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E×I  作者: 鉄箱
第二部 闇を打ち祓いし剣
40/81

七章 第三話 凍土の国ペルファ


 燦々と光る太陽に照らされた大地は、白銀に染め上げられている。

 建物や木々に至るまで、その全てが雪と氷で覆われた世界。

 その割りに強い寒さはなく、むしろどこか暖かさすら感じられていた。


 氷塊が所々に浮かぶ海。

 その海岸を、一人の少女が歩いていた。


 鮮やかな桃色の髪はツインテールに纏められていて、幼い容姿を際立たせる。

 その小さく、そして整った顔に乗る二つの目。

 それは、縦に割れた眼孔を持つ黄金色の双眸だった。


 黒と白、それから桃色をあしらったフリル付のドレス。

 ゴシックロリータな服装にマッチした、フリル付の黒い日傘を差しながら、少女は歩く。


 よほど暇で退屈なのか、時折欠伸をしながら目元を擦っていた。


「ふわぁ……なんか面白いことないかなぁー」


 そうぼやきながら、少女は傘をくるりと回す。

 すると、背中で大きななにかが動いた。


 よく見ると、少女には人間にはない“器官”があった。

 コウモリのような形をした、一対の翼。

 右側は溶けた氷のような淡い浅葱色で、左側は燃えさかる炎のような赤色の羽。

 臀部からひょっこりと生えている、先が三叉になった黒い尻尾。


 少女は物語に登場する、“悪魔”のような外見をしていた。


「ううん?あれ、なんだろう?」


 海岸に打ち上げられた、黒い“なにか”に、少女はあどけない仕草で小首を傾げる。

 そして、幾ばくかの興味を元に、小走りで“それ”に近づいた。


「ニンゲンさん、かな?」


 俯せに倒れた、男性。

 その身体を少女が軽く指で押すと、簡単にひっくり返った。

 亜人ならではの力業である。


「ん?あれれ」


 少女は慌てて少年の側に座ると、水で張り付いた髪をかき分ける。

 そして、そこに隠れた顔を見て、自身の頬に手を当てた。


「まずい、ど真ん中で好みだわ」


 頬を赤らめて、切なげな吐息を零す。

 そして、十二歳前後の外見に似合わない、妖艶な表情で微笑んだ。


「ふふ、お持ち帰りするね。おにーさん♪」


 少女は少年を、片手で軽々と持ち上げる。

 そして、先ほどまでよりもずっと軽やかな足取りで、海岸を歩き出した。


 少年――ナーリャは、未だ目が覚めず呻り声を上げていた。

 これが今回の事件の幕開けであることなど気がつくはずもなく、ただ少女の肩で眠るのだった。














E×I














 静かな、さざ波の音。

 鼻孔をくすぐる潮風の匂い。

 身体に降り注ぐ暖かな日差し。


 その明かりに照らされて、千里はゆっくりと目を開いた。


「チサ――リクト、目が覚めたか?」

「フィオナ……?」


 首を傾けて、声のした方を見る。

 そこには、氷塊に腰掛けるフィオナの姿があった。


「雪?ここは……そうだ、ナーリャ!」


 身体の下に敷かれた、白雪の絨毯。

 その感触に目が覚めて、千里は勢いよく身体を起こした。

 一面の銀世界と、海岸に乗り上げた船。

