七章 第四話 結成 即席冒険団!
連続して聞こえる、高い音。
時計の針が秒を指す、音だ。
その音を聞いていると、不思議と心が安まった。
そうして目を開けようとした時、ナーリャは額に冷たいものが乗る感覚を覚えて、反射的に目を瞑る。
「あ、れ?」
「……目が覚めましたか?」
なんとか、ゆるゆると目を開けてみる。
するとそこには、白い髪に銀の瞳の、女性の姿があった。
「君、は?」
「私のことはお気になさらず」
表情の変わらない顔、感情の込められていない声。
冷たく突き放されたというよりも、始めから“こう”であると思わせるような、無機質さ。
「君が、僕を?」
「いいえ」
短い言葉だが、意味は伝わる。
額に濡れた手ぬぐいを乗せて看病をしてくれてはいるが、助けたのは自分ではないと、女性は断言した。
「誰が、僕を?」
まだしっかりと声が出せず、短い問答しかできない。
それにもどかしさを覚えながらも、ナーリャは自分の体調が徐々に回復していることに、気がついていた。
「お嬢様にございます」
女性の答えに、ナーリャはただ頷いた。
自分が助けられ、そして囚われているのは、その“お嬢様”の意図によるものなのだろう。
情報は得られた。
けれど、これ以上引き出せはしないだろうと、無機質な女性を見てナーリャは結論づけていた。余分な情報を口外するような、そんな人には見えなかったのだ。
「僕は、ナーリャ。君は?」
せめて名だけでも、と問う。
けれど答えは、帰ってこない。
自分の名を名乗る権限すら与えられていないというのなら、ここはある意味“想像どおり”厳しい環境にあるのだろう。
「【はい、畏まりました】……私はアインと申します。ナーリャ様」
「ぇ、あ……よろしく、アイン」
だが、女性――アインは、小声で何事か呟くと、先ほどまでの沈黙を破って名乗った。
そのことがどうにも不可思議で、ナーリャは首を捻る。
「まだ体調は回復しておりません。
回復の魔法は常時展開していますので、今しばらくお眠りください」
「え?――ぁ」
アインの言葉と共に、強烈な眠気に襲われる。
ナーリャはまだ気になることが幾つかあったのだが、それを聞く間もなく意識を落とすのだった。
E×I
氷塊の浮かぶ海を眺めながら、千里はゆっくりと立ち上がる。
日も落ち始め、もう少ししたらフィオナもここに来るだろう。
その前に、千里はやっておきたいことがあった。
「私は、ナーリャと一緒に在りたい。
――ナーリャの隣を歩いて、生きたいんだ」
改めて言葉に出すと、それはしっくりと心に収まる。
もう目を逸らすことはできない。
もう耳を塞ぐことはできない。
もう口を閉ざすことできない。
もう……自分を偽って笑うことは、できなかった。
「お願い、お願いイル=リウラス。
私にもう一度、“貴女”の力を貸して……」
祈りを捧げるように、両手を重ねて胸に当たる。
ふわりと舞い上がった金の粒子は、徐々にその光を強くしていた。
「光よ……【光よ!】」
吹き上がる、黄金。
光の奔流が渦を作り、天に舞い上げられた。
雲のように広がる粒子は、やがてその形を矢の形に変える。
それはまるで千里の意志を反映したかのように、空で大きな矢印となった。
「やっぱり、ナーリャはお城にいるんだ」
一直線に、光が城を指す。
その矢印に千里が手をかざすと、矢印は大きさを手のひらサイズにまで変えて、千里の手に収まった。
「示し続けて」
千里がそう呟くと、光が消滅する。
だが、千里の視界には、常に方向を示し続ける光の矢印が残っていた。
「リクト!……あれはなんだ?」
「フィオナ、さん」
走り寄ってきたフィオナに、千里はゆっくりと振り向く。
そしてすぐに、言い訳を口にした。
「えっとね、探索魔法ってやつなんだ。
稲妻のショックで使えなくなってたんだけど、頑張ったら少し使えたんだ」
「頑張ったら……って」
フィオナは、苦笑する千里に近づくと、その顔を覗き込む。
そして、呆れたような咎めるような声を出した。
「目が充血するほど頑張るな。
ナーリャを探し出す前に倒れでもしたら、どうするつもりだ?」
「へっ?あ、あぁ、うん、気をつける!」
これは違う。
なんて言えるはずもなく、千里は慌てて頷いた。
目元に触れると、腫れているのが解る。
それほど涙腺が緩い記憶はなかったのだが、ここ最近泣いてばかりだと苦笑した。
「さて、情報交換……と行きたかったが、見つかったのなら話は早い。
まぁ、私が得た情報は、どれもこの地に関するものばかりだったのだがな」
凍土の国、ペルファ。
曰く、魔王の力で適度な気温に保たれている。
曰く、魔王の姿を見たものはいない。
