六章 第八話 波乱の闘技大会⑥ 一時の安らぎ
豪風と、強い雨。
特殊な結界が張られる闘技場は、雨天でも試合可能だ。
しかし、決勝戦がそれでは縁起が悪いと、魔法使い達が総力を挙げて雨雲を退ける間の一日が、休息日となった。
その間にできることなど、ほとんど無い。
そうして暇を持て余していた千里は……何故だかライアンの家の厨房を借りるに至っていた。
「どうして、こうなったんだろう?」
「どうしたの?」
「な、なんでもないよっ」
隣で同じくエプロンを着ける、ララの姿。
戦いを経て、この展開は予想できるものでは無かった。
そうして千里は、ゆっくりと思い浮かべる。
こんな状況になった、その経緯を――。
E×I
事の発端は、ジックだった。
よく騒動を引き起こす彼が、厄介ごとを持ち運んできた。
……なんてことでは、無かった。
「はぁ……」
貴族など立ち寄らない宿屋。
そのロビーでため息を吐くのは、ライアンに連れてこられたジックだった。
「はぁ……」
あからさまに元気のない様子に、自分の部屋から出てロビーに降りてきた千里は、首を傾げる。
そして、千里よりも早く起きてこの現状を見ていたのであろう、苦笑を浮かべたナーリャに問う。
「どうしちゃったの?あれ」
「あ、はは。休息日ができて時間を置くことになって、思い出したみたいなんだ」
「思い出したって……あぁ、考えないようにしてたんだね、ジック」
そう、ララの結婚条件である。
相手が悪かったとはいえ、一回戦敗退。
その上三回戦でナーリャが打ち破ったとあれば、“相手が悪い”など、ジックにとってはなんの慰めにもならないのだ。
「あぁ、チサト、ナーリャ」
「ライアン……」
憔悴した表情のライアンが、千里達に声をかける。
ジックが元気がないのと同様に、彼もまた元気がなかった。
「どうにもジックがあの調子では、俺も調子が出ないようだ」
ライアンもまた、二回戦でナーリャに負けている。
これはジックよりはまだ“相手が悪い”といえるのだが、落ち込むジックを慰める内に、気持ちが伝染したようだ。
はた迷惑な話だった。
「どうすれば、元気づけられるだろう?」
そういわれてしまえば、一緒に考えない訳にはいかない。
なにより、あのジックがここまで大人しいと、千里達も調子が狂う。
「男の子を元気づけるには……ララさんの手料理、とか?」
小さく零した、千里の声。
それを、ライアンとナーリャはしっかり聞き取っていた。
「なるほど……好いた相手の料理ならば、元気づけるには一番か」
「食は何者にも勝る特効薬になり得るって、爺ちゃんが言ってたな……」
すっかり乗り気になって、ライアンとナーリャは頷き合う。
けれど、千里はその様子を見て慌て始めていた。
「え、あの、その」
真剣にジックの好みの味について話し出した二人に割って入れず、千里は両手を振って戸惑う。言ってみたはいいが、腕を磨くこと以外に無関心なララが、簡単に料理を作ってくれるとは思えなかったのだ。
「厨房は俺の家のもので充分だろう。
ナーリャはジックから、苦手なものなどを聞いておいてくれ」
「わかった。
それなら千里は、ララさんに話しをしておいて」
「へっ?」
千里は、どうやって約束を取り付けるんだろう、などと他人事のように考えていた頭を停止させた。目を見開いて次の句が唱えられず、ただ固まるだけとなってしまった。
そしてその一拍が、致命的な隙となる。
「ねぇジック、あのさ……」
「それでは俺はいったん戻って準備をしてくる。
姉上は修練場にいるはずだから、そちらは頼んだぞ。チサト」
ナーリャもライアンも、それぞれ行動を開始する。
ナーリャはジックを外に引っ張っていってしまったため、その場に残ったのはチサト一人となってしまった。
「あーっ、もうっ!」
怒ってみても、誰もいない。
そのことに少しして虚しさを感じた千里は、とぼとぼと肩を落としながら宿を出た。
その際に、光の粒子を薄く纏って雨を防ぐことも、忘れない。
「どうやって話せば良いんだろう?
