一章 第二話 ミドイルの村
小鳥のさえずりと、薪を割る小気味良い音。
風が木々を揺らし、太陽が大地を照らす光。
「ふわ、ぁ?」
窓に頭を預ける形で寝ていた千里は、ゆっくりと目を覚ました。
浮上していく意識と共に、昨晩の記憶が蘇る。泣きはらした目からは痛みが引き、微かな熱だけが残っていた。
「そっか、
寝ちゃったんだ」
顔を上げると、日陰になっていた。
千里のいる部屋は西日に面している為、朝日は差し込まない。
そのため、昼近くのこの時間は、ひさしが大きな影になっていた。
「うぅ、そろそろ起きなきゃ」
何時までも眠ってはいられない。
泣き尽くしたのなら、後は前を向かなければならない。
それがどんなに辛く、どんなに大変でも、折れたくはなかった。
千里は、負けず嫌いなのだ。
このまま負けっ放しは嫌だから、まずはできることから始める。
「薪を割る音
……あっち、かな」
だからまずは、“お手伝い”だ。
お世話になるのだから、それくらいはしたい。
そう思った千里は、ベッドから降りて音の鳴る方へ歩いて行った。
E×I
手斧を振り降ろすと、風を切る甲高い音と連続して、薪が割れる音がする。
それをテンポ良く繰り返していると、二人分補える量の薪が積まれた。
「これくらいで良いかな」
ナーリャはそう言って笑うと、額に巻いてあった白い布を取った。
汗が目に入らないように、外で作業をする時は、こうして布を巻いていた。
「あ、あのぅ」
「うん?」
薪を纏めていると、後ろから声が聞こえて振り向く。
ベッドの横に置いてあった革靴を履いた千里が、扉のところに立っていた。
泣き顔を見られたことが恥ずかしいのか、頬を淡く朱に染めて、目は伏せている。
「どうしたの?
えーと……チサト、だったよね」
「は、はい!
たかみ……千里=高峯です!」
名前が先に来ることは、昨日の会話で解っていた。
だから千里は、慌てて言い直したのだ。
「うーんと……
チさと、ちさと、千里、かな?」
「は、はいっ」
ナーリャは何度か口の中で転がすようにして繰り返すと、しっかりとした発音で名前を呼んだ。ナーリャは、少し難しい発音でも綺麗に発することが、得意だったのだ。
「僕はナーリャ。
ここ、ミドイル村の狩人だよ。よろしく。
あぁ、あと、畏まらなくても良いからね?
なんか、こう……むず痒いんだ」
そう言って、頬を掻きながら笑う姿は、千里にとっても安心できるモノだった。
とりあえず部屋は貸してくれていて、その家主は優しい人。
こんな環境で文句を言ったら、きっとバチが当たるだろう。
「はい――うんっ
よろしくね、ナーリャ」
笑顔には、笑顔で返す。
誠実には、誠実で返す。
それは千里のモットーで、きっと大切なことなのだ。
「さて、と
それで……どうしたの?
