一章 第四話 旅立ち
朝の森を高速で滑空する、二羽の鳥。
森に溶け込み風に乗る――マクバードウ。
その姿を、木々の間に立つナーリャの黒い瞳が、捉えていた。
矢を番えて、引き絞る。
森の主と戦ってから、しばらくは痛んでいた肩も、もうすっかり回復していた。
「先見二手、二射必中」
マクバードウに吸い込まれるように、矢が的中する。
そして、空中で体勢を崩し、極々自然な軌道でナーリャの足下に落ちた。
「ふぅ、
……使いこなすには、まだ遠いかな」
森の主――黒帝を討った時のように、三手先までは読めないし、一息に三矢も無理だ。
だが、二手先を読み、一息に二矢番えることは、出来るようになっていた。
「まぁ、いいか。
今日で最後なんだ――もう少し、獲っておこう」
ナーリャはそう呟くと、森の深くに足を踏み込む。
森を支配していた黒帝が居ない今、他の村人ならまだしも、ナーリャに勝てる獣は居なかった。
「でも、アインウルフの群れだけは気をつけないと」
流石に、群れで来られたらひとたまりもない。
だが、その心配は要らないだろう。
群れの位置を把握して、常に気配を読むようにしているのだ。
遭遇してしまうようなミスは、しない。
「見つけた」
そうしてナーリャは、青空に向かって再び矢を番えた。
E×I
宿屋の食堂で、食卓を千里とナーリャと、レネとメリアで囲む。
並べられた料理を前に、四人は握り拳を胸に当てて、目を瞑る。
『エルリスの恵みと、イルリスの導きに感謝を』
「いただきます」
「いただきます」
合わさった声と、その後に小さく呟かれた声。
千里とナーリャの最後の一言が、静かに重なった。
「マクバードウのスープも、
しばらく食べられないのかー」
「しょうがないよ。
ナーリャお兄さん以外に、捕れる人がいないんだもの」
鶏肉を囓りながら、レネが残念そうに呟く。
それを、メリアが優しく窘める。
アルナの花が間に合ったおかげで、メリアはすっかり元気になっていた。
「今日で、ナーリャ兄ちゃんとちー姉ちゃんともお別れかぁ。
……一度は、帰ってきてよね」
「はは、
――うん」
スープを飲み干しながら、レネはふてくされた顔でナーリャを見た。
その視線にナーリャは、苦笑しながらもしっかりと頷く。
「お姉さんも、帰ってきてくださいね?」
「うん、欲しい物が手に入っても、
一度はここに、ちゃんと“戻って”くるよ。メリアちゃん」
約束は、破らない。
それが解っているから――証明されているから、レネとメリアは嬉しそうに、笑った。
「さて、食べ終わったら片付けよう!」
「うん、ナーリャ兄ちゃん!」
最後にもう一度手を合わせると、食器を持って立ち上がる。
それに、レネとメリア、それから千里も続いていった。
和やかな、村の一日。
旅路につく前の、最後の一時であった。
――†――
村の広場で、千里は黒い馬に跨っていた。
長い旅路を徒歩で移動するのは無謀だ。
だから、移動手段は馬になるのだが、千里は乗馬の経験など無かった。
ちなみに、黒帝との戦いで制服はぼろぼろになってしまったので、今は紺色の上着に若草色のロングスカートという格好だ。
「よ、っと、と?」
「うん、上出来だよ」
隣で同じように黒い馬に跨るナーリャが、千里を指導する。
森の主との戦闘から数日、千里はずっとこうして、乗馬の練習をしていた。
「よーし、どうどう」
漸く乗れるようになった馬を、撫でつけながら操る。
落馬してばかりだった頃に比べれば、馬に愛着も持ち始めてきた。
「うん……
それじゃあ、そろそろ村長のところへ行こうか」
「あ、うん、
ありがとね!ブラックタイガー!」
ブラックタイガーではエビなのだが……。
エビでなくとも、黒帝の方が似合う名前だった。
これは、彼女のセンスに関わるところなのだろうが、異界のこの地でツッコミを入れられる者は居なかった。
馬から下りた千里をつれて、イルルガの家に向かう。