 千里は周囲を見回しながら、ナーリャを探す。


「フィオナ、ナーリャは……」

「まだ、見つかっていない。

 あの嵐で投げ出された荷物などは、不思議なことに全てこの島に流れ着いていた。

 だが、ナーリャはまだ見つかっていないのだ」

「そんな……」


 嵐で投げ出された人間は、ナーリャだけだった。

 船の積み荷なども投げ出されたが、それらは全てこの海岸に流れ着いていた。

 ならばナーリャもと乗組員達で捜索したが、結局見つからなかったのだ。


「この島の住人が見つけて、救出したという可能性もある。

 まだ肩を落として“主を見捨てる”のは早いぞ、リクト」

「ぁ……はい、そうでしたね。フィオナ様」


 千里は取り乱した心を、すぐに整える。

 ナーリャと離れてしまうということがこうも心細いなんて、知らなかった。


 フィオナに諭されて男装のことも思い出し、今は何とか取り繕っている。

 だがその内側は、未だ大きく揺れ動いていた。


「ナーリャ……」


 船員にナーリャを捜索する旨を伝えに、フィオナが立つ。

 その三歩後ろに、千里が付き従った。


「さて、彼もまた私の友人だ。

 捜索は手伝おう、リクト」

「はい、ありがとうございます!」


 千里が勢いよく頭を下げると、フィオナは照れくさそうに頬を掻く。

 どうにも、畏まった話し方をされるのは苦手だった。


「行方不明者の捜索へ行ってくるが……船はどうだ?」


 船員の一人に、フィオナが声をかける。

 護衛としてついてきた帝国の兵士で、彼は船の技師と相談をしているところだったようだ。


「あぁ、はい。わかりました。

 船はまぁ、損傷はありますが魔法使いもそれなりに乗っていますし、

 遅くても五日以内に出発できると思いますよ」


 黄色の髪で目元を覆った青年は、そうどこか気の抜けた表情で説明した。

 フィオナはその軽々しさにこぼれ落ちそうになるため息を隠すと、「そうか」と頷いて青年に礼を言う。


「引き止めて済まんな」

「いえ、主役不在では出航もできませんので」


 後ろ手で青年に手を振り、千里と並び立つ。

 あまり下がって付き従われると、息が詰まりそうだったためだ。


「まずは陸地をこのまま進んでみよう」

「はい、わかりました」


 恭しく頭を下げた千里に頷くと、フィオナは雪を踏みしめて凍土の奥へ向かう。

 その後ろで、千里はそっと光の粒子を集めていた。


「もしかしたら……」


 ライアンが捕まった時のように、情報を吸収できるかも知れない。

 だが、今までの戦いと船上の雷の迎撃が影響しているのか、上手く力を集められなかった。


「お願い……無事でいてね、ナーリャ」


 胸に手を置き、願う。

 ただナーリャが無事でいることを、千里は必死に願っていた。











――†――











 熱に浮かされているような、鈍重な感覚。

 心地よさとはかけ離れたまどろみを振り払うように、ナーリャは目を開けた。


「くっ……ぁ」


 身体に傷はなく、故に痛みはない。

 けれど、強い疲労がナーリャの身体に重くのしかかっていた。

 高い持久力を持つナーリャは、滅多に疲れを残さない。

 だから、これほどまでに身体が重いということは、本当に久しぶりだった。