あぁ、住居なら心配しなくても良いよ。
きちんと状況を呑み込んで方針を決めるまではここにいればいいし、
村にだって空き家くらいあるから、定住したいなら手伝うから、ね」
「え、えぇと……」
ナーリャは、考えられる事を次々と上げていく。
家に住むのが嫌ならば、村に住む手配をする。
そこまでしてくれるのは悪いし、どうしてという疑問も残るが、今はそれが聞きたいのではない。
「なんか、手伝うよ
お部屋まで貸してくれてるのに、なにもできないのは嫌だから
……その、我が儘だけど……」
自分が嫌だから、手伝いたい。
隠しもせずそう口に出して始めて、千里は自分の欲求が“我が儘”だということに気がついた。受動的なままで良いとは思えないが、性急すぎたような気もしたのだ。
「そっか……優しいんだね。ありがとう」
「や、優しいとかじゃなくてっ!」
だというのに、ナーリャは笑って千里の頭を撫でた。
小さい子供にするような仕草だが、ナーリャが自分よりも大人っぽいこともあって、千里は振り払えずにいた。今でも、大きな大人の人には、よく撫でられるのだ。
「それじゃあ、昼食の準備でも手伝って貰おうかな。包丁は扱える?」
「うんっ……って、もうお昼?」
頭上を見れば、確かに太陽は真上まで昇っていた。
朝食を食べ逃すほど、ぐっすり眠っていたのだ。
そのことに気がついたとたん、お腹が減りだして、千里は肩を落とした。
――くぅ
「っ」
小さな音。
お腹の虫が鳴く音に、千里は慌ててナーリャを見上げた。
頬を朱に染め、涙目になっている千里と、耳を赤くして顔を背けるナーリャ。
気まずい沈黙が二人を包む中、先に切り出したのはナーリャだった。
「千里」
「……」
笑われるのか、フォローされるのか、嘆かれるのか。
正直、精神的にはどれも辛い。
どんな言葉が返ってくるのか、緊張しながら――かつ、涙目になりながら――千里は、ナーリャの答えを待った。
そして、ナーリャは――――。
「さ、さぁ、行こうか!」
――――華麗に、流した。
「うぅ、……ありがとう」
前途多難。
だがまずは、腹ごしらえである。
――†――
ガスも電気も水道もない。
火は熾さなければならないし、水も井戸まで汲みに行く必要がある。
井戸も、地域によっては川まで汲みに行く必要がある。
そんな環境で千里に出来たのは、文字どおり“子供のお手伝い”程度だった。
ようは、ジャガイモやニンジンに酷似した野菜の皮を剥き、切り分けるだけ。
火の始末なんか解るはずもなく、おおよそ料理と言える部分で手伝うことは出来なかったのである。
「エルリスの恵みと、イルリスの導きに感謝を」
「え、えーと……い、いただきます」
軽く握り拳を作って、胸元に当てる。
それから神への感謝を言葉にする、食事の礼儀作法。
そんなことが解るはずもなく、千里は両手を合わせた。
「あっ、そっか
これはね、過去を司る神様“エルリス”と、未来を司る神様“イルリス”……
この二柱に、現在を生きる僕たちが感謝の言葉を述べるんだ
……と、それで、その作法は千里の国の?」
ナーリャの説明に、千里は感心しながら頷いていた。
未来と過去を司る二柱の神様……二柱在っての“今”だから、感謝の言葉を捧げるのだ。
「えーとね
これは、野菜を育ててくれた人、料理を作ってくれた人
そして、命をくれた野菜達に、“ありがとう”っていう作法なんだ」
そして、今度はナーリャが感心する番だった。
こちらは、命の恵みへの感謝。
多神教である日本らしい文化だ。
「へぇ……それ、いいね。
それじゃあ僕も、“いただきます”」
千里に倣って、ナーリャも野菜のスープとパンに手を合わせた。
それを見て、千里は慌てて右手の握り拳を胸に当てた。
「え、えっと……
エルリスの導きと?