黒帝と戦う前に話したことの復習も絡めつつ、今後の方針を決めるためだ。
その道中で、千里はナーリャに声をかけた。
「あの“先見三手”って、どう?」
「うーん……
あれから、一度も“見えない”んだ。
――千里の、あの剣は?」
「たぶん、出せる」
確証はない。
だが、漠然とだが、思うのだ。
喚び出せば、手の中に光の剣を出現させられる、と。
「なんだか、運動も出来るようになってるし、
体力も上がって力も強くなって、それから目や耳も良くなってる」
自分の身体が、自分の知らないものになっていくような感覚。
まるで、なにか底知れないモノに蝕まれているような、不快感。
千里はその感覚に身震いし、立ち止まって自分の肩を抱いた。
「大丈夫だから。
きっと、大丈夫だから。
その、曖昧で確証はないけど……」
ナーリャはそんな千里の頭に、優しく手を乗せる。
栗色の髪は柔らかく、弓を引いて硬くなったナーリャの手に、滑らかに絡む。
その感触がどこか恥ずかしくて、ナーリャは気まずげに目を逸らした。
「ナーリャ、
へへ……うん、ありがとう」
頭に乗せられた手を、千里が柔らかく包んだ。
小さな手は暖かく、冷え切ったナーリャの手を温める。
「さ、行こう?」
「ぁ――――う、うん」
立ち直った千里は、ナーリャを追い抜かして走る。
空元気な様子ではない……そのことに、ナーリャは小さく安堵の息を吐いた。
風を一身に浴びながら、駆け抜ける小柄な少女。
その輝きが翳らないことを、ナーリャは小さく祈った。
「エルリスとイルリスの、加護を」
呟きは風に流れ、空に溶けて無くなった。
――†――
イルルガの家の、机の上。
そこに広げられている地図は、ウィズ大陸の物だった。
千里とナーリャは、揃ってその地図を覗き込む。
「ミドイルの村から出て向かうのは、ここが良いだろう」
ミドイルの村の北。
そこには、大きな街が載っていた。
「海を渡ってきた多くの旅人達が、その羽を休ませる地。
腕利きの情報屋達が集い、大規模なギルドもある場所。
それがここ――宿場街“アロイア”だ」
アロイアの街。
ここで情報を集めるのが最善だろう。
そう真剣な目で語るイルルガに、千里とナーリャは顔を見合わせてから、頷いた。
「うむ。
アロイアに行くためには、まずはノルウェルの方角に……」
「ノルウェル?」
聞いたことのない単語。
それに、千里は首をかしげた。
これから旅をするというのに、解らないままなのはまずい。
「えーと、地図で見て……
右が“アルトリ”左が“ウェルトリ”で、
下が“スルトリ”上が“ノルトリ”だよ」
「東西南北?
なるほど、それならノルウェルは、北西かな?」
口の中で呟いて、確認する。
その様子を見て、イルルガは説明を続けた。
「それで、まずは北西の街道を通り……」
説明を再開したイルルガ。
千里はその説明を聞いて、目を丸くした。
その意味を理解したとたん、単語が方角に“変換されて”聞こえたのだ。
「なんでなんだろう、これ?」
「千里?」
「え、あ……
な、なんでもないよっ!続けて!」
首をかしげて自分を覗き込むナーリャに、千里は慌てて首を振った。
謎は増える一方だが、反面“便利な”謎だった。
特別な言葉で方角を話されても、理解するには時間がかかる。
「ってことは、今までにも結構あったのかも」
視覚で捉えて名称を告げられた物は、自動変換されていた可能性がある。
弓矢や森、花なども、その一例という可能性があった。
「……そして、
テレイの村を中継して、後はまっすぐ北へ向かえばいい」
北西の街道を通り、途中の村で休憩と食料などの補充をする。
そして、北へまっすぐ進みアロイアへ行く。
それが、予定している旅路だった。
「何か、質問はあるか?」
「いえ……特に」
「あ、はいっ、大丈夫です!」
冷静に頷くナーリャと、慌てて首を縦に振る千里。
違う反応が返ってくるということは、すなわち違う考えが出来るということ。