「ここ、は」


 なんとか絞り出した声は、擦れていた。

 ナーリャはそれでも重い身体をなんとか起こし、霞む視界を瞬きで調整しながら周囲を見回した。


 黒を基調とした、シックな部屋。

 フリルのついたカーテンと天蓋と、高級感のある上品でどこか暗い雰囲気の家具。

 十畳ほどの広さの空間で、ナーリャは首を傾げた。


「どこ、なんだろう」


 声を出すと、頭に鈍痛が走る。

 風邪でも引いたのか、体調が優れているとは言えなかった。


「確か、僕は……そうだ、あの嵐で、投げ出されたんだ」


 朧気な記憶を繋ぎ合わせる。

 投げ出された船員、伸ばした腕、轟風豪雨、浮遊感、稲妻の音。

 そこから先の記憶はなく、今目が覚めるまでの過程が解らなかった。


「ん?……これ、は?」


 そうして、ナーリャは自分の服装が替わっていることに気がついた。

 白いシャツに黒いネクタイ。それと、黒いズボン。

 ベッドの下には黒い革靴があり、壁には黒い上着が掛かっている。

 胸元にはネックレスがかかっていて、手で掬い上げると、それがコウモリの羽を模した銀細工であることがわかった。


「誰かに助けられた……訳では無さそうだね」


 徐々に回復してきた思考は、ナーリャに現実を見せる。

 右足に嵌められた鉄の枷、そこから伸びる黒い鎖。

 壁に繋がっている鎖は長く、これなら部屋の中を歩き回るくらいはできるだろう。

 けれど、部屋から出ることはできない……束縛の、鎖だ。


 ナーリャはベッドから足を降ろすと、革靴を履いて一息つく。

 ベッドに腰掛けて改めて周囲を見回すと、扉には沢山の鍵がついていて窓には鉄格子が嵌っているという、“如何にも”な部屋だった。


「捕まった?

 にしては、貴族を幽閉するような部屋だけど……」


 見るからに高貴な身分ではない自分を、身なりをよくして“良い部屋”に入れる理由が分からない。もしかしたら、牢になる部屋がここしかなかったということも考えられるのだが。


「どんな意図があるのか解らない以上、迂闊に動けないか」


 ナーリャはそう呟くと、立ち上がる。

 だが、途端に目眩がしてベッドに身体を預けることになってしまった。

 緩やかな動作で右手を額に当てると、ひどく熱を持っていることに気がつく。

 嵐の中で海に投げ出されて、風邪を引かないはずがなかったのだ。


「千里、心配しているんだろうな」


 気がかりなのは、船に残してしまった千里のことだ。

 感づいているフィオナがいる以上、男装のフォローはしてくれるだろう。

 そう考えると、少しは気が楽になった。


「まずは、回復、しないと……」


 最後にそう零すと、ナーリャは革靴を脱いで瞼を閉じる。

 悲鳴を上げていた身体は、たったそれだけで簡単にナーリャの意識を落とした。


 そうして、ナーリャの眠りが深くなる。

 回復を望む身体は、そう簡単に彼を起こそうとはしない。

 そんなナーリャの眠る部屋を、ノックする影があった。


――コン、コン


 短く二回、続けて音が鳴る。

 返事がないことに気がつかないのか、それとも最初から気にしていないのか。

 鍵を開けて、小柄な影が部屋に入ってきた。


「おにーさんっ!