あぁっ――エルリスの恵みと、イルリスの導きに感謝を。
“いただきます”――あれ?」
気がついたら、自分の作法と混ざっていた。
それに気がついて、千里とナーリャは目を合わせて、同時に首をかしげた。
「っ」
口を押さえて、木のスプーンを置く。
それで二人に、限界が来た。
「あははははっ」
「はははははっ」
お腹を抱えて、笑い出す。
些細でくだらないことなのに、すっかり気が抜けてしまっていた。
散々笑って、料理が冷める前にと慌てて食べて。
気がついたら、千里の胸はすっかり軽くなっていた。
見ず知らずの他人。
部屋も料理もくれたのに、こうして笑顔もくれる男の子。
異性として意識するほど、恋を望んでいる訳ではない。
胸を高鳴らせる状況でもないし、余裕もない。
それでも、ナーリャと居れば“安心”することができる。
ここまで簡単に気を許したのは初めてで……。
だからこそ、この残酷な世界に、千里は少しだけ感謝をした。
――最初の出逢いが、彼であったことに。
――†――
昼食を終えた二人は、山を少し下って村へ行くことになった。
正確にはナーリャの家も村の中だが、家屋が密集しているのはもっと麓の方にある。
千里は今、ナーリャが保管してくれていた、高校の制服を着ていた。
紺色のブレザーに白いネクタイの制服だ。
流石にローファーで山道は厳しいが、代わりの靴は麓で買わなければならないので、千里は靴擦れを起こさないことを願いながら歩いていた。
「と……見えたよ」
「ふぇ?――おーっ」
周囲が山で囲まれた、小さな村。
眼下に広がる人々の営みに、千里は感嘆の息を零した。
根っからの都会育ちだからこそ、こういった“田舎の風景”は貴重だったのだ。
「ナーリャ、あそこが?」
「そう、あそこが僕たちの暮らす、“ミドイル”村だよ」
高台から滑るように、ナーリャが下る。
千里は、その後ろに追従しながら、転ばないようにゆっくりと降りた。
「あっ!ナーリャお兄ちゃんだー」
「ホントだ!おーい、ナーリャ兄ちゃん!」
日の高い内は、子供は外で泥だらけになって遊ぶ。
千里の周囲の子供はゲームばかりしていた為、少しだけ新鮮な光景だ。
「ナーリャ兄ちゃん、そっちの女の子は?」
群がる子供達を押しのけて、黄色い髪の少女がナーリャに声をかけた。
髪よりも淡い黄色の瞳は、快活な光を宿している。
「僕の家に居候中の……あー、旅の人、かな」
言葉に迷って、結局こう説明した。
流れ人なんて単語は、誰もが知っている訳ではない。
「ふーん。あたしはレネ!お姉ちゃんは?」
太陽のように笑うレネの笑顔は、心地よいものだった。
その笑顔に“可愛い”と感想を持った千里は、だらしない笑顔で目を合わせた。
屈まなくても目が合う高さだということに、密かに傷つきながら。
「私は千里。千里=高峯だよ」
「チサト?うーん……じゃ、ちー姉ちゃんねっ!」
言いにくい発音だった為、レネは直ぐに略して覚えた。
口で何度か転がして名前を呼ぶ姿は微笑ましく、千里もつられて笑みを零す。
「千里、子供好き?」
「えへへ……うん♪」
くるくると表情を変えて、好奇心に溢れた目で世界の全てを楽しんでいる。
千里は、そんな子供達が好きだった。将来の夢は、保母さんである。
「さて、そろそろ行こうか?」
「あ、うんっ」
千里は子供達に向かって、名残惜しそうに手を振る。
緩んだ頬のままではいけないと解っていても、どうしても緩んでしまっていた。
傍から見れば、千里も子供達と同じくらい表情豊かで、子供っぽかった。
「こっちだよ」
未だレネ達に手を振り続ける千里を、ナーリャが引っ張る。
小さく息を吐いて苦笑する姿は、子供達の保護者のように見えた。
無論、その“子供達”には、千里も含まれる。
「おお、おっきい」
「ここが村長……イルルガさんの家だよ」
先行するナーリャに、千里も続く。
歩く度に小さく軋む、板張りの廊下。
綺麗に張られた板の上を土足で歩くということが、日本生まれ日本育ちの千里には心苦しかった。だが、裸足で歩く訳にも行かず、結局眉をしかめるに止まった。
