七章 第六話 灼雪蒼炎の悪魔王 前編
黒で包まれた、部屋だった。
黒いベッド、黒い天蓋、黒い絨毯。
アクセントに赤と白、それからフリルとレース。
極力下品な色合いは避けた、高級感漂う部屋だ。
その部屋の、キングサイズのベッドの上。
そこでリリアは、己の使い魔の報告を受けていた。
「それで、お客様はどうなったの?ドライ」
「はい、お帰り頂きました」
「ふーん」
左目を前髪で隠した少女――ドライは、リリアの質問に淡々と答える。
アインも同じように無感情な雰囲気だが、ドライはアインよりも覇気がなかった。
「大人しく帰るとは思えないけど、まぁ仕方がないかな」
「はぁ」
リリアは、首を傾げるドライを気に留めた風もなく、一人でそう呟いた。
特に、彼女に説明する気は無いのだろう。
「まぁいいわ。
わたしはこれからナーリャの所へ行ってくるから」
「畏まりました、ご主人様」
頭を下げるドライの脇を通り抜けて、リリアは扉に手をかけた。
そして、外に出る前に、見送りの体勢になったドライに声をかける。
「そうそう、ドライ」
「はい、なんでしょうか」
「侵入者とかが来たら、そうね……ま、適当に遊んであげて」
「畏まりました」
それだけ言い残すと、リリアは部屋の外に出る。
そして、楽しげな――それでいて、どこか寂しげな――笑みを浮かべて、ナーリャのことを考える。
もう侵入するかも知れない人間達のことなど、リリアの頭には、既に入っていなかった。
E×I
雪は溶かすと水になる。
雪を溶かすには火をくべればいい。
では、熱を持った雪が積もっていたら、どうすればいいのか?
吹雪はやがて積もり、壁となる。
積もった壁が扉を隠し、城壁を築く。
そうしてできた砦は、まさしく自然の要塞といえることだろう。
「この城はおそらく数年前に彗星の如く現れた建築家の設計だと思うんスけど……」
レウはそう言いながら、大きくため息を吐いた。
建築家には建築家のパターンや癖がある。個性を出せば出すほど、その創造主の“味”が出る物なのだ。
「建築家?……あぁ、盲目の?」
「流石フェイルラート様。ご存知でしたか」
レウはそう、感心したような口ぶりで頷く。
その様子に、千里はただ首を傾げていた。
「えーと……有名な人なのか?レウ」
「八年ほど前に突然名を上げた建築家でね。
王国、帝国、それからノーズファンへ至るまで沢山の建築物を遺したんだ。
それも七年前に消息不明になったって聞いたんだけど、
……まさか辺境の国である、ペルファにも来ていたとは、ね」
レウは千里に説明をすると、視線を城に戻した。
降り積もった雪が、“盲目の建築家”といわれた男性の癖である、出入り口を隠している。
庭園を造れば必ずそこへ通れる扉を作るのが、彼の癖だったのだ。
「突然、現れた?」
「そう。誰が聞いても“霧の都から来た”としか言わなかったらしいよ」
「霧の、都……」
聞いたことがあるフレーズに、千里は黙り込む。
突然現れて突然になくなった建築家。
霧の都から来たという言葉。
その状況と単語に、千里には思い浮かんだ地名があった。
「そう、霧の都。確か、霧の都――」
「――ロンドン」
千里が呟くと、レウとフィオナはきょとんとした表情で首を傾げた。
霧の都という“謎”のキーワードで、レウが思い出しにくそうにする程度には馴染みのない単語を千里が言ったためだ。
「なんだ、詳しいじゃないか」
「ロンドンから来た?イギリスの?それって――流れ、人?」
フィオナの言葉も耳に入らない様子で、千里は呟く。
