七章 第二話 嵐上の航海
旅立ちの日。
空は常に、旅人達を笑顔で送り出してくれるとは限らない。
栄誉在るその出立の日の空は、生憎の曇り空だった。
騎士達が並ぶ中、その中央を優勝者が歩く。
緑の鎧を身に纏い、砕けた鞘の代用に白銀の鞘に剣を収めたフィオナが右を。
左隣には、右頬に一筋の傷を持つ漆黒の少年、ナーリャが並んで歩く。
むずがゆさすら感じる送迎の中、フィオナはしきりに首を傾げていた。
ナーリャの散歩後ろに付き従う、人影。
栗色の“短い”髪と栗色の瞳。
黒を基調とした“ズボン”タイプの鎧服に、腰に提げた白い剣。
「どこかで、見たことがあるような?」
フィオナがそう呟くと、隣のナーリャが小さく肩を揺らす。
幸いなことに後ろに注意を向けていたフィオナはナーリャのそんな様子に気がつかなかったが、代わりに“小柄な少年”が、ナーリャを恨めしげに見ていた。
「いや、まさか。……うーむ?」
フィオナの声。
その疑問が答えに到達する前に、一同は船に乗り込むのだった。
E×I
ノーズファンへ向かうための船は、豪華な客船だった。
大量の火石で動力部分を動かし、魔法使いの補助を以て航海をする巨大な船。
建設費だけで城が建つ、かなり上等なものである。
風を受けるための帆も巨大で安定感があり、全体を見るとその美しさが解る整ったフォルムをした船だった。
当然、乗組員の中でも“主役”と呼べるナーリャ達闘技大会優勝者にあてがわれた部屋も、相応に豪華なものだ。
質素ながら匠の技を感じさせる、木製の家具。
寝室はまた別に用意されていて、その一部屋だけでナーリャとセアックが暮らしていた森の小屋に匹敵する広さだ。
その部屋で、ナーリャと従者の少年が、大きく安堵の息を吐く。
「はぁ、何とかなってみたいだね。ちさ――」
「陸人。今はそう呼んでってば」
「あはは、そうだったね。陸人」
人の目を気にする余り、小柄な少年――千里はそう小声で訂正を求める。
どこで誰が聞いているか解らないのだから、仕方がない。
「でも、気がつかれなくて良かったよ」
「私も、自分でも思っていたより“男の子”になれてびっくりだよ」
一人称は、改めない。
従者ならば一人称が“私”でも不自然ではないからだ。
むしろ、使えるものとしての礼儀を考えたら当然だろう。
もっとも、それが異界の住人達に“どう”変換されているかは、千里のあずかり知らぬ所なのだが。
「それにしても……」
千里はそう言うと、姿見の前に立ってくるりと回る。
髪は、元と同じ栗色のカツラ。
来ていた改造制服のスカートをズボンにして、重厚な鎧を取り去っただけ。
それだけでスーツのように見えるのは、ブレザータイプの恩恵だろう。
だがそれよりも千里が気になるのは、その容姿だった。
「似てるんだよなぁ……“陸人”に」
もう少し髪の色を濃くして背を伸ばせば、うり二つだ。
千里はそう呟いて、肩を落とす。
実の“弟”という男性に似ているというのは、なんとも微妙な気分だった。
もっともこれは、千里が少年のような顔立ちなのではなく、どちらかというと彼女の弟の陸人が女顔ということなのだが。
「あとは、このまま如何に見破られずに過ごすか……だね」
ナーリャが真剣な顔で呟くと、千里は苦々しい表情で頷いた。
他の人なら何とかしてみせる、と言うだけでも言えるのだが、この船にはフィオナが居る。
果たして彼女のような聡い女性を欺き続けることができるのか。
千里はそれがどうにも不安で、胃の痛い話しだった。
「はぁ、大丈夫かなぁ」
「フィオナ、か」
千里の心配。
その原因に思い至り、ナーリャは真剣な表情を苦笑に変える。
「いっそ、自分から説明しておいた方が良いかもしれないね」
「うーん……考えてみる」
千里は呻り声を上げると、ゆるゆると頷いた。
海のど真ん中で放り出されてしまったらたまらない。
だからこそ、あまり迂闊なことはしたくないのだ。