「村長!」
「おう、ナーリャ。待っとたぞ」
木机の上で頬杖を付きながらキセルを吸う、白髪の老人。
――イルルガはナーリャ達の姿を確認すると、歯を見せて笑った。
「さて、まぁ座れ」
「うん。ほら、千里も」
「う、うん」
少し遠慮していた千里を、ナーリャがそっと促した。
詳しい話を聞くということもあって、緊張しているようだ。
「流れ人……まずはそれからなんだが、
人伝故、ワシも多くを知っている訳ではない。そのことは、理解してくれ」
「はい」
情報は、何も手に入らなかった。
そんな“悪い状況”は、昨晩から想定済みだ。
悪い方にも思考を巡らせておかないと、いざという時に固まってしまう。
「突如光の中より顕れて、異界の技術をもたらす存在。
どこからか流れ着き、やがてどこかへ流れていく、無縫の旅人。
その人間達は、何時しか“流れ人”と呼ばれていた」
村に寄った吟遊詩人。
世界を歩き回って物語を聞かせ歩く彼らから聞いた、流れる者達の詩。
そんな吟遊詩人に、イルルガは何度か話を聞いたことがあった。
「間隔は不明だが、数年に一度光の中から現われる人間、
それを流れ人と言うそうだ。
ナーリャは昨日、一度に数年現われることがあると言ったが、あれは少し違う。
同じ年に数人現われることはあるが、
次の流れ人は基本的に前の流れ人が“消えた後”にしか現われないそうだ」
流れ人は、流れる者だ。
定住すれば、寿命を迎えた後。
旅に出れば、その姿が消えた後。
流れに乗って廻ってくるように、流れ人は現われ消える。
その説明に、千里は息を呑んだ。
イルルガの言った“消える”が、“帰った”のならいい。
だが、もしもそうでなかったら、その“消えた人”は――。
「千里、大丈夫だから……だから、落ち着いて」
肌が白くなるほど握りしめた拳を、ナーリャがそっと包み込んだ。
その冷たい手に、千里の意識が浮上する。
「う、うん。……あの、消えた人って」
「わからん。それは、街で情報屋を捜すなりした方が良いだろう」
解らないという返答に、千里は安堵を覚えていた。
そこでハッキリと、帰れないという明確な答えを出されていたら。
――“流れ人”は、死んでいるなどと言われたら、千里の心は折れてしまっていただろう。藁にもしがみつく思いだとしても、肝心の藁がなければ沈むだけだ。
「これから、お嬢ちゃんはどうしたい?」
「私、は……」
思い浮かべるのは、平和な故郷の風景。
両親と弟と、二人の親友の顔。
「私は、帰りたい。
帰るために、出来る限りのことがしたいです」
そう胸を張る千里の表情は、先ほどまでの怯えを孕んだ顔ではない。
ただ前を見つめる、希望を持つ者の目だった。
「カカッ
そうか……ならば、お嬢ちゃんは“村人”ではなく“客人”だ。
歓迎ではなく、もてなしの宴を開こう」
「え?うたげ?」
イルルガは嬉しそうに、キセルから灰を落とした。
若い人間が前を見る。その姿を見るのは、年老いた先達者達の楽しみなのだ。
「いや、まだ十か十一だろうに、良い啖呵だ!
おまえもそう思うだろう、ナーリャ!」
「うん。力強くて、暖かい目だ」
褒められている、のだが。
千里は、宴の指示を出そうと人を呼んだイルルガに、待ったをかけた。
聞き捨てならない言葉が聞こえたのだ。
「あのっ!」
「お?なんだ?」
「千里?」
一緒になって笑みを零していたナーリャも、イルルガと共に首をかしげた。
親子と言われても違和感がないほど、同調した動きだった。
「私は、十五歳です!
十か十一の女の子じゃありませんっ!」
その言葉に、二人は同時に固まった。
子供特有の“背伸び”かと思って千里を見るが、その目は本気だった。
「え?僕の三つ下?ダメだよ、もっと食べなきゃ」
「うーむ、これじゃあレネに抜かされるぞ」
帰ってきたのは、やや的外れな返答だった。
第一、食べて背が伸びるのなら苦労はしない。
食生活で背を伸ばそうと頑張ると、千里は横に伸びるのだ。
「むぅ」
「あ、あはは、
ごめんね、でもほら!