早くも“相性の良さ”を見せる二人に、イルルガは小さく笑った。
「さて、と。
二人とも、ついてこい。
……渡す物がある」
そう言って背を向ける、イルルガ。
その言葉に不思議に思いながらも、千里とナーリャはその背中を追いかける。
「村長?」
「ほれ、黙ってついて来んか」
家を出て向かったのは、村で唯一の鍛冶屋だった。
たまにやってくる商人から買った、貴重な鉄が置いてある場所だ。
「おーい、爺さん!」
「誰が爺さんじゃったかのう?」
「あんただ、あんた」
「おぉ、そうじゃったそうじゃった」
イルルガが呼んだのは、禿頭の老人だった。
皺だらけの顔は穏やかで、背は低く腰は曲がっている。
どうやら、少しだけボケが始まっているようだ。
「千里、彼がこの村の鍛治氏。
ラング爺さんだよ」
「ふぉっふぉっふぉっ」
千里は、ナーリャに紹介されてラングを見た。
鍛治氏というには、頼りないように見える。
だが、こう見えても腕は確かなのだ。
「さて、こっちだ」
「そ、村長!」
イルルガはまだ、何も告げない。
追いかけるナーリャと千里の声を無視して、工房の奥へ入っていった。
そして、暗い工房にランプをつける。
「え――これ、は」
「うわぁ……」
工房の台の上に並べられた、鎧と武器。
漆黒で彩られたその装備は――――“黒帝”から造り出された物だった。
「ふぉっふぉっふぉっ。
久方ぶりに腕が鳴ったわい!」
「さて、まずはナーリャだ。
こっちに来なさい」
イルルガに手招きされて、並べられた鎧の前に立つ。
それを、促されるままに着ていく。
旅路に着ていくために穿いていた灰色のズボンはそのままに、茶の上着を脱ぎ捨てて黒い上着を着る。
「あわわっ」
その横で、千里は短い時間だが顕わになったナーリャの肌を視界に納め、慌てて目を逸らした。
上着の上から、胸と肩を覆う黒い皮鎧を着る。
弓を扱うことを意識しているため、右手の装甲は薄く、左手の装甲は厚い。
足にも同様に鎧を嵌め込み、黒いブーツを履く。
そして最後に、フード付きの黒い外套を羽織った。
「そして、これが新しい弓。
――夜影弓“ウルド=ガル=バリスタ|≪闇を穿つ大弩≫”」
夜色の大きな弓で、ナーリャの上半身を越えるサイズを持つ。
留め具を外すことで折りたたまれ、また勢いをつけて展開することで力は必要だが高速で構えることが出来る。
黒帝のような、対大型魔獣を想定して作られた、弓だった。
「村長……ラング爺さん……」
「ええぃ、涙ぐむのは早いわ!
ほれ、次はお嬢ちゃんだ。こっちへ」
「は、はいっ!」
目元に手を当てるナーリャの肩を、イルルガは杖で小突いた。
泣くのはまだ早いし、何より、旅路は笑顔で飾る物だ。
「お嬢ちゃんの装備は、
お嬢ちゃんの持っていた“制服”をベースに作ったんだよ」
「ほ、ほんとですか!?
わぁ……ありがとうございます!」
イルルガが渡すと、ラングが着方の説明をする。
そして、千里が了承したのを確認してから、一度退出した。
「えーと」
形をブレザー型の制服のままに、黒帝の素材である“黒”をベースにして作られた鎧。
腰には白いベルトが幾重にも巻かれていて、首には無事だった白いネクタイを巻いていた。白いラインのモノクロカラーな、仕上がりだ。
肘下と膝下は、大きめな重鎧になっていた。
身体能力の上昇した千里を以てして、“丁度良い”と感じさせる重さだ。
下は黒のズボンの上から、足首までを隠す黒のロングスカートで、靴はナーリャとお揃いのブーツ。全体的に、鎧が嵌められていて、丈夫だが重めに作られていた。
「き、着ましたよー」
「うむ、そうかそうか」
「ふぉっふぉっふぉっ」
頷きながら、イルルガとラングが部屋に戻り、その後ろから続くようにナーリャも入室してきた。
ナーリャは千里の姿を視界に納めると、笑ってみせる。
「すごい、
よく似合っていて綺麗だよ、千里」
「へ?