曰く、絶世の美女であり、美青年を囲っている。
ペルファに関するもの、というよりもほとんどが魔王に関する情報だった。
その噂には必ず魔王の“ツバメ”の話が出てきていて、その度にフィオナは頭痛を覚えていたのだ。
「直ぐに救出……という訳にも行かないか」
「え?な、なんで?」
「引きこもってはいるようだが、一国の主だぞ?」
「ぁ」
まずは一度正式に訊ねて、はね除けられたら今度こそ救出に行けばいい。
どうしても後手になってしまうが、まずはこちらが悪くならないように、一度対応が必要だった。
「素直に渡してくれるのなら、それで良し。
なんにしても、まずは行ってみる必要があるだろうな」
「そっか……それなら、早めに」
「ああ。しかしまぁ念のため、一人帝国の兵士を連れて行こう」
役職に関わる人間がいるのといないのでは、相手の対応も大きく変わるだろう。
逆に言えば、その状態で“嘘”をつかれれば、それだけでこちら側の“口実”になるのだ。
「でも、兵士って誰を?」
「それは……まぁ適当に捕まえよう」
「適当って……そっか、うん、適当以外にないか」
千里はフィオナと連れ立って、船まで歩く。
現在船は修理中で、完了するまでは乗組員達の寝床になっているのだ。
「そういえば、なんで寒くないんだろう?」
暖かい日差しに包まれているといっても、周囲は雪に覆われている。
海には氷塊が浮かび、海岸も陸地も家々も白銀に染まっているというのに、肌寒さはまったく感じなかった。
「なんでも、特殊な魔力がこの島に満ちていて、その影響らしい」
フィオナがそう語ると、千里は目を丸くした。
明らかに常識から外れたことでも可能だというのだから、魔法はすごい。
「ううん……ファンタジーだ」
「ふぁんたじー?」
「う、ううん、なんでもないよ」
聞かれていたことに、千里は慌てて首を振る。
変なことを言う人だと認識されては、たまらない。
「よし、誰か捕まえてくるからそこで待っていてくれ」
「あ、うん」
船のある海岸に辿り着くと、フィオナが兵士に話を持ちかけに行く。
黄色い髪で目元を隠した青年……最初に、船の状況を聞いた彼だ。
始めは嫌そうにしていたが、フィオナと一言二言言葉を交わす内に、追い詰められていく。千里は遠目で見ているため話の内容は分からなかったが、青年の戸惑いだけは見て取れた。
そうしている内に、観念したのか。
青年は肩を落としながらも、しっかりと頷いた。
もしかしたら、開き直りかも知れないのだが。
「リクト!彼が“快く”同行してくれるそうだ」
「あ、あはは……なんでこんなことに」
青年は、おぼつかない足取りでフィオナの後についてきた。
その様子に、千里は苦笑いを零しながら、青年に手を差し出した。
「私の名はリクトといいます」
「これはご丁寧に。
でも、俺は大した身分でもないから、気楽で構わないよ」
「あぁ、ありがとう……と、貴方の名は?」
握手を交しながら、笑い合う。
どうにも頼りなさそうに見えるが、気の良さそうな青年だった。
「おおっと、ごめんごめん。
俺の名前はレウ・ソル=リウスだ。よろしく、リクト」
青年――レウは、そう言うと千里の手を強く握った。
その友好の証に応えるように千里が握り返すと、その横でフィオナが嬉しそうに頷いた。
「いや、気の良い仲間ができて何よりだ」
「あはは、すごい神経ッスね」
「何か言ったか?」
フィオナにジト目で見られて、レウは勢いよく首を横に振る。
帝国らしい黒の鎧を身に纏う兵士にしては、どこか軟弱なイメージを持つ青年だ。
「それでは、出発だ!」
「はい!」
「了解ッス」
エルフの女剣士と、男装の騎士と、頼りない帝国兵士。
奇妙な即席冒険団が、ここに結成されるのだった。
――†――
乾燥した場所に一人残されたような、そんな喉の渇き。
息苦しくなるほどの渇きを鎮めようと、ナーリャは藻掻くように手を伸ばした。
「み、ずを」
「はい、どーぞ」
子供のような、高い声。
その声に導かれるまま、ナーリャは身体を起こしてグラスを手に取った。
そして、よく冷えたその水を、一気に煽る。
「ん…く…っ……はぁっ」
そうしてナーリャは、漸く目を開けるに至った。
霞みがかった思考は晴れ渡り、身体を覆う疲労感はない。
鈍痛も目眩もなくなって、ナーリャは自分の体調が完全に回復していることに、少なからず驚いていた。
「大丈夫?おにーさん」
「え、あ……君は?」
ベッドの横に座るのは、桃色の髪と真紅の目、そして赤と青の翼を持つ幼い少女だった。
その傍らには、最初にナーリャが出会った女性――アインが、佇んでいた。
「わたし?