千里は今のままでも、充分魅力的で可愛い女の子だよ」
やはり、微妙にフォローがずれていた。
だが、大まじめに可愛いなどと言われて照れない女の子は居ない。
千里もその例に漏れず、朱に染まった頬を膨らませることで、怒っているかのように誤魔化していた。
そうでなければ、いつまでも根に持っていたりはしないのだ。……たぶん。
「くくっ……
さて、宴の準備だ!手伝ってこい、ナーリャ!」
「わわっ、うん!それじゃあ千里、また後で!」
ナーリャは、それだけ言うと走り去っていった。
その素早い動きに、千里はただ呆然と見送っていた。
「あそこまでしてくれることが、不思議かい?」
「え、あ……はい」
イルルガの優しげな声色に、千里は戸惑いながらも頷いた。
ずっと思っていたことだ。何故、ナーリャは始めて会ったような人間に、こうも優しくしてくれるのか、と。
「ナーリャは、この村で生まれ育った訳じゃないんだよ」
「え――――?」
唐突に語り出したイルルガ。
その声に、千里は逡巡を見せてから耳を傾けた。
「先代の狩人は“セアック”といってな、
この男は、ワシの親友だった」
遠き記憶に思いを馳せているのか、イルルガはそっと目を閉じた。
年を取って背が低くなっても、威風堂々としていた狩人。
その腕前は、未だに並び立つ者が居ないと謂われている。
「セアックが、狩りに行って、その帰り道。
アイツは、ぼろぼろの子供を拾ってきたんだ。
今にも死にそうなそいつを、セアックは治療した。
高価な薬まで使って、な」
思い浮かべるのは、四年前の光景。
全身が真っ赤に染まった少年を、雨の中だというのにセアックが負ぶってきた。
「その子供が絶え絶えの意識を失う前に聞き出せたのは“ナーリャ”という誰かの名だけ」
ナーリャとは、女性の名前だ。
だが、聞き取れたのはそれだけだった。
年齢さえも、正しいものか解らない。
「再び目が覚めた時には、子供――ナーリャは何も覚えていなかった。
どうして怪我をしていたのかというだけでなく、自分の名前や家族さえも」
「そん、な」
その目に映ったのは、どんな世界だったのか。
記憶喪失になった子供を見て、セアックは引き取ることを決意した。
子宝に恵まれず、病床に伏せた妻。
その妻に使うことが出来ず――間に合わず――手元に残った秘薬により命をつなぎ止めた子供。それはきっと、神がもたらした自分たちの“子供”だと思ったのだろう。
「セアックは、“ナーリャ”という記憶に関わる唯一の鍵を、子供の名前にした。
そうすることで、彼を知るものの情報が手に入るかも知れないと、そう考えたんだ」
そうして子供は、“ナーリャ”になった。
セアックの技術と知識、その全てを受け継いだ、新たな狩人。
半年前にセアックが命を引き取る前までは、山奥の家屋に二人で暮らしていたのだ。
「アイツはな、嬢ちゃん」
キセルに火を熾し、紫炎を昇らせた。
調薬によって作られたこの煙草は、薬だった。
風邪の予防効果などを持つ、薬だ。
「返したいのさ。
セアックがくれたものをセアックに返すことができなかった。
だから、自分もセアックのように誰かに手を差し伸べて、恩を返したい。
……それがセアックへの手向けだと――アイツは、胸を張ってくれるのさ」
まるで、英雄を孫に持ったような。
そんな生き生きとした表情で、イルルガは胸を張る。
「お嬢ちゃん」
「はい」
イルルガは、今まで見せたことの無いような、穏やかな笑みを浮かべた。
「ナーリャは未だ、記憶を求めている。
もし村を出るのなら、アイツも連れて行ってやって、くれないか?」
「イルルガさん……。
はいっ、もちろんナーリャが頷いてくれれば、ですけど」
「カカッ!