あ、ありがとう」
綺麗だ、なんて褒められるとは思っていなかったのか、千里は頬を朱色に染めて目を逸らした。その“若者”たちのやりとりを、にやにやしながら見ている老人二人には、気がつかずに。
「お嬢ちゃんには、これもだ」
「これって、剣、ですか?」
「うむ、黒帝より造り出した剣。
その銘も――――帝剣“アギト”」
黒帝の骨と鉄から造り出した、白い大剣。
――“ツヴァイハンダー”と呼ばれる、両手持ちの剣だ。
「あの“光の剣”は、強力だ。
だがそれ故に、招かざるモノを呼び寄せる可能性がある。
あれは、あまり多用せん方がいいだろうと、思ってな」
そう言うと、イルルガはキセルから吸い込んだ紫煙を、工房の天井に吐き出した。
強い力を持つ者は、強い危険を呼び寄せて、大きな危機と隣り合わせに生きることになる。
そんな剣を喚び出せてしまう者にとっては、拙い延命処置以上の効果は持たないだろう。
それでも、千里の願いのためにも、余分なモノはなるべく削ってやりたかった。
「お嬢ちゃん、ナーリャ。
二人は、ワシの孫娘とその親友、
そして、村の全ての人間にとって“恩人”だ。
だから――――ありがとう」
イルルガは、村を代表して頭を下げる。
年若い少年少女が相手だろうと、関係ない。
彼らは、村にとっての最大の危険であり、壁であり、仇でもあった存在を、討ち斃してくれたのだから。
「頭を上げてください、村長」
「私も、イルルガさんには沢山お世話になりました」
だから――そう「だから」と声を重ねて直立する。
そして、勢いよく頭を下げた。
『ありがとうございました!』
それは、感謝の言葉だ。
ナーリャにとっても、千里にとっても。
この村が、こんなにも“暖かい”から、救われたのだ。
「二人とも……そうだな、ああ、そうだな、セアック」
イルルガの言葉は、その皺だらけの頬を伝った涙は……誰に、向けられたものか。
ただそこには、鍛治氏の優しい笑い声に包まれた、三人の涙があった。
――†――
時刻は、まだ昼前。
千里の感覚で言うのなら、午前九時頃だろう。
散々泣いた後、二人は村の入り口で馬に跨った。
二頭の馬の両脇には、大小様々な荷物が括り付けられている。
大剣であるアギトも、そうして馬の横に括り付けられていた。
「じゃあ、もう行くね」
「うん、ナーリャ兄ちゃん」
見送りに来た村人。
その中で、レネが一歩前に出ていた。
「ちー姉ちゃん、これっ!」
「え?……おっと!」
レネが投げた小瓶を、千里は慌てて受け取る。
そして、太陽に透かすようにして中を見ると、透明の液体が満たされていた。
「アルナの花の、
“万能解毒薬”だよ!」
「え――?
そんな、いいの?」
「うんっ」
黒帝は、森の最深部を領域としていた。
時折、その場所に住む“アグネーク”といった湿地固有の生物を追い出すほどに暴れていた黒帝がいなくなったことで、村人はアルナの花を採りに行けるようになったのだ。
「私が、始めて調薬に成功したお薬なんだっ」
「そうなんだ……。
ありがとね、レネちゃん」
師匠であり祖父である、イルルガ公認の調薬。
その一品のみ見れば、イルルガに迫る腕前だった。
……その他の薬は、まだ生き物に試すことも出来ない品ばかりだが。
千里とナーリャは、互いに顔を見合わせてから、頷き合う。
そして、後ろを振り向いて、手を挙げた。
『ありがとうっ!
――――行ってきます!』
爛々と輝く太陽の下。
二人の姿が、麓から伸びる草原を駆け抜けていった――――。
これにて第一章は終了です。
次回から第二章に入りたいと思います。
これからの更新速度の上昇に繋がりますので、ご意見ご感想のほど、どうぞよろしくお願いします。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話も、よろしくお願いします。