表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
E×I  作者: 鉄箱
第二部 闇を打ち祓いし剣
46/81

八章 第一話 晴れ渡った空の下で

 水滴が、湖に“昇って”波紋を描く。

 透明なのに向こう側を覗き見ることができない、水晶の球体。

 それが、やはり透明で透けることのない水晶でできた大広間の中央に、浮いていた。


 水晶から涙のように零れ昇る、透明な雫。

 冷たさも暖かさも感じられないその水は、絶えず空へ昇り、水晶の天井で波紋を描く。


「時が、近づいているのですね」


 威厳に満ち、それでいて澄んだ声。

 水晶の前で手を握り跪く女性から、憂いの込められた吐息が零れる。


――…は…い。


 ほとんど聞き取ることが“できなくなった”声。

 弱々しく、か細い声だった。

 その声に、女性は瞳に切なさを映して、緩やかに首を振る。


「どうか」


 口ずさむのは、きっと唄だ。

 求めて止まない、切望の旋律。

 未来を望む、希望の音。


「どうか」


 女性だけしかいない空間。

 たった一人のはずである、水晶の部屋。


「どうか」


 その中央に、刹那の間――黄金の、影が浮かんだ。














E×I














 晴れ渡った空。

 城に降っていた灼雪が止み、爛々と輝く太陽が顔を覗かせていた。

 雪に覆われていた城も、本来の澄んだ空色の壁を見せて、優しい綺麗な姿を見せている。


 そんな中、ナーリャ達はペルファにある数少ない港で、リリアとその使い魔達と対峙していた。


「貴方たちにしたことが、許されることだとは思っていないわ」


 神妙な表情で、リリアは言う。

 彼女とて一国の主。暴走のツケくらい払おうと、静かに頭を下げた。

 そんなリリアの謝罪を受けて、レウはゆっくりと、口を開く。


「帝国としては色々と言いたいこともあります、が」


 レウはそういうと、ナーリャと千里の顔を見る。

 被害を被り怪我までしてきたのに、その表情は澄んでいた。

 そんな顔を見てなお憤りを見せる事が出来るほど、レウは“熱く”はないのだ。


「結果的に見れば船の修理期間的にも出航が遅れた訳ではなく、

 またそちらのご助力により予定よりも早く修理が完了しました」


 レウが言いたいことを悟ったのか、リリアはどこか申し訳なさそうに頷く。

 愛に振り回され結果愛を得た彼女は、憑きものが落ちたような表情をしていた。


「ですので、処断等は直接の被害者であるロウアンス氏にお任せします。

 ……どーせ記録にも残らない事件ですし」


 最後の呟きは、比較的近くにいたフィオナにしか聞こえなかったようだ。

 やる気なさげに肩を落としてため息をつくレウに、フィオナは苦笑を一つ零した。

 どうにも苦労性なのだろう。レウは、息を吐きながらも緩んだ表情をしている。


「ナーリャ、それからチサ……リクト」


 リリアは、千里の名前をナーリャが呼んだ時に知ったので、それで呼びそうになっていた。だが、軽くナーリャから説明を受けて、慌てて言い直した。


「自分勝手だとは思うけれど、わたしはこの国と、改めて向き合いたい。

 だから、命を差し出せと言われても、頷くことはできない」


 リリアはそう、決意に満ちた表情で語る。

 どんな処分でも受けようと、けれど死ぬことはできないのだと。

 強い瞳で、語っていた。


「けれども、願いがあるのなら、どんなことでも叶えるから――」

「――僕の“お願い”は、一つだけだよ。リリア」


 遮るように、語りかける。

 その優しい表情と暖かい声に、リリアは下げた頭を上げて、目を見開く。

 視線を上げた先では、ナーリャの隣で千里が、頭痛を覚えるかのように額を抑えていた。

 だが、その表情はどこか嬉しそうで、優しい。


「ジャックとの約束を、守って」

「ぁ……」


 ――愛されてもいい。

 ――君は、愛されている。

 ――だから大切な人を愛して、愛されて。


 そうリリアに語りかけるジャックの表情が、ナーリャと重なる。

 緩やかに細められた眼、優しげな微笑み、暖かい声。

 重なって、やがて消えた最愛の人の残照に、リリアは一筋の涙をこぼした。


「うん……うん。

 ありがとう、ありがとうナーリャ」