ロンドンから来て、そして消息不明になった盲目の建築家。
八年前と言えば、そんなに昔でもなかった。
「確かに彼は流れ人ではないかと言われていたけど、
……リクトは、流れ人について研究でもしているのかい?」
レウが問う後ろで、フィオナは思案下に俯いていた。
故郷に帰るためにノーズファンへ行きたい。
そう話していた千里の言葉が、緩やかに符合していた。
「あ、私は、その――」
「――まぁ、流れ人だというのは公表する物でもないからな。
研究したいと思う人間が増えても、あまり不自然では無かろう」
自分は流れ人だと、千里は咄嗟に答えようとした。
けれどもそれをフィオナに結果的に止められることになり、口を噤む。
「そう、なんですか?」
千里が問うと、フィオナは真剣な視線を流しながら頷いた。
その視線に応えて、千里も話を合わせることにする。
「そうだ。何時の時代何処の場所にも、好奇心で他者を侵害する存在は居るからな」
「まぁそうでしょうねぇ。流れ人には不思議な力がある、なんて話しもありますし」
そう語るフィオナに、レウが頷く。
フィオナ達の言葉に、千里は今更ながらに、散々危ない橋を渡っていたことに気がついた。
その可能性は、まったく考慮していなかったのだ。
流れ人について深くは知らなかったナーリャもまた、同様に。
「まぁ、とにかく……。
その建築家ならここらに扉があるはず、なんスけどね」
レウは、ため息を隠そうともせずに話しを戻した。
あるはずといわれても、そこに広がるのは雪の壁のみ。
溶かそうにも、雪は熱を持っている。
打開策も思い浮かばず、レウはただただ息を吐く。
ため息で幸せが逃げるというのなら、今日一日で一生の何割かの幸せを逃がしてしまっているのではないかと思えるほどだった。
「まったく、恨みますよ、隊長」
レウは二人に聞こえないように、呟いた。
彼に同行を命じた隊長――ガランの顔を思い浮かべながら。
攻略はまだ始まったばかり。
魔王城を探索するには、まだまだ問題が残っているようだった。
――†――
まどろみと現の境界。
夢と現実の狭間。
揺れる意識の中で、ナーリャはどうにか、自己を取り戻した。
「ジャック……君は僕に、何を伝えたいんだ?」
記録を読むことを止めようとしても、何度も繰り返し掘り起こされる記憶。
それは流れ人だったジャックが、こうして流れ人と旅をしているナーリャに、何かを伝えようとしているようにも思えた。
「ロンドンの郊外で生まれた、盲目の建築家。
何かを創る事が出来ればなんでも良かったけれど、一番肌にあったのが建築家だった」
ジャックという、一人の青年。
僅か二十四歳でその人生に幕を閉じた、身体があまり丈夫ではなかったひと。
その生涯の追体験は、ナーリャの内側を動かしていた。
「二十四年の生涯。二十四年の思考。二十四年の葛藤。
その年月を上書きするだけの記憶は、僕には……僕の、内側には――」
記憶を持っていなかったナーリャ。
自身のことが何一つとして解らない彼は、確実に侵食されていた。
――コンコン
「っはい」
ノックに、慌てて返事をする。
当初考えていた脱出のための手はずは思い浮かばず、それなのに時間は確実に進んでいた。
「良かった、元気そうだね。ナーリャ♪」
「リリア……ありがとう、体調はだいぶ良くなったよ」
アインを従えて入ってきたリリアに、ナーリャは笑みを返す。
病気で居ることは彼女に悪いと――そこまで考えて、ナーリャは内心で頭を振った。
(呑まれちゃ、ダメだ!)
