六章 第八話 波乱の闘技大会⑦ 旭日の決戦 後編
闘技場に於いて、一番高い場所には皇帝が座っている。
そのため、司会者達の席はそこよりもやや下に位置する。
音響や投写の魔法がかかった、白い席。
その持ち前の場所に、レイニは笑顔で腰掛けた。
女性部門の最終戦――その一幕を実況することができる喜びに。
「ふふふのふー」
笑い方も、突飛だった。
そんなレイニの隣に座る金髪眼鏡の青年は、彼女のサポートだ。
レイニの笑い方やテンションに思うところがあるのか、嫌そうに眉をしかめている。
「師匠、もう少し落ち着けませんか?」
「魔法使いならこの程度の態度は当然のことだよ~。
君はまだまだ甘いねぇ、クランカルルくん」
「……はぁ」
クランカルルと呼ばれた青年は、やや大げさに肩を落としてみせる。
レイニのサポートと言っても、実際は師匠の仕事を手伝う小間使い。
適当にあしらわれてしまうのも、仕方のないことだった。
「さてさてさて、いよいよ決勝戦だよっっっ」
「愉しそうですね……。
確か、伝説級のエルフと無名の少女、でしたっけ?」
あまり闘技大会に興味がないのか、首を捻りながらクランカルルが言う。
それに、レイニは舌なめずりをしながら大きく頷いた。
「そうっ!
君も魔法使いの端くれなら、フィオナ=フェイルラートの魔法に刮目なさいな」
「伝説級のエルフですもんね。よく、見ておきます」
「相手の娘の魔法は……まぁ、参考にはならないかも」
「え?」
小さく紡がれた、レイニの言葉。
それにクランカルルは聞き返すが、妖しい笑みに誤魔化されてしまった。
そうして不服そうなクランカルルをよそに、レイニは時間を見て司会の準備に入る。
『あーあー、実験実験……よしっ』
マイクのテストを繰り返すように、闘技場に声を響かせる。
その魔力の伝わり方を、クランカルルは真剣な表情で見始めた。
そこに、先ほどまでの“不満”はもう、残っていない。
『紡がれてきた歴史の中、朽ちることなく輝き続けた戦士達の軌跡。
今日この日もまた、過去を司りしエルリスに加護された歴史に、一筋の軌跡を残す』
今までのテンションを鎮め、静かに響き渡る声。
張り上げていた声を落ち着かせただけで、彼女の声はどこまでも静かなものになっていた。
『東門からは、生ける伝説。
エルフ達の故郷ルトルイムより参戦されし、高貴なる“炎燐の戦乙女”』
東門から、一人の女性が現れる。
金の髪を後ろに流した、澄んだ碧眼。
緑を基礎にした軽鎧と、背負った真紅の長剣。
『業炎苛烈、焔閃烈火。
“フィオナ=フェイルラート”!!!!』
歓声に包まれながら、フィオナが小さく笑みを作る。
高揚した気分を抑えきれず溢れ出た、笑みだ。
『西門からは、無名の新星。
王国より黒を従え顕われし、荘厳なる“光と闇の戦姫”』
西門からは、千里が出る。
栗色の髪と栗色の目。
黒と白のモノクロカラーを基調とした、重厚な鎧と大剣。
『輝黒闇煌、淵光白影。
“チサト=タカミネ”!!!!』
再び、会場が沸き立つ。
その中で千里は、静かに瞑目して……そして、目を開いてフィオナを見た。
迷いのない、まっすぐな瞳だ。
『女性部門決勝戦の選手が、ここに出そろいました。
さぁ、これにて――最終戦の幕開けだァァァァァッッッッ!!!!』
声、声、声。
波打つ声により、響き渡る旋律。
ここに、運命の一幕が――開く。
E×I
旭日蒼天。
雲一つ無い空から降り注ぐ陽光が、二人を焦がす。
「ふふ、まさかあの港街での出会いが、こんな再会を演出するとは……な」
フィオナは愉しそうにそう言うと、背負った長剣に手をかける。
それを見て、千里もアギトを抜いて構えた。
「私もびっくりしたよ。フィオナさん」
油断無くフィオナを見つめながら、千里はアギトに光の粒子を纏わせる。
ぼんやりとした光は徐々に強くなり、やがてアギト全体を覆い隠した。
フィオナの初手を読もうにも、彼女は未だその剣を抜き放とうとしていない。
フィオナはこれまでの全ての仕合で、最後までその剣真を観客に晒すことはなかった。
鍔鳴りの音のみを会場に響き渡らせ、遅れて来た紅練の炎により勝鬨を上げる。
そうして勝ってきたため、フィオナの仕合を見て得られる情報は、無かったのだ。
