のバネを用いて飛び出ることができる。


――“友達になって”

――この一言が云えたんだ。

――だったら、この一歩が踏み出せない、はずがない!


 オリヴィアの身体を、小さな手が押し飛ばす。

 狂気を孕んだ漆黒の瞳。そこへ真っ向から見返す青い瞳。


「ルフィル――――っ!!!」

「ごめんね……チサト」


 その白い肌に、大剣の一撃が振り下ろされる。


――ザンッ!


 不吉を示す凶兆の花。

 レラが宿した花弁よりも、なお赤い雨。

 大切な友達の声を耳にしながら、ルフィルはゆっくりと後方へ倒れる。

 淡い金の髪を、純白の侍女服を、儚い雪色の肌を……全てを、真紅に染め上げて。


「テイン、貴様ァァァァッッッ!!!!」

「チィッ、アルトレイかッ!」


 アルトレイに弾かれ、そこへナーリャが追い打ちをかけることで一刀はオリヴィア達から大きく離される。


「怨霊は私に任せて、行け!チサト!」


 フィオナが怨霊達を一手に引き受けている間に、千里はルフィルに駆け寄った。

 血の海に沈んで動かない、大切な友達の元に。


「光、光よ!光よ!」


 光の粒子が、ルフィルを包む。

 だが、ルフィルの顔色は戻らない。

 既に魂が、肉体から離れようとしていた。


「ルフィル、目を開けなさい!ルフィル!」


 千里がルフィルを抱き起こし、そこへオリヴィアが近づく。

 巫女の能力、奇跡は神託だけではない。

 治療にしか使えない傷を治す淡い光が、ルフィルを包み込む。


「チ、サ……ト?」

「や、やだ、やだよ!どうして、やだ……光、【光よ!】」


 ルフィルは弱々しく目を開くと、咳き込んで血を吐いた。

 その度に、千里自身も血に染まっていく。


「ど、こ?」

「ここに、ここにいるよ!ここにいるから!」


 ルフィルの瞳に、光は宿っていない。

 それでも手探りで千里を探して、その頬に手を当てた。


「泣か、ないで……」

「やだ、ダメだよ、ルフィル、ルフィルっ!」


 千里から流れた涙が、ルフィルの頬に落ちて血に混ざる。

 それでも、その赤を薄めることは、できない。


「そん、な、かお、しない……で」

「光よ!やだ、治してよ!【治癒せよ、光よ!】」

「暗い、気持ちに、囚われない、で」


 ルフィルの言葉に、千里は頷くことしかできない。

 ただただルフィルを安心させようと、一心不乱に頷いて、光を当てる。

 オリヴィアもそれは同様で、彼女は喋る余裕もないほどに集中していた。


「あ、ぁぁぁ、あぁ」

「やさ、しい、チサト、が――――わたしは、すき、だ……よ」

「ルフィル?目を開けてよ、やだよ、ルフィル……ルフィ、ル?」


 ルフィルの手が、千里の頬から落ちる。

 そして赤い海に波紋を残し、ゆっくりと、瞳を閉じた。

 もう弱々しい鼓動も聞こえなくなり、もう儚い吐息も感じられない。


 ゆっくりと、ルフィルの身体が、力を失っていく。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ」


 その折れそうなほどに儚い身体を、千里は強く抱き締める。

 優しい笑みを浮かべて、そして散ろうとするルフィルの身体を抱き締める。


「光よ――――“陽光を携えし、未来への導き手|≪イルリス=イル=リウラス≫”!」


 そして――千里の身体から、黄金の柱が立ち上る。

 それはやがて千里のイメージする、死者を救う者――天使の翼へと、姿を変えていった。


「なんだ、アレは?!」


 一刀の声が、響く。

 その場の誰もが時を止めたように、ただ千里の姿を見ていた。

 千里の身長どころか、空間を埋め尽くすほどの巨大な翼。

 光のみで構成されたその翼を持つと同時に、千里の髪と瞳が黄金に染まる。


 その姿に、オリヴィアは見覚えがあった。


「未来神――――イルリス?」


 空間を満たす輝きが、余波で怨霊達を還していく。

 それだけではなく、神殿に残った死霊騎士やネズミたちですら、安らかな眠りについた。


「……けほっ」


 ルフィルが、小さく息を吐き出す。

 目を覚ましてはいないが、その肌に生気が戻り、逆再生のように血液が彼女の身体に戻っていった。


 そして、一刀につけられた傷すらも、消滅する。


「馬鹿な……貴様は、いったい!」

「緒方、一刀……あなただけは、許さない」


 ルフィルの蘇生を確認した千里は、彼女をオリヴィアに託して立ち上がる。

 黄金に染まった身体からは、感情すらも超越した“なにか”が宿っていた。


「【望み、求め、訴えよ】」


 右手に掴むのは、一つのマガジン。

 まだなにも宿していなかった一つを手に取り、掲げる。


「【ブレット・ロード】」


 千里から再び溢れ出た黄金の柱が、マガジンに収束する。

 そしてそれが収まると、千里はマガジンを煌億剣に装填した。


「【マガジン・セット】」


 そして、その力がここに顕現する。

 溢れ出た光が、マガジンを呑み込むように巨大な鍔を作る。

 そこからまっすぐと伸びるのは、黄金の光を物質化した、一本の剣。


「【イグニッション】――“閃煌剣|≪イグゼ=イルリウス≫”」


 光の剣の――イル=リウラスの物質化という、求める究極を体現した剣。

 煌億剣と覚醒した力により生まれ変わった、新しい力。


 その輝きは、如何なる闇をも……消し飛ばす。


「くぅ、撤退だ!ラック!」


 滑り込むように神託の聖域に侵入してきたラックが道を造る。

 そして、物体操作の魔法により、一刀を自分の元に引き寄せた。

 撤退という状況に置いて怨霊や死霊といった手札を失ったラックの、切り札だ。


「逃がさない」

――ドンッ!

「ぐぁっ!?」


 転移したかとも思えるほどのスピードで遠のいた一刀を、千里は正確に捉えていた。

 そして、閃煌剣を用いて、身を翻して避けようとした一刀の右手を切り落とす。


「一刀様!くっ」


 物体操作で死霊騎士達が使っていた無数の武器を、千里に飛ばす。

 だがその全ては、千里に届く前に、時を止めたかのように空中に縫い付けられた。


「消えろ」

――暗い気持ちに、囚われないで。

「っ」


 千里はもう一度剣を振り上げて、そしてその動きを止める。

 頭に響いた声は、千里の最後の一歩を縫い止めた。


「【煙幕結界】」

「っあ」


 その隙を逃すはずもなく、後方から追いついたレウ達も振り切ってラックと一刀は姿を消す。


 その姿を千里は、ただ呆然と見送るしかなかった。

 脳裏に響く声が、笑顔が、千里の足を縫い付けるのだ。


「千里……ッ!」


 体勢を崩し、千里が倒れる。

 その小さな体躯を、駆け寄ったナーリャが抱き留めた。

 黄金の光は千里の意識と共に薄れて、やがて消える。


 そうして後に残ったのは、ただ静寂のみだった――。


前後編一度に投稿したので、後書きはこちらに。

八章は、あと一話、エピローグがあります。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次話もどうぞ、よろしくお願いします。


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