葛藤は顔には出さず、ただ困ったような笑みを浮かべているだけだ。
リリアはそんなナーリャに、嬉しそうに……本当に嬉しそうに、笑った。
――寂しがり屋で、笑うと空気が温かくなる。
――僕はそんな彼女の頬に触れて、彼女が笑っているのだと感じ取っていた。
「ナーリャ?」
「ぇ……あ、ご、ごめんっリリア!」
気がついたら、ナーリャはリリアの頬に手を添えていた。
その笑顔を感じ取るような、優しい手。
その笑顔を感じていたかったような、切ない表情。
「ジャック――いや、そんは、はずは」
頭を振って我に返ろうとしていたナーリャは、リリアの呟きに気がつかない。
ベッドに腰掛けたまま、万年筆を手にして座るナーリャを、リリアは訝しげな視線で捉えていた。
「あ、そうだ、リリア」
「な、なーに?ナーリャ」
リリアは、感情を隠すのが上手かった。
そのため、抱いた懐疑心にも似た複雑な感情を、素早く笑顔の下にしまい込むことができていた。
「僕は今旅の途中で、もう行かなければならないんだ」
ナーリャはそう、申し訳なさそうにリリアに言う。
「助けてくれて、本当に感謝してるよ。でも――」
「――ダメ」
リリアはそう言い放つ。
灼けつくような熱を抱いた、どこまでも冷酷な瞳だった。
「――なーんちゃって♪」
だが、リリアはその感情を“隠して”愉しげに笑う。
ナーリャは、先ほどの冷酷な表情を気に留めながらも、安心したように表情を作って見せた。狐と狸の化かし合いのような、奇妙なやりとりだ。
「わたしはまだ、ナーリャにいて欲しいな」
「そう、なんだ。でも、僕もずっと居る訳にはいかないから」
「どうして?」
「待っている人がいるし、それにノーズファンへ行かなくちゃならないし」
両者とも朗らかな笑顔だが、あからさまに妙な空気が漂っていた。
二人とも表情の裏に感情を隠すのが上手く、それ故に奇妙だ。
「それなら、迎えが来るまでここに居て。ね?」
「……そう、だね。解った、そうさせて貰っても良いかな?」
迎えが来ても通さない。
そんな意思表示を前に、ナーリャは抜け出すことを前提に了承する。
「やった!ふふ、“これから”よろしくね、ナーリャ」
「……そうだね、“それまで”よろしく頼むよ、リリア」
互いに安心したような笑顔を崩さないまま、頷き合う。
そうして、リリアはいったん退出するために、ナーリャに背を向けた。
「また後でね、ナーリャ」
「うん、また後で、リリア」
リリアは扉から出る時に、もう一度振り返ってナーリャに手を振る。
そして外へ出てすぐに、アインが鍵を閉めた。
部屋の中にいても空気であり続けられるのは、従者の鑑と言えよう。
「はぁ」
リリアは廊下に出て、まず大きなため息を吐いた。
そして、扉に背を預けるように、もたれかかる。
「お嬢様?」
「あぁ、大丈夫よ、アイン」
心配するアインに、リリアは気怠げな返事をした。
思い浮かべるのは、先ほどのナーリャとのやりとり。
本当はナーリャに対して、最後まで“内側”を見せずに行動するはずだった。
「でも、あの時――」
リリアの頬に手を添えたナーリャは、そのまま誤魔化すように笑った。
そして、会話の最中、無意識の最中。
「ペンを半回転回してから、ペンの後ろでとんっと自分の膝を叩く」
ナーリャが行ったその仕草は、“彼”の癖だった。
時折見せる表情も、仕草も、笑顔も、空気も。
全てが全て、“ジャック”とよく似ていた。
「帰ってきて、くれた?」
出会ってから、僅か一年。
それだけで自分の側から居なくなってしまった、最愛の人。
「ジャック」
声に出して、名を紡ぐ。
そうするともう、感情は止まらなかった。