そうかそうか……ありがとうよ、お嬢ちゃん」
ナーリャという少年が、抱えていたもの。
それが、イルルガの言葉で、千里の胸にストンと落ちる。
ナーリャが見せたその“心”に、千里は胸が暖かくなったように感じていた。
そんなナーリャが共にあってくれるのに、不満はない。
「さてさて、宴が始まるぞ!」
「は、はいっ」
元気に腰を持ち上げる、イルルガ。
軽快な足取りで走り去るイルルガの背を、千里は負けては居られない、と後について走り出した。
――†――
村人が集まり、大きな鍋を囲む。
その光景を、少し離れたところでナーリャが見ていた。
「ナーリャっ」
「千里……。いったい、どうしたの?」
漸く自分をもみくちゃにしていた大人達から解放されて、千里はナーリャに並んで座った。二人で並んで、木陰で夜風に当たる。
「あのね、イルルガさんから聞いたんだ。ナーリャの、こと」
自分を助けてくれたのは、ナーリャだから。
事情を聞いたことを黙っているのは、嫌だった。
「そっか……。爺ちゃんは、すごい人だったんだよ」
「そうなの?」
「うん」
唐突に、ナーリャは語り出した。
それは、自分を助けてくれた人との思い出話だった。
「弓の腕前なんか、並び立つ者なし!って謂われてたんだ。
常に三手先を読み、一息で三本の矢を射る。
その軌道は獲物の未来を辿り、その命を確実に摘み取る……ってね」
尊敬しているのだろう。
身振り手振りで説明する姿は、生き生きとしていた。
「ナーリャは、弓は?」
「僕はまだまだ、だよ。
一手先を読んで、弓を射る。
……狩人の平均レベル、かな」
命中率でいえば、ナーリャの腕前は“熟練した狩人”の平均レベルだ。
しかし、それに状況判断からもたらされる、獲物の行動把握が間に合わない。
つまり、経験が足らないのだ。
「口数の多い人じゃなかったけど、
優しくて強くて、カッコイイ人だった。
右も左も解らない僕を助けて、僕に全てを与えてくれた。
……今の僕は、爺ちゃんのおかげでこうして“在る”んだ」
ナーリャは千里から視線を外して、空を見上げた。
それにつられて、千里も夜空を見上げる。
千里の住む都会では見られない、星の煌めく黒い天幕。
ビルの光や電光掲示板で地上が明るくないから、星が落ちずに空に在った。
「千里」
「うん、なぁに?」
空に呑まれて、返事が虚ろになる。
そんな千里に、ナーリャもまた空を見上げながら、声をかけた。
「僕は、爺ちゃんに貰ったものを返したい。
でも、爺ちゃんはもういないから……。
だから、これは僕の我が儘だけど。
――――僕に、千里を助けさせてください」
そう言いながら、視線を落とす。
夜がこぼれ落ちたような、闇色の双眸。
その黒を、千里の鳶色の瞳が映した。
「私は、帰りたい。
でも、その方法が解らないから、探したい。
だから、これは私の我が儘だけど。
――――私を、助けてくれませんか?」
そう言って、笑う。
優しくて、少しだけおかしな、そんな微笑みだった。
「よろしくお願いしますっ」
「うん……喜んでっ」
差し出された千里の右手に、ナーリャがそっと自分の右手を重ねた。
それは契約。
拙いながらも、約束の証。
「さて、輪に戻る?
それとも、まだここにいる?」
「ねぇ、あのさ、
またあの笛……聞かせて貰っても良い?」
「うん!
それじゃあ、小さな演奏会だね」
やがて音色に人が集まり、結局は宴の場所が移るだけになる。
それでもその中心で、千里は演奏に耳を傾ける。
不安はある。恐怖もある。
それでも……希望を持って、いられる。
「頑張ろう。
うん――頑張、ろう」
月が真上に輝くまで、暖かい宴は光を灯し続けるのだった――。
第二話は、千里の状況把握でした。
次回に今後の方針と、村の問題に関わるお話を入れていきたいと思います。
ご意見ご感想のほど、お待ちしています。
それでは、ここまでお読みくださりありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。
2010/10/06
一部加筆修正。
2011/04/07
一部加筆修正。
2011/04/13
改行ミスを修正。