 ってあれれ?まだ寝てるんだぁ」


 桃色の髪の少女――ナーリャを拾ってきた、羽の生えた少女だ。

 彼女はナーリャが寝ていることに肩を落としながら、彼の眠るベッドにふわりと飛び乗った。


「ふふふ、かわいー寝顔♪」


 ナーリャの胸に、幼い手を乗せる。

 病的なまでの白い手は、きめ細やかで美しい。

 その細い指を、少女は艶やかに動かす。


 胸から鎖骨へ、鎖骨から首へ。

 首から頬へ移動させて、少女はナーリャに馬乗りになる。


「早く良くなって、早く目を覚まして、私と遊んでね。おにーさん」


 少女はそれだけ呟くと、指をナーリャの唇に這わせる。

 そしてその指を自身の唇に持っていき、妖しく舐め上げた。


「んっ……ふふふ」


 ナーリャはまだ、目覚めない。

 少女はナーリャの寝顔にあどけない笑みを向けると、ベッドから降りる。

 そして、軽く指を弾くと、彼女の影がゆらりと蠢き、盛り上がり始めた。


「アイン、看病をお願い」

「畏まりました」


 少女と同じような、コウモリの翼。

 だがその翼は少女のものよりも小さく、そして黒い。


 そんな翼を持つ者が、少女の影から現れる。

 白い髪に、縦に割れた銀の瞳。

 クラシックなメイド服に身を包んだ、二十歳前後の外見を持つ女性だった。


「ふわぁ……わたしも眠くなってきちゃった。

 ツヴァイ、寝床の用意をお願いね」

「はっ」


 再び影が盛り上がり、メイド服の女性が現れる。

 最初の女性と、まったく同じ顔立ち。

 違うのは、ポニーテールに纏められた髪と、縦に割れた青い目くらいだろう。


 少女がメイド連れて、部屋を去る。

 そこには、ナーリャと“アイン”と呼ばれた女性だけが残されるのだった――。











――†――











 エクスの居城があったニーズアルへ同様、船の立ち寄りのみ許された自治国家。

 一年を通して氷雪で覆われた陸地であるここ“ペルファ”も、そんな国の一つだ。


「ここは魔族の住む地。

 狡猾な知恵に優れたものが多いと聞くが、

 まぁ、一般人まで“そう”という訳ではないだろう」


 幾つか存在する、集落。

 その入り口で足を止めて、フィオナは千里に説明をしていた。


「まぁ、用心するに越したことはないが、気を引き締めすぎるのも問題だ」

「うん……わかった、フィオナさんっ」


 二人の時は、いつものように。

 そう頼まれていた千里は、周囲に人がいないか確かめながら、力強く頷いた。


「夕刻ほどまで情報収集。

 その後、ここからまっすぐ南の海岸で集合だ。

 そこでいったん、情報を纏めよう」

「うん、その……ありがとう、フィオナさん」

「言ったろう?彼は私にとっても友達だ。気に負うことはない」


 フィオナは照れくさそうに頬を掻くと、踵を返す。

 そして、背を向けながら手を挙げた。


「それでは、夕刻にまた会おう」

「うんっ!了解っ、フィオナさん!」


 去っていったフィオナに手を振ると、千里も目の前の集落に入る。

 必要ないということなのか、門番のような人影は見えなかった。


 人捜しがしたいのなら、やはり基本は“聞き込み”だろう。

 犯人を捜す刑事ドラマの、敏腕刑事。

 その捜査風景を思い出しながら、千里は周囲を探索していた。


「うわぁ、どこもかしこも……」


 雪で覆われた大地。

 その白銀は、家々をも包んでいる。

 だが注目すべきなのは、そこではなかった。


 道行く人々、その全てが“人”とは違っていた。

 黒い翼と、黒い尻尾。

 縦に割れた眼孔と、人並み外れた整った顔立ち。


 千里は初めて見る“亜人”のみで構成されたコミュニティーに、目を丸くしていた。

 ちなみに千里は、住人と呼べる存在が二人しかいなかったエクスの居城は、カウントしていない。


「気後れしてちゃ、ダメだよね」


 気合いを一つ。

 千里はきびきと歩き出す。

 井戸端に集まる三人の女性は、主婦だろうか。

 それならば、聞くのはここが良い。


「あの、少々お聞きしたいことがあるのですが」


 なるべく違和感の無いように、男性的に振る舞う。

 背筋はぴんと伸ばして、声色はやや低めに。

 変声期前の少年に見えるように、千里は少し前までの弟の姿を思い浮かべた。


「あら?どこの子かしら?」

「やだぁ、可愛らしい子ね、ニンゲンかしら?」