「ジャック、ジャック、あぁ……ジャック」
顔を両手で押さえて、何度も何度も名を紡ぐ。
そうして顔を上げた時――リリアはそこに、凄惨で妖艶な笑みを浮かべていた。
「もう、二度と離さない。
過去を司るエルリスよ……もう貴女の元に、彼を送りはしないわ」
アインを従えて、歩き出す。
適当に遊ぼうと思っていた侵入者とも、本気で“遊ぶ”必要が出てきた。
そうして微笑む彼女の表情は、悪魔達を束ねるのに相応しい“魔王”の貌だった。
放任主義の悪魔王。
その本質は、箱庭に閉じ込め平穏を与えて飼い慣らす、監視者であった。
世界に悪魔という種族がほとんど見られないのは、この国から悪魔が出ないため。
このペルファから出る必要はないと、感じさせられているためだった。
「ふふふふ……あは、あははははははははっ」
リリアの愉しげな笑い声が、魔王城に響き渡る。
これは祭典だ。悪魔が己の欲望に動くための、儀式だ。
ここに、彼女の舞台が、幕を開けた――。
――†――
そこは、ただただ静かな空間だった。
石畳で覆われた床と壁と天井。
ぼんやりと光る魔法のランプ。
「まさか地下道があるとはな」
「ここの人って、地下が好きなのかな?」
フィオナの呟きに、千里が小声で同意する。
アロイア、帝国ときて、ペルファの城にも地下の道。
こうくれば、千里のこの感想も仕方がないものと思えた。
「いやぁ、すっかり忘れてましたよ~」
先頭を歩くレウが、音の反響に気をつけながら、そう零した。
盲目の建築家の特徴として、必ず建物から人を逃がすことができるように設計されている隠し通路が造られる、というのがあった。
その出入り口には現地の魔法使いに協力して貰って造る、扉を塞がない魔法がかかっているのだ。
そうそう災害にも巻き込まれないため安心以上の価値はなく、故に彼の建築物の特徴として思い浮かばなかったようだ。
「自分の造った建物を捨てても、逃げて欲しかったのかな?」
千里は純粋に、思ったことを口にする。
盲目の建築家と呼ばれた青年は、命の価値をよく知る人だった。
当たり前のこととは言い切れないからこそ、千里は顔も知らない青年に、好印象を抱いていた。
「さて、この扉の向こうが、たぶん城の内部ッスよ」
レウはそう言うと、取っ手のついた石の扉に手をかける。
横にスライドするタイプの扉で、そこを開くとカビの匂いと共に広い空間が目に入った。
「城の地下倉庫ッスね」
甲冑や剣が立ち並ぶ、薄暗い部屋だった。
要らないものを詰め込んだのか、ろくに整理もされておらず雑多な風景である。
「リクト、折角だから大剣類を物色しておいたらどうだ?」
「えぇ、泥棒ではないでしょうか?」
「そういってナーリャを盗られるくらいだったら、いいのではないか?」
「あぅ」
フィオナに促されて、千里は倉庫を見て回る。
気になるものでもあるのか、レウも同様に見ていた。
そうしている内に、千里は倉庫の一部が輝いたような印象を覚えた。
そして、何かに引き寄せられるように、部屋の奥へ行く。
そこには、壁に立てかけられた、一本の剣があった。
「これが、一番丈夫かな?」
そういって千里が手に取ったのは、柱のような大剣だった。
千里の身長の二倍ほどもある剣で、石柱から削りだしたような、切っ先の平らな両刃の剣である。
「リクト、君力持ちだね」
「へっ?あ、あぁ、うん、まぁ、ね」
レウに掠れた声で言われて、千里は慌てて頷いた。
千里の身長の二倍ということは、レウの身長よりも大きい剣と言うことだ。
それを片手で軽々と持ち上げられては、そんな感想以外に持てなかった。
「でもそれ、魔法使いの作品ッスね」
「そうなのか?」
「はい。署名があります」