「来ないなら、私から行くぞ?」
「ううん、私から……行かせて貰うよ!」
腰を落としたフィオナに、千里は警戒心を抱く。
先手をとられてペースを握られることの危険性は、一回戦で味わっていたのだ。
「【行け!】」
力を乗せた、かけ声。
それとともにアギトを振ると、光の剣がフィオナに飛来した。
衝撃波と光の粒子を合体させた、千里の得意技である。
「【閃光紅蓮】」
――チンッ
鍔鳴りの音が、静かに響く。
すると、フィオナに飛来した光の剣が、空中で二つに割れて彼女の背後へ流れた。
だが、これで終わらせるつもりはないと、千里は意識を集中させる。
「【戻れ】」
たった一言、紡ぐ。
すると、フィオナの背後に流れたはずの光の剣が、二つともその軌道を転身させた。
「ほう……面白い技だ」
フィオナはその一撃に焦ることなく、対応してみせる。
振り向こうとすらしないのは、彼女の余裕の表れだった。
「【閃光紅蓮】」
――チンッ
再び紡がれた、詠唱。
鞘鳴りの音は一度きりだったはずなのに、二つの刃は同時にかき消されていた。
「簡単には、行かせて貰えないかな」
そう呟きながらも、千里は警戒を解かずに佇む。
光の粒子による斬撃は強力で、それ故に初手から動じることなく捌かれたのは衝撃的だった。フィオナのその悠然とした姿勢に僅かな焦燥を覚えながら、千里は頬から伝った汗が流れ落ちるのを感じていた。
「では、次はこちらの番だな」
フィオナはそう宣言すると、背負った長剣を腰に移動させる。
千里はその構えに、故郷の時代劇で見た“居合抜き”を連想していた。
「【炎迅】」
――ドンッ
フィオナの両足の裏と、背中。
その三カ所から吹き出た炎が、彼女の身体を加速させる。
爆発による神速行動という、フィオナが得意とする魔法だった。
「光よ……」
それに対して、千里は自分の身体に粒子を収束させて纏わせた。
身体能力の強化に伴う、認識能力の上昇。
それにより、誰も捉えることができなかったフィオナの剣を、その目で捉える。
「【閃光――」
「はぁっ!」
「――ぐれ……ッ」
正確に薙がれた、大剣による一撃。
それは、視力を強化してなお霞んでいたフィオナの剣を、強く弾いた。
――ガキンッ
一撃に威力ならば、千里はフィオナを遙かに凌ぐ。
その衝撃に押し戻されて、フィオナは数十メートルほど後退した。
「ほう、中々」
そう呟くフィオナの手には、抜き放たれた長剣が握られていた。
初めて観衆の目に晒された、彼女の愛剣。
真紅の鞘に収められていたその剣真は、鞘同様真紅で彩られている。
銀の刃に炎を象った真紅の紋様……それが、フィオナの剣の姿だったのだ。
「綺麗……って、感心してる場合じゃないよね」
その美しさに、息を呑む。
しかし、千里はすぐにそれを振り払ってアギトを構え直した。
今度は、大上段。頭上に剣を掲げた、縦一直線の構えだ。
「【光よ、天を割れ!】」
イメージするのは、ララの轟鎚。
縦一直線に闘技場を割ったその一撃を、千里は光によって再現する。
「模倣では……私には届かんぞ!」
フィオナは前に強く踏み込むと、そのまま半身になって斬撃を躱す。
そして、もう一歩踏み込みながら剣を鞘に収めると、抜き放ちながら左から右へ薙いだ。
「【天空紅蓮】」
爆発による剣撃の超加速。
神速の抜刀術から放たれた紅蓮の炎が、斬撃となって飛来する。
「壁よ……あぅっ!」
――バキンッ
千里は咄嗟に光の壁を展開させるが、その強力な一撃により割られてしまう。
そうして仰け反った千里に、フィオナは肉薄する。
炎迅による、神速の踏み込みだった。
「【閃光紅蓮】」
「まず……っ?!」
――ガンッ
咄嗟にアギトを盾にして、抜刀による一撃を防ぐ。
だがどんなに力があろうと、魔法で加速された技を伴う力を前によろけてしまう。
「どうした」
――縦、一閃。
「それで」
――薙ぎ、続いて二連。
「終わりか!」
――納刀、抜刀一撃!
連続攻撃を前に、千里は防ぐ以外の手段を持てなかった。
防ぎきれなかった斬撃は千里の腕や足を掠め、鎧を裂いて防御を削っていく。
そしてその連撃は、ついに……。
「せぁっ!」
――ザシュッ!
