六章 第七話 過日の宿命
灰色の光が、白い砂の上を奔る。
一つ、二つ、三つ、四つ。
四度繰り返された動きの後に、最後の一閃が軌跡を描いた。
「フッ……セァッ!」
闇に近い灰褐色。
ダークグレーの髪と、同色の目。
黒を讃えた光が、修練場で煌めいた。
「妙に熱心だな。ガラン」
「アークか……まぁな」
ダークグレーの男――ガランは、灰色の籠手を嵌めた腕で風を切りながら、答えた。
右手に嵌められた鋼鉄のガントレットには、対峙する存在を圧倒させる凶暴さがにじみ出ていた。
帝国の黒い鎧と、足に嵌められた灰褐色のグリーブ。
右手には殴打だけでなく掴み取ることも考慮された鋼鉄のガントレット。
そして左手には――弦を張った、手甲弓をしていた。
「昔年の願い、さ」
「どういことだ?」
アークの問いに、ガランは笑う。
凶悪に、凶暴に、笑う。
「親の喧嘩だよ」
左手が、突き出される。
すると、手甲から短い矢が発射されて、勢いよく離れた場所の的に突き刺さった。
「“どっちもいねぇ”なら、その雪辱は子で晴らす」
右手が突き出される。
するとその一撃は、空を揺らした。
「帝国の“テルクス”と王国の“ロウアンス”」
強いのは、どっちだと思う?
アークにそう目で語りながら、ガランは腕を突き出し続ける。
大柄な身体は筋肉質で、一歩踏み込むだけでその一撃は凶器となる。
その“本気”を受け止めなければならない相手に……アークは、心の底から同情をした。
その一撃を受ければ、間違いなく立っては居られない。
その後生き残れるかは、本人の運次第だ。
「面倒ごとだけは起こしてくれるなよ」
「あぁ、気をつける」
その獰猛な笑みを見て、アークはただただ、大きなため息を吐くのだった。
E×I
太陽がまだ、東から顔を覗かせたばかりの時間。
空が紫色から青へと変わっていく、早朝。
眠気に閉じていく目を擦りながら、千里は王城の前に立った。
修練場は、王城の一角にある。
そのため、まずは入場許可を取る必要があったのだ。
入場許可、と言っても予選突破者であるという確認だけなので、時間のかかるものでは無いのだが。
事実ナーリャは、千里を置いて二人分の入場許可を取りに行っていた。
簡単な手続きなので本人が居る証明は要らないという、表れだった。
「お待たせ、入ろっか?」
「うんっ」
ナーリャは千里と連れたって、修練場へ向かう。
王城の大きな門を潜り、そのまま右方向へ歩き進むと見えてくるのが、石の塀で囲まれた大きな修練場だ。
「お城を一般開放って、大丈夫なのかな?」
「あぁ、あれは帝国の、自信の表れでもあるんだよ」
「そうなの?」
例え門を潜らせても、建物の中にはネズミ一匹通さない。
軍隊に強い自信を持つ帝国ならではの、催しなのだ。
事実、数十年にわたるこの大会で、誰かに侵入されるという失態は一度も侵していないのだ。
ナーリャがそう伝えると、千里も“なるほど”と頷く。
それは諸外国への牽制でもあるのだ。
「許可証を」
「はい、これで」
塀の前にいた兵士に、許可証を見せる。
二人分の許可証を見て、次にナーリャと千里の姿を見て、兵士は頷いた。
「解放は夜までだ。
終了はこちらから宣告する」
兵士の言葉に頷き、ナーリャ達も修練場に入る。
修練場は、闘技大会同様に白い砂が敷き詰められた、だだっ広い空間だ。
数百人は一度に訓練できそうな大きさでありながら、まだ闘技場の方が大きいのだが。
「ナーリャはどうするの?」
「弓は実戦で訓練した方が性に合ってるから、ここでは槍をね」
ナーリャはそういうと、背負っていた槍を回して、肩に担ぐ。
ちなみに、今日の所は弓は宿に置いてきている。
対大型魔獣の弓となると、専用の矢がそれなりの値段になるためだ。
お金に還元できる狩りをするという訳ではない以上、練習で使っていたら資金に底がつく。
試合というどうしようもない場面以外では、なるべく使いたくはなかったのだ。
既に、ライアン救出の際に財布を傷めることになってしまったというのも、あるのだが。
修練場の一角で、ナーリャと千里はそれぞれに素振りを始めた。
まずはこうして、ウォーミングアップをする。
そうして身体が温まったら、軽く手を合わせてみるのだ。
「よっ、と」