 その涙を、横に控えたアインが、白いハンカチでぬぐい取る。

 優しい感情を、その銀の瞳に浮かべながら。


「わたしは、リ・リリア・ウィル=オルクスフォンハイドは、

 貴方たちに危機が訪れようとした時、この力を必ずお貸しします。

 その証として、これを――」


 リリアは畏まった表情で、ナーリャの手を取る。

 その時に少しだけ眉を寄せた千里を、どこか楽しそうに見ながら。


「これは?」


 ナーリャの右手、その中指に輝く赤い指輪。

 金のリングに赤い宝石、太陽を模した円形の紋様。


「わたしたちの一族と特別な繋がりを持つ指輪。

 ペルファの秘宝――“太陽の指輪”よ」

「太陽の、指輪?」


 リリアはこくりと頷くと、千里に視線を移し、苦笑する。

 その視線の意味が分からず首を傾げる千里の前で、リリアはステップでも踏み出すようにふわりと浮き上がった。


「貴方に、太陽の加護を」


 それは、儀式だ。

 深い愛の歴史を持つペルファに於ける、一つの儀式。

 愛により絆を結ぶ、愛の魔王のしきたり。


「ぇ?」

「なっ!?」


 リリアの幼い唇が、ナーリャの頬に当たる。

 本当は唇でなければならないのだけれど、と苦笑を一つ零しながら。

 リリアはゆっくりと、地面に降り立った。


「色々とありがとう。楽しかったよ、おにーさん♪」


 固まるナーリャと、赤い顔で二人を交互に見る千里。

 口元を抑えて肩を震わせながら顔を逸らすレウと、額に手を置き首を振るフィオナ。

 ジト目でリリアを見るアインとツヴァイと、ニヤニヤと笑みを浮かべながらその様子を見るフィーア達。


 そんな中リリアはただ、頬に朱を差して、微笑んでいた――。




 千里に手を引かれて、ナーリャが引き摺られるように去っていく。

 船に乗り込み出航するその様子を、リリアは最後の最後まで見送っていた。


「さて、と」

「お嬢様?」


 リリアはアインから日傘を受け取ると、踵を返す。


「街の様子を見てこよう。

 住んでいるひとたちの姿も、ちゃんと見ておきたいし」


 リリアはそういうと、日傘をくるくると回す。

 そんなリリアを、アイン達は優しげな表情で見ていた。


 晴れ渡った空。

 久遠に広がる青空の下、リリアは笑う。


 その空によく似た、澄んだ笑顔で――。











――†――











 ノーズファンへ向けて出航した船の甲板で、千里は一人海を眺めていた。

 虚ろな目でぼんやりとため息を吐き、俯いて肩を落とす。

 顔を上げたと思ったら唇にそっと指を這わせて、再び大きく息を吐いた。


「うぅ、顔を合わせられない」


 ナーリャは今、自室にいる。

 いい加減短剣や弓を手入れしておかなくては、いざという時に使えない。

 そういって、部屋に篭もっているのだ。


「私、なんであんな大胆な……だ、だめだ、思い出さないようにしよう」


 こんな時は、深呼吸。

 吸って吐いてを繰り返して、その度に浮かぶナーリャの笑顔。

 なんだか色々ダメだった。


「なんにしても、ナーリャの反応も見ないとわかんないか」


 気にされていなかったら、それはそれでショックだ。

 そう千里は、一人で考えて一人で落ち込む。

 このままでは、見事な悪循環に陥ってしまいそうだった。


「あー……会おう」


 そういって、踵を返す。

 目指すはナーリャの部屋。

 きちんと会って話しをしないと、もうどうにも進めそうになかった。


 甲板を降りて、船の中へ。

 揺れの少ない廊下を歩き、階段を下りてナーリャの部屋へ向かう。

 たいして距離がある訳でもないので、ドアノブに手をかけるまであっという間だった。


「深呼吸、深呼吸」


 吸って、吐いて、もう一度。

 息を整えると、千里はノックをするために手を挙げた。


――……っ

「うん?」


 しかし、中から聞こえてきた声に、その手を止める。

 荒々しい息づかい、軋むような――悲鳴。


「っ――ナーリャ!」


 扉を開ける手に躊躇いはなく、千里はナーリャの部屋に飛び込んだ。

 散乱した荷物、無造作に転がった弓や短剣。

 ベッドに腰掛けて、胸を押さえるナーリャの姿。


「ちさ、と?」

「っ」


 薄く目を開いて千里を見るナーリャに、勢いよく駆け寄る。


「どうしたの?!