フィオナはレウの言葉に、千里の持つ剣を覗き込む。
丁度鍔の当たり、擦れて見えにくくなっているが、確かに魔法使いのものと思われる刻印があった。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
レウは物色したと思われるものを腰のポーチにしまいながら、二人を促す。
急いだ方が良いかどうかはまだ解らないが、千里は胸に宿る嫌な予感に焦燥を覚えながら、頷いた。
地下倉庫にある階段を登ると、城内の廊下に出た。
内装は大理石のような石造りを基調として、高級感のある黒色の装飾品で飾られている。
エクスの銀ぴか城と違って、目に痛くないことに千里は密かに安堵していた。
「さて、ナーリャ君の居場所って、探れるんだっけ?」
「あ、うん。ここから直線で斜め上」
千里が目を眇めると、そこには彼女にしか見えない矢印があった。
これでナーリャの居場所を探れるので、入ってしまえばどうにでもなったのだ。
「それじゃあ早速移動を――」
「――はいはいはい、そこのアンタら」
背後からかけられた、女性の声。
その声に、千里達は咄嗟に振り返った。
黄色の釣り目に白のショートカット、悪魔らしい黒い翼と黒い尻尾。
メイド服に身を包んだ女性が、鋭い視線で腕を組んでいた。
「誰に断って、リリア様の居城に入ってるワケ?」
見るからに好戦的な態度だった。
最早戦闘は避けられないと、千里はフィオナ達と頷き合う。
「私が、合図を」
「頼んだ、リクト」
小声で話すと、千里は腰の通常サイズの剣に手をかけた。
念のためと持ってきた大剣は、廊下で振るには大きすぎるのだ。
「三十六計!」
「へぇ、詠唱か?面白い!」
無手で構えた女性相手に、千里は叫ぶ。
そして、前に飛び出ようとしつつ、振り向きながら後ろに飛んだ。
「逃げるにしかず!」
「へっ?!」
と、同時に残りの二人も走り出す。
その行動に思わず固まる女性を、その場に置き去りにして。
「はははっ、良いハッタリだ、リクト!」
「あ、あはは、は」
声を上げて笑うフィオナに対して、千里は苦笑いをしていた。
割と知名度のある諺なので、故郷ではまず使えない手だ。
「待ぁてぇぇぇぇぇっっっ!!!!」
後方から聞こえる、怨嗟の声。
逆鱗に触れるのは解りきっていたが、仕方がない。
「こちらフィーア!エントラスホール方面にネズミが三匹!」
共感の魔法でも使っているのか、それとも別の力か。
女性――フィーアは、額に血管を浮かべながらそう叫んだ。
そうして大きな扉を抜けると、そこは玄関口だった。
大きなエントランスで、フィーアは三人がここに向かっていたことを示していたのだ。
「ふん、我らが主様の居城に侵入者とはな」
エントランスホール。
そこに佇んでいたのは、一対の剣を腰に提げた、ポニーテールの女性だった。
リリアに直接指示を受けてやってきた、青い瞳の使い魔――ツヴァイだ。
「後悔に苛まれながら、疾く逝ね」
青色の双剣が、抜かれる。
剣真は半透明で、青色に澄んでいた。
「とりあえず、切り抜けるしか無さそうだね」
千里はそう零すと、背負った大剣を引き抜いて構えた。
広い空間ならば、この大剣を扱うことができる。
「二対三か、気が乗らんな」
「俺は頭数に数えないでくださいよ」
フィオナも剣の柄に手をかけ、レウも腰の短剣を抜く。
レウの短剣は、柄だけ拳五つ分の長さを持つ剣だった。
柄頭に、緑色の宝石が装飾されているのが、特徴的だ。
「よくも逃げてくれたな、テメェら」
フィーアがそう呟くと、その手に黒い鎧が出現した。
近接戦闘が得意なのだろう。彼女の武器は、ナックルだった。
「二対三が気にいらんか?