「うぁっ?!」
鮮血が、白い砂を染める。
千里の左腕から流れ落ちる、赤。
その強烈な熱と、次いで襲ってきた痛みに、千里は目を見開いた。
「ひか、り、よっ!」
咄嗟に出したのは、目くらましのような閃光だった。
それに乗じて、千里は大きく後方へ跳ぶ。
「いた、い」
我慢しても、痛みで一筋涙がこぼれる。
それを拭おうともせず、千里はただ震えを隠していた。
ここにきて、千里は漸く気がついたのだ。
「あの刃は――私を“殺せる”んだ」
銃刀法違反によって、短剣すら見ることの無かった生活。
包丁や鋏で人を傷つけるという発想が生まれたことがなかった千里は、目の前の“刃物”に確かな恐怖を覚えていた。
「どう、しよう」
何度も乗り越えてきたこと。
そのはずなのに、一度考え出してしまったら止まらなかった。
実際に身体を傷つけられたのだって初めてではないが、こうも追い詰められたことはなかった。
それが、冷え始めた千里の心の怯えに、拍車を掛けていた。
そんな自分を警戒してフィオナは距離を取っている。
けれど、気がつかれたらそこで終わりだ。
なにか乗り越えられるものは無いかと、千里は縋るように顔を上げる。
「ぁ」
――その視線の、先。
身を乗り出して心配しながらも、千里のことを信じて疑わない漆黒の双眸。
「約束、したんだ」
剣を構える。
天に突き刺すように、アギトを掲げる。
「一緒に優勝して、ノーズファンへ行くって」
その身体から、その剣から、金色のオーラが吹き上がる。
溢れた水が行き場を無くして吹き出るように、強く。
「約束、したんだぁぁぁぁぁっっっ!!!!」
「なにっ?!」
光の柱が、上がる。
海の魔物と対峙した時のような、金の柱。
それは観客全てに見えていた訳ではない。
千里と関わり在るナーリャやララ、ライアン達。
そして、フィオナたちのみがその光を視ていた。
「“光より顕れる者|≪イル=リウラス≫”!!」
千里の双眸が、黄金に染まる。
周囲に漂う情報を強制的に蒐集し、そしてそれを自分に適用していく。
「【走れ、閃光!】」
剣を振るったその軌道上に、光の柱が立つ。
一つ二つではなく、無数の柱がフィオナに集中し始めた。
「これしきの……【重輝・閃光、紅蓮!】」
連続抜刀による、連撃。
フィオナの周囲を真紅に染めるほどの斬撃の嵐は、千里の攻撃を確実に防ぐ。
だが、千里はそれだけでは、終わらない。
「【集え、極光!】」
光の柱が上がった先。
空中に漂う光の粒子が槍の形に変わると、その全てがフィオナに殺到する。
全方向からの集中攻撃に、フィオナは小さく舌を打った。
「ちぃっ……【重輝・天空紅蓮!】」
衝撃波となった閃光紅蓮による、連撃。
それを用いて自分よりも離れた位置から槍を迎撃すると、フィオナは再び炎迅を用いて千里に接近する。遠距離にいたままでは、あまりに不利だ。
「避けられるか?――【炎天陽炎】」
強力な炎によって、剣真が霞む。
文字どおり陽炎を纏わせた不可視の斬撃が、千里に襲いかかる。
――ザンッ
その一撃を避けきることができずに、千里の右太腿から鮮血が舞う。
だがそれでも、千里は怯むことなく剣を振るう。
つい先ほどまでと比べて、明らかに纏う“空気”が変わっていた。
「【断て、光輝!】」
どこまでも鋭い、ただそれだけの斬撃。
だがその一撃には、避けるという次元を超えた速度があった。
「くぅ……あっ?!」
――ドンッ
咄嗟に鞘でガードをするも、衝撃に身体が浮き上がる。
鞘には大きく罅が入り、同時に欠けた破片がフィオナの左腕を傷つけた。
「っ……あぁぁっ!!」
自分の攻撃で、他者が血を流す。
それに伴って生じた躊躇いを、千里は意志の力で跳ね返す。
それは、戦闘に伴う一種のトランス状態だったのだろう。
千里の心に反映された光が、より輝きを増した。
「【穿て、閃駆!】」
光を纏った、突き。
その一撃が、よろけたフィオナの心臓めがけて放たれる。
光の粒子の効果で殺傷能力は無いと解っているからこそ、その一撃に躊躇いはない。
「嘗めるな!」
だが、フィオナは甘んじて受け入れるほど脆くはない。
長剣を背中側に回すことにより重心を移動させて、半身になって突きを避ける。
そして、更に長剣を回転させて勢いをつけて、極限状態に於いていっそ流麗と言わしめるほど鋭いカウンターを、千里に放った。
「揺らげ――【蜃気幻楼】」
剣真に炎を纏わせて、蜃気楼を生み出す。
それは幻に変化して、千里の目に複数の斬撃が襲いかかるように見せた。
完璧なタイミングによるカウンターと、視覚を惑わす斬撃。