わたしの名前は“リ・リリア・ウィル=オルクスフォンハイド”
……そうね、わたしのことは“リリア”って呼んでちょうだいな♪」
「あ、うん……僕はナーリャ、ナーリャ=ロウアンス」
起き抜けにテンションの高いリリアと会話することになり、ナーリャは少しだけ置いていかれていた。
「もう体調は回復したと思うんだけど……どう?」
「え?あぁ、すっかり良くなったよ。
え、と……君が、僕を助けてくれたの?」
助けた、と言っても未だ足に鎖が嵌められているのは事実。
だからナーリャは、努めてリリアの機嫌を損ねないように、笑顔で問うた。
それが――彼女の“熱”を加速させていることになど、気がつかずに。
「ふふ、そーよ。
わたしが貴方を助けて、ここで治療をしていたの。
ちょっと、メイド達にも手伝って貰っちゃったけどね」
口元に握り拳を当てて、リリアはくすくすと笑う。
その表情に妙な危機感を覚えながらも、ナーリャは笑顔を崩さないようにしていた。
「なにか、お礼ができれば良いんだけど……」
「あら、お礼なんて良いのよ?」
「え――?」
お礼という形でリリアの求めるモノを探ろうとしたナーリャは、予想外の返答に首を傾げる。未だ怪しい笑みを崩さないリリアに、底知れぬ“ナニか”を感じながら。
「だって、おにーさん――ナーリャは」
リリアはナーリャの左手を掴むと、自分の方へ引き寄せる。
そしてナーリャの首に巻き付くように抱きつくと、耳元に声を投げかけた。
妖しく艶やかな――悪魔の囁き。
「ずぅっとわたしと、一緒に居るんだもの」
「え、ぁ――」
脳髄を揺さぶるような、甘い匂い。
その匂いに崩れそうになる理性を、ナーリャは意志の力で押しとどめた。
「僕、は。
僕は、帰らなければならないんだ。リリア」
「あら?“魅了”を跳ね返したの?」
ナーリャの反応に、リリアは目を丸くする。
そして、愉しそうに笑いながらナーリャから離れた。
「いいわ、ナーリャ。時間をあげる。
大丈夫、時間なんていくらでもあるもの。よく考えて」
「時間はないよ、リリア。
僕たちには、“君たち”ほど時間がないんだ」
ナーリャの言葉を意に介することもなく、リリアはただ笑う。
そして、部屋にナーリャを残して去っていった。
その去り際で、リリアは一度だけ、振り向く。
「“しがらみ”なんて、時間には敵わないの。
だって、過ぎ去ってしまえば、それは遺物でしかないもの」
荒くなった息を整えようとするナーリャは、リリアの言葉に反論することができない。
だが確かな意志を示すために、強い瞳でリリアを見るのだった。
「また後でね、ナーリャ」
重い扉が閉じて、ガキがかかる音がする。
何度か鳴った音が鳴り止むと、ナーリャは力が抜けたように、ベッドに転がった。
「僕もつくづく、運がない」
ため息と共に零れるのは、そんな言葉だった。
ルルイフでは船に置いていかれ、漸く乗ったと思えばエクスに襲われて。
帝国では誘拐事件に巻き込まれ、闘技大会では因縁をつけられ。
漸くノーズファンへ行けるかと思えば嵐の海に投げ出され、助かったと思えば籠の鳥。
これを運がないと言わずして何と言おうと、ナーリャはもう一度、大きなため息をつくのだった。
「なんにしても、まずは逃げ出す手立てを考えなきゃ」
リリアが心変わりをするまで待つ気は、無い。
それこそ、人間の短い一生が終わってしまう可能性の方が高いだろう。
ナーリャには、魔族であるリリアほど、時間的な余裕はないのだ。