賊のわりに真っ当な戦士の魂があったか」
ツヴァイはそう言うと、好戦的に微笑んだ。
「そう言われれば、私も気が乗らんよ。
……“四対三”と、いうのは、な」
ツヴァイの言葉と共に、“天井から”二人の少女が降りてくる。
一人は気怠げな表情を浮かべた顔の左半分を髪で覆った、朱色の目の少女――ドライ。
もう一人は、紫色の髪を二つお団子にした少女だった。
「さっさと、終わらせる」
「フィフちゃん登場ですよぅ~っ!」
ドライは淡々と、長い柄の突いた斧――ハルバートを構える。
同時に紫色の髪の少女――フィフは、長い棒を器用に振り回した。
「私は青いのと朱いのを片付けよう。リクトは?」
「紫の、かな」
「えぇ、それじゃあ俺が、あの妙にいきり立ってる黄色いのッスか~?」
挑発的な言い回しに、黄色いの――フィーアは額に浮かべた青筋を増やす。
今にも断ち切れてしまうのではないかと思わせられるほど、怒りに打ち震えていた。
「挑発に乗るな、フィーア。
私とドライはエルフへ。折角だ、お誘いに乗ろう」
そう言うツヴァイも、言葉の端々に苛立ちが垣間見える。
苔にされて黙っていられる悪魔ではない。彼女は言うなれば、武人であった。
「わわ、それじゃあ私の相手は、あのカワイイ男の子なのかっ、な?」
「チッ、こいつ一人か。まぁいい、ぶちのめしてやるよ」
上手く、人数を割ることができた。
そのことに、フィオナは小さく微笑んだ。
「何を笑っている?」
「いや、二人だけで私に敵うとでも思っているのか、とな」
「――主に“女は徹底的に打ちのめせ”と仰せつかっている。心配はいらん」
安心して本気で行くことができる、とツヴァイは付け加える。
そして、その双剣に水の雫を纏わせた。
「【水練・疾風】」
両手を振り回すような、高速斬撃。
それをツヴァイは、フィオナから離れた場所に立ったまま、放った。
超高速の斬撃を遠くに当てる技。それは、初見で相手の命を刈り取る技だ。
けれど、それはフィオナの得意とする剣に、似通っていた。
「【閃光紅蓮】」
炎が煌めき、斬撃音と共に水蒸気が上がる。
それは、ツヴァイが飛ばした“水”が、蒸発する音だった。
「ぬるい」
「でも、隙だらけ」
そう呟いたフィオナの上空から、飛び上がったドライが襲いかかる。
その巨大なハルバートに纏わせるのは、朱色の光だった。
「喰らい尽くせ【朱紅の大牙】」
「っと」
空気の壁を抜くような、ゴウッという轟音が響く。
フィオナはそれに警戒しながらも、太刀筋を読んで余裕を持って避けた。
――ドオンッ
同時に地面にハルバートが当たり、朱色の光が床に流れ込む。
そして、その光は避けた先のフィオナの足下で、輝いた。
「【二重大牙・咬】」
「ちっ!」
地面から飛び出る、朱色の牙。
それをフィオナは、高く飛ぶことで避ける。
だがその先には、二本の剣を大上段に構えたツヴァイの姿があった。
「墜ちろ」
「【閃光紅蓮】」
「っく?!」
フィオナは咄嗟に、抜刀でもってその二連撃を弾く。
けれど、同時に、ひび割れる音が彼女の耳に届いた。
「やはり、この鞘では持たないか」
苦々しく呟くも、その焦りを敵に見せたりはしない。
フィオナはあくまで余裕な表情を崩さず、鞘から剣を引き抜いた。
「その戦士の力、しかと見届けた。
先の無礼は、この剣の輝きを以て許されよ」
「ふむ、漸く抜いたか」
フィオナの言葉を、ツヴァイは疑うことなく受け入れる。
ドライはそもそも考えるのが面倒なようで、特に反応はなかった。
余裕の表情を破られれば、つけ入れられる。
だからこそフィオナは、得意とする抜刀がさも前座であるかのように振る舞っていた。
「さて、ここからが――本番だ」
フィオナの宣言には、歴戦の威圧が込められていた。
その燃えさかる劫火のような気配に、ツヴァイは頬を緩ませる。
戦闘はまだ始まったばかり。
緑と朱と青が、ここに交じろうとしていた。
――†――
ヒュンッと、鋭く風を切る音が響く。
一度や二度ではない、三度四度でもない。
十や二十の拳による連撃が、レウに向かって放たれていた。
「このォ、チョロチョロとッ!」
レウはそれを、柳のような体捌きで躱していた。
決して余裕のある表情ではないが、それがフェイクだと思わせるほど当たらない。
「【震撃!】」
「おわっ!?」
フィーアの拳が、レウに向かって放たれる。
それをレウが避けると、その拳は彼の後方にあった柱にぶつかった。
――ドンッ!