回した槍を、突きの軌道に変える。
一回、二回と突き放ち、薙ぎから叩き付けへと変化させる。
そうして、全身を使った強烈な突きを、空に向かって放った。
――ブゥンッ
風を振るわせる音が、人の疎らな修練場に響く。
その洗練された型は、見ようによっては舞踏のようにも感じられる。
神に仕えた騎士が到達した一つの極み、その“再現”だった。
「さて……温まった?」
「ぁ……う、うんっ」
槍を振り降ろし、残心をする。
最後の最後まで洗練された動きに、千里は魅入っていた。
だが、ナーリャの言葉で我に返り、慌てて頷く。
「それじゃあ軽く、行こうか?」
「うんっ、お手柔らかにお願いします」
「こちらこそ、だよ」
丁寧に頭を下げる、千里。
それにナーリャは、柔らかな笑みを以て答えるのだった。
――†――
槍と剣を、交じらせる。
ナーリャの放った高速の突きが千里の首を狙い、千里はそれを避けながら前に踏む混んだ。
黒帝を思い起こさせる、速くて重い一撃。
鋭く放たれたその一撃を、ナーリャは槍を盾にすることで防いだ。
まさしく、一進一退の攻防といえる手合わせだ。
「ふぅ」
どちらからともなく、得物を収める。
こうして手合わせを続けていたら、いつの間にか昼時になっていたのだ。
朝から初めてこれならば、もう数時間も続けていたことになる。
「少し休憩しようか?」
「うん、そうしよー。
さすがに疲れてきちゃったよ」
肩を落とした千里を伴って、ナーリャは修練場の端へ行く。
持ち運んだ水筒を手に壁に背を預けて、二人並んで座った。
ナーリャは木製の水筒に口をつけて、中のお茶を飲む。
ミドイル村で採れる茶葉は常に持ち歩いていて、これもそのお茶だ。
こうして運動をする前には、ナーリャは必ず持ってきていた。
「あ、私も貰った水筒持ってくれば良かった……」
ミドイル村でイルルガに貰った、様々な旅の道具。
水筒もその一つではあるのだが、千里は生憎それを持ち歩くという習慣ができていなかったのだ。
「それなら、はい」
「えっ?」
ナーリャはそんな千里の呟きを聞いて、飲みかけの水筒を渡した。
千里はそれに目を瞠って驚くと、ナーリャの瞳を恐る恐る覗き込んだ。
「どうしたの?」
「う、ううんっ!なんでもないよっ」
言いながら、慌てて水筒を受け取る。
ナーリャの目に浮かんでいたのは、純粋な善意。
そこに千里の“思う”ような意図は、当然ながら含まれていない。
「か、間接……い、いや、気にしちゃダメだ!」
そう、こちらの世界ではおそらく無いであろう意識。
飲み物の回しのみという……“間接キス”と呼ばれる行為。
それを意識して、千里は頬を赤くしながらお茶を飲んだ。
「ああああ、ありがとう!美味しかったっ」
「そっか、良かった」
ナーリャは千里の妙な言動に首を傾げながら、水筒を受け取る。
そして再び――千里が口をつけた場所と、同じ場所から――お茶を飲んだ。
「っ!?」
それを、千里は真っ赤になった顔で見る。
少し前ならば、こんなにも意識はしなかっただろう。
だが、エクスの城を出た後からは、どうにもダメだった。
どうにも、“なんでもないこと”を意識しすぎている。
そんな気がして、千里はナーリャに気がつかれないように、熱い吐息を零していた。
「そろそろ再開しようか?」
「う、うんっ。それがいいよっ」
だからか、返事もどこか必死である。
千里は、早く練習に没頭して、この“もやもや”を追い出したかったのだ。
二人は立ち上がると、修練場の一角に戻る。
辺りを見てみると人も増えてきているようで、そこら中から剣戟の音が響き渡っていた。
「さて、それじゃあ――」
「――ちょっといいか?」
軽く素振りをして、再び構え合う。
そんな二人に、いや……正確にはナーリャに、声がかけられた。
「はい?」
聞こえてきたのは、ナーリャの背後から。
返事と共に振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。
ダークグレーの髪と、灰褐色の瞳。
顔面やむき出しの二の腕に刻まれた、無数の傷。
帝国の兵士特有の黒い鎧に、中隊長であることを示した銀のライン。
大柄で獰猛な目つきの、兵士だった。
「俺と手合わせしてくんねぇか?