「足枷は……外れない、か」
ただの鉄の輪とはいえ、鍵もない枷。
剣やナイフも無しに外せるものでは無い。
また、武器は全て取り上げられてしまっているため、今は丸腰。
こういった状況から抜け出す手立てを“持ってくる”ことも、できない。
「とはいえ、自分でもよくわかっていない力を使うのもなぁ」
ナーリャは、今日何度目になるか解らない息を吐く。
エクスの居城で戦っていた時から使っていた、“記憶を読み取る”力。
何気なく使い始めた能力だったが、気味悪くもあった。
「僕は、魔法使いの家系だったのかな?」
魔法とは関わりのない、特殊な能力。
だがこの世界で不思議な力と言えば“魔法”なのだから、ナーリャの思考も自然とそこに集中していた。
物に触れれば、記憶が読める。
通りすがる人間で試してみたこともあるが、生き物はダメだった。
能力が強くなったのは、ガランとの戦いの最中。
それからナーリャは、どんな物に触っても、その“物が宿す記憶”を読み取ることができていた。
「僕は、誰なんだろう?
魔法使い?――いや、魔法の使い方は、よく解らない。
貴族?――いや、高貴なものとは無縁な気がする。
亜人?――いや、すくなくとも人間ではある、はず」
答えの出ない問答。
自分自身に問いかけて答えを求めても、帰ってくるのはがらんとした空っぽの過去だけ。
「千里――僕は」
そうして最後にこぼれ落ちたのは、船上で別たれてしまった“友達”の名前だった。
隣を歩いて行きたいと言ったのに、あの月の夜、そうエクスに宣言したのに。
「ここで躊躇っていたら、君には会えないよね……千里」
意識を集中して、足枷に手を触れる。
井戸の水をくみ上げるような感覚。
渇いた身体に水を仕込み混ませるような、開放感。
この刹那の快楽が……ナーリャは、嫌いだった。
記憶が、ナーリャに流れ込む。
この足枷が嵌められた人間達。
その末路が、ナーリャの頭に逆流していく。
「――――【継承把握】」
完全に意識を切り替えたナーリャは、自分でも意図していないところで、そう言葉を紡いでいた。第三者が聞いてナーリャに教えない限り、ナーリャ自身で知ることができない、ナーリャの無意識下の声であった。
――ねぇ、わたしと遊ぼう?
――き、きみは?
一人称の視線で展開される、過去の記録。
それを余すことなく、ナーリャは“追体験”していく。
そこに活路があるはずだと、信じて。
――ふふふ、イイわ、その顔。
――ひ、や、め。
だが、だんだんと雲行きが怪しくなってきた。
慣れた仕草で、“自分の”ボタンを外していくリリア。
やがてリリアは、自分の服に手をかけて……。
「っ【中断!】」
反射的に、ナーリャは記憶の奔流をせき止めた。
そして、恥ずかしさやら謎の申し訳なさやらで赤くなった顔を、両手で隠す。
「うぅ、こんなのばっかりなのかな……」
ナーリャは、なんとか流れ込む記憶の取捨選択ができないものかと、奮闘する。
それが自分の能力を“鍛えてしまう”ことに繋がったとしても、人様の赤裸々な情事なんか拝みたくなかった。
「集中、集中……」
それからナーリャは、孤軍奮闘することになる。
流れ込む記憶の取捨選択という技能を身につけるまで――。
今回で、七章の折り返し地点となります。
そのため、次回への布石等で今話の終了とさせていただきます。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。