 ど、どこか痛むの?今、船医さんに連絡を――っ」


 走り出そうとした千里の手を、ナーリャが掴む。

 苦しそうにしながらも首を振るナーリャの姿に、千里は幾分かの逡巡を見せて、それからゆっくりとナーリャの隣に腰を落とした。


「ナーリャ」


 かき抱くように、ナーリャの頭を抱え込む。

 強く、優しく、ナーリャを抱き締めていた。


「側にいるから、だから大丈夫だよ」


 風邪を引いた時、体調が悪い時。

 誰かが側にいることの暖かさを、千里は知っている。

 どうしようもなく苦しい時、側にいてくれたナーリャに、その優しさを教わっていた。


「大丈夫、大丈夫だから」

「千里……ありが、とう」


 ナーリャは自分の頭を抱く千里を、かき抱く。

 細い腰に両手を回して、暖かさを求めるように抱き締めていた。


 そしてゆっくりと瞼を落として、そのままベッドに横になった。

 額は熱く、熱でもあるのかと思うほど汗を掻いている。

 千里は手ぬぐいでも持ってきた方がいいのかと思ったが、ナーリャの手が固く、抜け出せそうになかった。


 仕方なく千里は、ゆっくりとナーリャを見下ろす。


 男性にしては柔らかい、癖のない髪。

 すっと筋の通った鼻梁に、きつく閉じられた瞳。

 右目のすぐ下、頬に走る傷跡は、ガランと戦った時に出来たもの。

 黒いシャツの下から覗く肌には、他にも沢山の傷跡があった。


「ナーリャ」


 名前を呼ぶが、返事はない。

 解っているが、呼ばずには居られなかった。

 十八歳といえば、まだ大学に入学したばかり、といった年頃だろう。

 もしかしたら、まだ高校生という可能性もある。


「ずっと一人で、なんでもこなしてきたんだよね」


 セアックが死んでからは、ナーリャは交流もそこそこに、形見の家で暮らしていた。

 それが孤独だったのか、それとも不幸だったのか、千里が勝手に想像して良いことではないだろう。


 それでも、思ってしまう。


「寂しくは、無かったのかな」


 頭を抱く手に、力が入る。

 今こうして苦しんでいる理由すら理解できていないということが、千里は無性に苦しかった。


 胸を刺す痛み、心を締め付けるような、疼痛。

 寂寥せきりょうを秘めた瞳に映る、最愛のひとの顔に、千里は目を瞑る。


 そうしている内にだんだんと意識が薄れ、千里もナーリャ同様に、緩やかな眠りにつくのだった。











――†――











 音が響く。

 甲高い音が、強く反響する。


 身体を奔る灼熱に、ただ肺の中の空気をはじき出すように、咳き込んだ。


『あつ、い』


 身体を蝕む痛み、縋り付きたくなるような未練、満足感にも似た諦め。

 辿って、辿って、辿って、辿り着いたその先に見えた光明の、更に奥。

 そこは深紅に染まる、地獄のような場所だった。


『いたい、な』


 思い浮かんでくるはずの人たち。

 その顔を、ナーリャは知らなかった。

 浮かんでは消え、消えては浮かぶ水泡のように。

 知らない思い出が逆流する。