というか私、昨日戦ったばかりなのに……」
まだ、試合の後から一度も顔を合わせていない。
それに気がつくと、どうにも気まずさで足が止まってしまった。
「でも、どう考えても退けないよね……」
虚ろな目で、ぼんやりと遠くを見る。
そして頬を引きつらせながら、千里はララをどうやって誘うか考えるのだった。
そうして歩いて行く千里の後ろ姿を、ナーリャは振り返って見つめていた。
「これが切っ掛けになればいいけど……」
ララに勝ったことで、関係がぎくしゃくする。
そんなことはララも千里も望んではいないだろう。
けれど、なにか切っ掛けがなければ、踏み出す先も見つからない。
「頑張って、千里」
ナーリャはそう小さく零すと、ジックに話を聞くために、踵を返した。
――†――
決勝戦以外に試合を残していないためか、修練場は閑散としていた。
その賑わっていた名残もない寂しげな空間で、ララは一人鎚を振るっていた。
鈍色のハンマーを肩に担いで、フルスイング。
すると白い砂が轟音と共に舞い上がり、空に純白の道を造った。
魔力で身体を覆っているため、身体が濡れることはない。
けれども、千里の光の粒子のように寒さまでは防げないため、このままでは体調を崩してしまう危険もあった。
「いた……」
そんなララの姿を見つけて、千里は足を止める。
何を話せばいいのか、今更ながらに解らなくなってきた。
要件だけ告げればそれで良いのかも知れない。だけれども、そんな淡泊なやりとりで終わってしまうのは、いやだった。
「……チサト?」
「ぁ」
声をかけようと口を開いた時、先にララが千里に気がついてしまった。
そのことに気まずさが増長されて、千里は開きかけた唇を閉じて目を瞑った。
「こんなところで、どうしたの?」
敗者に何の用だ。
そう告げられている気がして、千里の心は萎縮する。
それでも、このままでは嫌だと自分に言い聞かせて、千里は今度こそと口を開いた。
「あの、ララさ――」
「――待って」
だがその勇気は、ララに止められた。
ララに止められたことで口を噤んで俯く千里に、ララはゆっくりと近づく。
その足取りは……軽やかだ。
「戦いを通して、貴女の信念は伝わったわ。
心を賭して刃を交えたのならば、それはもう“友”といっても良いはずよ」
「え……?」
ララの言葉に、千里は勢いよく顔を上げる。
思っても居なかった言葉の数々に、思考が追いつかず、千里はただ立ち竦んでいた。
「それなら、敬語なんて必要ないわ。
対等でありたいと思うのが、私だけでなければ、ね」
「わ、私もララさんと、友達になりたい!」
僅かに小さくなった、ララの言葉の終わり。
それを否定するものかと、千里は声を荒げた。
「“さん”はいらないわ」
「え、でも」
ため息を吐きながら首を横に振るララの様子に、千里は戸惑う。
生まれてこの方、年上の人を呼び捨てにしたことなど無いのだ。
ナーリャは、年上というのとは少し感じが違ったので、数えてはいないのだが。
「ララ、よ」
「えーと……」
「ラ・ラ」
何度も告げるララに、千里は金魚のように口をぱくぱくと開閉した。
そして、じっと目を見つめられて、千里はついに顔を逸らす。
「うぅ……ララ」
「よろしくね、チサト」
「はい……」
結局押し切られてしまい、千里は肩を落とす。
そうして隠した顔に、嬉しそうに笑う顔を隠しながら。
「それで、なんの用だったの?」
「あっ!」
本題をすっかり言い忘れていたことに気がつき、千里は大きく声を上げる。
「そうだ、料理!」
そして、過程を飛ばしてキーワードだけを先に言ってしまった。
結局、どうやってジックを元気づけるために協力を請うのか、考えていなかったのだ。
ララの性格から考えて、ジックが落ち込んでいるから作って、と言われて作るとは思えない。
「料理……が、どうしたのかしら?」
「えーと、うーんと」
千里は顎に手を当てて、眉を寄せる。
閃きを求めて呻り声を上げる姿は、滑稽だ。
そんな近寄りがたい姿を前にしても、ララはじっと返事を待っていた。
「ラ……ララと一緒に料理が作りたいっ!」
結局、口から出たのはそんな言葉だった。
一緒に作りたいってなんだ、とか。
そもそもこの世界の調理器具で自分が料理できるのか、とか。
そんなツッコミを自分自身にし続けながら、千里は頬に朱を差して目を瞑った。
「……そう」
対してララは、冷静に返事をしていた。
だが、声には出ていないものの驚きはしたのか、目を瞠って一拍静止していた。