一緒に練習するはずだったヤツが、遅れちまってるんでね」
そういって気前よく笑う男を見て、ナーリャは千里を伺う。
そうして千里が笑顔で頷くのを確認すると、ナーリャはそれを受け入れた。
「えぇ、いいですよ」
「そうか、ありがとうな」
男はそういうと、銀の手甲を嵌めた手で構える。
徒手空拳……今まで、渡り合ったことのないタイプの相手だった。
「俺はガラン。
ガラン=テルクスだ。アンタは?」
「僕はナーリャ。
ナーリャ=ロウアンスです」
ナーリャの、その名前。
それを聞いて、男――ガランは、ほんの僅かだがその顔に凶暴な歓喜を浮かべた。
獣のような、歯をむき出した笑み。それを、誰に気がつかれることもなく隠す。
「嬢ちゃん、合図を頼む」
「あ、はいっ」
千里が、二人の間に立つ。
そこから真っ直ぐ離れて十分な距離を取ると、アギトを背に収めて右手を挙げた。
「よーい――」
しん、と空気が凍る。
静まりかえった空間に満ちるのは、純粋で力強い戦意だった。
「――始めっ!」
合図と共に駆けだしたのは、ガランだった。
砂煙を上げながら、大柄な図体に似合わない驚異的な速度で走る。
その突進を見て、ナーリャは冷静に動きを測り取った。
「疾ッ!」
向かってくる方向へなぞらえた、槍の一撃。
ガランはそれを、左手で軽く外へ弾いた。
「っな」
「ハッ!」
見事な力加減で、ナーリャの槍が逸らされる。
そのことに驚きの声を上げている間に、ガランは右足を振り上げていた。
前方向に体重を乗せた蹴り――千里の世界でいうところの、“ヤクザキック”だ。
「まだまだ!」
ナーリャは急いで槍を引き戻すと、蹴りの軌道に突き刺して盾にする。
そして、衝撃のほとんどを地面に流すと、槍を引き抜いた。
「おせぇよ」
だが、その頃には既に、ガランはナーリャの懐に入っていた。
拳が鋭く突き出されて、ナーリャの腹を打つ。
「ぐっ」
「まだだ、小僧」
ガランは空気の塊を吐き出すナーリャに、小さく呟く。
そして、衝撃から一歩下がったナーリャの首めがけて、左の上段の回し蹴りを放った。
その一撃を防ごうとナーリャは咄嗟に槍を動かすが……今度は、蹴りの軌道が変わる。
「オラッ!」
「がッ?!」
上段に見せかけた、下段蹴り。
足を振り上げた状態から、真下へ振り下ろすという簡単なフェイントだった。
その鋭く重い一撃を右足に受けて、ナーリャは体勢を崩す。
「おいおい、これで倒れてくれるなよ?」
ガランは、どこかつまらなそうにそう呟く。
そして、体勢を崩したナーリャの胸板に、右の膝を叩き込んだ。
鎧の上からでも通じるほどの衝撃を持つ、一撃だった。
――ズンッ
「あぐっ」
「ナーリャっ」
千里の声が響く中、ナーリャは一メートルほど後退する。
それでも倒れようとしないのは、彼の意地なのだろう。
「ハッ、その程度か?
“ロウアンス”の血縁者だと思ったから、期待したんだがな……」
そのまま距離を取ろうと下がったナーリャに、ガランは失望した目で呟く。
見下した目に宿る失意の色に、ナーリャは動揺を隠すことができなかった。
「なに、を?」
「あん?あー、すまねぇ。
てっきり王国の弓使い“セアック=ロウアンス”の血縁者かと思ったんだが」
ガランはそう区切ると、ため息を吐きながら言い捨てる。
「名前だけ同じ“他人”だったみたいだ。
勝手に期待して悪かったな。“あの”ロウアンスの後継者が――」
失意が、色を変えていく。
期待は失望へ、興味は嘲笑へ。
ガランは、感心の失せた目でナーリャを見下していた。
「――こんなに“弱い”はずがねぇから、な」
「っ!」
その言葉に、ナーリャは目を見開く。
そして、強く歯がみすると、ガランに向かって一直線に駆けだした。
「あぁぁぁぁああぁっっっ!!!」
槍を携えて走る、ナーリャの足。
それを、ガランは身体を低くして槍を避けながら、冷静に払う。
そして、空中で体勢を崩したナーリャの腹に……後ろ回し蹴りを叩き込んだ。
「がはっ!?」
数メートルはじき飛ばされて、今度こそ地面に転がる。
意識が朦朧とし、ナーリャは白い砂を噛みながら起き上がれずにいた。
「こんなのが“ロウアンス”?