『ねぇ起きて、お願いだから――っ!』


 温かい雫が、頬に流れ落ちる。

 誰かが泣いているのが見えて、その表情を見ると胸が痛む。

 なのに、それが誰だか、どうしても思い出すことができない。


『なか、ないで』

『――っ!どうして、――はこんな時でも、笑ってるの?』


 そんなに、頬を腫らして、泣かないで欲しい。

 “いつも”みたいに笑って欲しいと思うのに、それは言葉にすることができなかった。


『今、人を呼んでくるから、だから……』


 背を向けて走り出す姿に、手を伸ばすこともできない。

 身体を起こすことを拒む灼熱に、苦しげな息を吐く。


『雨、かな』


 もう、目が見えなくなっていた。

 しとしとと降り出した雨が肌に当たり、涙のような筋を作る。

 やがて自身から流れ出した赤と交わって、混ざり合う。


『ごめ、ん』


 ただ、謝る。

 もっといいたいことはあったはずなのに、その一言しかこぼせない。

 歯がゆくて、悲しくて、悔しくて。


『あり、が、とう』


 それでも、今側にいなくても、この一言だけは伝えたかった。


 雨の音が、空に呑まれて――消える。











――†――











 目を、覚ます。

 唐突に開いたことで、部屋の明かりが顔の右側を照らした。

 左側と正面は真っ暗で、暖かい。

 布団でも抱いて寝たのかとナーリャは身じろぎして――気がついた。


「う、ん」


 自分の頭を抱いて眠る、千里の姿。

 あろうことか、その柔らかな体躯に顔を埋めている自身の体勢。


(こここ、これは一体っ?!)


 状況判断が追いつかず、困惑する。

 体力を消耗しきっているためか身動きをとるこすら叶わず、自分より強い力で抱き締める千里に、されるがままになっていた。


(お、思い出さないと。どうしてこんな状況に?!

 えーと、眠る前は……あれ?今何時だろう?ってそうじゃなくて!)


 とりとめのないことも、考え始めてしまうと止まらない。

 ここが船だと思い出して、その前にどこにいたのか思い出して、何故か記憶が遡って。


「柔らかかった、な……ってだから、この思考展開はマズイっ!!」


 焦る余り、ナーリャは思わず声に出していた。

 ペルファの城で、アインに打ち勝ち、玉座の後ろで……。

 その感触を思い出し、思わず口に出し、そしてそれを、一番まずいタイミングで目を覚ました少女が聞き届けた。


「や、やわらか、い?」

「っ!?」


 胸に抱かれたまま、ナーリャは恐る恐る顔を上げる。

 そこにいたのは――首から耳まで顔を真紅に染め上げた、千里の顔だった。


『っっっっ~!?!?!!』


 同時に飛び起きて、離れる。

 両者とも顔を赤くしたまま、ベッドの上で正座で向き合った。


 奇しくも自分を大いに意識しているのだと知ることができた千里は、熱で暴走しそうになる頭にストップをかける。なにかこの状況を打ち破る展開を、むしろ偶然フィオナ辺りが訊ねてこないかなどと考え始めるが、そう都合良く事は運ばない。