「や、やっぱり――」
「――いいわ」
「へっ?」
今度は、ララが驚く番だった。
驚いて肩を跳ねさせた千里は、目を開いてララを見た。
ララはその銀の瞳をどこか楽しそうに眇めると、了承の言葉を繋げる。
「作ってみましょう、一緒に」
「ぁ……うんっ。
と、食べる時にナーリャやジック達も呼んで良い?」
「そうね、ええ、構わないわ」
ララは、一歩近づくことができれば、積極的な女性だった。
そうして、ぎりぎりの所で本題を思い出した千里は、確認が取れたことに安堵の息を吐く。
ここで断られていたら、流石に申し訳ない。妙な妬みでジックが元気になる可能性もあったのだが。
「それは、考えなくて良いかも」
「チサト?」
「な、なんでもないよっ」
千里は聞かれていたのかと心配し、咄嗟に首を振って誤魔化す。
そして二人は、自然な足取りでランタート家へ向かうのだった。
――†――
ランタート家の厨房は、最新の発想を元に魔法職人の手によって造られている。
庶民どころか下流貴族でも手が出せない、高級な厨房。
火の調節ができるコンロや、冷蔵庫など、現代に近いハイテクな設備になっていた。
「これなら、なんとかなるかも」
そう呟いてララと厨房へ入っていく千里の姿を、ナーリャとライアンは見送る。
ちなみに、ジックはすでに席についてそわそわと落ち着き無い様子で待機をしていた。
「いやぁ、ララさんをどうやって説得するか、なんて全く考えて無かったよ」
「あぁ、俺もだ。チサトはすごいな」
ナーリャの言葉に、ライアンはしみじみと頷く。
ララと千里が話せる機会を作りたい、と千里の呟きに乗ったナーリャだったが、肝心なことは完全に念頭になかったのだ。
「しかし、これで
……ナーリャもチサトの手料理を食べることができるということか」
「そうみたいだね。
……って、え?あー、ライアン?」
ライアンの声に思わず頷いたナーリャだったが、直ぐに言葉を止めてライアンを見る。
ライアンは「計画どおりということか」などと人聞きの悪いことを呟きながら、ジト目でナーリャを見ていた。
これでは、ナーリャがジックを“ダシに使った”ように聞こえてしまう。
「い、いやいやいや!
そんなじゃないからね?!」
それで頼むのは、あまりに邪すぎる。
楽しみすぎてジックの耳に入らなかったのは幸いだが、だからといって放っておけることではない。
「僕はただ純粋に――」
「チサトの手料理が食べたかった、と?」
「そうそう……じゃなくて!」
ライアンは、話しの流れで思わず頷いてしまったナーリャを見てため息を吐く。
いい加減誤解を解かないと、と慌てるが、あまり強くは言えなかった。
……なにせ、千里の手料理を望んでいるかと問われれば、首を縦に振ってしまいそうだったのだから。
「くくっ、すまんすまん。
つい冗談を言ってみたくなってしまっただけだ」
口元に手を当てて肩を震わすライアンに、ナーリャは安堵する。
そして、本気でなくて良かったと、苦笑ともに大きく息を吐いた。
「な、なんだ。そっか……よかった」
「普段からああも見せつけられては、な。
ちょっとした八つ当たりだと思ってくれて構わんよ」
「……反省します」
ライアンの言葉にこれまでの行動を振り返り、ナーリャは小さく肩を落とした。
八割方千里が原因だが、二割くらいはナーリャにも非がある。
ライアンの誤解の元はほとんどが事故なのだが、今更言い訳することでもないのだ。
「さて、あの二人は何を作るつもりなのか」
「うーん、千里、大丈夫なのかな?」
千里の世界の厨房環境は、本人から聞いていた。
そのためナーリャは、この世界の厨房でどうにかなるのか、心配していたのだ。
「君たちは、本当に仲が良いのだな」
そういうライアンの目は、先ほどのようなからかいの目ではない。
ただ純粋に、二人の仲の良さを讃えていた。
「二人は、どこで出会ったんだ?」
ライアンは、ナーリャに席を勧めながら椅子に座る。
ナーリャは促されるままにライアンの正面の席に腰掛けると、出逢いの時を振り返った。
「森で倒れていた彼女を、助けたんだ」
「森で、倒れていた?」
「うん」
アインウルフの縄張りで倒れていた、千里の姿。
幼い少女だと勘違いしていたことを今更ながらに思い出して、ナーリャは苦笑した。
「訳あって故郷に帰れなくなった彼女と、故郷を知らない僕。
互いに故郷を探すために、村を出て旅に出たんだ」
黒帝を討ち斃して見上げた、満天の星空。
その夜の天蓋の下で誓った友情を忘れたことなど、一度もない。