「ふふふ、良いわよ。お姉さん達が“なんでも”教えて、あ・げ・る♪」


 どこの世界、どの場所でも、“主婦”は強かで情報通だ。

 若々しい外見だが、その口調は成熟した女性を思わせる。

 同性である千里ですら“くらり”ときてしまうのだから、異性だったらどうなることか解らないだろう。


 清純な美しさを持つフィオナとは、真逆の美貌。

 艶やかで妖しい美しさを持つ、この国の女性達だった。


「私たちは嵐でこの地に流れ着いたものなのですが……一人、行方が知れないのです」

「あらあら、大変ねぇ」

「そうねぇ、それってどんなコ?」


 口々に話し合う女性の姿は、圧巻だ。

 悲しげに眉をひそめる千里に同情の念を込めた視線を送りながら、噂話を交換する。

 尾ひれ背びれがつくため正確さは期待できないが、煙の立つ場所は聞けるかも知れない。


 その可能性に、千里は真剣な表情で期待を寄せていた。


「はい、黒い髪に黒い瞳。

 それから、黒い鎧におおきな黒い弓を持った男性です」

「全身真っ黒ね」

「目立ちそうだわぁ」

「ここなら逆に目立たないかも」


 全身が黒に覆われている。

 それは、言われて見れば目立つ格好かも知れない。

 けれど、黒い翼や黒い服のヒトが数多く存在するこの地ならば、なるほど逆に目立たないと言うこともあるだろう。


「あ、そうだわ。

 ねぇボウヤ、その男の子……“カッコイイ”?」

「え――はい」


 千里は、思わず頷いてしまう。

 これでは自分がナーリャを“カッコイイ男の子”と意識しているようで、恥ずかしさから火照る頬をさっと隠した。


「あぁ、なるほどねぇ」

「そうよね、可能性、あるわよねぇ」

「え、と……?」


 首を傾げる千里に、女性の一人が微笑む。

 眉を寄せながら浮かべる笑みは、どこか気の毒そうなものだった。


「あそこに、大きな山が見えるでしょう?」

「え……えーと、はい」


 女性が指さした先。

 そこには、一際目立つ山があった。

 なにせ、他の場所は晴天なのに、その山だけ吹雪に覆われているのだ。


「あそこに、ここ“ペルファ”を統治されている“魔王さま”がおられるの」

「魔王、さま」


 吹雪に覆われた、白銀の山。

 その頂上に立つ城には、“魔王”と呼ばれる存在が居た。

 外的からこの大陸を護る以外では、王として振る舞わない存在。


 自治体として住人達が暮らしている中、ただそこの統治者として鎮座するだけの王。

 確かな実力を持ってはいるが、とくに支配する気は無いと言う珍しい存在だった。


「えーと、それって……王様、なんですか?」


 王と名のつく存在にしては、なんとも不可思議なポジション。


「そうねぇ……。

 でもまぁ、私たちをお守りくださっているのだから、とくに思うところはないわよ」

「はぁ……それで、その?」


 千里は曖昧に頷きながら、逸れてしまった話しを修正しようと問う。

 すると女性は、それから脇道に逸れてしまったことを誤魔化すように、甲高く笑った。


「お、おほほほ、ごめんなさいな。

 それでその魔王さまなんだけど……“ツバメ”を飼うのが、好きでらっしゃるのよ」

「ツバメ……って、鳥の?」


 千里が心底不思議そうな顔で首を傾げると、周りの主婦達が頬を赤らめた。

 いたいけな少年に悪いことを教えてしまったような、そんな感覚である。


「そうじゃなくてね、えーと」

「ようは、男の子を恋人にして囲っちゃうっていうこと」

「一方的だから、愛人で言った方が正しいかも」

「愛人も違うんじゃない?やっぱりツバメよ~」


 結局話しがループしている。

 黄色い声を出して興奮したように話す主婦達の、目前。

 そこで千里は――固まっていた。


「え?愛、人……え、へ?」


 千里の瞼の裏には、空想でできた女性とナーリャの姿が浮かんでいた。



 真紅の天蓋、薔薇のベッド、痛々しく巻かれた鎖。

 横たわり弱々しく抵抗するナーリャに近づく、艶やかな女性。

 シルバーブロンドの髪と深紅の瞳の、豊満な身体の女性が妖しく笑う。

 どこか、エクスを女性にしたような女性が、その牙をナーリャの首筋に――。



「ダメ――ーっ!!」

『!?』


 強く目を閉じて千里が叫ぶと、主婦達が目を見開いて驚く。

 千里はそんな彼女たちに気がつくことなく、暴走した思考を振り払うように首を振った。


「だ、大丈夫?」

「え、あっはい!