そうか、あのジジイ、名誉も栄光も全部――名ごと“捨てた”か」
ガランはそう吐き捨てながら、ナーリャに近づく。
失望を通り越したその顔に浮かぶのは……怒りの色だった。
「チッ……期待させやがって」
倒れ伏すナーリャ。
その顔面に向かって、ガランは足を振り上げた。
「目障りだ。
……ここで消えとけ」
その足がナーリャの顔面を、踏み――。
――ガンッ
「あ?」
――潰せなかった。
ガランの右足と、ナーリャの身体。
その間に割り込んだのは、巨大な白の大剣だった。
「これ以上は……やらせないっ」
千里は、鋭い目つきでガランを覗き込みながら、言い放つ。
ガランよりも頭三つ分も小柄な体躯でありながら、二メートル近くあるガランに怯まず向かい合っていた。
そんな千里を見て、ガランは身体を退く。
その灰色の双眸には、もうなにも映ってはいなかった。
「……テメェはそうやって、女の尻にでも隠れてろ。
二度と、その耳障りな名前を名乗るなよ?“ただの”ナーリャ君」
背を向け、ガランは歩き去る。
そうしてナーリャ達から顔を背けることで、ガランは歪めた口元を隠していた。
そう、どこか“期待”するような笑みだった。
その後ろ姿を引き止めようと、千里は足に力を入れる。
「ち、さと」
「アイツっ!
……って、ナーリャ?!」
だがその一歩は、自分の名を呼ぶナーリャによって阻止される。
ナーリャはその必死な声で、千里を引き止めていたのだった。
修練場の一角。
だれも見向きのされないその空間では、沈痛な静けさが漂ってい始めていた――。
――†――
ガランが立ち去って、少し経った頃。
ナーリャは震えながら身体を起こすと、片膝をつく。
そして、血液交じりの胃液を、白い砂の上に吐き捨てた。
「ぐっ、ゴホッ……いい、から」
「で、でも――」
「いいん、だ」
そう言いながらも、ナーリャは鋭い目で前を睨み付けていた。
そこは、ガランが先ほどまで立っていた場所で、立ち去った彼の足跡がある。
「僕、は」
「ナーリャ?
……ナ、ナーリャっ?!」
ナーリャは、小さく呟きながら、体勢を崩す。
千里はそこへ身体を滑り込ませて、なんとか抱き留めた。
「僕は、誰よりも、千里のために戦おうと、思ってた」
「……ナーリャ?」
千里の背に手を回し、倒れまいと抱き締める。
千里はそんなナーリャにされるがままになりながら、ナーリャの慟哭に耳を傾けていた。
「でも、でも。
この闘技大会は、僕に――僕だけのために、戦わせて欲しい」
ガランは言ったのだ。
セアックはナーリャに名を譲ることで、全てを“捨てた”のだ、と。
ナーリャはそれが、我慢ならなかった。
自分に全てを“与えた”セアックが、捨てたなどと言われるが、許せなかった。
「ごめん、ね。千里……」
「謝ることなんて、なーんにもないよ」
千里は小さく苦笑いを零すと、子供をあやすようにナーリャの背を叩く。
抱き合っていて互いの表情は見えないが、だからこそ言えることもあった。
「ナーリャはナーリャのためだけに、戦って。
それで、しっかり勝って、あんなやつぎゃふんって言わせてやろうよ」
千里の声は静かで、そして何より優しかった。
千里はナーリャに、ゆっくりと柔らかな言葉を重ねていく。
「ナーリャが誰よりも強いってことは、
一番近くで戦ってきた私が、誰よりもよく知っている。
……だから、さ、勝とうよ?勝って、アイツの思い違いを修正してやろうよ」
千里は、強くナーリャを抱き締める。
思いが伝わるようにと、強く強く、抱き締める。
「ナーリャがおじいちゃんに貰ったモノは、どんなものより素敵なんだ、って」
千里の言葉に、ナーリャは答えない。
ただ、ただ、震える声を隠すように、頷いていた。
夕焼けの修練場。
人も疎らになって、互いの顔も見えなくなる黄昏時。
ナーリャは千里を抱き締めながら、強く強く決意をする。
「絶対、勝とう」
「うん、絶対勝とう」
ナーリャの言葉に、千里が頷く。
負ける訳にはいかない戦いが、負けられない戦いとなった。
その事実に、ナーリャは強く手を握りしめる。
本戦まで、あと六日。
その六日間でできる全てを行おう。
そして必ず、ガランに打ち克とう。
ナーリャは自身の心に、そう――深く、刻みつけるのだった。
次回から、闘技大会に入ります。
今回はその種となるお話でした。
ご意見ご感想のほど、お待ちしております。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。
次話もどうぞ、よろしくお願いします。