「それで、陸人――従者は、どうしていればいいって言われたの?」
「んと……従者は、主が必要としていない間は従者用の部屋にいるんだって」
千里は、従者として受けた説明を思い出しながら語る。
従者は主の指示を聞き、それを終えたら従者用の部屋で待機する。
主が必要とする時は、特殊な音響魔法がかかったベルを鳴らすと、それが従者の部屋に伝わるようになっているのだ。
「それならまぁ、もうしばらくはゆっくりしていようか?」
「うん、そうだね。ヘタに動き回るのも怖いし」
この“怖い”は、偶発的なハプニングを示している。
つまり、うっかりばれたら目も当てられないので、大人しくしていようと言うことだ。
「部屋から出る必要があるのは……ご飯とか?」
「部屋で食べるっていうのができれば良いんだけど
……儀礼的に集まって食べるみたいだね」
ナーリャの言葉に、千里は眉を寄せて額を指で揉む。
テーブルマナーは、ララから学んでいたが、たった一日しか練習できなかった付け焼き刃。心配は山ほど残っているのだ。
「まぁ、この客船で移動すれば、
ノーズファンへ行くのにたった三日で良いみたいだからね。
夕食時には到着するらしいから、食事と言っても七回だけだよ」
今日の昼と夜。
翌日の三食翌々日の朝昼の食事で七食だ。
朝はさほどマナーが必要なメニューではないということを考えれば、大変なのは五食だけだ。それさえ乗り切れば、ノーズファンでまた違った振る舞いが可能となる。
「やること、いっぱいだね」
「あはは、まぁ、ね」
気負いを隠すように笑う千里に会わせて、ナーリャも小さく笑う。
彼女の肩の力を抜いてあげることが、現段階に於いて一番必要なことだと、ナーリャは判断していたのだ。
「はぁ……やっぱり、外にでようかな」
千里は、そう呟くとドアに向かって一歩踏み出した。
じっと部屋に閉じこもって、怯えて時間が過ぎるのを待つ。
それはどこか、“違う”気がしたのだ。
「うん……そうだね。
その方が、千里らしいかな」
最後の呟きは、千里の耳には届かない。
それでもナーリャのそのどこか嬉しそうな気配は、仄かにだが千里に伝わっていた。
――†――
高速で、それでいて静かに航海を進める船。
その甲板の上で、千里とナーリャは風に当たっていた。
男装のためのカツラはしっかり止めてあるため、多少風が強くても飛びはしないのだ。
「気分転換にって思ったけど、あんまり天気は良くないねー」
「そうだね。生憎の曇り空……嵐に変わらなければいいけれど」
自然の中で生きてきたナーリャは、ある程度ならば天気は読める。
けれど、どんよりとした曇り空だというのに、そこからどう天候が動くのか、まったく判断できずにいた。こんなことは、余りない。
「この船の高さじゃ魚も見えないし……。
海の醍醐味みたいなのは、天気が回復するまで拝めそうにないね」
ナーリャはどこか残念そうに、そう言った。
船を並走するフリックの群れや、音に合わせて唄う渡り鳥のラムルゥ。
レビアルスやレビクルスの狩猟風景など、海に見えるものは沢山ある。
それも、この静かすぎる曇り空の下では、味わえそうになかった。
「うん?そこにいるのは、ナーリャか?」
甲板に立ち海を眺める二人は、背後から聞こえてきた声に固まった。
凛とした綺麗な声。透きとおるような、音色。
こんな声の持ち主など、一人しか思い至らない。
「フィ、フィオナ……」
「あぁ、やはりそうか。
そちらの“少年”は……」
千里を見て訝しげに首を傾げるフィオナ。
その様子に、千里は努めて低めの声を出す。
ここを乗り切ってしまえば、もう少し気を抜くことができるだろう。
「初めまして、フィオナ=フェイルラート様。
私はナーリャ=ロウアンス様にお仕えする従者で、陸人と申します」
「従者?ナーリャ、君は従者など雇っていたのか?」
見るからに貴族といった出で立ちではないナーリャの姿。