「君とジックは、どんな出逢いだったの?」
「俺とジック、か」
ナーリャの問いに、ライアンもまた振り返る。
横目でジックの方を見ると、幸いなことに彼はライアン達の会話に耳を傾けては居なかった。
「俺もジックも、学院に通っていてな。
同期で受けている講義も似通っているため、元より接点はあった」
騎士にせよ宮廷職にせよ、国の役職を目指すために学ぶ場所。
それが、仕官養成学術院――通称“学院”である。
「始めは互いに無関心だったのだが、切っ掛けがあって友情を結ぶに至ったのだよ」
「切っ掛け?」
ライアンは「ああ」と、どこか楽しそうに笑いながら頷いた。
そして、使用人が運んできた紅茶を傾けて、唇を濡らす。
「学院の地下には魔獣の住む“遺跡”があってな。
学院に通う生徒達は、ここで時折実戦演習を行う」
学んだ知識を試すために、地下遺跡に潜ってチームで行動する。
指定された範囲内を探索し課題をこなすという、伝統的な授業だった。
「そのチームの中にジックが居てな。
あろうことか、俺とジックだけ迷子になってしまったのだよ」
そういって頬を掻くライアンは、恥ずかしいのか小さく目を伏せた。
情景を思い出しながら語っているため、羞恥の感覚もひとしおだ。
「始めはどんな人間かよくわからなかった。
だが、一緒に出口を探す内に、捻くれてはいるが案外と“良いやつ”だと感じた」
それが馴れ初めだ。
そう語るライアンの表情に、ナーリャは頬を緩ませる。
懐かしそうに、そして楽しそうに語るライアンの顔には、柔らかい笑みが浮かんでいた。
「ナーリャっ!できたよーっ」
達成感に満ちた笑みを浮かべた千里が、ララを伴って食卓に入る。
その手の上に置かれた銀のトレイには、キツネ色に焼かれたミートパイが乗っていた。
食欲をそそる芳しい香りが、食卓に広がる。
「エルファロのミートパイ」
「うんっ。牛っぽい肉があって助かったーっ」
ララが淡々と料理名を述べて、それに笑顔の千里が続く。
エルファロとは、緑色の体毛を持つ森に住む牛のような動物のことだ。
調理済みのものを千里はララから少し分けて貰い、牛と豚の合い挽き肉に近い味だったことからミートパイの調理を提案したのだ。
「これからも、時折作って見るのも、良いかもしれない」
ララは予想以上に出来が良かったことに満足して、ほんの僅かに頬を緩ませながらそう言った。千里も、それに笑顔で頷いている。
「ララの、手料理……」
小声で唾を呑む、ジック。
その期待で爛々と輝く瞳を伺ったライアンは、小さく苦笑した。
「姉上、早速頂いても構わないだろうか?」
「うん」
「どうぞどうぞっ!」
頷いたララに続いて、千里も促す。
すると、ジックは普段よりも強い口調で神への祈りを捧げた。
「おおっ……宮廷料理にも負けていない!」
そう喜ぶジックの姿に、ララも心なしか嬉しそうだ。
もちろんジックの褒め言葉は過剰なのだが、調理者込みで本人はそう感じているのだから、文句は込められようもなかった。
「それじゃあ、僕も」
ジックに続いて、ナーリャも切り分けたミートパイを口に運ぶ。
さくっとした食感に、口の中で広がる芳香な味わい。
料理屋の、というのではなく、家庭でしか味わうことができない暖かみのある味だった。
「うん……おいしいよ、千里!」
「ほんとっ?
そっかー、よかったーっ」
味見はしたけれど、やはり心配だったのだろう。
千里は安堵の表情で胸をなで下ろすと、ナーリャの隣に腰掛けた。
「お母さんに習っておいてよかったぁ」
胸の前で手を合わせて、千里はそういって笑う。
その表情は楽しそうで……そしてどこか、寂しげだ。
「それなら、早く帰って“ありがとう”って、言わないとね」
ナーリャはそう、優しく微笑む。
帰れるよ、だから帰ろう、とただただ暖かい声をかけた。
「うん……うん。
そうだね。早く帰って、“ごめんね、ありがとう”って言わないとっ」
前向きに笑う千里に、ナーリャは頷く。
キツネ色のミートパイと、楽しそうな笑顔に囲まれて。
ただ、ただ、絶やさず笑顔を浮かべていた。
ひどい雨の、昼時。
翌日に控えて、楽しそうに食卓を囲む。
決勝戦は――明日。
因縁の終止符を目前にして、ナーリャは日常の中で決意を噛みしめるのだった。
六章も残りはあと二つ。
決勝戦を前後編で行い六章を終えたいと思います。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。