「や、やわらかかった?」


 何を聞いているんだ、いや本当に。

 千里はそう自問しながらも、ナーリャが苦笑して流してくれることを望んでいた。


 しかし、混乱しているのはナーリャも同様……というより、ナーリャの方が上だった。


「う、うん。そ、それに、暖かかった」


 何で余計なことまでいった、いや本当に。

 ナーリャは内面でそう自問しつつ、目を伏せた。絶対ここは流すべきだったのだと冷静な部分が告げるが、手遅れにもほどがある。


「そ、そっか」

「う、うん」


 二人とも、声がうわずっている。

 互いに沈黙するが、時間ばかりが過ぎてどうにもならない。

 打開策を、どうにかと考え、千里は漸く思い立った。というより、思い出した。


「ねぇ、ナーリャ」

「な、なんでしょう」


 途端に冷静になった千里に比べて、ナーリャの顔はまだ赤い。

 その表情を見て自身も再び赤くなりそうになるのを、千里はぐっと抑え込んだ。


「どうして、苦しそうだったの?」

「え、ええっと、記録の逆流が……って、あ」


 そうしてナーリャは、思わずそれを口にした。

 心配をかけまいと黙っていようとした、その事実を。


「ナーリャ……それって。

 そういえば、リリアが“ジャック”っていってたのも……」

「え、えーと、その」


 もう、誤魔化せなかった。

 訝しむような表情から、徐々に真剣な顔へ変わる。

 そして千里は、身を乗り出してナーリャに顔を寄せた。


「説明、してくれるよね?」


 煙にはまけない、とナーリャは悟る。

 そうしてゆるゆると、首を縦に振った。


「読み取った記録が、強く流れ込むんだ。

 取捨選択ができるようになったから、それを試そうとしたら、突然」


 無茶がたたったのか、直接触れていない物の記録まで流れ込んできた。

 幾重にも重なる人生の足跡。その過ぎ去った轍に、ナーリャは侵食されていた。

 その苦しみも、何故だか千里が側にいただけで、収まったのだが。


 そこまで話すと、千里がナーリャの胸に顔を埋めてきた。

 強く押されて体勢を崩しそうになるも、ナーリャは千里をしっかりと抱き留める。


「私じゃ、ナーリャの力になれない?」

「千里……」


 隠そうとした。

 黙っていようと、した。


「ナーリャが私の力になってくれたみたいに、私もナーリャの力になりたい」


 そう、アロイアで、千里は言った。

 それなのに頼ろうとしなかったことを、ナーリャは静かに認めていた。


「情けない姿を、見せたくなかった」

「情けなくなんか無い。救おうとして一人で苦しむ姿が、情けないはずがないよ」


 ナーリャは、そっと、多い被さるように千里を抱き締める。

 そうしているだけで、どうしてか胸が軽くなっていくような、そんな気がしていた。

 だから両手に力を込めて、その温もりを享受する。


「私はもっと、ナーリャが知りたい。

 ナーリャと一緒に、色んな事を知っていきたい」


 だから、だからと千里は顔を上げる。

 漆黒の瞳を覗き込むように、おおきな栗色の瞳でナーリャを見る。


「もっと私を頼って。

 なにもできないかもしれない。でも――側にいることなら、できるから」


 夢の中の“誰か”の姿と、重なる。

 その残照はすぐに消えてしまったが、それでもナーリャの心は満たされていた。


 自身を見つめる千里の頬に、そっと右手を置く。

 千里からこぼれ落ちた一筋の涙を拭うと、そのまま顎まで手を這わせた。

 指から伝わる千里の温度は熱く、ナーリャの心を震わせる。

 柔らかな頬に滑らせた指、その感触に、脳を揺さぶる目眩を覚えていた。


「千里……」


 小さく名を呼ぶと、千里がそっと目を閉じる。

 迷わない、迷うものかとナーリャはゆっくりと顔を近づけていった。


「ありがとう、千里――」

「――ノックをしたら返事くらい失礼したすまんッ」


 唇が重なる、寸前。

 もう少し前まで望んでいた人物の声が、響いた。

 どうやらノックはしていたらしいが、気がつかなかったのは二人の落ち度。

 だからといって、放って置けることではない。


「ま、待ってフィオナさん!」


 跳ねるようにベッドから降りると、硬直するナーリャを残して千里が走る。

 そして扉を出る寸前で、ゆっくりと振り向いた。


「これからもよろしくね、ナーリャ」


 唇に指を当てて、そっと微笑む。

 眼を細めて笑い、そしてフィオナを追いかけて走り出した。


 一人残された部屋の中。

 ナーリャはベッドに仰向けになって寝転がり、右手で目元を覆い隠す。


「こちらこそ、だよ。千里」


 そして嬉しそうに、微笑んだ。


 船内に響く明るい声。

 脳裏に残る、柔らかい笑顔。

 過ぎ去った記憶の端、昔日の夢。


 どんなことがあろうとも、二人なら乗り越えられる。

 そんな想いと共に――ナーリャは楽しげに、目を閉じた。


今回から第八章。

八章への繋ぎ的な役割が強いお話になります。


ご意見ご感想のほど、お待ちしております。


ここまでお読みくださり、ありがとうこざいました。

第八章も、どうぞよろしくお願いします。



2011/04/10

誤字修正

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