それを鑑みて、フィオナは頭上にクエスチョンマークを浮かべながら首を捻る。
そも、従者が必要な狩人など聞いたことがない。
「あ、あぁ、まぁね。
といっても、僕の元で戦いを学びたいと彼が志願をしてね。
このまま帝国を去ると次はいつ会えるか解らないから、期間限定で、ね」
「ふむ……そうだったのか」
二人が事前に考えていた、二人の“設定”をフィオナに話す。
すると、フィオナは訝しげな表情を浮かべながら頷いた。
「しかし、どこかで見たことがあるような?」
「そ、そうでしょうか?」
フィオナに覗き込まれそうになり、千里は一歩身を引いた。
これ以上下がると海に落ちてしまうため、ここが限界。
だからこそ、これ以上近づかれるのはまずかった。
「そういえばナーリャ」
「な、なに?」
だが、フィオナはあっさりと下がる。
そのことに不思議に思いながらも、千里は安堵の息を吐いた。
当然、気がつかれないようにこっそりと。
「あれからチサトを見ないのだが、彼女はどうしたんだ?」
「最終的に王国に戻るつもりだったから、彼女は先に南へ行ったんだ」
「ほう?そうか、別れの挨拶くらいはしたかったのだが、な」
どこか寂しさを垣間見せて笑うフィオナの表情に、千里の胸がズキリと痛む。
互いに全力で戦って、そうして意志を伝え合った。
その真摯な気持ちに翳りがないからこそ、千里はもう一度フィオナと友好を築きたいと思っていた。
けれど、こうしている間は、それは叶わない。
その落胆を、千里は表情に出さないように、小さく唇を噛んで耐えた。
「ところで、リクト……だったか?」
「はい。なんでしょうか?」
フィオナは一つ頷くと、じっとリクトの目を見た。
横のナーリャは、その様子に息を呑んで、そっと胃を抑える。
「貴君は、チサトの血縁者……か?」
「っい、いえ。私は遠目でしか拝見したことがないのですが……。
私とその少女は、容姿が似通っているのでしょうか?」
本人だから、似ているもなにもない。
そう言いたい気持ちを、千里はぐっと呑み込んで答えた。
「あぁ、いや、そうか。
それはすまなかった。許せ」
「いえ」
漸く問答が終わり、フィオナは二人に背を向ける。
そして、甲板を出ながら後ろ向きで手を振った。
「私はそろそろ降りることにするよ。
もうすぐ昼食だそうだから、遅れんようにな。チサト」
「うん、ありが――――」
背を向けながら、吹き出す声。
フィオナはそのまま特にツッコミを入れることなく、愉しそうに去っていく。
その後ろで、千里は両膝を突いて項垂れた。
「わ、私の努力は、いったい」
「ち、千里……ごめん、なにもできなかった」
「ナーリャは悪くないよ。
悪いのは、気を抜いた私なんだから。
……あ、あはははは」
気落ちした千里の背中を、ナーリャがさする。
ある意味和解といえる状況になれたのは良かったのかも知れないが、千里はとりあえず項垂れ続けるのだった。
――†――
昼食、夕食と終えて、その夜。
従者用にあてがわれた部屋で、千里は大きく息を吐く。
「漸く、一日が終わりかぁ」
現段階で、だいたい三分の一ほどの行程を終えた。
あと二日ほどかけて、ノーズファンへ行く日程となる。
千里は案外と長い一日を憂鬱に感じながら、茶髪のカツラに手を掛けた。
「いったん外しておこうかなぁ。
いや……でも、その前に」
ベッドで横にしていた身体を起こすと、カツラから手を退かす。
そして、ゆったりと立ち上がって、姿見の前まで歩いて行った。
「陸人……どうしてるかな?」
鏡に映る、弟の姿。
目の前の姿がまがい物であると解っていても、家族の姿を目に映すと心が痛んだ。
「待っててね、陸人。
お姉ちゃん、絶対に帰るから……ね」
語りかけたところで、答えが返ってくる訳ではない。
それでも言わずにはいられなくて、千里は姿見に両手を合わせた。
そうすることで、故郷と繋がっているような……そんな、気がしたのだ。
「みんな――っ?!」
――ドンッ!