二つの要素に、千里は刃を受け入れる以外の術を持たなかった。
「【遮れ、斜光】」
――ガインッ
だから千里は、受け入れる。
身体に纏わせた光で鎧を作り、弾くという手段を用いて。
「はぁぁっ!!」
「ぐぅぁぁぁっ!?」
弾かれたことにより、フィオナは今度こそ仰け反る。
その隙を突くように、千里は右袈裟にフィオナを斬り裂いた。
咄嗟に炎で鎧を作るも、詠唱すらしていない魔法は大した防御力を持たず、フィオナは大きく弾かれた。
「あぅっ」
そして、闘技場に背中から落下する。
その様子を油断無く見ながら、千里はアギトを構え直した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ」
息が乱れ、肩を大きく上下させる。
気温だけでは説明できないほどの、異常な汗。
喉が渇き腕が重くなる感覚に、千里は目眩を覚える。
極限状態での能力行使。
限界を超えて放たれ続けた、強大な力。
そのガタが、千里を確実に追い詰めていたのだ。
「まだ、倒れる訳には、行かないんだ」
立ち上がらないことを祈ることは、できない。
すでに片膝を突いてしまっているフィオナに、そんな“期待”はできなかった。
「強いな」
砕け散る間際の、鞘。
そこへ、フィオナは剣を収める。
納刀による抜刀術の構えだった。
「わたし、は……。
私は、約束を守るために。
そして、故郷へ帰るために、勝たないとならないんだ!」
自身を奮い立たせるために、千里はそう叫んでアギトを構える。
既に瞳は栗色に戻り、黄金の輝きは消え失せていた。
それでも千里は、最後の力をアギトに集中させる。
とっくに限界を迎えた身体は、鈍く悲鳴を上げている。
それでも、この剣を降ろす訳にはいかなかった。
この意志を――折る訳には、いかなかった。
「それが、チサトの願いか。
ならば……私も、己の願いを口にしよう」
互いにこれが、最後の一撃。
それが解っているからこそ、フィオナも千里の想いに応える。
「我が故郷ルトルイムに住まう兄を助けるため。
兄と友に、故郷の地を救うため。
私はノーズファンにて神託を受け、その術を得る」
初めて口にした、フィオナの目的。
数十年ぶりに大会に出場した彼女の、本当の理由。
それを語る彼女の双眸は、決意の光で爛々と輝いていた。
互いが互いの故郷のために……負けられない戦い。
「【光よ、来る日を切り拓け!!】」
「【天迅・紅蓮陽炎!!】」
二つの光が、衝突する。
黄金と真紅が混ざり合い、ぶつかり、衝撃波となって爆発した。
――ドオンッ!!
『はぁぁぁっっっっ!!!』
その影から勢いよく飛び出す、と互いにすれ違う。
最後の最後、極限の力。
フィオナの鞘は砕け散り、互いに背を向けた状態で硬直する。
静寂と沈黙。
観客たちの声も聞こえず、誰もが息を呑む。
そして――ついに、動き出す。
――ピシッ
罅の入る音が、小さく響く。
発生源は……千里の、アギトだった。
剣真の真ん中から、徐々に罅が広がっていく。
――バキンッ
白い大剣が、半ばから折れる。
その剣真が大地に突き刺さるのと同時に……千里は、闘技場に倒れ伏した。
――どさっ
と、同時にフィオナも膝を突く。
千里が倒れるまで耐えていたフィオナの長剣も、彼女が膝をつくと先端が欠けて落ちた。
『――チサト選手、ダウン』
レイニ声に、いつものような勢いがない。
だがそれは、爆発の前触れに過ぎなかった。
『勝者は、“フィオナ=フェイルラート”だァァァァァァァッッッッッ!!!!!』
『オォォォォオォォォォオオォォッッッッッ!!!!!』
爆発的に沸き上がる、闘技場。
その歓声を僅かにだが、千里は聞き取っていた。
「わ、たし、は」
身体の内側から襲ってくる、強烈な寒気と熱。
足掻き藻掻こうと、否応なしに意識は途切れようとする。
口から零れる言葉もとりとめのないもので、何と発するつもりなのか、千里は自分でも判断できずにいた。
白濁していく、意識の中。
――最後に聞いたは、連続する足音と、大切な人の必死な声だった。
「千里――ッ!!!」
闘技大会女性部門決勝戦。
優勝は、フィオナ=フェイルラート。
刻みこまれた覆しようのない事実と共に、闘技大会は幕を閉じるのだった――。
十一月から書き始めた六章も、これで漸く終了です。
次回からは、第七章に入りたいと思います。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次章もどうぞ、よろしくお願いします。