 あの、情報ありがとうございましたっ!」

「え?えぇ、いいのよ?」


 走り去る千里に、主婦達は顔を見合わせる。

 そして、誰からともなく、大きくため息をついた。


「いいわね、叶わぬことのない禁断の愛」

「そうね、ステキだわ」

「可愛い男の子と格好良い青年の恋」

『はぁ~……』


 壁の多い恋にときめかない女性など、存在しない。

 そう示すように、主婦達は盛り上がる。


 その後しばらく、悪魔達の井戸端会議は、黄色い声で包まれていた。











――†――











 情報を得て、走り去った後。

 千里は一人、集合場所の海岸で蹲っていた。


「ナーリャが、その女性と……?」


 確定した訳ではない。

 だが、それらしき男性の目撃情報はなく、怪しい噂話なら存在している。

 それが事実で、それが現在起こっている事ならば。


「私、は」


 その女性のことを、ナーリャが好きになってしまったら。

 そうすれば、“ただの友達”である自分は、側にいることができないだろう。

 ナーリャに恋人ができてしまったら、厚かましく一緒に居ることなんかできないだろう。


 体操座りになり、膝の裏に顔を埋める。

 潮の香りとさざ波の音が、千里の心に静かに響いていた。


「そうしたら、私は……」


 一人は不安だ。

 それでも、いつかは一人になる。

 そんなことは解っているのに、千里の心は揺れ動いていた。


 大きな手。

 無骨で見た目よりも鍛えられていて、力強い。

 広い背中。

 自分の為に立ちふさがってくれたこともある、頼もしい背。

 優しい、笑顔。

 悲しくなった時に、いつも側にあった笑顔。


「ナーリャと、離ればなれになる?」


 別れはくる。

 どんな人とも何時かは別れ、それが永遠ではないのなら、一人にはならない。

 それでもきっと心の何処かで繋がっていられると、千里はそう思っていた。


 だから、悲しい別れの後でも、笑顔で前を向ける。

 家族に会えない重圧に耐えられてきたのも、千里のこの“芯の強さ”があったからだ。


 けれど、何故かそれが働かない。

 締め付けられるように痛む胸が、千里を縛る。

 両手で肩を抱き、唇を噛みしめ、強く瞼を閉じて震えを隠す。


「ナーリャ……私、は」


 脳裏に浮かぶのは、ナーリャの笑顔。

 時に激情を浮かべることもある、端整な顔立ち。

 ナーリャのその優しい笑顔が、瞼の裏で千里に、語りかける。



――僕で良ければ、その……喜んで。

――ずっと“それ”を、貫いて。

――僕の前に現れてくれて、ありがとう、千里。

――無事で良かった……本当に、良かった。


――これからもよろしく……千里。



「ぁ」


 満天の星、明るい夜空、月明かりの下。

 すぐ側に在った、優しい笑顔。

 暖かい感情を――くれたひと。


「わた、し、は」


 顔に手を当てると、目元から熱を持った雫が流れ落ちていることに気がついた。

 拭っても拭っても、止まることのない――涙。


「わたしは、私は」


 強く強く、下唇を噛みしめて、手を握る。


「私は、ナーリャのことが――」


 これまでの関係が崩れてしまう、恐怖心。

 不安と恐れがない交ぜになり、躍動する。

 それでも、高鳴り始めた感情は……止らない。


 これ以上、言葉を紡いではならない。

 そう思っているのに、溢れた熱は、激しく動き出した。


「――好き」


 言葉にしてしまった途端、想いが溢れる。

 荒れ狂う感情の波を支配する事なんて出来るはずもなく、千里はただ涙を流す。


「ナーリャ……ナーリャ、ナーリャっ!!!!」


 どんなに名前を呼んでも、自分を包むあの暖かい笑顔は来ない。


「あ、ぁあぁぁ……あぁぁぁぁっっっ!!!」


 声を上げて、泣き叫ぶ。

 せめてフィオナがやってくる前に、全て吐き出してしまおうと。


 初めて降り立つ大陸。

 白雪に包まれた海岸に、拙い叫びが、何時までも響いていた――。

次話から、七章のお話が動き始めます。

七章は、恋愛を中心よりにしたお話に構成したいと思います。


ご意見ご感想のほど、よろしくお願いします。


ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

次話もどうぞ、よろしくお願いします。

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