轟音と、激しい揺れ。
千里は崩れそうになる体勢をどうにか抑えて、鋭く周囲を見回した。
――チリンッ
「ナーリャ……まずは、行ってみないと」
ベルが鳴り、それによって呼ばれていることに気がつく。
千里は絶えず揺れる船内で転ばないよう壁に手を付ながら、立てかけてあった剣を手に取り廊下に出た。
「うぁっ……いったい、なにが?」
揺れに不快感を感じながら、走る。
といっても余り早くは走れないため、その足取りは鈍重だ。
それでもどうにか走っていると、漸く人影が見え始めた。
慌ただしく動き回る乗組員。
とても捕まえて話が聞ける状況では、無さそうだった。
「陸人!」
「っ……ナーリャ、様!」
呼び捨てにしそうだったのを慌てて直すと、千里はナーリャに駆け寄った。
まずは状況を聞かないと、どうにもならない。
「いったい、何が起こったの……ですか?」
「嵐だ。それも、事前兆候がほとんど無い、突発的な」
「突発的な……嵐」
千里が繰り返すと、ナーリャはそれに強く頷く。
その切羽詰まった表情が、状況の異常さを表していた。
「とにかく、このままではメインマストが危ない。
今協力して帆を畳んでいるから、僕たちも行って手伝おう!」
「あ、はい!」
ナーリャの後ろについて、船内を駆け巡る。
流石にバランス感覚が良いのか、真っ直ぐ走っていても、ナーリャの体勢は崩れない。
そうして階段を駆け上がり甲板に出ると、すでにフィオナがロープを引いて手伝っていた。
「来たか!リクトはこっちを、ナーリャは向こう側を頼む!」
大粒の雨と、ともすれば身体が浮き上がってしまいそうな突風。
荒れた海は巨大な波を生み出し、船体を大きく上下させていた。
――ドンッ
「きゃっ」
空が光り、船の近くに雷が落ちる。
千里が最初に聞いた轟音は、この稲妻によるものだったのだ。
「早く!」
「はい、今行きます!」
「僕も、向こうを手伝ってくる!」
冷たい雨と風、高波による水飛沫。
それらをかいくぐって、千里はフィオナの後ろにつく。
そして、閃光と豪雨に紛れて解らないように、薄く光の粒子を纏った。
「せーのっ」
「はぁっ!!」
帆を引き、バランスを整える。
一秒が一時間にも感じる、緊迫した状況。
その中で、千里は一心不乱に帆を引いた。
――ドンッ
「うわぁッ?!」
千里達の反対側。
そこで、六本のロープの内一本が、掴んだ人間ごと持ち上がる。
浮き上がって投げ出されたら、まず助からないだろう。
「まずい!」
「ナーリャ?!」
それを、ナーリャが助けに走る。
投げ出された人の腕を掴み、決死の力で甲板の方へ放り投げる。
その瞬間、海に一際大きな閃光が走った。
――ズドォンッ!!
「うわぁぁぁっっっ?!」
悲鳴、閃光、突風、轟音。
海に投げ出されていくナーリャに手を伸ばそうとした瞬間、千里達の真上で空が瞬く。
「邪魔、しないで!」
腰に提げた剣を、落ちてくる稲妻に向けて振る。
人の限界を優に超えた超反応で放たれた一撃は、その稲妻を正確に捉えた。
だが、千里には一つの“誤算”があった。
「え――きゃあっ?!」
――ド……バンッ!!
「リクト!?」
代用の剣では、千里の一撃を受け止めきれなかったのだ。
一瞬にして砕け散った剣は、千里の手元で爆発する。
咄嗟に光の粒子を濃くするも、衝撃と閃光を防ぐには、一瞬遅かった。
「ナー、リャ……」
その衝撃で、千里の意識が混濁する。
そして為す術もなく――静かに、意識を落とした。
――†――
嵐に巻き込まれた、千里達の船。
その遙か遠方の海に、一隻の船が浮かんでいた。
巨大な船体と帆を持つ船。
だがその全容を見るとぼろぼろで、とても“豪華”なものとは言いづらい。
一言で表現するのなら――“幽霊船”という言葉がよく似合う。
そんな、今にも沈没してしまいそうな船だった。
「ええい、見えん!」
その上で、一人の男が不機嫌そうな声を出す。
白銀の短い髪と、血のように深紅の瞳。
すらりと長い足に、よく似合った燕尾服。
ぼろぼろの船には似つかわしくない、絶世の美青年がそこに佇んでいた。
「【雷雲/嵐海!】」
一言言葉を発するごとに、遙か遠くで轟音が鳴る。
だが求めた結果が現れないのか、苛立たしげに舌を打っていた。
「ええい、“当たり”はまだか!」
男の言う“当たり”だった場合、“光の柱”という目印が現れる。
それを待っているのだが、一向に出てくる気配がなかった。
「あの、主……?」
そんな男に、傍らに控えた黒毛の猫妖精が声をかける。
執事服に身を包んだ、愛くるしい二足歩行の猫だ。
「なんだ、今私は忙しい!」
そんな彼に、男は声を上げる。
それでも彼には、言わなければならないことがあった。
「仮に“当たり”でしたら、
沈没して海の藻屑になってしまう可能性があるように感じるのですが……」
「あ……」
男は、その言葉に身体を固まらせる。
そして、指を弾いて稲妻を消した。
一度喚び出した嵐はそう簡単には消えないが、これでそうそう沈没することはないだろう。
「よし――――次の海へ行くぞ!」
「………………はいですニャ!!」
猫妖精は主に倣って華麗に流すと、その後ろについて歩く。
そのやりとりにツッコミを入れることが出来る者は……残念ながら、いなかった。
第二話から、本格的に七章に入ります。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。