「うわっ?!」
その柱が、一拍間を置いて破裂する。
当たった場所の内側から力を爆発させる能力。
それが、リリアの使い魔であるフィーアの力だった。
「当たれば終わりか、スリリングだこと」
そうぼやきながら、レウは短剣を逆手に構える。
柄頭の宝石を、フィーアに突きつける形だ。
「漸く戦う気になったか、腰抜け!」
「まぁ、そろそろ動きは覚えてきたし」
「戯れ言をッ!」
フィーアの拳を避けつつ、レウは大きく後方へ跳躍する。
そして、己の身体に魔力を滾らせた。
「【大地よ、我が傀儡となりて彼の者を討ち滅ぼせ!】」
地面が盛り上がり、それがやがて人の形となる。
岩石のような大きな身体は、典型的なゴーレムといえた。
「【大地の兵よ、その身を鋼鉄と成して鉄壁の守護を得よ!】」
更に、そのゴーレムの身体が鈍色に変色する。
内側からも破壊されないようにと造られた、鋼鉄の兵だった。
「手の内見せ過ぎなんだよね、君」
レウは余裕を持って、ゴーレムの背後に回る。
大地の力を持った魔法使い、その真髄は生成にある。
それを体現するような、“壁”であった。
「魔王の居城に入り込んだ悪の魔法使いか?笑えないな」
フィーアはそう吐き捨てるように言うと、黄色の光を両腕に纏わせる。
そのぼんやりとした光は徐々に強くなり――そして、消えた。
「【震撃・剛】」
風を切って、拳が振るわれる。
光が消えたことに訝しみながらも、レウはフィーアにゴーレムを向かわせた。
「行け」
「逝け」
レウの指令と同時に、神速の踏み込みを持ったフィーアが突貫する。
フィーアはその右腕を弓なりに引くと、撃鉄を以て放たれた弾丸のように拳を打ち出した。
――ドンッ
そのあまりの威力に、全長二メートルはあるかというゴーレムが後退する。
一歩二歩と下がり、だがそこで踏みとどまった。
「馬鹿力だねぇ。でもまぁ、俺も急ぎなんだ」
レウはそう言うと、表情を変えないフィーアに向かって笑みを浮かべてみせる。
そして、短剣を右手で構えながら、左手で指を弾いた。
「【大地よ、並列を成せ】」
ゴーレムが複数、大地から出現する。
その数は、ざっと数えて十数体もあった。
「【隊列形成、号令……鉄騎の凱旋!】」
ゴーレムがそれぞれ、手に斧や剣を構えて立ち並ぶ。
レウという魔法使いを中心とした、たった一人の軍隊だった。
レウは横目で千里を見ると、その方向にも兵を向かわせる。
「リクト、そっちのも俺が相手をしておくよ」
そして、千里を見て声を上げた。
千里もそんなレウの言葉に頷いて、返事をする。
「っ……レウ、解った!」
「あっ、まだ数合交えただけなのにぃ~」
千里とその相手のフィフは、まだ探り合いの最中だった。
故に能力を使うことなく引き離されて、フィフは唇を尖らせる。
「まぁでもいいですけど。女の子を通さなきゃ」
「協力してさっさと倒して追いかけるぞ、フィフ」
「はいはいはい、もうフィーアちゃんはせっかちなんだよぅ」
じりじりと距離を詰める二人に、レウはただ笑みを浮かべていた。
実のところ、レウは防御中心で決定打に欠ける節がある。
そのため、彼の本領は“足止め”だった。
だが、どうせ千日手ならば、さっさとナーリャを救出してくれた方が良い。
「期待してるよ、“準優勝者”さん」
レウはそう、誰にも聞こえないような小声で呟く。
そして、前髪で隠された瞳で鋭く二人を見ながら、ただ笑みを浮かべた。
魔王城の玄関口で、四つと二つが――激突する。
前中後編三部で、七章は終了。
今回は長めですが、次回その次はもっと長いです……。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
中編も、どうぞよろしくお願いします。